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09.女難な男

「急にどうしたの?」


 急に議題について意見を述べろと迫ってきた佐竹に尋ねれば、だって、毎回皆の意見をまとめるだけでしょう、そんなの寝てても出来ますとあっさりした調子で返される。

 会議室に笑い声のさざめきが起きる。


「一年の時から委員長のベテランでしょう? たまにはお手本見せてください」


 しれっと冗談めかした物言いで攻めてくる。これは相当機嫌が悪い。

 たしかに三橋君はベテランだもんね、三橋は本の虫だしな……と二年生の列から聞こえてくる。

 誰も佐竹が、悪意とまではいかなくてもかなり意地の悪い気分で俺に突っかかっているなんて考えもしていない。


「心無い委員長」


 二年生の列でどっと笑いが沸き起こり、一年生達がきょとんと不思議そうに顔を見合わせてから俺と二年生の面々を交互に見る。

 やれやれと俺は諦念の溜息を吐き出すと頬杖から顔を上げて頭を軽く振った。

 心無い委員長。

 時折、佐竹は、淡々と必要最低限の役目だけこなして委員を放置する俺のことを、好意もないまま佐竹の求めに応じて付き合ったニュアンスも仄かに匂わせてそう呼ぶ。

 佐竹と俺の関係を知っている人間は三田村と桟田だけだ。

 心無い委員長。

 その呼び方を三田村に話した時、奴は膝を打って腹を抱えて笑いながら、佐竹も言うなあぴったりだとコメントした。

 三田村と桟田以外の人間は、俺に仕事をいいように押し付けられている不満とついそれに応えてしまうことへの諦めを含んだ言葉だと捉えている。


「わかったよ」


 ここで適当に流したら他の委員の反感を買うだけだ。図書委員の仕事を切り回している実質の委員長は佐竹なのだから。

 図書委員は皆、面倒見の良い佐竹の味方だ。


「副委員長がそう言うなら」


 言いながら手元に置いたまま一文字も読んでいなかった議題が印刷された書類を手にとって目を落とした。

 いくら委員顧問である桟田の介入があるとはいえ、軋轢なしに第一図書室専任でいるには副委員長の佐竹の協力が必要だった。

 佐竹が認識しているのかどうかは知らないが、付き合う付き合わない以前に図書委員という組織の中で俺の佐竹に対する依存度は高い。


「まあ、確かに……時流に乗った強気の申請だな、これは」


 書類に科学部が要請した書籍名と本の寸法、金額が並んでいる。

 大判フルカラーの色見本帖を含んだ、染色に関する専門書が十数冊。

 どんなきっかけでそんな研究テーマに取り組んだのか知らないが、科学部は前年度から草木染における成分分析と化学反応の実験と検証を繰り返し、最近、その研究成果を評価した協力大学の教授を通し文部科学省から表彰を受けたばかりで新聞にも載り、協力大学との本格的な共同研究にまで進展していた。

 時流とはそのことを指しての言葉だった。

 専門書だけにそれぞれ結構いい値段が付いている本ばかりで冊数も多い。

 申請を承認するか却下するか、却下するとしたら科学部に対しどのように返答するかが議題だった。


「特にこの大判の色見本帖、一冊で5万円もする。他の本も含めたら大体10万円くらいか……どうしようかな?」

「いくら表彰されたからって、一つの部だけに特別扱いは出来ないと思います」


 議事録を取っている書記係である二年の女子が顔を上げて、首を傾げた俺を非難するように言った。確かに年間予算に対する割合から見ても一つの部のために掛ける金額としては大きすぎた。

 画集という本の性質上どうしても使う予算が高額になりがちな美術部ですらせいぜい年間3、4万円弱なのだ。

 ちらりと佐竹へ視線を向ければ、議事録係に詰められた俺に対してどうするのといった澄ました横顔で書類に目を落としている。やはり機嫌が悪い。

 委員会に身が入っていなかっただけではここまで機嫌を損ねない。

 他に理由になりそうなことを考えたが委員会の仕事では思い当たらず、やはり玲子と付き合い始めたことが絡んでいるように思われたが、昨年末に別れてからもう半年近く経っている。

 別れた後、佐竹は特に普段と変わりなく後腐れの無い様子でいたし、俺が別の人間と付き合うことで機嫌を損ねるには少し時間が経ちすぎている。

 そもそも、もういいもう十分だと突然、別れを切り出してきたのは佐竹だ。

 付き合う時に断る理由がなかったのと同じく、思い詰めた様子でそう言った佐竹を無理に引き止める理由も、俺の側にはなかった。


「他の部だって黙っちゃいませんよ、特に美術部とか」

「でも蔵書の中では手薄な分野で、科学部だけの利用に限定されない。資料としては芸術コースや家庭科の先生方も使いそうかな。それに実績を出している上で必要とする書籍として要望の申請を上げてきていることは考慮すべきだと思う」

「結論を先に言え、三橋」


 遠く正面からやや枯れた、乱暴な調子の声が掛かった。

 見ればロの字に並べた机の対岸に委員顧問として出席している桟田が、退屈そうな面持ちで右肘を机に掛け脚を組み、窓へと横向きに座っていた。

 左手が所在なさげに上着の胸ポケットの縁をなぞっている。

 さっさと委員会を終わらせて煙草を吸わせろと言いたいのだろう。

 いまの議題が本日最後の議題だった。


「わかっているなら桟田先生がまとめてください、俺を委員長に指名した時みたいに」

「生徒の自主性と自律精神を育むのがこの学校の方針だ」 


 まるで煙草を咥えている時みたいに、軽く下唇を噛むようにひっそりとした笑みを桟田は浮かべた。

 頭の中では別のことを考えながら口ではもっともらしいことを言う。 

 大人の相手をする時にたまにすることだが、桟田はそういった時の俺をよく見抜き、面倒臭い奴だと茶々を入れてくる。


「委員長」


 先を促す佐竹の涼しい声が聞こえて、俺は手にした書類を机に置くととんとんと人差し指で表面を叩いた。

 皆がいっせいに各自の手元を見る。


「一緒に申請している他の本、合計すれば色見本帖とほぼ同額だ。どちらか科学部に選択させる。別に申請された内容全部を承認もしくは却下しなくてもいいだろ」

「つまり保留? 再申請?」


 一年の真ん中辺りに座っているショートカットの女子がそう首を傾げたのに頷いて応じる。


「それでも一つの部に使う予算としては大きいけれど、実績に対してということで。だから今回限り。他に意見か質問は?」


 特になにも言う者はいなかった。再び頬杖をついて隣の佐竹を見て苦笑した。


「俺の意見で終わってしまったみたいだ。副委員長は?」

「委員長の意見で妥当だと思います。では、科学部にはそのように伝えて再申請してもらうことでいいですか?」


 佐竹の問いかけに図書委員全員が頷く。


「では、解散」


 俺の言葉に、ガタガタと皆が立ち上がり書類やペンなどを手早く片付け、なにか話しながら会議室を後にしていく。

 一番早く廊下へと出ていったのは桟田だった。各階に申し訳程度に作られている喫煙室に行くのだろう。皆が出ていって俺と佐竹が残った。


「帰らないの?」


 ぐずぐずと残って書類を読み直している佐竹に声を掛けながら、書記係が残していった議事録の文字に目を走らせる。

 名目ばかりの委員長とはいえサインして桟田に回すのは俺の仕事で、桟田は回した書類をノーチェックで押印して生徒会に渡す顧問だから一応確認しておく必要がある。

 それに会議室の鍵は桟田が持っていた。

 喫煙室で一服したら戻ってくるだろうから、議事録を渡すために待つつもりでいた。


「委員長こそ帰らないの? 本條さんは?」

「さあ、もう帰ったんじゃないかな? 俺は議事録にサインしないといけないから」


 用事がなければ真っ直ぐ帰宅しそうだと想像しながら答える。

 そうではないかもしれないが部活も委員会にも所属していない玲子が、放課後残ってすることなど想像もつかない。


「いつもああやって、ちゃんとしてくれればいいのに」


 鞄を机に置いて、佐竹はぼやいた。

 話題が帰ることから飛んだのですぐに反応できなかったが、さっきの委員会かと理解して苦笑する。 


「しっかりした副委員長がいるからね」

「しっかりなんかしてないっ!」


 ガタンと乱暴に椅子を鳴らした佐竹の、立ち上がる勢いと少し張り詰めた物言いに驚いて彼女を見上げる。

 考え事をしていたのを中断された時と同じく、きりきりと眉を吊り上げ心なしか頬を紅潮させている。


「機嫌が悪いな、なにかあった?」

「別になにも、心無い委員長が気にするようなことは」

「仕事押し付け過ぎてるなら、謝るよ。そっちの事は甘えて放ったらかしだから。手が足りていないなら……」

「いいわ、別に。こっちは13人だもの足りてる」

「そう? なら、いいけど」


 議事録の確認者欄に三橋洋介と記入し、筆記具と書類を一つにまとめ、足元に置いていた鞄を取り上げるために腕を下に伸ばして身を屈めれば、帰るわ委員長と曲げた背に声が落ちた。

 ああ、と返事しながら鞄を手に身を起こして机にまとめた物を収め、会議室の出入口に気配を感じて顔を上げれば、佐竹がドアを半分開けて斜めにこちら向いて留まって俺を見ている。


「なに?」

「もういいって言ったら、本当にもういいのよね……止めもしない。本條さん、一年の時同じクラスだったの。いい人なんだからちゃんと付き合ってあげて」

「そのつもりだけど?」

「ならいいけどっ」


 まるで捨て台詞のようにそう言って、勢いよく背を向け早足に佐竹は去っていった。

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