執事
「ミナサマ、オハヨウゴザイマス。マズハコチラヲ装着シテクダサイ」
そう言って差し出されたのは、トレイの上に乗った、Bluetoothのイヤホンのようなものだった。
……全然関係ないけど、ニコニコしながら片言の日本語を話す外国人とか、めっちゃ微笑ましい。着けてあげよう。
僕は特に考えることなく、謎の装具を着けに足を踏み出した。
「待って!……いや大丈夫。行って」
腕を掴まれて振り返ると、ペロサの赤い瞳と目が合った。……案外背が高い。僕が170もないせいかもしれないが。160くらいはありそうだ。ゲーム画面のイラストでは身長が分からなかったが、上目遣いで微笑むイラストから年下のようなイメージがあったから意外だ。
そんな彼女は、執事の方を見て目を輝かせていた。比喩でもなんでもなく、瞳から仄かに光を放っているのだ。今までのような宝石が反射した光ではなく、塗りつぶすような鈍い輝きだった。その目は大きく開かれ、なんというか日が昇ったような印象の顔をしていた。相変わらずどんな感情なのかは計り知れない。
それにしても何が大丈夫なのか。あの装具が、だろうか。ペロサに肩を押され、よく分からないままにもう一度、トレイを持った執事の元へ歩き出す。
……さっきは何も考えていなかったが、今は不思議と緊張する。ペロサに引き留められて初めてあの装具が危険物である可能性を思いついたからだろうか。しかし、一番に踏み出したせいで僕が最初につける空気になってしまった。
仕方なく執事の対面まで移動したところで、トレイを持った彼と目が合った。彼はこちらが見ているのに気づくと、先ほどの弟くんのように微笑んだ。……正直に言って、いくらニコニコしていようがこいつが怪しいことに変わりはない。状況からしてこいつが僕らを拉致監禁した犯人なのだ。
それならこのイヤホンは、盗聴器どころか小さな爆弾であってもおかしくない。こんな小さな爆弾があるのか知らないけど。
でもまあ、ペロサが大丈夫って言ったんだし……なんとかなるか。
「聞こえますか?……それは我々と皆さんの言葉を相互に変換してくれる道具です。何か話してみてください」
僕がイヤホンを手にすると、急にネイティブになった執事が話しかけてきた。僕がそれに驚いていると、このイヤホンの機能を説明してくれた。どうやら翻訳してくれる道具みたいだ。
しかし、何か言えとは難しい注文だな。
「あー、えーと、坂本龍之介です。えー、よろしくお願いします?」
「龍之介様ですね。ありがとうございます。私の自己紹介は皆さんが装着してからにしましょうか」
そうして、謎のイヤホンを全員が着けることになった。ちなみに、このイヤホンは手に持つだけでも翻訳がされるが、普通に耳に着けておけばいいらしい。
「では、遅ればせながら私の自己紹介をさせていただきます」
余ったイヤホンを懐にしまい、トレイを脇に抱えた執事が僕らをゆっくり見渡しながら語りだす。
「私はトレス伯爵家に仕える執事の、オリバーと申します。ここはトレス伯爵家の別荘の地下にあたります」
「……」
案外普通の自己紹介だったが、執事や伯爵といった単語には馴染みがない。そのせいかここにいる誰もが戸惑いを隠し切れない。なんと、あのゴミでさえ目を見開いている。
戸惑う一同を放置して、オリバーと名乗った執事はさらなる爆弾を投下する。
「……と言っても、ピンと来ませんよね。では先に、皆さんの先輩に当たる方々の言葉を借りさせていただき、皆さんの状況を説明しましょうか。皆さんは――」
オリバーは、全員の顔をゆっくり見渡しながら、聞き逃すことができないように、一語ずつはっきりねっとり伝えた。
「――魔獣の犇めくこの世界を救うために召喚された勇者なのです」
そのふざけた発言で、突然頭が真っ白になった。まるで、なんの脈絡もなくすれ違った人にぶん殴られたような驚きだ。
誰もが衝撃で固まっている中、真っ先に口を開いたのはあの生ゴミだった。
「それは何かの冗談だろ?ふざけたこと言ってねぇでさっさと説明しろ」
「話を聞く限りでは大差ないようでしたのでこう言ったのですが……少々おふざけが過ぎましたか。では、しっかりした説明をするので……あー、先にこの狭苦しい場所から出ましょうか」
執事が苦笑いをしながら場所を移そうとする。そのまま、案内します、と言って背を向けて歩き出してしまった。
部屋に残された6人は、誰かが先に行けというふうに互いに目で牽制し合う。
……仕方ない。僕が行くか。それに気軽に質問できる立ち位置を確保したいという意図もある。
しかし、僕が歩き出したところで出入り口に最も近かったゴミが先を行ってしまった。なんだか負けたような気分だ。
さっきの部屋と同じ真っ白な光景にうんざりしながらしばらく進むと、行き止まりに突き当たった。壁や天井に比べると暗い色合いに見える床が途切れている。
「行き止まりか?」
「いえ、ちゃんと開きますよ」
オリバーの言葉通り、一行が近づくと壁が空気に溶け込んでいく。オリバーが現れたときと同じように消えたが、その向こうに現れたものは全くの別物だった。
「何だ?牢屋か?」
「エレベーター……?」
先ほどまでの部屋とは毛色の違う、金属でできた狭い部屋だ。狭いといっても部屋としては狭いだけだ。これがエレベーターならずいぶんと大きい。装飾もなく、金属の冷たさが隠されていないから、頑張れば牢屋に見えなくもない。
「はい。昇降機ですね」
「そういえばさっき、別荘の地下とかって言ってたよね」
「これからその別荘まで登ります。時間がかかりますから……そうですね、その間にこの世界について少し話しておきましょうか」
そう言いながらオリバーは、エレベーターに入ってすぐ左に陣取った。
それについていくと、足の裏を金属の冷たさが襲ってきた。驚いて下を見るも、靴下で金属の上に乗っかれば当然だった。
全員が入ったのを確認したオリバーは壁に向かって何らかの操作をする。丁度行先の階数を指定するボタンがありそうな位置だ。
どうやって操作するのか、オリバーは見せるつもりはないようだ。
そしてオリバーが振り返る頃には、音もなくエレベーター特有の胃が引っ張られる感覚に襲われる。
「あぁ?“この世界”だァ?」
またお前か。朝起きたらこんな地下の施設みたいなところに居たんだから、それくらいあってもおかしくないと思うけど。
……ラノベの読みすぎかな。でもこうしてペロサが目の前にいる辺り、もうファンタジーな感じがしてならない。
地味にこのエレベーターだって一切の駆動音がしない。
……いや、エレベーターに乗る機会があまりなかったから知らないだけで、僕らの世界の物もこれくらい静かだったかもしれない。
僕が乗ったことのあるエレベーターはデパートにあるようなやつで、そういった場所では音楽が流れていたりしたから、というのもある。
ここは一切の環境音がないから、誰かが喋っていないと寂しいくらいに静かなのだ。
「はい。ここは300年前に神が作り替えた理想郷、ウルモーザです。神前期の混沌に今も脅かされつつも、恵みの女神ウルの加護により繁栄し続けています。人々は、神前期の混沌より生まれた魔物を駆逐し、真なる理想郷へウルモーザを導く使命を背負っているのです」
どうやら想像以上にファンタジーな世界らしい。ロボティクスファンタジアのそれよりも遥かに非現実的な世界観だ。
僕はもちろん、他の人も一人残らずオリバーの発言を受け止められずにいる。
それでも、“神”や“魔物”という単語で胸が高鳴るのも同じだったようだ。今まで大人しくしていた弟くんが目を輝かせて叫んだ。
「それってホントですか!?」
「はい。嘘なんて言ってませんよ。外はまだ午前中ですから、午後にそれっぽい場所に連れていきます」
「じゃあ、あの……さっき言ってた勇者うんぬんは……」
「はい。神前期、人間が生存できない環境だった名残で、今も生身の人間とは比較できない程強力な生物が世界中にいるのです。きちんと生殖能力を持つ奴らは、年々危険度を増しています。才能や勇気のある人は《超導士》や探索者となり、ほとんどが未開の地であるこの世界に人間の版図を拡げていくのです。皆さんはこれから必要な才があるかの軽い試験を受けていただき、合格された方は《超導士》を目指していただきます」
「おぉー!」
「さっき言った勇者というのもあながち嘘ではありませんよ。《超導士》は民衆から英雄視されるものですし、皆さんのようにこの白い部屋から出てきた人からは《超導士》の一つの頂点である《王剣》になった人もいます」
固有名詞が多くて詳しくは分からないが、この世界はゲームっぽく魔物に脅かされているようだ。それに抗う人類のヒーローが《超導士》なるものなんだろう。
とりあえず気になったところを聞いていくか。……試験がどういうものか分からないが、《超導士》はちょっと気になる。意欲を見せて評価を上げておくのも悪くないだろう。
というか、試験って単語はトラウマみたいなところがあるから、何かしてないと落ち着かない。
「すみません。いくつか質問いいですか?」
「はい。もちろん」
「じゃあ、試験ってどんなことをするんですか?」
先ずは一番気になる試験内容。午後にはどこかに連れてってもらえるみたいだから、午前中、つまりこの後すぐとかにやるんだろう。対策なんて取りようもないけど聞いておきたい。
「簡単な魔力測定です。《超導士》には魔力を出力できる必要があります。ちなみに、これができるかは生まれつき決まっていますから、気負う必要はありません」
「おぉー!テンプレ!」
あぁ……なんとなく内容が分かったわ。主人公が触るとオーバーフローで爆発する水晶だろ。
テンプレはともかく、生まれつき決まってるとか分かりやすくていいな。
「あと、この場所……というか、私達がいたあの部屋は“白い部屋”で通っているんですか?」
「あぁー、こういった場所は割と各地にありますよ。一般には“遺跡”と言われています。神前期のさらに前、人が暮らせていた頃の文明の残骸だとか。とはいえこの場所は――トレス伯爵家の中では白い部屋で通じますが」
「遺跡ってこと以外には何か――」
「――残念ながら」
ちょっと聞き方がおかしかったが、オリバーがくみ取って答えてくれた。どうやら遺跡と呼ぶだけあって詳しいことは分からないようだ。
「ちょっといいか」
「はい」
「さっきは『召喚された』とか言ってたがお前らが召喚した訳じゃないのか?」
「その通りです。我々は皆さんを保護し、露頭に迷わないよう仕事を紹介するだけです」
せっかちなゴミが思ったより普通の質問をした。
オリバーの話では、ラノベにありそうな『帰りたければ魔王を倒して来い!』というわけではなさそうだ。
その代わり、才能がないからといって元の世界に帰れるわけではないみたいだ。いっそ無能は不要だ!ってなって追放ルートまでありえる。
「申し訳ないが一つだけ聞いていいか」
「はいもちろんどうぞ」
次に質問したのは、今までずっと黙っていた女子高生だった。
……想像とは随分とかけ離れた話し方である。方言とも思えない。どうしたらあの話し方に落ち着くのだろうか。
「先ほどおっしゃっていた試験についてだが、適性が無いと判断された場合はどうなるのだ?」
「その場合は事務職などを斡旋することになるでしょうか。皆さんもそうかは分かりませんが、あの“白い部屋”から来た方はある程度の教養を備えていることが殆どです。言語学習を済ませれば即戦力として送り出すことができるでしょう」
「その……私はものづくりに携わりたいのだが、そういった方向でも支援していただけるのだろうか」
「なるほど……そうですね。何を作るかによるとしか言いようがないですね。武器や兵器に限らず、金属加工の基本は工学魔法によるものが大半ですし、今となっては日用品のいくつかもこの技術で作られています。もちろん、それを扱うには《超導士》としての才能と資格が必要です。……まぁ、何事にも抜け道はあります。やりようはいくらでもありますから、そう気にする必要はありませんよ」
「なるほど。ありがとうございます」
どうやらこの老成した話し方をする少女は、技術者志望みたいだ。そういう方向の専門学校とかに行っていたのだろう。
堂々とした立ち振る舞いが、留学や論文の発表でもしてきたように思わせる。
僕の場合は留学どころか留年の危機だ。ほんと笑えない。
そうこうしているうちにエレベーターが到着したらしく、膝の力がすっとぬけるような浮遊感が訪れる。
さっき入ったのと同じ面の壁が消え、今までとは打って変わった優しい木目が覗く。
「それでは案内します。別荘とはいえ結構大きな屋敷ですからね、しっかりついてきてください」




