これから
「おや、心配して急いできましたが杞憂でしたか」
オリバーはそう言うと、店の隅にあった椅子の山から一つ引っ張り出して僕らがいる丸テーブルに着いた。
ハッとした僕と錬が手を離し、若槻さんも席に着いた。
「皆さんの着替えなどを用意していたら時間がかかってしまって。あっ、ルーミアさん、椅子お借りします」
「んあ?坊やがそんな丁寧に話すなんて明日はストラビューテの大群でも飛んでくるんじゃないかい?」
「坊やはもう勘弁してください。言葉遣いはトレス伯爵家の執事として謝罪があるからです。まぁ先に他の用を済ませてしまいますか」
ルーミアと呼ばれた食堂のおばさんが、怪訝そうな顔をして近づいてくる。
「ここにいる全員に一部屋ずつ用意していただけますか。期間は一年です」
「一年?屋敷のほうは使えないのかい?」
「少々不仲なもので」
「はぁ、金持ちは相変わらずだねぇ」
「……」
「ま、部屋は3階のを丸々使いな。金は人数分しか取らないからお得だよ」
「ありがとうございます」
一年もここで過ごすのか。
昼間に『一年は一緒に過ごす』とか言っていたから、屋敷の代わりにここで過ごすのだろう。
「一年したらどうするんだ?」
「そのあたりは夕食を食べながらでどうでしょう」
「私は構わないぞ」
「ではルーミアさん、7人前お願いします」
「あいよ!」
7つということはオリバーさんの分も頼んだのか。話しながらどうやって食べるんだろう。
メニューが限られているのか料理はすぐに出てきた。
グラタンみたいな料理だ。ただしチーズの下は青い。
「ではさっきの質問の答えから。一年後、皆さんにはある学校に通って頂きます。誠二様には少し窮屈かもしれませんが、5年前に同じように入学した方もいるので少なくとも教員には邪険にされないでしょう」
「それって同級生と僕らの年は同じってことですか?」
「そちらの世界では大学に当たります。ですが、初等教育の年数が一つ少ないので、優美様は2つ上で、他の3人は一つ上になるでしょうか?」
――同級生が一つ下って留年じゃねえか!
「そ、それって今年から入ったりは……」
「文字を学ぶ期間がどうしても必要になるかと。それに魔法触媒の扱いも覚えておかなければ単位が取れずに落第してしまうでしょう」
留年通り越して退学だってよ。これだから単位制は。
「……?普通の学校ではないのか?」
「はい。第4《超導士》養成指定校にしてオペランデ王領の最高学府、アストロヴィーア魔法大学です。まぁ、オペランデ王領で一番の学校で、同じような学校が他の地方にもありますよ、ってことですね」
「そういえば、オペランデ王国ではなくオペランデ王領と呼ぶのだな。何か理由があるのか?」
国一番の学校か。聞かなくても国立じゃん。受験には勝ったと言えるのでは?
……全く関係ないが、さっきから質問している若槻さんは猫舌なんだろうか。全く手をつけていない。
「そうですね。この世界の人類は基本的にハーモニア統一帝国の支配下にあります。オペランデ王領はその中で自治を行う地域の一つです。他には聖アルトヘイジア教国やウスラギルタ連邦なんかがあり、それをハーモニア中央政都が支配して――」
その後もオリバーの話は続き、僕らのこれからの話を聞いた。
トレス伯爵家から支援を受けられるのは卒業まで。しかもその時翻訳機を返却する必要がある。
一年で文字を覚え、卒業までの3年で言語をマスターすると。
無理難題では?
ちなみに、大学なのに3年なのかという若槻さんの質問には『座学の成績優秀者には付属の大学院へのスカウトがくる』とのことで、さらに2年お世話になることが出来るらしい。
このスカウトは落第間際な落ちこぼれ以外には来るらしく、学生の半分以上が大学院に行くらしい。
日本がどうだったのかはまるで把握していないが、案外多いという印象を受けた。
むしろ3年制ではなく5年制だと考えてもいいらしい。
翻訳で無理やり当てはめた結果だろう。
ちなみにその場合でも翻訳機を返却しなければならない。
何とかして勉強を回避できないだろうか。訓練とかしたほうが良かったりしないだろうか。
「《超導士》になるのに……というか魔法を扱うのにそんなに勉強が必須なんですか?」
「そうです。魔力の出力特性は個人で違ってきます。それに合った術式を組めなければまともに発現できません。魔法触媒の設計は必須技能になります」
「そうなんですね……」
ヤバいじゃんね!
さっきあれだけ恥ずかしいこと言っておいて勉強が苦手なので無理とは言えない。
まぁサボってただけで勉強ができないわけではない。
やるしかないんだからやる。
そうは思うもののグラタンの味が分からない。
「え?もしかして龍之介って……」
「おっ?」
「いや嫌いなだけだし」
錬がここぞとばかりにdisってきた。ちゃっかり姉も期待するような目をしているのがうざい。
……見てろよ、明日からの訓練と授業でぎゃふんと言わせてやるからな。
僕らは入学までこの世界の共通言語であるハーモニア語はもちろん、魔法の初歩と魔法触媒の扱いを徹底的に叩き込まれる。
魔法大学では実習も多いらしく、長期休業では魔物を狩るなどの課題も出されるのだとか。
そうでなくても、探索者として活動して学費の足しにする学生も多いらしい。僕らは、学費は全額出してもらえるそうだけど身の回りの品を買い揃えるお金は最初しかもらえない。
小遣い稼ぎの手段はどうせ必要になるだろうから、実戦を経験するためにも探索者としての活動はすることになるだろう。
戦闘能力を鍛えてくれるのは僕の目標からしてもありがたい。
ちなみに探索者というのはまるまる冒険者みたいな人達だった。
A~Fでランク分けされ、A~Cの上位ランクは数字でもランキングがつき、ほぼ国家資格みたいな扱いらしい。
それでも《超導士》よりは格が落ちるというのだから、《王剣》ともなれば英雄の中の英雄だ。
「とまあ、こんなものでしょうか。一年後の入学の時には試験があります。筆記、実技ともに気を抜けない難易度です。試験対策資料は伯爵家のものがありますからかなりの数の過去問もできますし、実技も……まあ皆さんなら問題ないでしょう」
実技の話のときに僕の方を見て一度話を止めた。
やっぱりアレは不正だったから合格ラインに持っていけるか怪しいんだろう。
あれ?筆記も実技も不安しかないぞ?
そもそも試験があるなんて聞いてないし。さっきはもう入学が決まってる気でいたけど全然じゃないか。
「明日は午前中に魔法触媒を使って、午後に勉強をしましょうか。筆記試験は数学、魔法力学、あと学科によって物理、魔法化学、魔法工学、基礎法律論、といったところでしょうか。由奈様のような方は追加で3つほどやっておいた方が良さそうですが、他の方は最初の2つで十分だと思います。数学と魔法力学によく使われる言葉から学んでいきましょうか」
ユナ?あぁ、若槻さんか。プラス3教科とか頭おかしいな。
「……!!すまないがその由奈様というのはやめてくれないか?私は呼び捨てで構わないから」
「いえそれは……」
「たしかに、俺達は客でもなんでもねぇんだ。お世話になる相手にへりくだった態度取られるのも困る」
若槻さんの提案に、田中を始めとした全員が同意した。
オリバーも流石に折れたようで、さん付けで呼ぶことになった。
「じゃあ、由奈さんはかなり大変になるかもしれませんが、明日からしっかり詰め込んでいきましょう」
「……はい」「「「はい」」」「あぁ」
やる気のなさそうな返事をしたのは錬の姉だ。
ペロサは関係ないと思っているのか返事をしなかった。
「ルーミアさん、部屋の鍵を」
「あいよ!」
オリバーは渡された鍵の番号を見ながら一人一人に配っていく。
田中、僕、錬、ペロサ、若槻さん、錬の姉の順だ。多分奥の方に女性を配するような感じにしているんだろう。
ついでに、洗濯物は明日から回収してまとめて宿の人に洗ってもらうとか、体を清めるのは部屋にある水がめとタオルでやるとか、その水がめが空になったら裏庭に井戸があるからそこで汲めとか、生活に必要な話があった。
さらに、寝間着や明日からの着替えの入った袋を受け取ってやっと終了だ。
「それでは、おやすみなさい」
「しっかり休んで明日から頑張るんだよ!」
僕らは口々に料理のお礼や感想を言ったりした後、奥にある階段から3階を目指す。
そのとき、背中越しにオリバーとルーミアさんの会話が聞こえてきた。
「それで?謝罪ってのはなんの話だい?」
「……ミーナさんが亡くなりました。全て私の責任です、申し訳ありません」
「あんたんとこの屋敷で?本気で言ってるのかい?」
「はい」
「あそこ一帯は安全だって話だったじゃないか!それとも人間がやったのかい?」
「いえ、淵から湧いた魔物に対処しきれず殺されてしまい――」
「――嘘言うんじゃないよ!!秘境から魔物が出てくるわけないだろう!!それに、あの屋敷には世界で一番たくさん撃てるがとりんぐが積んである魔導車があるから多少の魔物が現れても問題ないって言ったのはあんたじゃないか……!!それにミーノはどうしたんだ!!ミーノも屋敷に連れていったんだろう!?」
「ミーノさんは――」
ルーミアさんはミーナさんと仲が良かったどころか、彼女の母親ではないだろうか。
それに感化されたのか若槻さんが質問を口にする。
「私達が母と再会することはあると思うか?」
「へ?そうりゃあ……ないだろうね」
錬は親――というか元の世界の人間と再会できるとは思っていないようだ。
僕はどうだろう。
正直実感が湧かない。
アロンディクレアに殺されそうになった時も、生き残れば両親と再会して食事に行ける、みたいなことを考えていた気がする。
ほんとに自覚が無いんだろう。もう二度と両親や友人と会うことはないことに。
最後に交わした言葉は何だったか。歯磨きは毎日しろ、とか勉強しろ、とかだったっけ。
「実感がわかないな。僕は寮暮らしだったし、多分明日になっても分かってないと思う」
「私もだ。両親とはここ2年会っていないからか、いつでも実家に帰れて会えるのではと期待している。帰り方なんて全く分からないのにな」
そういえば若槻さんは家出みたいな形で高校に行ったんだっけ。
親と最後に話したことが電話口で『二度と帰ってくるな!』とかだったら救われないな。
「私は親元を離れたことはないからなぁ。2食も外で食べれば何となく分かっちゃうなぁ」
「俺も。友達とも会えないと思うとつらいわ」
「あーそれなぁー」
姉弟は状況を理解した上で、二度と会えない人に悲しんでいる。
やはり、拉致や誘拐と大して変わらない。
「田中さんはそういう人いますか?」
ふと気になって田中にも話を振ってみる。
「居ない。やり残したこともない」
帰ってきた答えは予想にないものだった。
これはあれか?法に触れるレベルでやりたい放題してきて捕まる寸前にこの世界に来たとかか?
流石にないか。
「じゃあ、おやすみ」
「「おやすみ」」「おやすみ~!」
3階に着くと、鍵にある番号と同じ番号が書いてある部屋に入る。
錬の姉は夜までテンションが高い。その代わり、田中とペロサは無言だ。
ペロサにだけもう一度言うのもおかしいし、落ち着かない心を無視して部屋に入る。
僕の部屋は3階の一番手前だ。
部屋の中には水がめと机、ベッドと最低限のものしかない。照明も無い。
この世界では明かりは消耗品だ。アロンディクレアから取れた球状の魔石ではなく、そこらの魔物から取れる小さなかけらで動く魔道具の一つを明かりとして使う。
この明かりの魔道具自体はそう高価でもないが、燃料として魔石を消費するのが痛いらしい。
宿では基本、消し忘れ対策として明かりを置いていない。
僕は一旦カーテンを開けて、外の明かりが入るようにして水がめとタオルを準備する。
今度はカーテンを閉めて、服を脱いで体を拭く。お風呂が恋しくなるが、オリバーさんの話ではシャワーですら簡単にできるものではないらしい。
だが、大学の寮や、大学がある王都には共同にはなるけれどお風呂があるらしい。
拭き終わって、寝間着を着ようとして袋から出していなかったことに気付く。
窓際に行き、全裸のまま袋を漁る。
……暗くなるまでにやんないとダメだな。
白い部屋で着ていた僕の寝間着は瓦礫の下なので、オリバーが持ってきた簡素なデザインの物を着る。
そこまでやって急に襲ってきた疲れに従ってベッドに飛び込む。
――なんか今日も、何もせずに生き残ったな。
今日初めて落ち着いた状況になったからか、一日を振り返ってみた。
するとどうだろう。食って走って寝て、それしかやっていない。人に任せて、流されて、僕自身は何もできていない。
今までもずっとそうだった。中学では、ろくに勉強もせず、宿題も朝学校に来てからやって提出していたら推薦の基準に達していた。前から興味があったわけでもないのに、悩むこともなく受験した。面接の準備も中学校が用意したものしかしなかったし、小論文にも大した対策をすることなく受験し、合格した。
高校に入っても、やることは同じだった。出席して、時々遅刻して、稀に休んで。それでも必要な点数は取れていた。課題は中学と比べてうるさく言ってこないから出さなかった。
それで十分だと思っていた。
そんなことを繰り返して、気が付けば留年生だ。
そして今日、改心したはずの僕は何ができたろうか。
逃げることもできずに震えて祈っていただけではないか。
――仕方ないじゃないか。昨日まで一般人だったんだ。
今まで平和に暮らしていたことは十分に言い訳になると思う。
でもあんな、みっともない自分でよかったとは思えない。
――じゃあどうすれば良かったんだ。
敵うはずもない化け物に意味もなく向かっていけばよかったのか。
主人公みたいに機転を利かせて無力化すればよかったのか。
正義の味方ぶって引き付ければよかったのか。
――あぁでも、みんなに逃げろと言うことはできたかもしれない。
あまりにも今さらで、消極的な思いつきに嫌気がして、意味もなく拳を壁にぶつける。
少しは理性が働いて弱めたのか、叩きつけたつもりがしょうもない、小指をぶつけただけのちゃちな音がした。
逃げ始めるのが少し早くなったところで何か変わっただろうか。
若槻さんの大けがが小さくなったりしただろうか。
でも、何もせず縮こまっていた奴よりは億倍マシだ。
そしてなにより、ペロサみたいに立ち向かっていけたら。
『……ばか』
下らない無い物ねだりだと自覚した瞬間、化け物をぶっ飛ばしたときのペロサのセリフが過った。
――本当に馬鹿だ。ここまで来て立ち向かっていけないなら死んでしまえ。
僕は人生初の自主的な筋トレでもしようとベッドから降りる。
するとドアからコンコンッとノックの音がした。
「はい!」
急いで返事をして、扉を開けた先にいたのはペロサだった。




