~可憐! 夜明け前のスタンバイ~
夜明け前。
まだ空が暗くて、星が見えてる。それでも段々と青色に近づいていってるのが分かった。太陽が顔をのぞかせる前に、あたしはのっそりとベッドから起き上がる。
「おはよう、ルビー」
ベッドの縁に座って窓から外を見ていたルビー。吸血鬼らしい紅い瞳が、ちょっとだけ不気味な感じがした。
「なにかいた?」
「いろいろ。でも手を出してくる愚か者さんはいませんでした。残念です」
ルビーは肩をすくめる。
「今もいる?」
「さぁ、どうでしょう? 師匠さんに聞いてみては?」
あたしは隣に寝ている師匠を見ると、パッチリ目が開いた。さすが師匠。寝起きもばっちりっぽい。
「おはようございます、師匠」
「おはよう、パル、ルビー。視線が途切れたからといって油断するな。夜襲に備えるのは普通だが、夜襲が無かったと安心する夜明けが狙い目だったりする。もしくは朝日を背にして逆光を狙うか、だな」
なるほど~、とあたしはうなづいた。
どっちにしろ泥棒も強盗もルビーの影の中に入れないんだったら、ぜったいに絵は盗まれることがない。夜の間だけっていう条件付きだけど。
「おーい、おチビ。起きてるか~?」
くわぁぁ、と大きく口を開けてナユタさんが起きてきた。いっしょに寝ようって言ったんだけど、師匠がいるから嫌だって言われた。
「男と同衾するのは、その、ちょっと遠慮したい……あたいはそっちのソファでいいよ」
ナユタさんはモジモジしながらそう言ってた。
ドーキンっていうのは、いっしょの布団で寝ること? らしい。特に男の人と女の人がいっしょに寝ることをそういう言葉で言うって学園長が教えてくれた。
そんな学園長は隣の部屋の豪華な天蓋付きベッドで寝てる。
やっぱり睡眠不足なんじゃないのかなぁ、学園長って。ずっと寝てる気がする。ハイ・エルフもちゃんと睡眠を取ったほうがいいと思うので、いっしょに来て良かったのかもしれない。
なにより学園長が失敗すると、作ってもらったアイテムとかが予想もしてない結果を出すかもしれないので、ちゃんと寝てて欲しい。うんうん。
「行けるか、おチビ」
「うん、だいじょうぶ」
あたしは素早く装備点検を終えて、深くうなづいた。軽装備なナユタさんは装備点検する必要もないくらいにシンプルだ。せいぜい赤い槍くらいなもの。
その槍も、繋ぎ目とかそういうのが一切ない物で、緩みとかそういうものが無さそうな槍だ。きっとすごく良い物なんだろうなぁ。
点検のいらない道具はそれだけ優秀だって師匠が言ってた。
あたし達にとっては、ほとんど使い捨てにしちゃう投げナイフがそれに当たる。使い捨てだからこそ乱暴に扱えるし、細かい点検をすることなく使用できるので。
「よし、頑張ってこいパル」
「ここで応援していますわ」
「はい! 行ってきます!」
師匠とルビーに挨拶して、あたしとナユタさんは部屋から出た。廊下には相変わらず縛られたふたりがそのままの状態で眠っている。
どうやら抜け出すのを諦めたらしい。
しかも、仲間も助けに来てくれてないみたいだ。
「おトイレとか、どうしてるんだろう?」
「さぁ? 宿の従業員がなんとかしてるんじゃね?」
高い宿だし、襲撃者の面倒もみないといけないなんて、従業員って大変なお仕事なんだなぁ。
盗賊で良かった。
泥棒のおトイレのお世話するよりは、盗賊のほうがちょっとだけ楽な気がする。
なんて思いながら階段を下りて、宿のフロントまでやってきた。まだ夜明けには少しだけ時間があるのに、フロントには従業員がいて、あたし達を見て丁寧に頭を下げた。外にも見張りをする衛視のように従業員の人がいて、なるほど忍び込むのも大変だ、と思う。
商業ギルドの人が安全が確保されていると言っていた意味が分かった。
いつだって人の目があって、怪しい人物は簡単には入ってこれない。
それこそ、正面から強行突破してくるしか方法が無さそう。
「よし、いくぜ」
「はーい」
夜明け前なので屋台とかお店とかまだ営業していない。
残念ながら朝食は抜き。でもでも、一食くらい抜いても平気だ。前は三日くらい泥水しか飲めなかったし。
お腹がすくのは慣れている。
あの時は、それが怖かったけど今は大丈夫。
ちゃんと後で食べられるのが分かっているから。ちゃんと、食べる物を売ってもらえるから。
だから、いくらお腹がすいても大丈夫。
怖くない。
中央通りには少ないながらも人の姿があった。朝から開店する朝食を提供するお店には明かりが灯っていたりした。きっと準備中なんだと思う。朝日と共に営業開始するのかもしれない。
昼間は賑やかな道も、今は静かでなんだか特別感があった。
ちょっとテンションが上がっちゃう。
「今から仕事と思えない顔だな、おチビ」
「え、そうかな。ナユタさんは楽しくない?」
「人をぶん殴るのが楽しいと思ったらオシマイだ」
「悪い人でも?」
ナユタさんはうなづく。
「感情を込めてぶん殴るのは悪いとは思わねーよ。でも、楽しくなったらダメだろ。悪人を殴るのが楽しいのは異常だぜ?」
「正義でもダメ?」
ダメだ、とナユタさんはもう一度うなづいた。
「正義を自称してるのはニセモノだ。そうだな……せいぜい『正義の味方』くらいで丁度いい」
「正義の味方? あはは、変な言い方」
正義そのものじゃなくって、正義の『味方』をしてる人。
自警団じゃなくて、自警団の味方をしてる感じ?
ちょっと弱そう。
「そう、それだ。自分がやってることが変だと思ってるくらいが丁度いい。自分が正しい義を行っていると思ってる人間なんざ、狂ってるよ」
「それが、『義』の倭の国の考え方ってこと?」
大きな島国。
義の倭の国。
そこでは義を大切にするって言われている。
だからこそ『正義』の人が多いのかなって思ったけど……違うのかな?
「いや、あたい達ハーフ・ドラゴンに伝わる考え方だ。ありがたいレッドドラゴンさまの教えでもある。まぁ、あたしはばあちゃんに教えてもらったんだけどな」
レッドドラゴンか~。
やっぱり火を吹いたりするのかな。
でも聞いたらなんだか怒られそうなので、やめておく。
ナユタさんにとって、ドラゴンは特別な存在っぽい。サチがナーさまを信仰しているのと、同じような感じがした。
「正義の味方か~。だからナユタさんはセツナさんとかシュユちゃんの仲間になってるの?」
「ん~、まぁそんなもんだ」
あたしの視線を受けながら、ナユタさんは少しだけ空を見上げた。
ナユタさんは嘘をついている。
そこには、ほんのちょっとの真実も含まれていない。
でも。
それを指摘するのはやめておいた。
きっと本当のことは話してくれないだろうし、それを聞いたとしても、それは『正義』じゃなくてただの好奇心だ。
だから、やめておく。
「よし、ここだな」
八番通りマーケットから路地に入って少し進んだ先の行き止まりの高い壁。そこに到着すると、ナユタさんはさっそく壁を背にして座った。
「作戦に間違いはないな。ちゃんと落とせよ、おチビ。あたいはドラゴンの末裔だが、空は飛べないし火も吹けねぇ。地に足が付いてないと戦えないぞ」
「任せといて、ナユナユ!」
「ナユナユ言うな、ほれ、さっさと隠れてろ」
笑いながらナユタさんは手のひらをシッシッと振った。
あたしはそのまま路地を出て、屋根の上に登れそうな場所として目星を付けていた別の路地に入る。
「あ、ここならいけそう」
登れそうな家の塀を見つけた。
貴族じゃないけど、それなりのお金持ちが住んでそうな大きな家を取り囲むように塀がある。それなりに高くて屋根とも近い。
ここなら、塀にさえ登れば屋根に届きそう。
「よぅし」
頼むよブーツちゃん!
あたしは短い距離を助走してジャンプ。そのまま塀の壁を蹴るようにしてもう一段上へとジャンプした。
なんとか縁に手は届いたけど、侵入防止のようにギザギザと尖った柵がある。なので、一旦片足だけを持ち上げて塀の上に引っかけると、魔力糸を顕現。柵の上の尖った部分とかに通す感じで引っかけることができた。
「ふぅ」
あとは魔力糸を頼りにして、塀をよじ登り、そのまま塀の上に到達できた。
足が大きい大人の人とか無理だけど、あたしは小さいのでギリギリトゲトゲ柵と塀との間にある隙間にブーツを入れることができる。
小さくて良かった。
師匠も小さいのが好きだし。むふ。
なんて思いつつ、ギザギザ柵をまたぐ。ほとんど踵だけで塀の上に立っている状態からジャンプして近くの屋根へと飛び移った。
手が届けばこっちのもの。あまり音を立てないように注意しながら身体を持ち上げて屋根上へと登った。
「やったぁ」
屋根の上で、ホッと胸を撫でおろす。
なんとか夜明け前までに配置に付けそう。
屋根の上を盗賊スキル『忍び足』で歩きながら、ナユタさんが座って待つ高い壁が見える位置まで移動する。
「ふぅ……」
大きく息を吐き――あたしは集中する。
いや、逆かな。
どちらかというと、意識を拡散させていくようなイメージ。
風と同じように。
空気と混ざり合うように。
水の中を泳ぐ魚を捕まえた時のように、気配を限りなくゼロに持っていく。
盗賊スキル『隠者』。
気配遮断スキルを使って、屋根の上に隠れるようにスタンバイした。
「……」
脱力するように。
それでいて、いつでも動けるようにしながら待機する。
ターゲットである『空飛ぶモグラ』に見つかっちゃうのもダメだけど、その前に住んでる家の人に見つかってもダメだしね。
追い出されたり泥棒と騒がれちゃったら作戦は大失敗だ。
モグラをここまで誘導してくれることになってるキャルマさんに、きっとたぶんめちゃくちゃ怒られると思う。
キャルマさんだけじゃなく、モグラを捕まえるのに大勢の仲間に声をかけるって言ってたし。
こんなところでミスなんかしてられない。
師匠の言ってた『失敗』と、この失敗はぜんぜん別物だ。
「……」
浅く呼吸をしながら、そのまま夜明けを迎えた。
あとはひたすら待って、キャルマさんが約束通りに、この場所にモグラを追い込んでくれればいけるはず。
「……」
静かに静かに。
浅く浅く。
できるだけゆっくり呼吸をしつつ。
気配を風と同調させて、存在をゼロにする。
あたしは、その時が来るのをひたすら気配を殺しながら待つのだった。