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~可憐! 世界で一番悲しいファーストキス~

 生暖かい何かが顔にベチャリと付いて――あたしは自分が気を失っていたことに気付いた。


「うわ!?」


 目を開けたら、体が宙に浮いてて。

 下を見れば底が見えないほど真っ暗な谷底。


「いたっ!?」


 実はまだ落ちている最中なんじゃないか、と体を動かしたら左肩に激痛が走った。

 なんで肩が痛いのか、と思って見上げたら師匠がいた。

 不自然なほど伸びきった右手ひとつで、あたしの左腕を掴んでいた。あたしが落ちないように魔力糸でぐるぐる巻きにしてあった。


「あ……」


 今にもちぎれそうな師匠の腕。

 骨じゃなくて、皮だけであたしの身体を持っているみたいになっていた。

 それと似たような感じであたしの左腕も伸び切っていた。

 風で身体が揺れるたびに激痛が肩に走る。

 肩の骨が、おかしくなっちゃってた。


「いっ……!」


 痛い。

 痛い痛い痛い!

 身体が重い!

 肩が、腕がちぎれそうなくらいに引っ張られてる。

 その原因がマグのせいだと気付いたあたしは、慌てて加重効果を解除した。身体が軽くなったおかげか、ちょっとマシになった気がする。

 でも、伸びきった師匠の腕も、あたしの腕も戻らない。きっと肩の骨が砕けてるか、抜けちゃってる。


「し、師匠……え?」


 どうしたらいいのか。

 師匠の顔を見上げれば、また生暖かい液体が顔に付着した。

 血だった。

 師匠の吐いた血が、あたしの顔に降ってきていた。


「師匠!?」

「……のぼ、れ」

「え?」

「の、ぼれ……」


 か細く、風の音で消えちゃいそうなほど小さな声。

 なんとか聞き取れた。


「はい、で、でも」


 下手に動くと、師匠の腕がちぎれそうで怖い。


「は、やく」


 躊躇してたら、余計に師匠の負担になってしまう。

 あたしは無事な右手を伸ばして師匠のズボンを掴んで、体を引っ張りあげた。

 左腕に力が入らない。

 でも、ぐずぐずしてられない。

 右手一本と、足を絡ませて師匠の体に抱き着いた。


「ぐ、ぎぎ」


 師匠の服に噛みついてでも、あたしは登っていく。師匠の服は血まみれだった。傷があるわけでもないのに、血に染まっている。


「ごぼ」


 再び師匠が血を吐いた。生暖かい血が谷底に吸い込まれていく。


「し、師匠」

「……いい、から。い……け」


 せめてポーションを師匠に飲んでもらわないと、と思ったけど。左腕が使えないから、体が安定しない。

 だったら早くあたしが登り切ったほうがいい。

 そこで更に上を見上げて、あたしは血の気が引いた。

 師匠は左手一本で、自分の体重とあたしを支えていた。

 真っ白で太い、綺麗な魔力糸。

 師匠の、本気の本気で顕現させた魔力糸が、師匠の左手首に巻きついていた。

 それが破壊された窓枠の木枠か何かに引っかけてあるんだと思う。

 何が起こったのか、あたしにはサッパリ分からなかったけど、たぶんきっと魔王からあたしを助けるためにルビーがやったんだと思う。

 あの衝撃の中で、師匠はあたしを助けて、そして落下しないように魔力糸を顕現させて、木枠に引っかけたんだ。

 でも。

 その左腕は、あたしだけを支えた右腕よりも酷い事になっていた。

 有り得ないぐらいに伸びてしまっている。

 魔力糸を巻きつけた手首はちぎれそうなほど細くなっていて、手は紫色に変色していた。


「し、師匠、うで、手が、手が、師匠の手が」

「のぼ……れ……」


 涙がにじむ。

 歯がガチガチと鳴るくらいに、震える。

 悲鳴と吐き気と、それから訳の分からないものが口から出そうになった。

 あたしのせいだ。

 あたしの体が余計なことしたせいだ。

 だから、あたしのせいだ。

 なんで。

 なんであんなところで。


「ぐ、ぅ、ぇぇ……ひぐっ、うぅ、ぐぅうぅ」


 嗚咽と涙がこぼれてきた。

 でも、こんなところで泣いてる場合じゃないから。

 はやくしないと、師匠の手がほんとにちぎれてしまうから。

 師匠が死んじゃうから。

 あたしは師匠の体に自分の魔力糸を巻き付けてから、師匠の体を登っていく。師匠の魔力糸とは比べ物にならないくらいモケモケで情けない魔力糸だけど。それでも、ぜったいに師匠を落とさないように、丈夫に顕現しておいた。

 それを、使い物にならなくなった自分の左腕に巻き付けておいて、あたしは伸びきった師匠の左腕を登っていく。

 悲鳴すらあげない、苦しみの声すらあげない師匠の強さに複雑な尊敬を抱きつつ、あたしはロープのようになった師匠の真っ白な魔力糸を右腕と足で登って行った。

 苦しい。

 力が足りない。

 ガクガクと震える。

 でも。

 それでも。

 あたしは右腕と足だけで登って行った。

 たぶんきっと、成長するブーツが補助してくれたんだと思う。そうじゃなかったら、ぜったいに登れていない。身体を支えられていない。


「ぐす、んっ、はぁはぁ、んぎぎぎ」


 破壊された窓枠に手が届き、ブーツで壁をなんとか蹴りながら体を持ち上げた。割れた窓から廊下を見れば、すでに魔王の姿は無かった。

 ただ、まるで霧のように。

 そこに魔王がいたであろう空気が残っていた。

 怖い。

 なぜだか、異様に怖かった。

 眷属化が解けている今だからこそ、ハッキリと分かる。

 まともに話が出来ていたのが嘘のように。

 冷たい空気が、そこには残っていた。

 対等に話をしてくれた、なんてものは思い上がりだった。

 眷属化されているからこその話だったんだ。

 こんな空気、まともじゃない。

 まるで呪いのように。

 魔王の存在そのものが、廊下に残っていた。


「ぐぎぎ、んっ!?」


 あたしは転がり落ちるように窓枠を超えて廊下へと戻ってきた。衝撃で左腕に激痛が走るが、泣き叫んでいる場合じゃない。

 くちびるを噛み、悲鳴を殺しながら立ち上がる。

 早く。

 早く師匠を、引っ張り上げないと。


「ぐっ!?」


 そう思った瞬間、体が窓枠に引っ張られた。左腕がミチリと嫌な音を立て、激痛が頭の上から足先までつらぬいてくる。


「ぎ、あぁ――」


 再び窓から放り出されそうになる体。上手く引っかかってくれた身体でなんとか耐えて、右腕で魔力糸を引っ張る。

 そして、なにが起こったのか気付いた。

 師匠の魔力糸が消えていた。

 窓枠が壊れて、外れてしまったのかと思った。

 でも違う。

 魔力糸は、その人の魔力で作られた糸だ。

 だから。

 意識を失えば、魔力糸は消える。

 宙吊りになってしまった師匠の体。

 だらりと弛緩させた長さが違ってしまっている両腕が、風で不自然に揺れている。


「師匠……師匠!」


 あたしは慌てて両手で師匠を引っ張り上げようとしたけど、左腕に力が入らなくて、激痛のせいで涙がにじんだ。

 でもそれを無視する。

 泣いてる場合じゃない。

 そんな場合じゃない!


「ぐうううう! あがれ、あがってえええ!」


 ここがルビーのお城で。

 すぐそばに四天王がいて。

 そして魔王がいる。

 それでも、あたしは叫ばずにいられなかった。

 両脚を壁に当てて、右腕と歯を使って師匠の体をあげていく。

 歯が抜けそうだった。

 右腕がしびれて、握力がなくなっていく。

 なにより。

 なにより早くしないと!


「んー! んんんんー!」


 師匠が死んじゃう!

 助けてルビー!

 師匠が、師匠が!


「んぐぁ!?」


 と、師匠の体が突然軽くなった。

 まさか魔力糸が切れちゃったのかと慌てて窓枠から覗けば、真っ黒なコウモリが師匠の体を支えて飛んでいた。

 ルビーの眷属だ。

 遅い!

 遅いよ、バカ!

 って叫びたい気持ちを押さえて、師匠の体を廊下に引っ張り込んだ。


「ポーション、ポーションを」


 早く師匠に飲ませないと、とあたしは自分のベルトに装備していたポーションの瓶を手探りで探すが……無い。


「無い、無い、あ!」


 何本か持っていたはずだけど、たぶん衝撃で砕けたか落ちちゃったんだと思う。でも、一番貴重なハイ・ポーションは残ってた。

 運がいい!

 良かった、これで師匠は助けられる!


「師匠、飲んでください」

「……ごほ」


 意識はある。

 ひゅー、ひゅーって息をする音は聞こえてるし、血を吐いてる。


「師匠、の、飲んでください、はやく、はやく」

「さ……きに、か……くれ……ろ」


 そ、そっか。

 今のままじゃ、誰かに見つかったらおしまいだ。それこそ窓が割れちゃったんだから、誰か掃除しに来たりしてもおかしくはない。

 あたしはポケットからふたつの鍵を取り出して地下室への鍵をあける。そのまま師匠の脇を抱えて、引きずるように移動した。


「師匠、もうすぐ助けますから」


 返事はない。

 でも、移動しなくちゃ。

 階段を後ろ向きに降りようとしたところ、ルビーの眷属だったコウモリが狼に形を変えて師匠の体を背中に乗せた。

 そのまま階段を降りて、金の鍵をあけて中へと入る。


「師匠、は、はやくポーションを飲んでください」


 狼の背中に持たれるように座らせた師匠に、ハイ・ポーションを飲ませてあげる。でも、ごぼごぼと血と混ざって、うまく飲んでくれない。

 それでも、ゆっくりゆっくりと、ちょっとずつ師匠の口に入れていく。


「師匠、大丈夫ですか?」

「……」


 ハイ・ポーションを全部飲んでもらったけど。

 師匠が回復した様子はない。

 ひゅぅ、ひゅぅ、と乾いた息ばかりで、師匠は返事をしてくれなくなった。


「そうだ」


 師匠もポーションを持っていたはず。と、あたしは師匠のベルトを探る。

 でも、あたしと同じように砕けてしまったみたいで、残っていたのは一本だけ。

 でもやっぱりそれはハイ・ポーションだった。

 運がいい。


「師匠、神さまは見捨ててませんよ」


 もう一度ゆっくりゆっくりと師匠の口にポーションをにじませるように飲ませてあげた。


「ど、どうですか師匠」

「……」


 でもやっぱり返事はなくて。

 ひゅー、ひゅー、という乾いたか細い息のままで、回復はしなかった。


「そ、そんな……し、師匠……どうすれば、うぅ、ぐす……あ、あたしのせいで……ひぐっ、師匠、ごめん、ごめんなさい……どうして、うああああ……」


 ハイ・ポーションでも治らない。

 それって。

 それってもう。

 死んじゃうってことだ。

 師匠が。

 死んじゃう。

 嫌だ。

 嫌だ嫌だイヤだ!


「ししょう、死なないで……うあああ、ちゃんと、ちゃんと修行するから……ひぐ、うぅ、ワガママも言わないから、ぐす、あ、あああ、いやだ、師匠と、師匠とずっと、うわあああ、死なないで、ししょう、死なないでください……ひぐ、ああぁ、ルビーとも仲良くします、ああああ、あああああああああ!」

「……」

「なにか、なにか言ってくださいししょう。ひぐ、ぐすっ、うああああああ、ああああ。いやだ、もうひとりぼっちは嫌だ。ししょう、ししょう。ああああああ、死なないで、死なないでください、おねがい、お願いします、師匠。だってだって、師匠は世界一強いんですからあああ。こんなとこで、こんなとこで死なないし、ずっといっしょって。ああああ、ううううう、ずっといっしょって言ったじゃないですか。うそつき、師匠のうそつき、ひぐ、う、ああああああああ!」


 あたしは師匠に抱き着いた。

 もう二度と、抱きしめてもらえない。

 だって。

 腕もこんなになっちゃって。

 手も、指も紫色になってて。

 ごぼごぼ、って血が出てくるばっかりで優しい声を聞けなくなっていく。

 そんなの嫌だ。

 そんなのぜったいに嫌だ。

 もうひとりぼっちにはなりたくない。

 ずっとずっと。

 師匠といっしょに生きていきたい。


「……ぱ、る」

「あっ、し、師匠……い、いやだ、嫌です。遺言なんて、ぜったいに聞きませんから! そんな、そんなこと言わないでください! 大丈夫だって、だいじょうぶって言ってください!」

「……おもい」

「え?」

「おも、い。……どい、てく……れ」


 あぁ。

 あはは。

 あははは……


「う、うあああ……女の子に重いとか……ひどいよ、師匠ぉ」


 あたしは泣きながら笑った。

 師匠が、ちょっと笑ってくれる。

 でも、視線はあたしを見ていなかった。

 たぶん、師匠の目は、もう何も見えていない。

 師匠はもう。

 あたしを見てくれない。


「師匠」

「……なん、だ」

「生きてますか?」

「あぁ……」


 あたしは師匠の隣で膝を抱える。

 路地裏で。

 ずっとこうして生きてきたのを思い出した。


「師匠」

「…………な……んだ」

「死んでませんよね」

「あぁ……」


 冷たく寒い路地裏で。

 こうやって、ずっとひとりぼっちで生きてきた。


「師匠」

「………………な、ん……だ」

「キスしていいですか?」

「あぁ……」


 あたしは、師匠にキスをした。

 くちびるに、そっと触れるだけのキス。

 あたしのファーストキス。


「う、うぅ……うああ……」

「…………ど、うした、パル。……やっぱり、こんな……ごふ……おっさんみたいな俺じゃ、いや……だったか?」


 ゴボゴボと血を吐きながら。

 師匠は笑いながら、そう言った。

 それが最後かもしれないから。

 あたしは笑って言った。


「嬉しくて泣いてるんですぅ」

「……そ、うか」

「でも」

「……ん?」

「ファーストキスが血の味だなんて……あんまりです……うわーん!」


 良くレモンの味とか、甘酸っぱいとか聞いていたけど。

 ぜんぜん違った。

 あたしのファーストキスは、血の味でした。


「師匠」

「……」

「……師匠?」

「…………」

「師匠?」

「………………」

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