~卑劣! 新しい出会いは枝の上~
朝の支度に俺は加わらない。
というか、女の子が身だしなみを整えている場所に男の俺がいるっていうのは、なんというかダメな気がしたので、そっと離れておいた。
見回りをするフリをして、夜営地から離れて行く。比較的穏やかな川の流れる場所を見つけて、そこで顔を洗う。
「く、ぅ~」
冷たい。
めっちゃ冷たい。
不思議と気温はそこまで低くないっていうのに、川の水だけは真冬のように冷たい。いや、真冬なので当たり前なんだけど。
指先が一気に冷たくなってジンジンと痛む。
ナイフを操る指の動きに影響がありそうだ、と俺は自分の指で自分で揉むようにして温めた。
メイドさん達がお湯を沸かしていて正解だ。
こんな水で顔を洗ってたら、みんなの士気が一気に落ちてしまう。
「ふぅ」
気合いを入れなおしてバシャバシャと顔を洗う。さっさと終わらせて焚き火で温まりたいところだ。
「ヒゲは……いいか」
無精ヒゲになってしまうが、許して欲しい。
冷え冷えの指でヒゲを剃ると、たぶん失敗する。血まみれになった顔で弟子の前には立ちたくないものだ。
ジョリジョリと顎を触りながら一応とばかりに野営地の外側のラインを歩いた。
そこから一通り森の奥へ向かって気配を察知していくが……視線などは感じられない。大勢の人の気配から野生動物の気配も無かった。
また、何者かが歩いたかのような痕跡も見当たらない。
どうやら安全に一晩過ごせたようだ。
もっとも、マトリチブス・ホックたちが交代で見回りをしていたおかげでもある。
ここまでの集団だ。
オオカミなどの野生動物は確実に気付いているはず。
それでも襲って来なかったのは、こちらが集団であることに加えて戦闘力を見せつけたことに起因するかな。
オオカミとは賢い動物だ。
無謀な狩りなどせず、俺たちよりもっともっと安全に仕留められる動物を狙うだろう。
あとついでにイノシシの内臓を置いて行ったのが良かったのかもしれない。
なんにせよ、安全が確保できたようでなにより。
しかし……
「あとどれくらいかな」
森の中に入ってしまったら、ゴールである大樹の姿は見えなくなる。山のように大きな樹ではあるが、森の木々が邪魔をして見通すことはできなかった。
というわけで、木登りだ。
「よっ、と」
頃合いの樹を見つけて登っていく。
盗賊スキル『蜘蛛足』。
スルスルと枝に足をかけ、樹を登っていった。コツは腕ではなく足で登ること。エルフの森にいる間にパルにもう少し伝授しておきたいな。
なんて思いつつ登っていき、枝葉の間から顔を出す。
「ふむ」
朝日がオレンジ色に輝き、森の上に落ちてくるところだった。
広大で美しい光景だが、ゴールの大樹がそれなりの距離にあることが分かり、なんとも言えない感情になる。
ここ数日、雪は降っていないのか溶けてしまったのか。
反射するような白い残雪は見当たらなかった。
「今日中には着けるか……? いや、しかし……」
俺ひとりなら充分に到着できる。パルがいても余裕だろう。
しかし俺たちは集団であり、長距離移動になれていないヴェルス姫やメイドさんと一緒、という状況ならば――少々厳しそうだ。
もちろん、それは何事も無ければ、という条件での仮定だ。
危険な動物やモンスターと遭遇したら、確実に遅れるわけであり――
「間に合わないと思っていた方がいいな」
無理をして真っ暗な中を歩くことになれば、それはもう自殺行為となる。
到着するのは明日になる、という前程で行動する方が良いだろう。
他に上空における危険がないか、などの探索を終えて、俺は魔力糸を顕現させる。それを枝に絡みつけてから落ちるように樹から飛び降りた。
こういう時に魔力糸は便利。
なにせロープは回収することを考えないといけないが、魔力糸は使い捨てにできるからね。
するすると樹から降りるとマトリチブス・ホックの騎士が挨拶してくれた。
「おはようございます、エラントさん。何か良い物でも見えましたか?」
「おはようございます。良い物はありませんでしたね」
「あらら、残念」
「ゴールは見えましたが、まだまだ通そうです。到着は明日になると思っていたほうがいい」
そうですか、と肩をすくめるジェスチャーをした騎士さん。
予想はしていたようで、あまりがっかりした様子はない。
この分だと、士気はまだまだ大丈夫そうだな。
安心あんしん。
夜営地の中央あたりに戻ると、朝食の準備が終わっていた。今日の朝食はパンと野菜スープのようだ。昨日の夕飯には無かったウィンナーとリンゴもあるので、イノシシがそれらの代わりになってくれていたらしい。
ありがとう、イノシシ。
一食分、豪華さが増したことを実感させてくれた。
「師匠どこいってたの?」
「探索と確認だな。パルの仕事を奪ってやった」
「あたしの仕事まで盗むなんて、さすが盗賊ですね師匠。憧れます」
「心がこもってないなぁ」
ま、いいけど。
そんなパルの装備チェックをしてから朝食をいただく。どれも美味しい。メイドさん達に感謝だ。
護衛騎士の皆さんは交代で支度をして、朝食を取っている。周囲の警戒をおろそかにするわけにはいかないので、このあたりは時間がかかってもおざなりにしてはいけない。
騎士たちのパフォーマンスはまだまだ健在だが、これがどこまで持つかは少し心配でもある。
今日一日くらいは大丈夫だろうが、明日の朝も同じような状況でいられるかどうか。
王国の姫に仕える騎士として、腕と精神力の見せどころ。
頑張ってもらいたい。
こちらもできるだけ協力するので。
「では出発しましょう」
夜営地のお片付けをしっかりしてからお姫様の合図で出発する。
ゴミなんかを残していった場合、それに味をしめたクマやオオカミに狙われてしまうことがあるので、お片付けはしっかりしないといけない。
昨日と同じく川沿いを進む。
俺とパルは斥候だ。
先行して危険がないか、チェックしながら歩いて行った。
「ふむ」
それなりに進んだ頃、地面に傾斜が出てきた。わずかではあるが登り坂となっており、段々と植物の様子が変わってくる。
今までは地面がそれなりに剥き出しになっていたが、すっかりと緑の苔に覆われていた。
相変わらず気温は冷たくなく、緩やかな寒さ、と言える程度だろうか。
それでも日の光がほとんどさえぎられて、森の中はうすぐらい。たいまつやランタンの明かりは必要ではないものの、少しでも日が傾けば一気に暗くなってしまうような暗さではある。
「そろそろ大樹の下に入ったか」
山で言うところの『麓』に辿り着いたわけだ。
ひとまず側面の安全を確かめたあと、俺はパルの元へと移動した。
ふむふむ、なかなかの気配遮断っぷり。
気配察知ではパルの居場所は見つかりそうにないな。
感心かんしん。
というわけで素直にパルを呼ぶ。
「おーい、パル」
「あ、はーい!」
少し離れた場所で返事があったので、そちらへ向かう。パルもこちらに向かってきたようで、姿が見えた。
「問題はないか?」
「だいじょぶです。でも、歩くのが大変そう」
パルは周囲を見渡す。
苔に覆われた地面はなだらかとは言い難い。傾斜があるのに加えて、木の根が張り出す割合が大きくなってきた。荷車を運ぶのに苦労しそうだ。
あと、苔は滑りやすくもある。
メイドさんが足を挫いたりしたら、進行速度はもっともっと遅くなるだろう。
ここからは更に速度を落としたほうが安全かもしれない。
「しっかりゆっくりと歩いてもらおう。コツは足の裏全体を地面に付けることを意識する感じかな」
「あたし、その歩き方が苦手~」
「珍しいな。なんか理由があるのか?」
「ずっと裸足だったから、爪先で歩くクセがあるみたいで」
トントントン、と跳ねるように移動してみせるパル。
おかげで足音が消せているが、そういう理由があったのか。
「転ばなきゃ大丈夫だよ。盗賊らしい歩き方だ」
問題無し、と弟子の頭を撫でてやる。
なによりこういう時のために『成長するブーツ』を作ってもらったのだから、多いに効果を発揮してもらいたい。
「さて、歩き方はそれでいいとして……やっぱり今日中に到着は難しそうだ」
「まだまだ遠いのですか?」
「ふむ。丁度いいか。樹に登って確認してみてくれ」
「あたし?」
「そう。『蜘蛛足』の練習だ」
「はいっ!」
パルはきょろきょろと周囲の樹をうかがう。どれも好き放題に伸びている樹で、枝が無数に枝分かれしていた。
どれを選んでも比較的登りやすそうだが、パルはできるだけ登りやすそうな樹を選定する。
「3秒でいけるか?」
「が、がんばります」
「落ちたら受け止めてやる。全力でやってみろ」
「わざと落ちてもいい?」
「ダメ」
「は~い。じゃぁ行きます!」
せーの、と合図をしてからパルはダッシュで樹に向かい、ジャンプするように枝に足をかけた。登るというより駆け上がる、という感じ。
時間制限をしたのは、このためだ。
登ってこい、と言われると大体の人間が腕や手を意識してしまう。でも、そこに時間制限を与えてやると『速く』というイメージが加わるので、自然と足の力を利用するようになる。
人間は四つん這いよりも足だけで走るほうが速いからね。
今までもパルは何度か登攀していると思うが、それをちゃんと意識させるのは大事。今回は登りやすい樹だが、今後は崖のような場所でも登れるようになれればいいな。
もっとも。
俺もパルも崖には良いイメージがないので。
そのあたり、苦労しそうな気がしないでもないが。
――まぁ、昨日は崖の上から景色を眺めていたし大丈夫そうか。
「登れました!」
「おそい」
無事に上まで登れたが、3秒では無理だった。
「あう」
「だが、綺麗に登れている。上手い上手い。次は登る前にルートをイメージできればいいな」
こんな風に、と俺は樹を駆け登ってみせる。
弟子にいいところを見せたいので、一生懸命全力で登った。
ギリギリ3秒。
危なかったぁ……
「おぉ~、師匠すごい! かっこいい! ほとんど手を使ってないし、すごーい!」
「良く分かったな。素晴らしい観察力だ」
えらいえらい、と樹の上でパルの頭をなでなでする。
「えへへ~」
パルは嬉しそうに目を細めた。
かわいい。
このまま樹の上でステキな時間を過ごしたいところではあるが、モタモタしていると後方から騎士団の皆さんとお姫様がやってくるので、弟子とふたりっきりとはいかない。
あと、ぜったいに吸血鬼が邪魔してくるだろうし。
なんなら、神官さまと神さまにも怒られるかもしれないので。
ほどほどにしておかないといけない。
イエス・ロリ、ノー・タッチだ。
昨夜を耐えきった俺に不可能はない。
「ではパル。しっかりと探索をしよう」
「はーい」
ふたりで目的地である大樹を樹の上から見る。
狭い枝の上、パルを後ろから抱え上げて、見やすいようにしてあげた。
まるで森の上に覆いかぶさるように大樹の枝がここまで伸びてきており、緑色の綺麗な葉っぱを茂らせていた。冬だというのに青々としており、季節感が無い。
そんな大樹が生えているであろう場所までは、まだまだ先のようで。ここから先、更に歩きにくくなる状況では、やはり今日中に到着するのは無理なようだ。
「あの樹の根本にエルフが住んでいるんですか?」
「そうだ。それなりに大きな村程度の規模だったかな。大樹に近づくにつれエルフの警戒が強くなる。まず見つからずに到着するのは不可能だ」
「攻撃される?」
「いきなりは攻撃されない。ちゃんと警告から始まるから大丈夫だ。パルが接触した場合、俺を呼んでくれて大丈夫。基本的にエルフは優しいからな」
「そうなんですか?」
パルはゲラゲラエルフのルクス・ビリディを思い出しているんだろう。顔にまで刺青を入れているルクスのイメージは、優しさからは程遠い。むしろ怖いイメージすらある。
「忘れてるかもしれないが、エルフってのは基本的にエルフの森で生きているのが通常だ。外に出て街や村、冒険者なんてやっているエルフはかなりの『変わり者』だぞ。ましてや盗賊ギルドに所属しているエルフなんてものは変わり者を越えて別の種族だと思ったほうがいい」
なるほどぉ、とパルは納得する。
「よし、まだまだゴールは遠い。油断しないように」
抱え上げていたパルを枝の上におろしてやる。
「は~い。がんばりま――」
パルの返事が途中で途絶えた。
それは俺の意識がそちらへ向くのと同時だった。
何かが近づいてくる。
そんな気配がした。
「――警戒」
「はい」
奇妙なのは、それが地面ではなく樹の上ということ。
何かがこちらへ向かって、樹の上を移動してくる。
なんだ?
何が来る?
と、警戒したいたところ――
「え?」
そんな声と共に。
覆い茂る大樹の葉っぱを突破するようにして、エルフが飛び出してきた。
どうやらこちらに気付いていなかったらしい。
着地する予定だったのは、俺たちがいる枝。
もちろん三人も乗れる余裕は、この場所にない。
「きゃああああああ!」
というわけで、エルフは突っ込んでくるしかなく。
俺たちも場所を開けられるわけもないので。
俺はエルフを抱きとめるようにしながら、枝から落下するのだった。
 




