~流麗! 命尽きる前に~
「それでは魔王さま。ますますのご健勝を。愚劣のストルティーチァ、魔王さましっかり送り届けてくださいませ。陰気のアビエクトゥス、また遊びましょうね」
と、わたしは若干急くように頭を下げて、馬車を見送った。
ほんの数十分のはずですのに。
一秒間がまるで一日のように、一分がまるで一年のように感じられました。
退屈で退屈で、時間の経過が地獄の苦しみにも感じられた記憶が蘇り、わたしの心がギュっと握りしめるようでした。
ですが。
逆に一秒も経過して欲しくないという思いもありました。
時間が経過するたびに、師匠さんの命が削られていく。
時間を司る女神が時を織り込むたびに、師匠さんの灯が弱くなっていく。
早く時間が過ぎるように、という願い。
時間が経過して欲しくない、という願い。
まるで矛盾する想いがわたしの心の中にあって。
それを悟られないようにするのが、精一杯でした。
乱暴のアスオエィローの話を聞きに来た魔王さまは手早く食事を済ませるとアスオエィローといくつか会話を交わした。
それは勇者に関する情報ばかりで、アスオエィローを叱ったり発破をかけるわけではありませんでした。
淡々と状況を聞き、勇者の強さを分析されている感じでしょうか。
そうしている間にも師匠さんが徐々に弱っていくのを眷属を通じて分かっていましたが、動くにも動けません。表情が変わらないように影を貼り付けておきたい気分でした。
食事にしても会話にしても、極々短い時間でしたが、魔王さまの用件はすぐに終わる。
「約束も無しに突然来て悪かったなサピエンチェ」
「いえ、魔王さまでしたらいつでも歓迎ですわ。もっとも――わたしは留守にしていることが多いのでアンドロが対応してくれますのですけれど」
おほほ、と苦笑しておく。
「自由にしてかまわないよ。魔王領は人間と違う。王の責務や貴族の責任など存在しない。ましてや領主の責任なんて無い。自由だ」
「は、はい。ありがとうございます」
少し、内心を見透かされているみたいですね……
さすが魔王さま。
怖くて、恐ろしくて、凄いお方です。
だからこそ――
退屈なのですけれど。
「では、これで失礼するよ」
まるでわたしの感情を読み取ってくださったみたいに、魔王さまは話だけ聞くと立ち上がった。ギシリ、と真っ黒な鎧が音を立て、空気の圧が濃くなる。
立ち上がるだけでこれですもの。
やはり、そう簡単に倒せる存在ではないですね。
「魔王さまはどうやってこちらまで? 良ければ僕の馬車でお送りしますが」
「歩いてきた。ありがたい申し出だがストルティーチァは遠回りになってしまうぞ」
……歩いてきたんですか、魔王さま。
わたしもフラフラと出歩いていますので言えた義理ではないですが、ちょっとアレ過ぎるのでは?
というか、魔王領を歩いていると魔王にエンカウントしてしまうなんて。
勇者に会うよりビックリしてしまいますわね。
「魔王さま、歩いてきたんだ!? あたしは飛んできたよ。ねぇねぇ、ストルお兄ちゃん。あたしも乗せていって!」
「かまわないとも。アスオエェイローはどうする?」
「俺はこんなで動けんからな。馬車で寝ながら帰るよ」
「では、見送らせていただきますわ」
僥倖。
手早く帰る四天王と魔王さまに感謝しつつ、わたしはお城の前で四天王と魔王さまを見送った。
ストルの馬車とアスオエィローの馬車が見えなくなった瞬間に、わたしは全力で駆け出し地下の宝物庫へ落ちるように移動する。
走るのですらわずらわしく感じ、わたしは城の影へ沈み、宝物庫の中に飛び出すように這い出た。
「大丈夫ですか、ふたりとも!」
「――ルびぃ……ひぐ、う、うわああああん、ルビー、ルビー! 師匠が、師匠が!」
ダランと左腕を動かさずに、パルはわたしにすがりついてきました。
その後ろで師匠さんが眷属に持たれるように倒れている。
「ごめ、んなさい、あたし、あたし……ひぐ、う、うあああ、あたしのせいで、師匠が、師匠が……ぐす、ううううう、ごめんなさい、ルビー……うあああああ」
「いいえ、パルはひとつも悪くありません。悪いのはわたしです。ちゃんとあなたの眷属化を制御しなかったわたしが悪いのです。なにひとつパルに非はありません」
パルの背中をトントンと叩き、彼女を座らせる。
そしてわたしは師匠さんのそばに移動した。
ひゅぅ、ひゅぅ、と荒くも弱弱しい息。
両腕は肩の骨が抜けているように落ちており、左手の手首は紫色に変色したまま異常なほど細く伸びていた。
ですが、それはまだマシな状態とも言えます。
だって――
「師匠さん」
「…………る、……び」
かろうじて返事があった。
でも――
目が見えていない。
師匠さんは目を開けた。けど、そこにわたしもパルも映っていない。ただ、弱弱しく天井の明かりが鈍く反射しているだけでした。
「失礼しますね」
わたしは師匠さんの服をめくりあげた。
「ひっ!?」
と、後ろでパルが短い悲鳴をあげる。
師匠さんのお腹は――ひしゃげていた。
大きくへこむように、おへそのあたりの中身が……全て無くなってしまったかのように、ぺちゃんこになってしまっていた。
……わたしが。
わたしが全力で蹴った結果が。
「――さすが師匠さん。わたしの全力を受け止めて無事でいられるなんて、素晴らしいですわ」
努めて。
努めてわたしはそう話した。
声が震えないように。
細心の注意を払って、師匠さんに伝える。
とてもじゃないが。
こんなものを、師匠さんに伝えられるわけがない。
精一杯の強がりで。
震えそうになる声を押し殺して。
わたしは笑いながら言った。
「ルビー、どうしよう! ねぇ、どうしよう、どうしたらいいの!? ポーションが効かないの! ちょっとマシになったけど、ぜんぜん治らなくて。どうしたら、あぁぁ、どうしたらいいの?」
どうみても致命傷ですが、ポーションのお陰で師匠さんは生きながらえているのでしょう。
さすが神の奇跡。
ですが、一刻の猶予もありません。
一時的なもので、命の猶予を与えられているだけ。
すぐにでも終わりがくるかもしれない。
「師匠さん、すぐに転移します。少し揺れますので覚悟を。パル、ナイフと宝石を持ってわたしに捕まってください」
「わかった。う、うぅぅぅ」
「泣かないでくださいまし。この程度、問題なく治りますわ」
嘘を。
ついてしまいましたね。
でも。
ひとつだけ。
たったひとつだけ。
ハイ・ポーションでも治らないものを、治せるかもしれないものが。
ひとつだけある。
師匠さんを助ける方法が――たったひとつの冴えないやり方が。
あります。
「失礼しますね、師匠さん」
わたしは師匠さんの身体を抱き上げる。まるで、上半身と下半身が別々になってしまったような、そんなアンバランスな感覚に目の前が暗くなりそうでしたが、なんとか耐えた。
「ごふ」
少しの揺れすらも師匠さんにとっては致命的なのか、血を吐き出してしまう。
ハイ・ポーションでの延命が限界なのかもしれない。
「パル」
「あたしは大丈夫だから、早く、早く!」
ナイフの箱と宝石の袋と原石を片手で抱えたパルは、わたしの身体に魔力糸を巻きつける。
それを見て、わたしは自分の影を操ってスクロールをスカートの中から取り出し、手早く広げた。
転移先は学園都市。
それも中央も中央――中央樹の根本にあるハイ・エルフの住む空間。
転移に失敗するわけにはいかない。
わたし達の身体が少しでも転移先の物体と重なるわけにはいかない。かといって学園都市の外に転移していたのでは間に合わない。
ですので、ハイ・エルフのいた中央樹の空間。その天井付近を転移先として認識し、スクロールを展開させた。
途端にブレる視界。
フワリ、と身体が浮く感覚のあと、すぐに落下する。
転移成功!
あとは出来るだけショックを殺して師匠さんの身体に負担をかけずに着地できれば――!
「ふっ!」
「うわぁ!? ぅぎいぃ!?」
なんとか着地成功。
うしろでパルが倒れましたが左腕を動かしてしまったのでしょう、悲鳴が中央樹の空間にこだました。
「な、なんだいなんだい、敵か!?」
突然転移してきたわたし達にハイ・エルフが驚いて声をあげた。
説明している暇は無い。
「ハイ・エルフ、なんでもいいので師匠さんの延命を! パルは説明を!」
「わ、わかった!」
「なんだい、なにが起こってるんだい!?」
ハイ・エルフの疑問の声を背中に感じながら、わたしは中央樹の影に飛び込む。
そのまま一気に上を目指し、最上階まで登ると影から飛び出した。
廊下を飛ぶように走る。
目指すは、あの娘。
「サチ!」
大神ナーの唯一の神官。
彼女なら。
延命できる。
ギリギリまで、師匠さんの命を繋ぎ止められるはず!
「サチ! サチはいますか!?」
最上階に位置する『神秘研究会』。
真夜中という時間にも関わらず、そこには三人の人間の気配がした。
恐らく、ひとりはサチ。
もうひとりはミーニャ。
そして、クララス。
わたしはノックをすることなく神秘研究会のドアを開ける。なにやら鍵がかかっていたが気にしている場合ではない。
ガシャン、とドアを破壊した音が響き、中にいた三人が悲鳴をあげてこちらを向いた。
そんな三人の前には、お鍋。
えぇ、そうです。
それが欲しかった。
研究開発が終わって成功していることに賭けるしかない!
「サチ、回復魔法の準備を。ミーニャ、クララス、それを持ってハイ・エルフの元まで。完成していますわよね!」
「な、ななな、なんだい、なにが起こって――」
「説明は後ですわ。早くしないと師匠さんが死にます!」
「え――きゃぁ!?」
わたしはサチを抱きかかえて窓から飛び降りました。
今は一刻も早く回復魔法を使い続けてもらわないといけない。
ミーニャとクララスが準備を終えて。
アレを――
エクス・ポーションを持ってくるまでの間を。
耐えないといけないのだから。




