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05.呼び出し

「みぃぃぃつぅぅぅはぁぁぁしぃぃぃっ!! この裏切り者ォォォ!!」


 心底退屈な授業を至極事務的機械的にやり過ごし、ようやく迎えた放課後。

 いつもの場所、いつもの椅子、いつもの姿勢に落ち着き、しおりを挟んで事務机の引き出しに入れておいた本を抱え開こうとしたまさに時だった。

 騒がしい足音と共に咆哮ほうこうしながら第一図書室を襲来した悪友に溜息を吐き、本を膝の上に置く。


「酒場でのアルバイトがばれたのならリーク先は俺じゃない、他を当たってくれ」


 制服着用の他は大抵の事が自由なゆるい規則の学校でも、さすがに夜のアルバイトはとがめられる。

 そもそも22時以降に夜の繁華街をうろつくのは条例違反で補導の対象だ。

 表面が擦れて木目の浮いた貸出カウンターに乗せた俺のかかとを挟むように両手をつき、俺の膝まで上体を乗り出して凄んできた悪友にはすに目線だけを送ると、そうじゃないっとカウンターを叩く音と共に返された。


「本條玲子だよっ、本條玲子!!」

「ああ」

「ああ、じゃないっ!!」


 生まれつきの明るい髪色の短髪に、目も輪郭も三角形でぎすぎすした痩せ型なのに、骨格だけはがっしりした体つき。

 夜に酒場でアルバイトをしていることを除けば、性格および素行は実に真面目で品行方正な悪友なのだが、見た目で大きく損をしている。

 映画などで“狂犬”とでも呼ばれる役どころのチンピラヤクザのような容貌。

 アルバイトのために夜の繁華街に出入りしているため、本当にいかがわしいことに手を染めていると思っている生徒も多い。

 いまの興奮した様子なら、制服姿でもチンピラヤクザに見えるかもしれないなと、自分達の他に人はいない第一図書室全体に響く声でわめく悪友を見ながら胸の内でひとりごちた。


「昨日、付き合うことになった」


 淡々と事実だけ報告すれば、急に脱力してカウンターに被さるように項垂うなだれる。


「どうしてお前ばっかりそうっ、なんでだよっ、理由は? お前どっかでなにかした?」

「俺のせいじゃないし、いまのところ不明だ。佐々木むつみはどうしたんだ?」


 さすがは本條玲子の噂を話して聞かせてくれた本人だけあって、迷惑千万な食い下がりぶりだ。

 れた気分で手にした本の背表紙を指で軽く叩きながら、悪友の恋人について尋ねた俺はもう一度深い溜息を吐いた。


「それとこれとは話が別! あのな、天然記念物クラスの美少女というのは、実際の天然記念物と一緒で皆で等しく大切に愛でるものなの。占有は犯罪だ」

「犯罪ね」


 おそらくそれが彼女の噂を囁く男子生徒の全般的な見解なのだろう。

 どうりで今日一日、やけに敵愾心に満ちた視線を感じて過ごしたわけだ。

 本條玲子の人権的にそれはどうなんだと思いながら、だが、俺にとってはそんなことよりも悪友に黙ってもらうことのほうが重要だった。


「どうでもいいが昨日から中断されたままの読書をな、再開するのを寸止めされて迷惑していることに気が付いてくれないか、三田村。玲子は前科一犯だが、お前は前科複数犯だろ。これ以上罪を重ねるのは止めろ」


 ここにきてはじめて悪友の名を呼んでその罪を突きつけてやれば、項垂れたまま三田村は自棄やけ気味に言葉にならない声を上げて頭を振った。


「すでに呼び捨てかよ」

「本條という苗字より名前で呼んでほしいと言われた」


 椅子の肘掛に両肘を張って片一方で頬杖をつきながら答えれば、俺とそう変わらない身長の三田村は諦めたような溜息を吐き出し、丸めた背中を向けてカウンターの上に座り込む。


「昨日からって昼は? そういやここも閉めてたな」

「昼も来たのか」

「事の次第を聞いてやろうと思ってな」

「尋問してやろうだろ。昼は第二図書室にいた、副委員長の佐竹に呼ばれて」


 言いながら昼休みの出来事と、髪を固く結い上げた佐竹の姿を思い返す。

 丁度、この第一図書室の鍵を開けようとして、彼女のクラスメイトに呼び止められた。

 昼の当番中に確認したいことがあるといった伝言に、副委員長として図書委員の仕事全般を取り仕切っている彼女の用件なら余程大事なのだろうと、例の横光利一が気にかかりながら第二図書室に向かった。

 第一図書室を重要視しているのは、ほとんど私室として扱う俺一人。

 閉まっていても正直支障はない。

 ところが行ってみると、佐竹の用件は別段急ぎと思えるものでもなかった。



*****



「困るの。いくら新しい書庫が広いからって、無駄に蔵書を増やさないで頂戴」


 途中経過の仕分けリストをクリーム色の合板製で表面も滑らかな貸出カウンターの上に載せながら、いかにもしっかり者な口調で佐竹はそう言った。


「ここと、ここ……あとこの全集も、第二図書室にある。こっちのは全部移すんだから」

「ルブランの作品集。これは訳者が違う」


 差し出されたリストを手にとって、カウンターに背を預け佐竹と斜向かいになる格好で指摘された箇所に目を落として説明する。


「第二図書室にあるのは1980年代に発行された偕成社版だろ? こっちにあるのはもっと前、新潮が出した堀口大学訳だ。いまも文庫で手に入るけど置いといて損はないかな……それと」


 カウンターから伸びてきた細い腕がさっと手元からリストを奪っていったのに、少々面食らってカウンターの佐竹を見下ろすと別の書類を突きつけられる。


「次、こっち」

「なに、もういいの?」

「選定の方針がわかればいいの。資料価値を考慮してってことでしょ」


 個人的に読み返したいと思う本も混ざっていたが、知れば真面目な彼女から説教されるのはわかりきったことなので苦笑で誤魔化し黙っておいた。


「昼休みは短いの、早く見て」

「リクエスト図書のリスト? 次の委員会の前日でも……」

「最近、数が増えてるの。新しい図書室ができるのを見越して。だから先に見て意見聞かせて」

「流行図書なら、君のが詳しいと思うけどね」


 手渡されたリストに並んだタイトルを眺めながらそう言えば、椅子がきいっと軋む音がして佐竹は図書館システムが入っているパソコンのモニタに向き直った。

 紙のカードに手書きの第一図書室と違い、第二図書室の本はバーコード管理で書誌情報や貸出履歴などが記録されている。


「あいかわらず、家では読まないんだ」


 不意に、図書委員の中では佐竹しか知らない話を持ちかけられた。

 周囲の人間は皆、俺が学校でも家でも、空いている時間は始終本を片手に過ごしていると思っているようだったが、実際には学校にいる間しか好きに本は読めない。


「まあね、家はなかなか。特にいまは」

「本條さんという新しい彼女も出来たことだし?」


 ピッ、ピッ、と返却図書のバーコードを読み取ってはパソコンのキーボードで処理コードをタイピングしつつ、俺の言葉尻を見当違いな方向に繋げた佐竹におやとリストから顔を上げる。


「今朝から学校中、その話で持ちきり」


 モニタを見ながらまるで機械の様に動かす手を止めることない佐竹の言葉に、やれやれとリストの二枚目を開く。


「早いな、さすがに。そうじゃない、定演会が近いから家中ピリピリしているだけだよ。内弟子指導の手伝いに容赦なく駆り出される」

「三橋流筝曲の次期家元なら当然でしょ」

「継がないよ、目下、抵抗中だ。教えるのは向いていないし、政治的に立ち回るのはもっと苦手だと訴えている。そもそも俺は我流だし」

「……手、怪我したりして」


 そろりと潜めた声で呟かれたのに、玲子の噂を気にするのは男共だけではなかったかと軽く笑えば、タンッと乱暴にキーを叩く音がカウンターの中で響いた。

 見れば体は横を向いたまま腕を組んだ佐竹がこちらへ顔だけ向けてにらんでいる。

 丸くて涙袋がふっくらしている目で睨まれてもどこか愛嬌があった。


「笑い事!?」

「仮説によると、こっちから言い寄ったわけではないから大丈夫らしい」

「なによそれ。じゃあ、やっぱり本條さんから?」

「理由は聞いていない、いきさつとしては一緒だよ」


 リストを返しながら目を細めて答えれば、受け取った佐竹は顔を背けるようにモニターに向き直った。

 俺が渡した紙を両手にしたまま作業を再開する様子がない。きっちり几帳面に結い上げている髪が目に留まった。

 ピンで固くまとめられているのを下ろせば柔らかな猫っ毛で、汗に濡れれば綺麗な頭の形にぺたりと添うことを知っていた。


「そっちが本当の用件?」

「たまたま話の流れ。委員長としてはどう?」

「別に問題無いよ、予算もあるし。この調子であと半年、適当に配分してくれれば」

「丸投げじゃない。どうしてそんなに第一図書室ばっかりなの」

「静かだから。用事はこれだけ?」

「そうよ。ご足労いただきありがとうございました、委員長」


 ピッ、ピッ、と再び鳴り始めた電子音に肩をすくめて、カウンターの端に置かれたデジタル時計を見る。

 第一図書室に戻って丁度チャイムが鳴りそうな時刻だった。

 横光利一は放課後までお預けかと耳元まで伸びてきた髪を掴むようにかき上げ、第二図書室を去ろうとした俺にぼそりと佐竹が呟いた。


「本條さん、すごくいい人よ。心無い委員長と違って」


 皮肉のつもりではないのはわかっているので聞き流し、第二図書室を出る。

 昨年末、5ヶ月の付き合いに別れを切り出したのは彼女だ。長く続いた方だった。



*****



「元カノの呼び出しか?」


 三田村の声に回想から我に返り、こちらを振り返って見ているにやにやした表情に首を横に振った。


「そうじゃない。新校舎に移すここの本と新しく購入する本のリストを当番中に見てくれって」

「口実だろ」

「……かもしれない。それより、三田村」


 さすがにこう何度も偶然が重なれば涌き上ってくる疑念を、中学からの付き合いの悪友にぶつけてみようかと頬杖から頭をはずして三田村を視界に捉え直すと、なにか察したのかにやにやをひっこめて三田村は表情をあらためた。


「昨日は委員顧問の桟田、昼は佐竹、そしていまはお前だ。読みかけの本を読もうとする度に邪魔が入る。どう思う?」

「おいおい、それって」


 嘘だろうと三田村がこちらに身を乗り出してかけた時、第一図書室の、錆の浮いた金属製のドアががらりと開く音がした。


「ごめんね、三橋くん! ホームルームの……あと、日直でっ、手伝わされちゃって……」

「あ、本條玲子」


 間抜けな響きの三田村の呟きをおかしく思いながら、息を切らせて図書室に入ってきた玲子を片手を挙げて俺は迎えた。

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