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08.呪いの精度

 もしも噂が本当であるのなら、玲子の『呪い』の精度はかなりのものだ。

 玲子に言い寄り付き合おうとする男達は、それなりに人より秀でた彼らの得意とすることや好きなことで災難に見舞われている。

 自分から言い寄ったわけではないが、断る理由が特に見当たらないという理由で玲子と現在付き合っている俺にとって、該当するものといえば読書だ。

 今日は玲子と特になにか約束しているわけではなかったが、しかし『呪い』の効力は続いているようで、昼休みは佐竹が新入生の図書委員を委員会前に見学だと言って第一図書室に連れてやってきた。

 放課後は月一回の委員会の日だった。

 明日は取り壊し工事を行う業者が一日計測作業に入るとかで、木造校舎は終日立ち入り禁止のお達しが届いている。


 玲子と付き合い始めて三日目。

 その間、読みかけの横光利一は続きの一ページを読み進めるどころか、本を開くことすらできていない状態だった。

 第一図書室の本を持ち出さないこと、他の生徒のように借りることも不可。

 これは桟田と俺との間で結んだ取り決めの一つであった。

 本来なら閉じておくはずだった公の場所を一人の学生がほぼ占有し、開館日と閉館時間を個人の都合で自由にしていいことへのペナルティだった。

 委員会もある、試験期間もある、家やごく個人的な用事もたまには入る、体調だって崩す時もあるだろう。

 いくら本人がその気でいても一人で毎日下校時刻まできっちり開放する義務の遂行はおよそ不可能で、そんな事をさせるわけにもいかないというのが桟田の主張であり、それはその通りだった。

 物事の正負のバランスとでもいうのか、権利と義務、なにか便宜を計るためのその代償などといったことに関して、桟田は神経質過ぎるほどきっちりしている。


 桟田に玲子のことを聞いてみようか……ちらりとそんなことが頭をよぎったが、あの男のことだ得るものがあれば失うものもあるの一言であしらうに決まっている。 

 得るものか――。

 果たして学内の人間、特に男共が考えるように俺は玲子を得ていると言えるのだろうか。

 玲子は常時送り迎えをしなくても機嫌を損ねない少女だった。

 お嬢様らしく複数のお稽古事や家の用事も時折あるらしく、俺は俺で第一図書室を下校時間まで可能な限り開放する義務がある。

 とりあえず今朝、朝は一緒に登校し、その日の都合を互いに教え合うということで双方合意した。

 提案したのは玲子で、昨日、中途半端な時間で図書室を閉めて送ったことが気がかりだったらしい。無理に下校時刻を合わせなくていいと言った。

 玲子は理系クラス、俺は文系クラスで授業も異なる。

 選択授業や合同授業で一緒になることはまず有り得ない。

 そもそも三組と七組ではクラスが離れ過ぎていて、授業と授業の合間も中途半端に互いの時間を浪費するだけだ。校内イベントでクラス同士が組むこともないだろう。

 つまり学校内では玲子が昼休みか放課後に第一図書室を訪ねてこない限り、一緒に時間を過ごすのはほぼ不可能だった。

 休日に校外で会っても構わないが、玲子が休日について言及することはとりあえずこの三日間の内では一度もなかった。

 俺の側だけでいえば深夜も選択肢に入るが、玲子はおそらく思いつきもしないだろう。

 本人に対し恋愛感情はないと最初に告げ、成り行きで付き合っているような側から言えたことではないけれど、本当にそれで付き合っているといえるのかと疑問に思える玲子の淡白さだった。

 女性は言葉ではそうではないと言っても男を占有しようとするものだと思っていた俺としては、玲子との付き合いはかなり拍子抜けで、そんなふうに拍子抜けている自分が妙だった。

 自惚れではなく彼女から告白してきたといった事実として、玲子は俺に対して恋愛感情があるはずで、しかし玲子の淡白さにそれでいいのかなどと気に掛かっていては、まるで役回りがあべこべである。

 また双方の感情や付き合いの深さに関わらず、俺の読書がなにかしらによって阻まれている現象はしっかり続いているのだった。

 仮に『呪い』が本物だったにせよ、対象範囲が読書だけに怪我をするとか病気になるとか受験に失敗するとかいった危険はなさそうではあるが。

 そこまで考えて、気がついた。

 校内では第一図書室に俺がいる時間に玲子が俺に会いに来るしか接点が持てない。それはつまり、訪ねてきた玲子と時間を過ごそうとすれば必然的に本を読むことができない。

 まさに『呪い』のような構造に陥っている。なんということだ。



「――てことで、委員長!」 

「ん?」


 どうやら俺を呼んでいるらしい声に玲子の呪いについての考えていたのを中断し、頬杖をついたまま声がした方向へと視線を向ければきりきりと眉を吊り上げている佐竹の顔があった。


「聞いてました? 委員長?」


 そうだった。

 あらためて周囲に目を向ければ可動式の会議机をロの字型に並べ、俺と佐竹を除いて12名の一年から二年の各クラスの図書委員が席につき、佐竹と俺の間に生じているやり取りの成り行きを見守っている。

 全員の様子を一瞥で確認できる議長席に、俺は佐竹を隣にして座っていた。


「わかってるよ」


 状況を思い出した俺は隣に座って書類を手にしている佐竹に再度視線を戻し、ついでにいま話している議題がなにか佐竹の手元から盗み見た。

 会議の書類を読む時、間違えないよう字を人差し指でなぞる癖が佐竹にはある。


「科学部からの資料購入要請をどうするかだろ?」

「……聞いていたならいいんです」


 佐竹は気がついていない。

 俺が聞いていたとは答えなかったことに。


「さて」


 俺は佐竹の側の列に並んで座っている新入生を見た。

 俺の学年もそうだが女子の比率が高く7人中男子は3人だった。


「この学校は各委員に任されている裁量がとても大きい。普通は教師が判断しそうなことまで生徒に一任し、組織運営も生徒にほぼ任されている。俺達にとっては迷惑な話だ」


 そう言えば新入生達だけでなく、俺の側の列に座る二年の委員からも忍び笑いが起きた。

 単純な学力だけではない総合的な能力の育成といった名目で、この学校は学内運営のための権限を生徒にかなり大きく委譲していた。

 こんなもっともらしい委員会が毎月定例で開かれるのも、年間百万円以上の図書購入費の采配が生徒に任せられているからだった。

 図書室の書籍リクエストは生徒からだけではない。

 教師達が授業に必要とする資料もあれば、部活動に必要なものもある。

 部活動絡みで図書の要望を出してくるのは文学部や美術部や科学部などの参考資料を必要とする文化系の部が多かったが、たまにスポーツ科学に関する本を運動部が要望してくることもあった。

 図書購入費すべてをリクエストに使えるわけではなく、定期購読している雑誌や新聞、図書館の蔵書として新規購入している書籍だってある。

 要望すべてを聞き入れることは出来ない。そのため毎月リクエストをとりまとめて購入を協議していた。

 決めた内容は委員顧問のチェックを受けて、生徒会に回され決裁を受けて確定となる。


「一年生だからって遠慮はいらないし、よくわからないからと言わずなにか思うことや考えがあるなら意見として述べて欲しい」


 頬杖をついたままの姿勢ではあったが、努めて真面目な口調で静かにそう言えば新入生達は神妙な表情で頷いた。

 佐竹の機嫌を直すにはこんなところか。

 彼女に仕切り倒して貰わないと委員会は面倒なのだ。

 それほど大きなクラス替えは起きないためか、二年生の委員の殆どは一年時と顔ぶれの変わらないメンバーで俺も佐竹も二年目だ。

 そして俺は第一図書室専任で佐竹以外の図書委員とは委員会以外にあまり接点がない。だから委員を実質とりまとめて動かしているのは佐竹だ。

 そもそも委員長の自覚も余り無い。

 立候補者がいないのなら独断と偏見で決めるといって、委員長に一年の俺を指名したのは桟田で、二年になったこの春でも同じことが繰り返された。  

 委譲されている権限が大きいだけに責任も大きい。しかも顧問の指名であれば尚更、それを覆してまで委員長になりたいと主張する生徒などいなかった。

 やれやれと息を吐くと、隣で佐竹が口元に微かな笑みを浮かべるのが見えた。

 あとは彼女に任せておけばいい……そう思ったが、甘かった。

 どうやら佐竹は随分と虫の居所が悪いらしい。

 いつものように、では意見のある人はお願いしますと言って妙な雰囲気で沈黙し俺へと顔を向けた。


「――たまには委員長の意見も先に聞かせてもらえます?」


 いまの状況と玲子にはまったく関連性がない……こともないような気もしないではないが、直接的には関係はない。

 それでも、噂が念頭にあるとついちらりとそのことを考えてしまう。

 なるほど、こうしてちょっとした災難の積み重ねが全部彼女の噂へと集約していくわけか。

 にっこりと冷ややかな笑みを浮かべている佐竹の顔を見ながら、玲子が俺に告白してきた時に見せたしゅんと肩を落とした姿をなんとなく思い出していた。

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