~卑劣! アポイトメントはオトリでない~
宿から出た俺は富裕区を目指して歩く。
もちろん裏道や路地裏なんかは使わず、メインの大通りを歩いて行った。
こう何度も街中を普通に歩いていると、そろそろ旅人としての効果が薄れそうで怖いが……まぁ、もうしばらくはごまかせるだろう。
もっとも――富裕区だけはごまかせそうにないが。
一般の居住区や普通の商人はあまり寄り付かない場所でもあるので、旅人が迷い込んだにしても嫌に目立ってしまう。
盗賊スキル『変装』を使用してもいいのだが、まぁ悪いことをしに行くわけではないので、このままでいいだろう。
朝の富裕区には動きはない。
住んでいるのが貴族だろうと豪商だろうと、早朝から動きのある神殿の神官長であろうとも、動き出すのはもう少し太陽が昇ってからだ。
もちろんメイドや執事、使用人などは今の時間から仕事を開始しているが、だからこそ外に視線を向けるヒマはない。
安全安心の道、なのかもしれないな。
静かな石畳を足音も立てずに歩いていくと、見知った建物が見えてきた。
相変わらずデカい館だな。
なんて思いながらジックス街で一番大きい『領主の館』を見る。
「ふむ」
なかなかどうして、館内に活気が戻っているようにも思えた。
具体的には窓を通り過ぎる見知らぬメイドの姿が見えるし、厨房と思われる場所から朝食の準備と思われる火の気配。他にも掃除をしているメイドさんやら、使用人と思われる男の姿がちらほらと窓を通り過ぎていく。
以前のガランとした館の中を知っている身としては、随分とにぎやかになったものだ、と思えた。
絶望的な状況は脱し、希望を持てる状況に好転したようだ。
俺の持ち込んだ金塊が有意義に使われているようでなにより。こうやって人を雇うことで経済もまわるんだろう。
良く知らないけどね。
領主の館に近づいていくと、敷地を取り囲む背の高い柵の間から庭が見えた。そこにも手は加えられているようで、崩壊へと進んでいた庭園も豊かさを取り戻しているようだ。
さすがに枯れた花を放置はしていないだろうけど、早々と元通りにはならないはず。現状が綺麗に見えるのは庶民感覚での話かもしれない。
権威ある者が見れば、まだまだ元通りになっていないと判断するのかもしれない。
もっとも――
それは品位ある貴族さま同士の話であって、それこそ『ただの見栄』だ。
沽券に関わるかもしれないが、背に腹は変えられまい。しかし、そのままで放置するのはマズイだろうから、徐々にでも手を入れていると思われる。
一番の後回しが庭の手入れじゃないだろうか。
身なりを良くするのと、庭を整えるのでは、やっぱり優先順位が変わってくるものだ。
「まったくもって、えらくは成りたくないものだな」
強さではなく品位とお金で戦うのだから、やってられない。
まぁ、貴族になったからといって敵がいるとは限らないが。
「止まれ――と、なんだエラントさんか」
領主の館、その門番をしている衛兵のひとりが槍を向けるが……俺の姿を見てすぐに槍を引っ込める。
「もう少し早く気づいてくれてもいいんじゃないか?」
庭を見ながら歩いてきたんだ。
気配を消した覚えもない。
「ふあ~ぁ。朝は弱いんだ。立ってるだけでお金がもらえるボーナスタイムだから、油断もするだろ。起きてるだけマシと思ってくれ」
「おいおい。油断するなよ。仕事は真面目にやってくれ……」
冗談さ、と衛兵は苦笑しながら肩をすくめた。
まぁ、早朝に何か仕掛けるのは有りと言えば有りだが、たいていは夜中にやる方がマシな結果になる。わざわざ正面から騒ぎを起こすのは陽動が目的と思われるので、なまける時間と言い切っても不思議じゃないか。
「それで旦那。今日も何か領主さまのお仕事で?」
「いや。俺の個人的な仕事だな。すまないが領主さまに聞きたいことがあるんだ。取り次いでもらえるかい?」
「ちょっと待っててくれよ」
頼んだ、と俺は片手をあげる。
衛兵のひとりが館へ向かい、中に入って確認してくれている。
その間にもうひとりの衛兵と雑談していると、しばらく経っていつもの美人メイドと共に衛兵が戻ってきた。
「いらっしゃいませエラントさま。ですが、事前に連絡をして頂ければ助かります」
ジロリ、と美人メイドは俺をにらんだ。
早朝でも領主さまが忙しいのは変わりないか。
「すまない。だが、早ければ早いほどいいのでね。押し掛けさせてもらった」
俺の言い訳に美人メイドの厳しい視線がつらぬいてくる。
しかし、すぐに諦めたかのようにメイドさんは息を吐いた。
「早朝は旦那さまの唯一の安らげる時間です。それでなくとも忙しい身。それを、たかが庶民の分際で、貴重な旦那さまの時間を削ってしまうことを重々承知した上、館に上がることを許可いたしますわ」
「お、おう……分かった。次からは事前に伝える」
「よろしい。では、こちらへ」
くるり、と反転してメイドさんは館へ戻っていく。
ぶわっと広がるスカートの裾が美しいが、今は入ってくるな防壁のようにも思えた。
「おぉ、こわいこわい」
「はは。聞こえますぜ、旦那」
「なにか?」
ひぃ、と俺と衛兵ふたりは悲鳴をあげつつ、なんでもないです、と首を横に振った。
足早に美人メイドに追いつくと、ちらりと彼女は俺を振り返る。
「……私、いつもこんな風に怒ってませんからね」
「ん? あぁ、威厳ってやつかい?」
えぇ、とメイドさんは前を見ながらうなづく。
あくまで俺は庶民だ。
衛兵もまた同じ立場の庶民だろう。
俺とメイドさんが普通に話していたのでは、衛兵にも同じ態度をされてしまう可能性がある。
それを防止する意味で、わざと強めの態度を取ったようだ。
「あまり甘い顔をしていると、いろいろな意味で舐められてしまいますので。勘違いなさっては困りますからね」
いろいろな意味か。
まぁ。
うん。
美人だし。
「本来、俺はあなたのような人と話せるような立場ではない、と」
「いえ、この街の恩人にそこまでは言いませんよ。それでも、たかがメイドと侮られては困ります。領主の館で働けるメイドは、早々簡単に誰でも成れるものではありませんから」
「……そういえばそうか」
たまに庶民から手ごろな娘を誘拐さながらにメイドに仕立てあげる貴族もいるが。
普通に考えれば、仕事ができる娘にしか許されていない仕事だ。
作法もあるし、たしなみ、というやつもあるだろう。
もちろん、下世話な意味でもメイドはメイドの役目を果たさねばならないこともある。お手付きにされるメイドっていうのは、やっぱり多いだろうし。
本来はそういった性的な感情を抑えるためのメイド服だったはず。
地味で派手さもなく落ち着いたデザインが多いが、それでいて最低限の華やかさを残した作業着。
しかし、いつの間にやらメイド服自体に価値が出てしまって、手を出す貴族が多くなったとか、なんとか。
いやそれはメイド服のデザインとか関係なく美人や可愛い娘は結局のところ手が出されるとか、なんとか。
まぁ、つまるところ。
メイドさんも大変なんだぞ、ということだ。
「分かった。ちゃんと敬意を払うことにするよ。で、ひとつ質問があるんだが、いいだろうか?」
「なんでしょうか?」
「名前を教えてくれ。メイドさんと呼ぶのも、どうにも失礼と思うので、できれば名前で呼ばせて頂きたい」
館の中にメイドが増えているので、尚更だ。
もしかしたら今後、彼女に直接おねがいする依頼や事件があるかもしれない。
名前という『情報』は知っておいて損はしないはず。
「……ふふ。もしも私を口説くおつもりでしたら、その作戦は下の下ですわよ」
「そんなつもりないよ。俺にはパルで充分だ」
俺は肩をすくめる。
ほんとにマジで、そんなつもりは小指の先の爪の余ってる部分すら無い。
「あら。あの子に負けてしまいましたね」
くすくすと笑って、メイドさんは館の扉の前で立ち止まり、くるりと反転した。
スカートがぶわりと広がるが、それをすぐに納めて両端を指でつまむ。
そしてちょこんと持ち上げながら片足を後ろへ引き、膝を軽く曲げた。
カーテシー、もしくはカーツィと呼ばれる挨拶方法だったか。主に目上の者に行われる挨拶とされているが、王族や貴族間でされる挨拶でもある。
つまり――
「わたくしの名はリリエンタール・マーマルドと申します。お気軽にリエッタとお呼びくださいませ」
彼女は――
リエッタは。
メイドではあるが、貴族……ということか。
「なるほど。あなたの言う『威厳』の意味するところを理解しました。よろしくお願いします、リエッタさま」
「いえ、エラントさま。リエッタとお呼びください。口調も今まで通りでいいですわ。あくまで私は旦那さまのメイド。領主さまのお客様ともあれば敬称など必要ありません。よろしいですか、エラントさま?」
少しばかり上目遣いで。
リエッタはそう語った。
これが、貴族の威厳というやつか。充分過ぎる『凄み』を感じさせるものだ。
たかがメイドではない。
単なるメイドでもない。
意思あるメイド。
意義のあるメイド。
それを体現するかのような、そんな存在がリエッタというわけか。
「……では、よろしく頼むリエッタ」
「えぇ。それではどうぞ、大切なお客様。歓迎いたしますわ」
少しばかりほほ笑んで。
貴族メイドのリエッタは領主の館に迎え入れてくれるのだった。