~卑劣! 全てが終わり、霊獣は蹂躙される~
生まれてから今まで。
一度も傷ついたこともなく、痛いという感情を持ったこともなく。
傍若無人に振る舞い続けてきた王が、初めて悲鳴をあげた時。
果たして、その心境はいかなるものか――
「ァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
人とも魔物とも違う悲鳴が轟く。
無様にも自らの体重で体は動かず、手足は空を切るばかり。
無敵と思われた体には。
矮小と気にも留めなかったはずの小さな者たちによって穴が開けられた。
たったそれだけのことで。
数千年生きてきた生物界の王様は陥落したのだ。
「……くっ」
「……ぁぅ」
巨大レクタの甲羅の上で。
俺とパルは、生涯最後の悲鳴を聞き続ける。そのあまりの音量に耳をふさいだ。
どこか悲壮で。
どこか絶望的で。
どこか、空々しい。
傷つくはずがないモノが傷ついている。
そんな、嘘みたいな状況だった。
「アアアアアアアアァァァァァァァアアアアアアアアアアアアァァァァァア!」
叫び続ける巨大レクタ。
さて。
どんな気分なんだろうな。
今まで一度も痛いなんて思ったことがない者が、内側から破壊されていく時。どんな感情で初めての『痛さ』を味わうんだろうな。
まるで暴風のような悲鳴が巨大レクタの口から叫ばれる。
野太く、内臓に低く響くような音がぐわんと広がった。耳をふさいでもなお、それを上回るような巨大な悲鳴に、パルは膝を付いて苦悶の表情を浮かべた。
その悲鳴の原因たるルビーは、未だに巨大レクタの中に入ったままだ。だが、悲鳴と連動するように、俺が開けた穴からは血液が噴き出す。
巨大レクタの中……甲羅の中には内臓が詰まっていると思うが、その構造がどうなっているのか誰も知らない。そもそも、普通の亀ですら甲羅の中身なんて見たこともない。
いまルビーがどの部分で暴れているのか分からないが、血が噴き出すと共にレクタが悲鳴をあげている。
本当なら、一撃で終わらせたかった。
頭に穴をあけ、ルビーの一撃で苦しむことなく絶命させたかった。
「すまんな」
謝って理解されるわけではないが、それでも謝っておく。
別に許されるわけがないし、許されるとも思っていないが。
それでも謝っておく。
すまんな、レクタ。
次は、アリにでも生まれ直してくれ。
そうすりゃ、普通のアリらしい最期を迎えられると思う。寿命で死ぬか、他の生物に食べられるか、破壊衝動のままに行動する幼児に踏みつぶされるか。
どんな最期を迎えようとも、恐らく今よりはマシだ。
長く生きた霊獣らしき最期としては、もっとも悲惨な最期となっている。
体の内側を蹂躙されるなんて。
誰も想像もしない最期だろう。
申し訳ない。
だが、人間の生活だけでなく森も湖も破壊して進む行動を『是』と認めるには……俺たちの心は寛大ではない。
それも自然の一部、生命の決められた行動……と、割り切ることはできない。
人間だけでなく、全ての自然から拒絶される行動。
例えそれが神さまの所業であろうとも。
許されることではない。
だから。
ここで死んでもらう。
申し訳ない。
申し訳ないが、巨大レクタ。
「大人しく死んでくれ――」
ぐずり、と何か致命的な音がした。
確かに聞こえたわけではないが、どこか終わりを告げるような音が聞こえた。
それが何だったのかは分からない。もしかしたら気のせいだったのかもしれないし、盗賊としての勘が働いただけなのかもしれない。
野太く暴風のように響いていた悲鳴が止まった。
ビクリ、と震えるようにして巨大レクタは頭を持ち上げる。
それは周囲を見渡すためか、はたまた祈りのために空を見上げたのか。
いや、もしかしたら運命を司る神への宣戦布告だったのかもしれない。
巨大レクタの視線がどこを向いていたのか、俺たちには分からなかった。だが、まるで溺れた者があえぐように、呼吸を求めて水面から顔を出すように、巨大レクタは天に向かって顔を突き上げた。
「アッ、カッ、カカッ……」
途切れる悲鳴は、引っかかるような音がして。
ごぼり、と血を吹きだした。
そして脱力するように倒れる。
びくびくと痙攣するように動く頭と手足。だが、それもしばらく続けば段々と弱弱しくなっていき、最期には動かなくなってしまった。
「……」
静寂が訪れる。
どこか、嘘みたいな……
なにか信じられないような光景だった。
力無く倒れている巨大レクタというものが、この世界の物じゃないような気がして。
なぜか、声が出せなかった。
「――師匠」
ようやく聞こえてきたのはパルの声だった。
流れる風に髪をおさえながら、俺の顔を見てきて言った。
「あたし達、間違ってますか?」
巨大レクタを殺したことは――
果たして、正解だったのか。
それとも間違っているのか。
「間違ってないよ。でも、正解でもない気がする」
「……難しいです」
「そうだな。もしかしたら、もっといい方法があったかもしれない。でも、対策が遅れれば遅れるほど色んなものが破壊される。そうだな……難しいよな……」
「はい……」
俺は甲羅の上にあぐらをかいて座った。パルは自然とその上に座ってきたので、彼女の頭を撫でつつ受け入れる。
しばらくそうして待っていると、ゴポゴポと甲羅の穴から血が噴き出してきた。
息を吹き返したのかもしれないと少々警戒するが……
ズブァ、と腕が出てきた。
手は空中をつかむように、なにかを探るように動き回っている。
「こ、こわぁ……」
「恐怖の光景だな……」
まず間違いなくルビーなので、俺とパルは腕を掴んで引っこ抜く。全身が血でずぶ濡れになって、なんかピンクの肉片とかいっぱい付けた状態のルビーが出てきた。
「っぷはぁ!」
ホントに息を止めてたらしく、ルビーは息を吐く。彼女が動くたびに、ぐちゅり、と生々しい音がして、そこはかとなく不気味だった。
「……あれ?」
そんなルビーは周囲の様子を見て首を傾げた。
「今ごろは大盛り上がりで、もしかして師匠さん達わたしのことを忘れて盛り上がってるんじゃないかと不安だったのですが……盛り上がるどころか盛り下がってますわね」
お祭りの正反対の雰囲気。
ちょっとしたお葬式みたいな空気が流れているのは確かだった。
「わたし、またなにかしちゃいました?」
「またって何だよ、またって」
「……こほん。ふざけようかと思いましたが、やめました。わたし、これでも空気は読めるほうですの」
「だったら、勝鬨をあげてくれ」
「カチドキ?」
「レクタの頭までいって、アンブレランスを高らかに掲げてこい」
「なるほど。では行ってまいります」
どうすればいいのか、騎士たちも判断に迷っているのだろう。なにより、本当に死んだかどうか、危なくて近づけないということもあるし。
しっかりとルビーが勝利を宣言してくれれば問題はない。
あとはクーゴお爺ちゃんやルシェード騎士団長たちが何とかしてくれるはず。
俺は魔力糸を顕現して、甲羅の上から垂らした。首まで糸を伸ばすと、ルビーがそれを伝って下りていく。
そのまま軽快に首を伝って頭の上までいくと、ルビーは右手で大きくアンブレランスを掲げた。
「……お、おぉ、おおおー!」
周囲から、徐々に徐々に歓声があがっていった。
巨大レクタを倒した英雄の姿には程遠い、血と肉片にまみれた少女。
戸惑うのも無理はない。
無理はないが――それでも、それが英雄の姿なのだ。
現実は絵本や小説、冒険譚のように上手くいかない。
頑張ってきたはずなのに。必死でみんなを支えてきたはずなのに。
卑劣だからと、卑怯だからと。
パーティを追放されてしまうくらいには。
現実は上手くいかないものだ。
「おおおおおおおおおおお!」
徐々に喜びは伝播する。
これで間違ってなかったと、みんなが納得し、受け入れる頃には、周囲は一体となって声をあげた。
拍手喝采。
それらがようやく周囲一帯に広がった頃には――
「師匠、ルビー飽きてますよ」
「飽きてるな、あれ」
退屈なのが大嫌いな吸血鬼は。
アンブレランスを花のように開いて、くるくると回して遊んでいたのでした。




