~卑劣! こっそりキスするのは熟練の技~
首を左右に振っても途切れないほどに広大な森が目の前に広がっていた。
冬だというのに緑の木々が生い茂っており、空気は少し生暖かい感じが森から風となって吹いてきている。
遠くに見える山――それは一本の大樹だ。まるでそこを中心として森が広がっているようにも見える。ただただ雄大に、森を統べるように、大きな大きな一本の樹が枝葉を伸ばし、なだらかな山肌のように見せていた。
学園都市にある中央樹よりも、尚大きい。
まるで世界の中心を示すような大樹だった。
「あれがエルフの住む森なのですね」
ほあ~、と感動しているお姫様。
雄大な大自然に思わずお口が開いてしまっている。
マトリチブス・ホックやメイドさん達も心惹かれるものがあるのか、おぉ~、と口を小さく丸く開けていた。
「ここまで広大な森ですと、なんだか燃やしたくなりますわね」
ルビーが恐ろしいことを言う。
ただでさえエルフには深淵魔法の件で謝罪しないといけないのに、これ以上余計なことはしないで欲しい。
「絶対に燃やさないでくれ」
「冗談ですわよ、師匠さん。わたしがそんなことをするように見えます?」
「うん」
「ひどっ!?」
だって吸血鬼だもの。
人間種の敵でしょ、あなた。
「仕方ありませんわね。燃やすのは恋の炎だけにしておきましょう」
「そのまま燃え尽きたらいいのに」
上手いこと言ったつもりだったみたいだが、パルに上手いこと言われてしまった。
「お黙りなさい、小娘」
「ふぎゃぁ!」
いつものように仲良くケンカするパルとルビーは放っておいて、俺はマルカさんにエルフの郷までの道程を説明する。
事前にも伝えていたが、やはり現地で実際の風景を見ながら説明するのが一番伝わりやすい。
思い込みや説明の下手さで危機におちいるわけにはいかないからなぁ。
「荷車を押していくとなると、このまま森を突っ切るには少々足元が不安です。ですので、もう一度滝があった場所まで戻り、川沿いを進むのが一番でしょう。商人や冒険者も通る道なので、多少は通りやすいはずです」
「分かりました。何か問題があれば伝えてください」
はい、と俺はうなづく。
ランタンやたいまつを片付け、エルフの森へと進む準備を整えるマトリチブス・ホックを横目にパルを呼んだ。
「なんですか、師匠」
「森に入ったら斥候を頼む。これだけの集団なので、問答無用でエルフが襲ってくるかもしれん」
事前連絡が言っていれば良いが、なにかしらの行き違いがあった場合、確実にエルフたちから敵視される。
そうなった場合、いきなり攻撃を受ける可能性があるので、できればそんな事態を防ぎたい。
なにせ、こちらにはお姫様がいるのだ。
まかりまちがってヴェルス姫に傷が残ってみろ。
パーロナ国とエルフの郷で戦争が起きてしまう。
そういう意味で、抑止力としてのヴェルス姫の同行だと思われるが……そうではなかった場合のリスクが大き過ぎるので、斥候はしっかりやりたい。
「……あ、あたしにできるかな」
エルフの森で、エルフの不意打ちを防ぐというのは、一流の盗賊でも難しいところ。マスタークラスの狩人でギリギリといったぐらいか。
ほぼ不可能と言っても良いが、しかしやらないわけにもいかない。
もちろん敵はエルフだけとは限らない。
「動物やモンスターもいるからな。エルフばっかりに気を取られてモンスターに不意打ちを受けたりしたら、ゲラゲラエルフに笑われるぞ」
「ルクスさんは、そんなので笑わない……あ、でも、笑われるかも」
「笑うだろ、あいつ」
「あはは、笑いますね」
よしよし、不安はなくなったな。
俺はパルの背中をトントンと叩く。
「俺も斥候へ出る。困ったら遠慮なく叫べ。できれば俺の名前を読んで欲しいが、いざとなったらルビーでいいぞ」
「師匠に助けを呼びます」
「じゃぁ、カッコ良く登場しないとなぁ」
「またベルちゃんに追いかけられますよ?」
乙女のピンチにカッコ良く駆けつけたせいで、末っ子姫に惚れられてしまった。
いわゆる吊り橋効果みたいなものだったと思うのだが……お姫様は未だに吊り橋から降りることができていないらしい。
「いつでもドキドキですわ」
パルといっしょにヴェルス姫を見ると、俺たちの会話を聞いていたのか兜の下でにっこりと笑っている。
初恋から降りるつもりはないようだ。
あまり長引くと、その病は人生に影響を及ぼすからなぁ。
さっさと恋から冷めるか、夢から覚めるかして欲しいものだ。
少しだけ寂しいけど。
「ルビーはヴェルス姫とサチを守ってやってくれ」
「パルは守らなくてもいいんですの?」
「問題ない」
「あら、冷たいんですのね師匠さん」
「俺の弟子だぞ。問題があるわけがない」
パルの頭に手を乗せて、ぐりんぐりんと動かす。
まぁ、本音はアレだけどな。
余裕があるとパルは途端にふざけだすというか、集中力がもたないので。こういう場面でしっかりと緊張感を持って対応する経験を積ませたい。
なかなか斥候という仕事ができる場面もないしな。
大勢の命を多少なりとも預かる、という経験はそれなりに有効に働くはずだ。
「今の――今のカッコ良かったですね! さすが師匠さま! 見ました見ましたサチちゃん!?」
「……私には分からない」
きゃぁきゃぁとお姫様が騒いでいる。
照れちゃうのでやめてください。
「サチが師匠さんのハーレムに参加しないでいてくださるので助かりますわね。下手をすれば大神ナーまで師匠さんハーレムに加わってしまうところでした」
ルビーが恐ろしいことを言ってる。
というか天罰レベルの不敬だろ、それ。
こくこく、とサチが俺を見てうなづいている。
……やっぱりぃ。
ナーさま、俺は悪くないです。天罰はルビーだけにしておいてください。お願いします。
そう祈りたかったけど……ナーさまへの祈りって無邪気に笑うことなんだよな。
もう俺には、そんな祈り方はできない。
無邪気に笑えない。
無罪を願いたかったけど、不可能だった。
まさかお祈りの方法でズルをした結果、こんなところに弊害が出てしまうとは。
世の中、上手くはいかないものだ。
「では出発する」
マルカさんの合図で進み始める先頭。
森に入るまでは見晴らしが良く、斥候の必要はない。ので、メイドさん達が固める中央に俺たちは位置した。
崖を左手、森を右手に見ながら移動を開始する。
足元は岩場と草原が入り交じるような状況だ。どちらかといえば、岩場の上に土が乗り、そこに雑草が生えているような感じか。
さえぎる木々がないので、風は強く冷たい。
しかし、刺すような冷たさではないので問題なくメイドさん達でも耐えられているようだ。
「ヴェルス姫、寒くはないですか?」
「問題ありません。心配してくださってありがとうございます師匠さま」
「いえいえ」
程よいペースで歩いているので、多少なりとも運動になる。
身体はぽかぽかと温かいが、汗をかいてしまうと休憩時に冷えて体調不良の原因となってしまうので注意が必要だ。
メイドさん達も、先ほどの洞窟に比べたら足取りも軽い。雄大な景色に囲まれているせいか、気分も晴れ渡っているようだ。
そういう意味では天気が良くて助かったな。
雪や雨が降っていたら、かなり厳しい状況だったに違いない。
幸いなことに、モンスターや野生動物の襲撃もなく、無事に滝が流れ落ちる川まで到着した。
ドドドドド、とかなり大きな音が上からでも聞こえている。
転落防止の柵などがあるわけではないので気をつけないといけないが、どうしても覗き込みたくなるのが人間種の好奇心というか、なんというか。
というわけで、ここで休憩となった。
「落ちないように」
マルカさんがわざわざロープを用意したので、覗き込みたい人はロープを持って滝を上から覗くことになった。
メイドさん達はきゃっきゃと騒ぎながら滝を覗いているが、マトリチブス・ホックの騎士たちもそう変わらない反応か。
このあたり、男の子も女の子も変わらないらしい。
唯一、ハーフリングがいなかくて良かった、と思える。
たぶん、あの好奇心の塊のような種族は滝を見たら飛び込んでると思う。いや、偏見とかそういうのではなく、マジで。罠が有ったら踏まずにはいらない性分な種族特性を持つ彼らだ。滝を見たら落ちたくなるに違いない。
「……」
なんで絶滅してないんだろうな。
逆にそこが不思議だ。
「師匠、持ってて~」
「はいはい。落ちるなよ」
「はーい」
パルに魔力糸を渡される。その魔力糸はパルとヴェルス姫とサチを繋いでおり、ヴェルス姫には更にロープが腰に巻かれていた。
「思わず後ろから押したくなりますわね」
「マジでやめろよ、吸血鬼」
「うふふ」
いや、紅の瞳に金色の輪を浮かべないでください。
本気じゃん。
魅了の魔眼をこんな時に発動させないでください。
マジで怖いので。
「たかーい!」
「こわいですわー! あははは!」
「……おぉ」
美少女たちが四つん這いになって滝つぼを見下ろしている。
う~む。
お尻が並んでいる。
いい眺めだ。
素晴らしい。
「さて、師匠さんがお尻に見惚れている間に報告があります」
「見惚れてませんが?」
「では、わたしのお尻に見惚れてください」
「俺は尻派ではなく胸派だ」
「ではわたしの胸を触りながら聞いてくださいな」
「遠慮します」
「ケチ」
いったい何がケチなのかサッパリ分からない。
「それで、なんか報告を受けるようなことがあったか?」
「魔力の練習ですわ」
そういえば、あからさまに逃げていたっけ。
「あれ、何か問題だったのか?」
「恐らくですが、あれをやられるとわたしが人間種ではないのがバレます」
「……マジか」
ドドドドド、という滝の音。
周囲に音が聞こえにくい状況だからこそ、このタイミングで話してくれたのだろう。
「どういうことか聞いていいか?」
できるだけ周囲に気を配りながら口を開ける。
さすがにこの滝の轟音が鳴り響く中で、盗賊スキル『妖精の歌声』は使えない。
「眷属化と似たようなものなのです」
「眷属化と?」
「はい。血を吸うと眷属にできる、という感じですが。実際には血を通してわたしの魔力を送り込み定着化させている、という感じでしょうか。かなり簡単に言うと、眷属化した相手を内側から魔力によって固めてしまう、みたいな感じ……?」
首を傾げて説明するルビー。
「なんで自信なさげなんだ」
「いえ、生まれた時から出来るので。師匠さんはどうやって心臓を動かしてます?」
「……なるほど」
どうやって目玉を動かしているとか、どうやって呼吸をしているのか、と問われると上手く答えることができないな、確かに。
「それで、魔力に触れられるとバレるのか?」
「確証はありませんが、それなりの確率でバレるかと。サチはすでに知っていて良いのですが、さすがにベル姫に吸血鬼だとバレると、いろいろと問題があるかと」
そうだなぁ。
ヴェルス姫にバレると、そのままマルカさんにも伝わると思っておいた方が良い。で、近衛騎士であるマルカさんがそれを王様に報告しないわけがない。というか報告しなかったらしなかったで、マトリチブス・ホックの立場も危うい気がする。
なんにせよ、王族に正体がバレると、そのまま全世界に伝わると思っておいたほうが良い。
「そうなったら、どう説明しても信用は得られないだろうな」
ほら。
なにせ、俺は勇者パーティから追放された盗賊だし。
復讐のために吸血鬼と手を組んで、人間領を支配するつもりだ。とかなんとか言われてもおかしくはない。
いや、むしろ絶対にそう言われてしまう。
う~む。
「もちろん警戒しますし、そんなことは起きないと思いますし、なんならベル姫は魔力に関しては素人なので、大丈夫だとは思いますが。それでも一応は伝えておこうと思いまして」
「そうだな、ありがとう」
「パルみたいに頭を撫でてくださいな」
「分かった。えらいえらい」
ルビーの頭をぐりぐりと揺らすように撫でる。
「う~む、しかし問題だな。いっそのこと、先にお姫様を眷属化させておくとか?」
「なんでわたし以上に恐ろしい提案をされるんですか、師匠さん。やれと言われればやりますけど、護衛する騎士たちのど真ん中で王族の血を吸いますわよ、わたし」
「いろいろと終わってしまうな、それ」
そうでしょうね、とルビーは眉をつり上げて笑う。
「できるだけ気をつけてくれ、というしかないな」
「そうですわね。あぁ、どうしましょう。これからはベル姫と手を繋げない生活が始まってしまいます」
「仲良しに混じれないのは辛いよなぁ」
俺も勇者パーティにいた時、賢者と神官が仲間に加わってからはほとんど別行動みたいなものだったからなぁ。
楽しそうに仲良く話している輪に入れなかった時は、なんというか疎外感みたいなのが強かった気がする。
ルビーはそうならないようにして欲しいものだ。
「師匠さんは本当に優しいですわね」
「そうか?」
「そうです。わたし、これでもおばあちゃんなのですから。かわいい人間の子どもが仲良くしているところに混ざろうとは思いませんわ。後ろから見ているだけでしあわせなのです」
「まぁ、気持ちは分からなくもない」
だが。
「混ざったほうが楽しいだろ」
「んもう。知っていますわよ、知っています。師匠さんはときどき意地悪ですわ」
「さっき優しいって言ってたじゃないか」
「そういうところが意地悪なんですぅ。ほら、誰も見ていない今ならキスしていいですわよ」
「なんでそうなる」
「いいからいいから」
少しだけ膝を折って屈むと、ルビーはすばやく俺のくちびるにキスをした。
う~む。
……好き。
「ねぇねぇ! 師匠も見るー?」
「俺はさんざん見たから、別にいい!」
「そっかー! ルビーは~?」
「見ますわ~!」
うふふ、とルビーは俺をちらりと見てから美少女たちに混ざる。
なんかちょっとイケないことをしてしまった気分だった。




