~卑劣! ゆうべはお楽しみでしたっけ?~
「うへへへへ~」
俺より先に起きていたパルは、めちゃくちゃご機嫌だった。
「あ、おはようございます師匠。昨日の夜は……ふへへへへへ~」
「おはよう……え、なにかした?」
俺は慌てて布団をめくるが……もちろん、俺の下半身は無事だった。いや、無事じゃなかったらどういう状態なんだ、っていう疑問はあるけど。まぁ、とにかく無事だったのは間違いない。
いや、待てよ。
なにも下半身が無事だからといって、上半身が無事じゃないとは限らないのでは?
「師匠さん、なにやってますの?」
「いや、胸が――心臓が無事かどうかを確かめただけだ」
「はぁ……」
ルビーは可愛らしく首を傾げる。はらりとこぼれるように黒髪が流れた。美しい。それに比べてパルのだらしない顔と言ったら、もう。是非とも俺以外に見せないようにして欲しいものだ。
とりあえず上半身も無事だし、なんなら顔も口も指も無事だった。
良かった。
俺が寝ている間に弟子が超パワーアップして、なんかもう盗賊スキルを駆使しまくって、えろえろ……じゃなくて、いろいろやられてしまったのかと思ったが。
でも、違った。
残念なような良かったような。
そんな複雑な思いが俺の心を駆け抜けていったのだった。
まぁ、アレだ。
パルの機嫌がいいのは、昨日の夜にいいことがあったから、としておこう。
「今日は何をするんですか、師匠~」
朝食を食べながらパルが聞いてきた。
「俺は商業ギルドに行ってくる。付いてきてもいいし、遊んでてもいいぞ」
「ルビーはどうするの?」
「それでしたら、わたしは冒険者ギルドに行ってみます。アンブレランスの使い心地を確かめておきたいので頃合いの仕事を探してみますわ」
「あ、じゃぁあたしもルビーに付いていく~」
む。
てっきりパルは俺に付いてくるだろうな、なんて思っていたが……ルビーと行ってしまうのか。
いわゆる親離れ、というのはこういう感覚なのかもしれん。
ちょっとさみしい。
「効いてる効いてる……ルビーの作戦、成功だよ」
「ふふふ。押すばかりは恋愛ではありませんわ。たまには引くことも大切です」
ふたりのこそこそ話が聞こえた。
前言撤回。
ちっとも親離れとかそういうのではなかった。
どうも最近、ふたりは策を練っているらしい。その能力は是非とも他のところで発揮してもらいたいところだが……まぁ、練習できていると考えれば無駄にはなるまい。
いわゆる『人心掌握』スキル。
どちらかというと、娼婦とか領主に必要なスキルと言えるな。
だがしかし――
「パル。『妖精の歌声』失敗してるぞ」
そんな余計なスキルを習得する前に、パルには是非とも盗賊スキルをマスターしてもらいたい。
「あれぇ!?」
まだまだ訓練を積み重ねる必要がありそうだ。
苦笑しつつも朝食を食べ終わると、三人で宿の部屋を出る。いつものようにリンリー嬢は廊下を掃除していたので、三人で挨拶をした。
「おはよう、パルちゃんルビーちゃん。あと、エラントさん」
なんで俺だけオマケみたいな扱いなんだろう。
これだから巨乳一族は好きになれん。
別にいいけど。
「みんなでお出かけ?」
「ん~ん、あたしとルビーは冒険者ギルドで、師匠は商業ギルドに行くんだって」
「そうなんだ。やっと仕事する気になったんですか、エラントさん」
「リンリー嬢は俺をなんだと思ってるんだ」
「嬢って言わないでください」
「あ、はい」
まぁ、こうやって相手の嫌がることを続けているので、俺はパルのおまけみたいな扱いになるんだろうけど。
「冗談ですよ、エラントさん。商業ギルドは早くしないとコミコミになっちゃうので、早く行ったほうがいいですよ。もうすでに並んでるかも?」
リンリー嬢は窓から太陽の位置を確認しながら言った。
商人も冒険者といっしょで朝が早いからなぁ。お昼を過ぎた頃に行ったほうがマシかもしれない。まぁ、他に急いでやることもないし、行くだけ行ってみるか。
「情報ありがとう」
というわけで、リンリー嬢に銀貨を渡しておく。
「あわわ、そういうつもりじゃ……」
「美味しい物でも食べてくれ」
「あ、ありがとうございます」
迷ったものの、リンリー嬢は銀貨を受け取ってくれた。なぜか胸の谷間に収納したので、俺だけでなく、周囲の男たちもギョっと驚きの表情を浮かべた。
「な、なんでそこに……?」
「あぁ、便利なので」
にっこりと答えるリンリー嬢。
「見ましたか、パル」
「見た見た。リンリーさんの攻撃って凄い……」
「わたし達にはマネしようとも不可能ですわね。まぁ、必要ありませんが。師匠さんにとってはマイナスですし?」
「むしろ無くて良かった感じ。不利になっちゃうところだもんね」
我が愛すべき弟子と魔王直属の四天王は、自分の胸に手を当てている。
素晴らしい慎ましやかさだ。
見てて安心するな。
抱きしめられたい。薄い胸と胸に挟まれた――いや、なんでもない。
「気を付けていってらっしゃいませ~」
リンリー嬢は手を振って見送ってくれた。巨乳がバルンバルンと横に揺れている。凄い。だがもうしばらくは見なくていいな。なんか気持ち悪いし。
「じゃ、気を付けていくんだぞふたりとも。無茶な仕事は受けるんじゃないぞ? あと逃げてもいいってことを忘れるな。周囲を観察しろ。どんなに簡単な仕事でも油断はするな。あと魔物だけでなく人間にも注意すること。仲間になったからといって信用はするな。特に騎士一族の末っ子みたいな良い装備の若者には要注意だ。それから貴族の屋敷のお手伝い、メイド見習い、お手伝いさん求む、みたいな募集は受けるな。それは冒険者の仕事ではない。確実に怪しい。ほかにも――」
「師匠は心配性」
「大丈夫ですわよ。こんなところにウォーター・ゴーレムは出ませんし、そんな明らかに怪しい仕事は受けませんもの」
「ま、まぁ、そうか……」
アンブレランスのお試しに魔物と戦うつもりなので、そんな危険な依頼も受けることはないか。
「いってきま~す」
「いってまいりますわ」
ふたりは楽しそうに冒険者ギルドに向かった。
それを見送ってから、俺は商業ギルドに向かう。
ジックス街の商業ギルドは、そこまで大きくはない。それもそのはず、ジックス街は、どちらかといえば街としては小さい部類に入る。なので商業ギルドの大きさもそれに見合ったものだ。
商業区の奥にある二階建ての木造の建物。左右に伸びるようなギルドの建物だが、オークションのために訪れたニュウ・セントラルの商業ギルドとは比べ物にならないくらいに小さい。
あっちの商業ギルドには多くの商人が列を成して自分の番を待っていたが……
「んん?」
こっちの商業ギルドでも同じように商人が列を成して待機していた。
おやぁ?
リンリー嬢は、すでに並んでいるかも、とは言っていたが……ここまでの人数が並んでいるようなニュアンスでは無かった感じがしたんだけどな。
なにか特別なことでもあったんだろうか?
「すまない、ちょっといいか?」
俺は列の最後尾に並んでいた獣耳種の商人に声をかける。
ウサギタイプの女の子だったようで、振り向くと同時に頭の上の長い耳がピコンと反応した。
圧倒的に盗賊に向かない種族タイプだ。
なにせ物陰に隠れても、耳が見えてしまうので。
同じ理由で有翼種もあまり盗賊に向いていない。学園都市のタバ子は変なヤツだったなぁ。
「いつもこんなに並んでるのか?」
俺はそう言いつつウサギ耳の女の子に銀貨を手渡す。
必要ないかもしれないが、まぁ正確な情報を手に入れるためだ。なにより商人という生き物はお金に正直だからな。嘘八百を並べることはないだろう。
ウサギ耳さんは銀貨をポケットにしまいつつ、教えてくれる。
「以前はここまで並んでいなかったんですけどね。どうにも橋が完成した結果、王都ととの往来が簡単になったので、商人の数もかなり増えたみたいです。午前中はいつもいっぱいですよ。今日はちょっと多いみたいです」
そうだよ、そこが正しい銀貨のしまう場所だよ。
なんて思いつつ、話を聞いた。
「今日はちょっと寝過ごしてしまって。早起きは銅貨三枚の特、という言葉を思い出しました」
「時は金なり、というやつか」
それそれ、とウサギ耳さんは肩をすくめながら笑う。
「お兄さんは旅人さんですか? みたところ商人には見えませんが」
さすが商人。
俺のことを淀むことなく『お兄さん』と呼んでみせる。
客商売の成せるワザだな。
「商売ではなく別件だ」
「なるほど。それだと、もしかしたら別枠でいけるかも?」
この待機列は、あくまで商人が商売の用件で並んでいるのであって、別の用事ならばいけるかもしれない。
と、ウサギ耳さんは語る。
「なるほど。貴重な意見をありがとう。試してみる」
「いいえ。いただいた料金に見合った物を売るのが商人ですから」
やはり商人を相手するには、気前良くお金を使ったほうが良さそうだ。
もっとも――
お金に余裕があるからこそ出来る話なわけで。
俺と勇者が旅立った頃なんか、お金に余裕なんてあるはずもなく。情報ひとつ手に入れるのも苦労したし、なんなら嘘の情報を掴まされたことも多い。
勇者と言えども、何にも成し遂げていない間は普通の人間と変わらないわけで。
あまり自分を勇者だと吹聴して歩くわけにもいかないし。
なかなか苦労した思い出がある。
「あの頃に比べたら、随分と楽ができるようになったものだ」
まぁ、今ごろあいつらは苦労し続けているんだろうけど。
はっはっは。
追放された者の特権だ。
まぁ、のんびりやらせてもらおうじゃないか。
……でも、あまりノンキにしている場合じゃないっていうのも確かなので。
あせらず急いで正確に、という感じかなぁ。
「ふぅ」
俺は列を無視するように商業ギルドへと進む。並んでいる商人たちからは、少々害意が含まれた視線を向けられてしまうが、まぁ仕方がない。
開け放たれた扉を潜ると、中は忙しそうな職員たちがバタバタと走るように働いていた。歩く暇もないらしい。
ギルド内を見渡しても、全員が何らかの仕事に全力で取り組んでいる。
声をかけられそうな雰囲気でもないので、俺はそのまま二階に続く階段を登った。
関係者以外立ち入り禁止みたいな看板も無かったし……たぶん大丈夫だろう。
怒られたら、その時はその時だ。
二階は一階とは違ってバタバタと忙しそうに駆けまわってるギルド職員はいない。ただし、全員が出払っているかのように静けさがただよっていた。
「ふむ」
だがゼロではない。
気配を読むまでもなく、声が聞こえてくる。どうやら近くの部屋に人がいることが分かった。
ドアは開けっ放しになったままで、声が簡単に漏れ聞こえていたようだ。
近づいてみると、部屋の中にはふたりの人物がいるのが分かる。
ひとりは老人で、ひとりは少女。
なにやら講義中らしい。
まるで学園都市の研究会みたいな部屋の中で、少女は老人の言葉を書き留めていた。
邪魔するのも悪いが、せっかく来たんだから聞いてみよう。
というわけで、俺は開けっ放しだったドアをノックして声をかけた。
「講義中に申し訳ない」
「おや、何か用事ですかな」
怒られるか注意されるか、それとも不審人物を見るような視線を送られるか。そう思っていたのだが、老人はにっこりと笑顔を見せた。
真っ白な口ひげと顎ひげは長いが、綺麗に整えられている。老人ではあるが、背筋はピンと伸びており、まだまだ現役を思わせた。
なにより好々爺然としている表情は柔和で『人の好さ』というものを感じる。
そんな老人に対して、少女はパルとあまり変わらないか、少し上ぐらいの年齢に思われた。見た目で言うとルビーと同じくらいか。十二歳くらいだろう。
種族は人間で、明るくオレンジに近い茶色の髪を両側で大きい感じで三つ編みにしており、黄色のリボンで結っていた。
まだまだ幼さを感じさせる顔立ちは素朴で、眉毛が太く、大きく丸い眼鏡をかけている。
ギルド職員の制服を着ているが、なにやらピカピカで汚れひとつない。
恐らく新人か。
商業ギルドが忙しくなったので、新しく職員を雇ったのかもしれないな。
「あ~、申し訳ない。俺は商人ではないので、表の行列に並んでもしょうがないと思って勝手に入らせてもらった」
「いえいえ、かまいませんよ」
どうぞ、という老人の許しを得たので部屋の中に入る。
「旅人さんですかな。どういったご用件で?」
「その旅人を終える事にしたので、家を買いたいと思ったんだ」
「ほう」
キラリ、と老人の瞳が鋭く光った……ような気がした。
なるほど。
年老いても商人は商人。
商売のチャンスは逃してなるものか、という気迫を感じる。
「それはちょうど良かった。運がいいですな、セーラスくん」
「え? え? あっ、え、あわわわ」
にっこり笑う老人。
そんな老人にセーラスと呼ばれた少女は。
おっかなびっくりと俺を見上げるのだった。