~卑劣! 暑いと緩くなるのは仕方がない~
砂漠国のお城を、この国では宮殿と呼んでいる。
その宮殿への入口には兵士が数人立っているだけで、自由に出入りすることができた。広く大きな入口の門を通ると出迎えてくれるのは巨大な空間。
「おわ~」
サティスは高い天井を見上げて声をあげるが、それは隣にいたプリンチピッサも同じらしく、天井を見上げていた。
王族であっても他国の城に詳しいわけではない。
なにより砂漠国の宮殿は他の国とは明らかに違っているのだから、興味津々に見上げたとしても仕方がない。
「あれは何ですか?」
姫様が問うのは、もちろん天井に描かれている絵だ。
「この国の歴史を簡略化した図、らしいのですが……いかんせん、抽象的過ぎて庶民には難しいので……」
俺は肩をすくめる。
どこがスタートなのか分からないが、天井に描かれている巨大な絵というか図というか、単なる模様のようでもある物は歴史を示しているらしい。
青色から赤の矢印のような物が描かれ、その後に緑の人らしき物やケモノかドラゴンのような生物が描かれているようでもある。
それらは宮殿の天井をぐるっと一周して元の位置に戻るような絵になっており、歴史の循環を示しているとか何とか……というのを聞いたことがあった。
「なるほど」
「あそこがスタートですわね」
「はい。あの赤が女王を示していて、緑は平和と推測できますね。いえ、砂漠国において緑は憧れという意味も含まれるので平和とは少し違うかもしれません。それらが巡り巡って、再び次の女王が現れる。繰り返していく歴史ではドラゴンの意味はそのまま凶獣であったり、厄災を表しているのでしょうか」
「えぇ。青はオアシスの水を表していることもありますし、この宮殿の完成を祝う金色の代わりを担っているのでしょう。この国では、水の価値は黄金よりも高かったかと思われます」
「素晴らしい解釈です、プルクラさま」
「いえいえ、プリン姫のご慧眼にはかないませんわ」
うふふ、とふたりの知識人が笑った。
「し、師匠。あたしにはサッパリです」
「安心しろ。俺もだ」
庶民たる俺たちは、少し肩身が狭いというか理解の及ばない異世界の知識を聞かされている気分だ。
まだ学園都市のハイ・エルフのほうが分かりやすい話をしてくれる。
「私もです」
俺とサティスの会話にマルカさんも参加してくるとは思わなかったのでちょっと驚いた。
「騎士さまでも理解が及ばないのですね」
「あくまで近衛騎士。護衛が仕事ですから」
騎士甲冑で腕を組みながら、マルカさんは首をうなだれさせた。
「さてふたりとも。あまり見上げていると悪魔に魂を取られるぞ」
「悪魔?」
「どういう意味ですの?」
俺の言葉に見上げていた首を元に戻すと、プルクラはともかく、姫様は少しばかり首を痛そうにしていた。
「それです。あまり長い間、天井を見上げていると首に負担が掛かり、失神したり錯乱や幻覚を見てしまうことがある。過去、この天井の絵を見ると呪われるなんて話があったのですが、今では上を見上げ続けることが原因と判明しました。気を付けてください、プリンチピッサ」
「悪魔に魅入られては、女王さまに会うこともかないませんね。気を付けます」
鎧の上から首をさすりながら姫様は苦笑した。
「それにしても――」
お姫様はきょろきょろと周囲を見渡す。
「宮殿の中だというのに、普通に一般の方々が入ってきているのですね。仕事をしているわけではなさそうですが、どうしてなのでしょう?」
姫様の言うとおり、周囲には宮殿には関係ない人の姿も多くみられる。
他国では考えられないことだが、あの人たちはマジで宮殿とは関係のない一般人だ。
「公園と同じ扱いをしているみたいです。ほら、日中は暑いですから、この都は夕方の涼しくなった頃合いから仕事を始める者が多いのです。だからといって昼間に寝るのは暑くて寝苦しいので、涼しい造りで水が通る宮殿を一般開放しているそうですよ」
もちろん、入れる場所と入れない場所がある。
厳密に言うと、この場所はまだ本格的な『宮殿』ではない、とも言えた。
「女王はお優しい人なのですね」
「だったらいいんですけどね……」
「?」
俺の言葉を聞いたサティスと姫様が首を傾げている。
自国の民を思った宮殿の解放、とか聞くと優しい女王のようなイメージを抱くが……どっちかというと、効率重視というか気にしない性格というか。
「わらわのために働け。存分に働ける環境を用意してやる。これだけわらわが譲歩しているにも関わらず、よもや文句はあるまいな?」
という感じ。
優しいのか厳しいのか、良く分からん感じの女王さまではある。
加えて、本人はあんまり働かず、まいにち怠惰をむさぼっていたりするので、暇つぶしに利用されると厄介なこと、この上ない。
ので。
穏便に褒美だけをもらって帰りたいものだ……
「こちらへ」
まだまだ一般民のいる宮殿の中を歩いて移動する。ちらほらと冒険者の姿もあるし、わざわざこんな酷暑の国に観光に来たような物好きな旅人の姿もあった。
そのうちの何人かがプリンチピッサの護衛たる盗賊なんだろうけど。いまも視線をチラチラと受けて、合図のようにすれ違っていく。
ちらりと受けた視線の意味は――問題なし、という意味が込められている。もしも何か問題があった場合は、何らかの形で接触してくるはずなので、分かりやすい。
優秀な盗賊の皆さんには、頭が上がらない気分だ。
「そろそろ一般民は入れない領域に近づきますので……無礼な言動をお許しください」
「いつでも無礼でいいのですよ、エラントさま。私とあなたの仲ですので」
「親しき仲にも礼儀あり、という『義の倭の国』の言葉がありまして」
「あら。それでしたら、据え膳喰わぬは男の恥、という言葉もありますわね」
うぐぐ。
「プリンちゃん、どういう意味?」
「女性から誘っているのに手を出さない男は恥ずかしい、という意味です」
「師匠さんにピッタリの言葉ですわね。やはり義の倭の国には一度行くべきかと」
「その時は私も同行します」
「いっしょに行こうね、プリンちゃん」
「はいっ」
気軽な美少女たちの約束に、後ろに控えるマルカさんが微妙な表情を浮かべてらっしゃる。
今後、かなり苦労しそうですけど……護衛、頑張ってくださいね。
という俺の視線は通じたのか、マルカさんは表情を少しだけ緩めて答えてくれた。
それでも苦々しくはあるのだが。
なんにしても、女王さまに謁見しないことには次の旅行先も決定しまい。いや、旅行じゃないんだけど、今回も。褒美をもらいに来ただけ。さっさと帰りたい。
俺は肩をすくめつつ、かつて勇者パーティといっしょに歩いた宮殿の中を移動していく。
小さな中庭には植物も生えており、水の流れる音が聞こえてくる。そこで布を敷いて昼寝をしている一般民たちに美少女三人組はギョッとしつつ進んで行くと――
この先は通さん、とばかりに槍を持った衛兵が立ちふさがっている通路へと出た。切っ先がピタリと定まっているのは先頭に立つ俺の胸の中央。
「止まれ。この先は女王陛下のおわす一郭。用件なければ通ることは許されん」
若々しい衛兵がよどみなく言った。
なかなか練度の高い衛兵のようだ。おいそれと抜けそうにはないな。
「用件があれば通ってもいいんですのね」
「その通りだ。だが、生半可な用件では女王の逆鱗に触れる。命が惜しくば、帰ることだ」
プルクラの冗談にも律儀に答えてくれる衛兵だが……なにも言葉遊びではない。
事実だ。
何か用事があるのなら女王さまは会ってくれる。ただし、会ったからと言ってどんな結末になろうとも、誰も責任はとってくれない。
それはそれは恐ろしい話だよ、まったく。
「女王さまから手紙を頂いた。盗賊ギルド『ディスペクトゥス』だ」
俺は開封された手紙を見せる。
封蝋の薔薇と蛇の紋章がなによりの証拠だろう。
「おぉ、あなた方があのディスペクトゥスか。予想以上に早い到着だな。しかし噂は聞いている。よくぞ参られた」
どうやら噂が徐々に浸透してきているらしい。
まぁ、それ以上に女王が来いと呼びつけた人間の情報はさすがに共有しているのか、衛兵は俺に近づいてきて握手を求めた。
求められたのなら素直に握手を受けるが……思いのほかギュッと握られてちょっと驚く。
挨拶というか、これ本気で会えて嬉しいと思ってる強さじゃないか。
「なんでも貴殿のこの手に盗めない物は無いとか」
「ご想像にお任せするよ。さすがの俺でも女王陛下の心は盗めないので安心してくれ」
「ハハハ! さすがの貴殿でも無理か」
あ、いえ、年上が無理なだけですぅ。
女王さまが12歳くらいでしたら全力で心を盗みにいきたいところ――って、嘘ウソ。もうすでにプリンチピッサというお姫様がいるので、これ以上は怖くて無理です。
「こちらに武器を預けてもらえますか。一応、決まりですので」
衛兵に案内されて通された部屋。そこは待機部屋と呼ばれる場所で、武器を預ける場所でもある。さすがに国のトップである女王さまと会うのに、帯剣したままで会えるわけがない。
国によっては、それこそ全裸になるまで調べられるのだが……いかんせん、平和なこの国ではそのあたりが甘い。甘いというか、緩い。
まぁ、だからといって女王さまを暗殺したところで得られるメリットなどほとんど無いので、仕方がないといえば仕方がないのだが。
女王を殺したところで、成り代われるわけがないのだし。こんな砂漠のど真ん中にあるような国を取っても、メリットがほとんど無い。『砂漠の薔薇』と呼ばれる鉱石くらいなもので、それだって出し渋っているわけでもないし。
それでも、いらぬ疑いをかけられてはたまったものじゃないので、俺は全身に隠しておいた投げナイフを全て外して、テーブルの上に置いていく。
「まぁ! そんなにナイフを……」
そんな俺を見て、姫様がなにやら感嘆の声があげた。
「師匠の姿、いいでしょ」
「サティスちゃんも分かりますか。さすがですね」
「プリンちゃんに分かってもらえて嬉しい」
「うふふ。師匠さまのステキなところは全て見ておきたいです。いいですわよね、全身から隠しナイフが出てくる様子は」
それのどこが良いのか、理解に苦しむが……
サティスとプリンチピッサの意見が合っているので、どうしようもない。
「マニアックな見方をしていますわね、あなた達。ナイフが出てくるだけなのに、どこに男を感じてますの?」
「思わぬところから出てくるナイフです。危険な男。憧れます」
「分かるぅ」
「わたしとしましては、細くとも鍛え上げられた肉体が美味しそ――美しいと思いますが」
いまサラっと本音がでたぞ吸血鬼。
「脱げばたくましく見えるのも意外性があって好きです。サティスちゃんは師匠さまのどんなところが好きなんですか?」
「おヒゲを剃ってる時の顔」
「「……プロですわね」」
「えへへ~」
あ、それ褒められてるんだ。
えぇ~、ヒゲを剃ってる時の顔って、割りとマヌケじゃない? なんか口を開けたりしながら剃ってるんだけど……そんなふうに見られてたの?
「これからは隠れて剃ろう」
「えぇ~、なんでですか師匠~」
「いや、恥ずかしいし。なんなら、サティスが俺のホゲを剃るってのはどうだ?」
ナイフの扱いに関する練習になるかもしれない。
薄皮だけ切って脅す、という加減も分かると思うので、いいかもしれないな。
「あ、あたしが!? 師匠のえっち!」
「なんで!?」
いまの俺の発言、どこが悪かったの!?
と、待機部屋の監視をしていた衛兵を見たのだが、肩をすくめられた。
なんだよ~、助けろよ~。
さっき握手しただろ~。
なんて思っていたら、女王へ話が通されたらしい。謁見の間に来るように、と別の衛兵が伝えに来た。
再び案内されて廊下を歩くと、サティスがこっそりと隣に立って言葉を発する。
盗賊スキル『妖精の歌声』。
小さな声で相手に言葉を伝える技術であり、うまく使えば任意の者にだけ聞こえさせるスキルでもある。
まだまだ粗はあるけど、サティスは小さな声で伝えてきた。
「ふたりっきりの時に、剃ってあげますよ師匠」
「……結婚しよ」
「うひっ!?」
しまった、つい本音が。
「静かにするように」
「ははは、はい。ごめんなさい」
衛兵に怒られたサティスは自分の口を両手でおさえる。
「どうしました、サティス?」
「あはは、なんでもないよプリンちゃん」
なんて会話を横で聞きつつ、俺たちは女王の待つ謁見の間へと到着した。
「中に入り、段差の前で止まること。そこで片膝を付き、許可が出るまで顔を上げてはならぬ。良いか?」
全員で、はい、とうなづくと衛兵は大きな門のような扉を開く。
ヒヤリとした涼しい空気が流れ出してくる部屋へ、俺たちは進むのだった。