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留年

 カーテンが閉められた薄暗い部屋のベッドの上に、けだるげな瞳でスマホを見つめる少年がいた。

 彼の名前は坂本龍之介。その奥二重の目はスマホに表示された人形の少女に夢中に見えるが、その実、彼の頭の中は自身の人生設計でいっぱいである。


 なぜなら彼は昼間、担任から留年を言い渡されたからだ。


「なんで物理が59点だったくらいで」


 彼の学校は県内でも有数の進学校。赤点だけでなく年間の評価すら、決められた値――今回で言えば60点を下回れば進級は叶わない。そして坂本は、今までの課題をろくに提出していなかったから、そのハードルはさらに高いものになっていた。

 今まで一切の勉強と課題をやってこなかった坂本は、相当に目をつけられていたのかテスト即日で採点され結果が知らせられた。その結果、一番に採点した物理だけで不可が付き、留年が目前となったことが発覚、通告された。

 一応、再評価試験なるものを受ければ回避できなくもないのだが、試験の範囲が一年間の全てになる上に、求められる点数は驚きの80点。一か月後の試験までみっちり勉強をしても何とかなるかは分からない。

 冬季休業をバイトに費やす余裕など実はなかったのだ。それを如実に突き付けられ、彼の心は今更ながら焦燥の只中にあった。


『指揮官、今回の物資もたくさんですよ』


 スマホの中で1時間半に及ぶ資源収集を終えた報告をするキャラクターの声も、彼には軽薄で中身のないものとして聞こえる。



――どれもこれも少し前の自分のせいだ。



 いくら再試が年に一度しかない生徒に不親切な学校だって、赤点をカバーする方法などいくらでもある。むしろ再試で後が無くなる前に課題などで取り戻させる教科担当は多い。現状が自業自得の末にあるものだから、彼の考えも正しいと言えるだろう。



――あぁ、なんて馬鹿なことをしたんだ。



 再三せがまれた課題の提出にまともに応じなかった自身の行動を一言で表すのなら、馬鹿の二文字に勝るものはないだろう。

 言われてもやらない。呼び出されてからやっと手をつける。そのうち出したと思ったら、その出来の悪さ、もっと言えば適当さときたら、学年一の世話焼きで有名だった担任すら呆れさせた。

 留年を言い渡したときの表情には、申し訳なさや心配の影に呆れ、疲れ、失望といったおおよそ子供が向けられたくないものが詰まっていた。


 彼は胸を締め付ける不安から逃げたくて――もしくはただの習慣からスマホを開いたところだった。


 そこには、彼の一年半に及ぶ執着の成果があった。先ほどの資源収集ですべて50万を突破した各種資源がイベントで大量に消費されるのを待っていた。最大値まで強化されたキャラクターたちが次の命令を今か今かと待っていた。それらを十全に活かす鍛え上げられた装備が倉庫に列をなして待っていた。

 もし同じゲームをプレイしている人が見たら、整えられた設備にかなり高額の課金を疑うだろう。実際、彼は冬にバイトで稼いだ額の半分近い額をこのゲームに費やしていた。


「はぁ」


 そろそろお別れかもしれないな、と彼は思う。

 ずっと、それこそサービスの終了か自分の寿命まで付き合うつもりであったから、この考えが浮かぶことにすら悲しみを覚えた。

 もちろん、スマホに何かあってもいいようにSNSなどで連携をしてあるから、留年という山を越えたら再会できる。

 だが、自分なら道半ばで戻ってきてしまう、会いに来てしまうと彼は悟っていた。


「最後に一戦、行くか」


 坂本はどうしても覚悟が決まらずに、どうせならと今挑戦できる最も難易度の高いステージに挑むことにした。最後のテスト前ということで攻略を遅らせてはいたので、最終ステージにいつでも挑戦できる段階で止めていた。


 そして坂本はSNSで難易度が高すぎると話題のステージへと踏み入れた。

 テストの2ヶ月前よりスタートした大型イベント、《パラレルワールド》の最終ステージ――《遠点》と銘打たれたそのステージへと。



――真っ先にすべきは補給線の確保、次に索敵範囲の拡大、それから……。



 坂本はこのゲームのセオリーを思い出しつつ、手早く操作していく。それぞれにコンセプトと役割を持たせた強力な部隊を並べていった。厚い装甲を備えた敵の対策にマシンガンを多く編成した第二部隊、索敵や罠の設置と解除などの支援を目的としたハンドガンのみの第三部隊と、順番に戦場に送り込む。しかし、坂本は第一部隊だけは設置しなかった。

 そして坂本は、第一部隊を除く、第十までの全ての部隊で、攻略の条件であるボスの撃破に向けて動き出した。



 序盤は優勢だったが、しばらく攻略を進めるにつれ坂本は焦りを感じ始めた。


「ここでもない……?マップはもう隅々まで回ったぞ?ばんなそかな」


 その原因は、クリアに肝心なボスが見つからないことだった。

 このゲームにおけるステージ攻略は、たくさんのタイルで構成されたマップを占領しながら陣地を拡げつつ、ボスの撃破などの目標を達成するというものだ。

 普段ならわかりやすい最奥のタイルにいたりするし、このイベント中のボスも全てが手下に守られるような位置にいた。このゲームに精通した坂本でも、こんな経験は無かった。


「そもそもこのステージおかしいよな~。なんでマップの中にさらにマップが入ってるんだか」


 ボスが見つからないこと以外にもおかしい点があった。

 このステージではいくつかのタイルが異常に大きく表示されていて、そのタイルに行くと別のマップに飛ばされてしまうのだ。

 初めは攻略を単調にしない面白いシステムだな、と思ったが、ボスを探すにつれ、『こいつのせいでマップが今までに無いほど広くなってるんだが?勘弁してくれよ』と文句を言うようになった。


 しかも、この大きなタイルはそれぞれに特徴を持っているのだ。

 例えば、《都市》という一般サイズのタイルなら、そのマスに敵が表示されていなくとも侵入したときに確率で戦闘が発生するという特性をもっている。しかし、この大きなマス内のマップでは、全てのマスがこの性質を持っているのだ。《大都市B11-k》というこのマップでは、普通のマスの表示なのにこういった事が起きる。初めは驚いたが、今では別の考えが浮かんでいた。


 曰く、まだ踏んでいないどこかのマスではボスが出てくるのでは?


 坂本はこれの検証に第二から第七までの六部隊を割き、第八から第十までの三部隊を万が一の場合のために他の大きなマスに残した。


 そして遂に第一部隊を召喚した。それは先ほど資料収集を終えた部隊だった。


「第一部隊は……拠点に置いておけばいいか」


 このゲームでは、《拠点》を制圧されると敗北となってしまう。それを踏まえれば第一部隊に与えられた任は重要なものに見える。しかし、攻略の起点となるのもこの《拠点》なのだ。もちろん、《拠点》周辺の敵の掃討も済んでいるから、第一部隊には一切の負担は無い。


 検証の準備を済ませた坂本は《大都市B11-k》を虱潰しにしていった。《大都市B11-k》の出入り口は比較的近い所にあったこともあり、遠くから索敵するだけで奥地には踏み入っていなかったが、どうやら奥に行く程敵が強くなるらしい。

 しかし、六部隊という数によって30分足らずで回り切ってしまった。


「……どうしろと?」


 《大都市B11-k》の全てのマスを踏んでもボスは現れなかった。急遽《大都市B11-k》の外の《都市》を踏みに行ったが、ことごとく外れだった。


「ネット漁るしかないか……」


 坂本は自力での攻略を諦め、今まで禁じ手としてきた情報収集をしようとした。


「っと、その前に第一に補給しとかなきゃ」


 このゲームの部隊は、設置しておくだけでその部隊が持っている資源を消費してしまう。なので、物資を使い切りそうだった第一部隊に補給をするため、第一部隊を選択したときだった。今までよりロード時間が長いのを不思議に思ってマップを見渡すと、《拠点》の隣に何か変な黒い表示があるのに気が付いた。


 ボスが《拠点》の隣に居座っていた。


 坂本は息をのみながら、そのボスをタップして情報を確かめる。



BOSS 《遠点の信者:ダニエル》 戦闘能力 250000



 坂本が見ることができたのはそこまでだった。明らかに桁がおかしい数字に続きの文言を読む気力が無くなってしまったのだ。

 ウィンドウを閉じて第一部隊の戦闘能力を確かめると『32499』という表示がされている。今まで被弾をしていない第一部隊でもこの差なのだ。ここまでの差は流石にバグや運営のミスを疑いたくなる。


「流石にアホでしょ、こんなん。どないせいっちゅうね……は?」


 坂本は《大都市B11-k》にいるボス戦用に編成した部隊で何度か突撃してみようか、と考えながらエセ関西弁で愚痴を言っていると、現状に追い打ちをかけるような変化に気が付いた。

 それは画面右下に表示された『行動制限』という文字だった。


 坂本はすぐさま第二部隊から第十部隊までの部隊を操作できるか確かめた。


「……他のマップを見れない……他の部隊は使えないみたいだし、どうすりゃいいんだよ」


 実は坂本はこの手のやり方に覚えがあった。

 前回のイベントの最終ステージも同じギミックで、行動制限によって一部隊での防衛を強要されたのだ。坂本はそのとき、他の部隊を撤退して《拠点》に設置するというゲーム的なやり方で敵を倒した。この方法なら強力な部隊を使うことができたので、何度かやり直すことになったがクリアできた。


 だが、他の部隊に干渉しようとして他のマップを開こうとすると『通信妨害を受けています』と表示されるだけで何もできないのだ。


「第一部隊で《拠点》を守る……?いっそ懐かしいな」


 坂本はいつから第一部隊が戦闘力不足になったのか思いを巡らせながら、『ターン終了』のボタンを押す。


 坂本はボスが第一部隊に突撃して来るのを黙って見ていた。




 坂本は天井をぼぅっと見つめて、何を考えるでもなく呆けていた。

 結局あの《ダニエル》というボスには勝つどころかそのHPを半分も削ることが出来なかった。

 第一部隊には貫通出来ない装甲を持ち、火力は低いものの命中精度と連射力に優れた攻撃が回避盾しかいない第一部隊の前衛を崩し、回避できない全体攻撃で後衛にもダメージをばら撒く。

 相性もそうだが、他の部隊でも勝ち目のない戦いになっただろうと思わせる強さだった。



 坂本はふと、スマホの画面に目を落とす。既にゲームのタスクは閉じられ、『アンインストールしますか?』という確認の文字が並んでいた。


 あとひと月もしないうちに再評価試験、つまり年に一度しかない再試がやってくる。担任の先生曰く、全ての問題は今までのテストからそのまま抜き出して使うらしい。これから対策をしっかりすればいいし、優しい担任の先生が講義まで取り付けてくれた。

 『留年』という単語にショックを受けていたが、思うほど留年回避は難しくない。



――消さなくても何とかなる、けど……。



 しかし、そろそろ2年もお世話になる先生の顔が彼の背中を押した。坂本はもう、あの顔を思い出すだけでゲームなんかには集中できないのだ。



「よし」



 坂本は、1年半以上続けたゲームをアンインストールし、SNSのアカウントすら葬った。

 そして、テスト前以外で初めて自室の机に向かって、既に再試が確定している物理の教科書を引っ張り出す。

 その次にやることは友人に電話をかけることである。やる気を出すためではない。「これからは勉強をする!」と決意を伝えるわけでもない。テスト範囲がわからないだけだ。

 友人は驚きや疑問、喜びも飲み込んで、手短にテスト範囲を伝える。ここ一年間すべてのテストの範囲である。



 坂本はそれから、気が済むまで勉強をした。


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