~卑劣! これが勇者の生きる道~
少し大きめのテーブルを挟んで。
俺たちはゴブリンと向かい合って座った。
俺の右隣には勇者がいるし、そのまた隣には戦士がいて。
左隣にはルビーがいる。
勇者と吸血鬼がいっしょにいるっていうのも奇妙だが、それに加えて向かい合っている存在がゴブリンというのが、なんかこう、より一層と変に感じてしまった。
まさに人間領ではありえない状況。
魔王領らしいといえば、らしいのかもしれない。
「それで、どういう用件でしょうか?」
しかもこのゴブリンが丁寧な言葉遣いで喋っているのが、もう変を通り越して面白くなってしまう。
ぶふ、と戦士が吹き出したのも無理はない。
ゴブリンはそんなヴェラに首を傾げつつも視線をルビーへと送った。支配者たる吸血鬼なのだが、遠慮するようにテーブルの端に付いている。
本日の主役は、やはり真ん中に座った勇者であることをアピールしているようだ。
「すまない、ご主人。僕が少し話をしたいと思って、サピエンチェに連れてきてもらったんだ」
「は、はぁ……えっと、あなた様は何者なんで?」
「勇者だ」
「勇者!?」
ゴブリン店主が素っ頓狂な声をあげた。
気持ちは分かる。
いや、例えここが人間領であって、普通の肉しか売っていない肉屋であっても、相手が勇者と名乗れば同じような声をあげただろう。
勇者が肉屋に何の用だ? と。
果たしてこの勇者は本物なのか、という視線をゴブリン店主がルビーへと投げかける。
「えぇ。間違いなく彼は本物の勇者です。わたしが保障しますわ」
「本物の勇者……そ、それがなんでサピエンチェさまとご一緒にウチに……?」
ますます意味不明な状況とも言えるが。
それを説明していると、とてもややこしい上に時間がかかってしまうので、ゴブリン店主には疑問を飲み込んでもらう。
ルビーにそう説明されてから、勇者は口を開いた。
「申し訳ない。この店で……人間種が売られているのを見かけてね。できれば、話を聞きたいと思ったんだ」
「ま、まさか復讐を……?」
逃げ腰になるゴブリン店主。
アウダは、それを慌てて否定した。
「いや、そんなことは考えていないので安心してくれ。本当に話を聞きに来ただけ……いや、この目で現実を見に来ただけなんだ」
「は、はぁ」
「君は、その……人間を食べるのかい?」
勇者の質問に、果たしてゴブリン店主は首を横に振った。
「いや、オレは人間を食べない。売り物に手を付けないという意味じゃなく、単純に人間を食べたいとは思わないからよぉ」
少しだけこの状況に慣れてきたからなのか、それとも意味不明な状況に混乱したのか、ゴブリン店主の言葉が砕けてきた。
このあたりの感覚は、人間とそう変わらないな。
「そうなのかい? 食べたいと思わないっていうよりも、食べられないと考えていいのかもしれないな」
「あぁ。魔物種が全て人間を食べるわけじゃない。好んで食べる種族もいれば、オレみたいに食べようとも思わない種族がいる。もしかしたら、あんたの言うとおり食べられないのかもしれないな。動物の肉はほとんどの種族が食べるからいいんだが、人間は珍味扱いになっている」
「……珍味か」
勇者はそれを聞いて苦笑した。
「逆に人間だけを食べて生活している種族はいるのかな?」
「そんなヤツはいないさ。非効率的っていうのか、そんな危険な魔物種がいたら、今ごろ人間は絶滅してるはずだ」
生き物である以上、食べ物は必要だ。
それがもし、人間種しか食べられないのであれば。その種族が存在している以上、人間は毎日ひとり以上が消えていくことになり、どんどんバランスは崩れていく。
もちろん、人間が減っていくとその種族は餓死していくので、自然とバランスは取れてしまうんだろうが……
それでも、こういう具合に人間種が売り物として提供されている魔物領では。
あっという間に、人間種が枯渇してしまうと考えられるな。
……枯渇?
枯渇か……
商品としてあまり考えたくはないのだが、人間種を売るとなると、その……生産をしなくてはならない。
言葉に嫌気がさしてくるが、これに目をそむけてはいけないはず。
つまり、人間を産み、育てている場所があるはずだ。
「……」
その考えに至り、気持ち悪さで今朝食べたものが胸のあたりからせり上がってきた。
それをなんとか押し留める。
知らないフリをするわけにもいかないが、それを考えると感情が爆発しそうだった。
もう帰ろう。
他者の文化に踏み入らないほうがいい。
そういう言葉を探していると、勇者はとんでもない事を言い出した。
「頼みがあるんだが……人間の肉を、少しだけ売って欲しい」
「お、おい!」
俺だけでなく戦士も同じような言葉で勇者を止めた。
「どうするつもりだアウダ。全部買い占めたところで、何も解決はしない――」
「食べる」
「は?」
なんて言った?
いま、なんて言った?
「食べてみる。一度、その味を知らなけば。足を踏み入れなければ。得られる物は何も無いだろう」
「待て。待て待て待て待て。冷静になれ、アウダ」
「僕はいつだって冷静だ、エリス」
嘘をつけ、と怒鳴りたかったが……俺は言葉を飲み込んでルビーを見た。
「おすすめはしませんわよ、勇者サマ。わたしも食べたことがありますが、あまり美味しいものではありません」
「そ、そうですぜ、勇者さん。体に合わない場合もある。無理して食べるのは、それこそ……あぁ~、なんていやいいんだ? その、食べられた人間にも悪い」
なんとも冷静なゴブリン店主の言葉だが。
まさしく、それは正論だ。
無理に人間の肉を食べたところで、その本人も浮かばれないというか、なんというか……
くそ!
難しいな、この問題!
今まで平気で動物の肉を食べていたのが信じられなくなってくる。
パルが留守番をしてくれていて良かったよ。こんな問題にあの子が何も思わないはずがないし、下手をすればトラウマになってしまうところだ。
「そうか……そうだな。少し浅慮だった。申し訳ない」
勇者は頭を下げた。
良かった。
少しは冷静になれたか。
戦士と共にホッと胸を撫でおろしていると勇者は指を一本立てた。
「一口分だけ、もらえるか」
「いや、諦めろよ!」
「エリスは黙っててくれ。ヴェラもだ。これは僕が勇者として受け入れないといけないことだ。君たちは僕をサポートするのが役目だろ」
なんだその卑怯な言い回し!
「勇者が暴走しないようにお目付け役をしている、って考えもあるぜ?」
ヴェラは腕を組んで嘆息する。
そうだそうだ、と俺もうなづいた。
「肉となった人間に感謝して食べる。それは牛やブタ、鳥も関係なく同じことだ。だから僕は食べるよ。食べてみないことには、何も言えない。言う権利はない。この問題を避けて魔王を倒したところで、何も変わらないのだから」
「……そうか」
そうだよな。
もしも魔王を倒したら。
その先に待っているのは、恐らく魔物種との和解だ。和解? 和解と言えるほど人間種は魔物種と敵対していない。あくまでモンスターと戦っているのが現状だ。
だが、少なくとも魔王を倒したあと、必ず待っているのが共存への道だと思う。
そこに付きまとってくるのは、やっぱり食料の文化であり。
人間を食べる文化を、どう受け入れるのか。
いや。
そもそも受け入れられるのかどうか。
「一番の問題を、僕が一番に受け入れなくてどうする」
その言葉に。
俺と戦士は、一言も返せなかった。
きっと人間種は、同じ人間が食べられているという現実を受け入れられない。それを肯定することができるのは、恐らく一部の人間だけだ。
いや、肯定ではなく『見てみぬフリ』をするのが精一杯だろう。学園都市の実験で罪人が使われているのを黙認するのとは違うが、恐らくそれに近い物に落ち着くかもしれない。
でも。
もしも勇者がその答えを導けるのなら。
勇者が答えを示してくれるなら。
光の精霊女王ラビアンの加護を受けた勇者アウダクスの言葉ならば。
人々は、少しは聞いてくれるかもしれない。
「頼む主人。一口だけでいい。人間の肉を売ってくれ」
ゴブリン店主は悩みながらも俺と戦士の顔を見た。まったくもってゴブリンとは思えないほどの気の使いようだな。
俺とヴェラの拒絶の言葉が無いと分かったので、ゴブリン店主はうなづいた。
「分かった。一口分、焼いて持ってきてやる」
「感謝する」
ゴブリン店主が立ち上がり、店のほうへと移動した。それを見届けて、俺たちは大きなため息をつく。
その隣でルビーは立ち上がり、部屋のすみっこにあったバケツを持ってくる。それをアウダの足元へと置いた。
「これは?」
「たぶん吐きますわよ、勇者サマ。ここは食材屋です。吐しゃ物があってはイメージダウンになりますわ」
「そうか……そうだよね。ありがとう、サピエンチェ」
「ルゥブルムと呼んでくださいな。師匠さんと同じでルビーと呼んで頂いても受け入れますわ」
「分かったよ、ルビー」
「はい」
にっこりと笑うルビー。
むぅ。
なんだろう。
ちょっと嫉妬してしまう。
「むふふ」
そんなルビーは俺を見てニヤニヤと笑った。
なるほど……俺の反応を見るためにわざわざ勇者にルビーと呼ばせたのか。なにもこんなタイミングですることもないだろう。
とは思うが。
ルビーなりに配慮してくれたのかもしれない。
さすが支配者さまだ。
人間種の心の機微を良く見てくださっている。
そんなことを思っていると、ゴブリン店主が一枚の皿を持って戻ってきた。少しばかり湯気が見えるのは、そこに焼き立ての肉が乗っているから。
「うっ……」
ヴェラが思わず顔をしかめている。
俺も同じ気分だ。
なにより、普通の肉と見分けがつかなくなっているのが、より一層と複雑な気分になる。
においも。
普通の肉が焼けるにおいと同じだ。
もっとグロテクスな、嗅いだだけで不快になるようなものだと思っていたが、違うらしい。
だからこそ。
俺たちは表情をしかめてしまう。
食べられそう、と思ってしまうことが、不快だった。
できれば、もっと嫌な物であって欲しい。もっと見るからにダメで、とてもじゃないけど口に入れることも不可能であって欲しかった。
そんな矛盾みたいなことを、思ってしまう。
「代金はいらない。切れ端みたいなものだから」
ゴブリン店主は勇者の前にお皿を置く。
ちゃんとフォークも用意してくれたらしく、お皿の上に置かれた。
「……これが人間種の肉か」
切断され、薄く切り分けられて、焼かれれば。
元の形も分からないし、どこの部位かも分からなくなってしまう。
いや、知らないほうがいい。
人間のどの部位かも分からないほうが、まだマシな気がした。
「いただきます」
勇者アウダクスは拳を握りしめるようにして膝の上に置き、一枚の肉に頭を下げた。
食材となった人間に感謝と謝罪を。
そんな気持ちを込めたであろう勇者は、大きく息を吸い込みながら頭をあげて……大きく息を吐いた。
湯気が、勇者の息でゆらりと揺れる。
勇者は震える指でフォークに手を伸ばし、カタカタとお皿を鳴らしながら肉を刺した。
ぶるぶると震えている。
無理をするな、と言いたかった。
でも。
その言葉を伝える勇気を――俺は持っていない。
「……っく」
口に運ぼうとするが、その手前で止まってしまった。震える手のせいで、肉が揺れている。いっそのことフォークから落ちてしまえば食べなくて済むのに。と、そんなことを思ってしまった。
それでも勇者は覚悟を決めて――口の中に入れた。
「――ぐっ、う、くっ!」
噛みしめる。
肉を噛みしめる。
涙を流しながら勇者は肉を食べた。
人を食った。
同じ人間種を、食べた。
嚥下した。
体内に、入れてしまった。
「……ごちそうさまでした」
そう無理やりにでも言い切って。
「――おぇええええ!」
勇者は、足元にあったバケツに。
全てを吐き出してしまった。
「ごめんよ……ごめん……申し訳ない……きみを、受け入れることが……できなかった……!」
肉だけでなく、今朝食べた物を全て吐き出し。
勇者は涙と鼻水だらけの顔で、謝り続けるのだった。