~卑劣! エルフの森の不思議な大樹~
「あれ、師匠さまどこへ行きました? 今晩もいっしょに寝ようと思いましたのに。パルちゃん見てません?」
「あたしも見てなーい。どこだろ? サチは見た?」
「……見てない」
「ルビーちゃんはどうですか?」
「わたしも見てませんわね。きっと恥ずかしくて照れてらっしゃるんですわ。みんなで探しましょう。見つけた人が師匠さんの上に乗る権利を得られます」
よーいどん、とルビーが手を叩いたのを合図に、美少女たちは三方向に散っていった。あははは、と楽しそうに笑っているのでゲーム感覚なのだろう。景品は俺。嬉しいような、むずがゆいような……それでいて欲望が渦巻いていくのを感じて、一度頭の中を空っぽにしておく。
いや、違うな。
勇者パーティの賢者と神官の若返る前の姿を思い浮かべた。
――よし。
欲望なんかに負けたりしない。
余裕だな。
「師匠~、どこ~」
「師匠さま~、ここでしょうか?」
「きっとメイドのスカートの中ですわ。さがすのなら、スカートめくりが早いですわよ」
「「それだ!」」
ぜったいに違う、と叫びたかったが我慢する。
「……たぶん違うと思うわ」
サチがそう言ってくれた。
ありがとう。
君と大神ナーに敬意と祈りを捧げる。
俺の敬意が届いたのかどうか、定かではないが……サチは俺の捜索に加わらず、その場に留まってカップの紅茶を飲み始めた。
こんなところでも優雅に紅茶を入れてくれるメイドさんに感謝だなぁ。そんなメイドさん達のスカートをめくろうと目論むルビーは魔王の手下に違いない。
まぁ、マジで魔王の手下なんだけどね。
なんて思いつつ、俺は小屋の上で嘆息した。
夕飯後。
みんなで後片付けをしている間にこっそりと抜け出し、気配遮断。メイドさんやマトリチブス・ホックに紛れながら姿を消し、全員の視線から外れ死角へと移動。そのまま今夜の寝床である小屋の屋根へと上がる。
これはパルの気配察知の訓練――ではない。
二日連続で美少女たちに抱き付かれたまま眠ったら、俺の我慢が限界に到達する可能性が多いにある。
つまり自衛だ。
この世は自分で自分を守らなくてはならない。
というわけで、逃げた。
俺を敗北者と笑うのなら笑うがいい。
甘んじてその嘲笑を受け入れよう。
「お兄ちゃん」
屋根の上で忍んでいると、更に上からこっそりと声がかけられた。
見上げればシルヴィースがひょっこりと枝の上から顔をのぞかせている。
シルヴィースはお姫様と眠るのは申し訳ない、と自主的に樹の上に移動したようだ。
もともと狩人は夜を樹の上で過ごすことが多い。地上ではモンスターや野生動物が襲いかかってくる危険性が高いが、樹の上ならばある程度は避けることができる。
加えて、ここまで覆い茂っている大樹の葉だ。
うまく体を隠してくれるカモフラージュとなっているので、よっぽど安全な場所と言えた。
猿型のモンスターが襲ってきたのは、まぁイレギュラーではあるんだろうけど。
「しー」
黙っていてくれ、と俺は口に人差し指を当てた。
そんな俺を見てシルヴィースはくすくすと笑う。
イタズラっ子みたいな笑顔が可愛らしい。
「おやすみなさい」
口をパクパクと動かして、くちびるだけで挨拶してくれる。
俺もそれに合わせて口だけで、おやすみなさい、と返した。
嬉しそうな笑顔を向けたシルヴィースは布にくるまって、太い枝の上に姿を消した。
シルヴィースほど小さい体だったら落ちる心配はないんだろう。
俺も勇者パーティにいたころは、樹の上とか屋根の上とかで良く眠っていた。
安全確保の監視のためでもあるんだけど、夜営の場でいっしょに寝ようとすると賢者と神官がイヤな顔をしたからなぁ。
いま思えば、俺のことが嫌いなのではなく、勇者の時間を俺に取られるのをイヤがっていたのは確実であり、それを邪魔していた俺を険しい目で見ていたことは分かる。
分かるには分かるんだが……
夜営の監視で勇者とイチャイチャされても困る。風紀が乱れるとかそういう意味ではなく、単純に周囲への警戒がおろそかになるので、おちおち眠ってもいられない。
まぁ、どちらにしろ監視の目は必要なので。
嫌われていようが、いまいが、俺は樹の上を選んだだろうけどね。
さてさて。
今日はのんびりと寝られそうだ。
「師匠、見~つけた」
「んぐ」
訂正。
今日も限界ギリギリの自己鍛錬を続けることになりそうだ。
一晩中、賢者と神官の顔を思い浮かべるハメになった。
辛い。
せめてあのふたりを10歳程度まで若返らせておけば良かった。
いや、そうしたら耐えられないので意味ないか。
ちくしょう。
というわけで、翌朝。
「勝った」
自分の欲望に打ち勝った俺は満足そうに拳を突き上げた。
「勝ってもらわねば困る」
小屋の中の護衛兼監視のマルカが俺を半眼でにらみつけてくる。今日は途中での交代だったらしく、小屋の中に入ってきたときに胡乱な視線を向けてきたマルカさんには、なんとも言えない空気がただよっていた。
「だったら俺を追い出してくれた方がありがたいんだが」
「しかし、一番安全策でもあるだろ?」
そういう考え方もあるのか。
まぁ、この集団の中でいち早く危険に勘付ける自信はあるが。
しかし、そのメリットと俺がお姫様に手を出すかもしれないというデメリットを考えると、やっぱり俺を追い出すべきだと思う。
「エラント。おまえはあの楽しそうな姫様から玩具を取り上げろ、というのか」
「マルカ。あんたが玩具と思っている物は本物のナイフだぞ」
俺は縛られている手からするりとロープを外してみせる。
縄抜けだ。
ちなみにこれくらいならパルもできる。
縄抜けの修行として、さんざん縛ってベッドの上に転がして教え込んだので、縄抜けは習得できたはず。
あと、縛るときはとってもドキドキした。
危なかったなぁ、と思う。
「ナイフはナイフでも、玩具のナイフだと私は思うが」
「自分でもそうありたいと思うが……こればっかりは保障できない」
どんなに刃が潰されていようと、先端が丸く削られていようとも、ナイフはナイフ。
無理やり刺さらないこともないし、それで脅すことも可能だ。
俺はしあわせそうに寝ている美少女たちを見る。
「この子たちを泣かせるのは俺の望みではないよ」
「本人がそれを望んでいても?」
「まだ早いだろ」
「う、う~ん……?」
マルカさんは腕を組んで、首を傾げた。
お姫様は大却下されているとして、パルやルビーについて考えてくれているんだろう。
それでも絶妙に迷いがある、ということがその答えだ。
「ま、成人してから考えるのが一番だろ。子どもに手を出してはいけない。いろんな意味で」
「そうね。それが一番かもしれないわね」
大体の人間は成人してから結婚する。
街などでは、そこまで若くして結婚する者は少ないが、田舎に行くと成人式と結婚式が同時に行われることも少なくない。
うらやましいな~、と思ったりもしたけれど。
孤児だった俺にそんな相手がいるはずもないし、勇者パーティとして世界中を旅している最中だったので、結婚相手などできるわけがなかった。
しかし、勇者には村長の娘とか、族長の娘とか、村娘とか、なんかそういう救った相手の娘さんを嫁に、と紹介されることが多々あった。
うらやましい話だった。
全部受け入れていれば、今ごろはお嫁さんが二桁はいる。しかも10や20ではない。上手くいけば50はいけるんじゃないだろうか。
それはそれで恐ろしい話だ。
うん。
はてさて、マルカさんにロープを手渡してから小屋の外へ出る。
外はまだ暗く、日が出ていないが、木の葉の隙間からわずかに見える空は黒ではなく紫色に近い。もう少ししたら白んでくるだろうか。
さすがにこの時間は一番冷えるらしく、空気も冷たい。
相変わらず痛いほどの寒さではないのが救いだ。ほんの少し、息が白く色付く程度。
あちこちで焚き火のオレンジの光があるのを見ながら川へと移動する。
昨日と同じく、あまり女性たちの寝顔を見たり、朝支度を覗いたりするのは失礼かと思って、足早に移動した。
「お、シルヴィース。早いな。おはよう」
「お兄ちゃん、おはようございます」
川の水で顔を洗っていたシルヴィースと出会った。パシャパシャと水に顔を付けるように大胆に顔を洗っている。
「この冷たい水で良く顔なんて洗えるな」
水辺でしゃがみ、手で水をすくう。
空気とは打って変わって、やっぱり痛いほどの冷たさ。一気に指がかじかんで動かなくなりそうだ。
それでも覚悟を決めて顔を洗う。
「ひぃ~、冷たい」
「あははは、お兄ちゃんでも冷たいのは苦手なんだ」
「シルヴィースは平気なのか?」
「ボクは慣れてるから平気」
「そのわりには、耳のさきっぽが赤いぞ」
「え、ホント?」
シルヴィースの耳がぴこぴこと揺れる。その先端は赤くなっていて、寒いことが表れていた。
「これはお兄ちゃんに照れてるんだよ」
「そっちでごまかすのか。普通は逆だと思うが」
「ボクは寒くなーい」
「はいはい、そういうことにしておこう」
強がってるシルヴィースはカワイイなぁ。
なんて思いつつ、身支度を整える。
昨日と同じくかじかんだ手でヒゲを剃るのは怖いので、やめておこう。無精ヒゲがそこそこ伸びるが、許して欲しい。
そんなこんなで朝の支度が続々と始まる。
ウチの弟子たちも起こして、朝の準備をさせている間にシルヴィースやマトリチブス・ホックの騎士たちといっしょに見回りついでに果物を採取した。
木の実とかそれなりに採れるのは、あまり寒くないおかげだろうか。
それともエルフが管理している森だからこそ、なのだろうか。
なんにしても、朝ごはんが少しだけ豪華になるのは嬉しいものだ。
できればサンドイッチが食べたいが、贅沢は言うまい。
「ここからはもうすぐです。お昼前には到着すると思います」
朝食を終え、出発の準備が整ったら。
シルヴィースの案内で、川沿いを進んでいく。
そろそろエルフの郷に近づいていることもあり、モンスターの発生する確率も減ってきているはずだ。それは野生動物にも言えることなので安全度はどんどん上がっていく。
しかし、それは斥候をしない理由にはならない。
ゴブリンやコボルト程度の相手であろうとも、不意打ちを受ければそれは不意打ちであり、斬られれば傷が付く。
運が悪ければ、一撃で殺されてしまう。
この世に、真に弱いモンスターなどいない――ということだな。
しばらく進むと川はどんどん支流へと枝分かれしていくようで、それなりに穏やかな流れになっていく。
支流となった場所を渡らなくてならず、荷車を渡すのは一苦労だ。丸太を倒してだけの簡素な橋があるが、荷車を渡すには不安がある。
もうすこし補強して欲しいところ。
「普段、こんなところに馬車なんて来ないので」
と、シルヴィースは苦笑していた。
人里から離れているからこそのエルフの森と言えるが。
それなりに外の世界と交流したほうがいいんじゃないかなぁ、とこういう時だけ思ってしまう。外から来た都合の良い意見なので口にはしない。
幸いにも誰ひとり川に落ちることなく、荷物も荷車も無事に川を渡れた。
いざとなれば樹を一本くらい切り倒して橋の幅を広げる方法もあったが、そこまでせずとも充分な幅のある丸太だったので、なんとか無事に荷車すべてを渡すことができた。
巨木に感謝だな。
川を渡り、少し休憩を挟んでから再び出発する。
そしてある程度まで進んだところで、俺は空を見上げた。
「おっ、そろそろか」
エルフの郷に近づくと、なぜか空が明ける。
鬱蒼と生い茂っていた葉は天高くなってくるが、それでも空にフタをするようにしているはず。それにも関わらず空が抜けるように見えるのは、大樹の持つ不思議な力のおかげだ。
もっとも。
太陽の光が降り注がなければ、他の植物が育たない森になってしまう。他者と共生できるからこその大樹なのだろう。
冬の澄み切った青空が見えるようになった。
ついでに、大樹の幹もハッキリ見えてくる。
まるで神さまの住む天界に繋がっているんじゃないか、というぐらいに高く高くそびえたつ大樹。
学園都市の中央樹よりもよっぽど大きく、ここが世界の中心なんじゃないか、と錯覚してしまいそうなほどに大きな樹が、どーんと見えるようになった。
きっと今ごろ、パルも大口を開けて見上げていることだろう。
見惚れてしまうのも無理はない。
それほど壮大な景色だ。
滝のある崖から見下ろす光景も凄いが。
森の中に天まで繋がるほどの巨大な樹を見上げるのも、悪くないだろう。
もっとも――斥候中にぼんやりと空を見上げているわけにもいかないので、しっかりと周囲を見渡しておかないといけない。
空が抜けるようになり、闇が無くなればモンスターの心配は更に減っていく。
ここから先は逆にエルフが仕掛けた罠に注意しないといけないな。
「……さっそくあったか」
トラバサミが仕掛けてあった。
その先には作りかけのような、放置されたかのような簡素な畑があった。人間避けではなく動物対策のような感じかな。
畑を踏み荒らすわけにもいかないので、避けて歩く。
柵ぐらい作ればいいのに、とは思うけど。
なんて思いつつ先へ進む。
エルフの郷まで、もうちょっとだ!




