12.亜麻色の髪の乙女
ピイイン――。
月光だけを照明にした薄暗い離れの稽古場にピンと張った絃の音が響く。
祖父が住んでいたころは粋人仲間を集める広間を兼ねていた稽古場は、離れの東側角に八畳間を縦に二間並べるように構え、続き間にした部屋の二辺が庭に面していた。
硝子戸によって外と内を隔てている縁廊下へと出る障子をすべて開け放てば、月の光を室内へ取り入れられる。
今夜は薄曇りで、明るく光る月に時折薄い雲がすうっと流れては影を落としていく。
庭の中で一番広く幅を取っている部分に据えられた建物なので、室内から近所の家は庭木に遮られて見えず、水墨画のような濃淡による夜空と木々が見えるだけだった。
そんな部屋だからかつては観月会なんかもやっていたらしい。
母屋には叔父や内弟子が使うもう少し手頃な広さの稽古場があり、別棟に音響を完全に配慮した通いの門下生の為の正式な稽古場もあったが、複数の人間が使うのでどことなく雑然とした空気が漂っているし、母屋は完全に建物の内側で中庭が少し見える程度であり、別棟は表玄関のすぐ近くにあるので母屋の建物か正門を眺めるばかりだ。
だから俺が使うのは専ら離れの稽古場だった、小学生の頃に亡くなった父から受け継いだといえば稽古場と愛用の箏くらいのものだ。
父は俺に稽古はつけなかった。
つけなかったというより好きにさせろと言ってくれていた。
日中、俺の家に三田村とやって来た玲子は、彼が期待するほどのリアクションを残念ながら見せなかった。
内弟子の出迎えにも平然と礼儀正しく応じ、三田村は流石はお嬢様と玲子に聞こえない小声で感心していた。
確かに真正面から俺の家を訪ねて、平然といられた同年代の者は少ない。
佐竹も来た事は二三度あったが、彼女は俺の部屋に近い勝手口から入っていた。
祖父が母屋と廊下でつなぐように増築した離れ、広間を兼ねた稽古場と客間二室の全部が俺の部屋だったが、玲子と三田村は始終母屋の居間にいて、たぶん叔父がどこかで貰ってきたものらしき菓子を食べながらとりとめのないおしゃべりをするだけで帰っていった。
俺達を迎え、二人の荷物を預かった内弟子以外はすぐ母屋の稽古場へと戻り、やがて箏の音が居間にまで聞こえ始め、ふとその音に気が付いたように出した茶の茶椀を口元から離して、ようやく玲子は俺の家について尋ねた。
どうやら見てみたかった“大きな家”を実際に目にして満足し、大きい家に住んでいるのだなとそれ以上は特になにも疑問も持っていなかったらしい。
そういったところは三田村が呟くように、重要文化財級の洋館に住んでいるお嬢様らしい感覚に思えた。
そんな日中のことを考えながら琴柱の位置を調節して、また絃を弾く……ああ、いい響きだ、そう思った。
今夜は機嫌がいい。
いつも通りに六段をやって、一休みして最初の一音を鳴らす。
ピイィィン……。
音が自然に消えそうになるまで軽く揺らして響かせ、両手を十三本の絃の上で動かし始める。ゆったりしたテンポの曲なのに左手を結構忙しなく使う。
一オクターブに五音。箏と同じ五音音階。
けれど、西洋音楽だから平調子に合わせた絃とは音が異なる。
違う音を絃を押して合わせる。
弱く押せば半音、強く押せば一音上がる。加えて余韻に音を揺らす揺り色、余韻の音を変えるために音の途中で絃を押したり離したりする押し放し、絃をすばやく突いて一瞬の音を変化させる、突き色……左手の奏法をなかなか駆使させる。しかもいつも弾く曲とはテンポの構成が違う。
もっとも西洋音楽的に見ても違うようだけれど。
sans rigueur ――堅苦しくなく、テンポを自由に動かしながら。
テンポの縛りが無いなんて、一定テンポを保つのが基本の西洋音楽では奏者泣かせな曲だろう。
お言葉に甘えて好きにさせてもらった。
去年の夏、この曲を人前で弾く機会があって、伴奏してくれたピアノ奏者は始め俺と合わせられずに困惑していた。
とはいえ、一度のリハーサルでなんとかなるのだから流石はプロだ……いや、プロの卵だったか?
覚えていない。
だが、人生の大半の時間を音楽の修練に使っているというのはこういう事かと感心させられた。
叔父が客員教授を務める音大の一般公開講座で叔父の代役で弾いた曲。
響く調べは甘く、色どり豊かでうっとりと流れていく。
――おお、“夏の明るい陽を浴び、雲雀とともに愛を歌う、桜桃の唇をした美少女”よ。
突然、斜め後ろから掛かったややおどけた調子っ外れな声に、小節の終わりで手を止めた。
シャラン……と、絃の音が余韻を残す。
とすとすと、畳を踏む足音はやや乱れ気味だ。
千鳥足というほどではないけれど。
機嫌がいいのは箏だけではないらしい、振り返れば上機嫌そうな叔父がいた。洋服を着ていて、きちんとしているがスーツではないところを見ると繁華街の奥で遊んできたのだろう。
繁華街の奥には料亭が立ち並び、座敷に芸者が上がる通りがある。
「クロード・アシル・ドビュッシー“亜麻色の髪の乙女”。珍しい曲弾いてるな」
「おかえりなさい……酔ってますね」
「おお、ただいま。タイムリーだな洋介。丁度、その曲因縁の対決を鈴千代とやって勝ってきたところだ」
そう言って、俺の正面に片膝を立てるようにして叔父は座り込んだ。
やれやれ、酔うと俺の箏を聞きに来る癖をいい加減に治してくれないものだろうか。
少し酔った程度なら気が散ると言えば大人しく母屋に戻ってくれるが、本格的に酔うと動かなくなる。
「因縁って、“こんぴらふねふね”で勝つのに、どれだけ飲まされたんだか」
「まあ、細かい事は気にするな」
「お座敷遊びに白熱して突き指して弾けなくなったとか、今年は無しだから」
去年そのために叔父の代わりに彼の公開講座で弾く羽目になったのだ。
一門の定演会しか基本出ないとしている俺を、表に引っ張り出すための方便としか思えない。方便じゃなければないで、家元としてどうなんだそれはと思う。
「心配するな。今年は私じゃなくてお前ご指名だ」
「は?」
「いやあ、去年の公開講座の評判よくてな。生徒のリクエスト多数で学部長からもぜひにと!」
「ぜひに、じゃない!」
「……そう言うと思ったから、一応返事は保留にしておいた」
二人同時に溜息を吐き出した。
俺は安堵の、叔父は嘆くような溜息だった。
「なあ、洋介……詩織のようにとまでは言わん。けど、折角なんだからもうちょっと表に出てもいいんじゃないか?」
国内外でリサイタルを行い、海外の一流オーケストラと共演もしている叔父の娘、つまりは俺の従妹の名を上げて言われたが、俺にとっては逆効果だ。
「おじ……父さんこそ……」
「別に、無理して呼ばなくていい」
特にこれといった感情の揺れもなく言われて、琴柱の位置を直す振りして軽く斜めに顔を背ける。
父と母はかなり年が離れていた。
父は二度目で、母は初婚。
最初の妻とは子供が出来ないまま死別し、かなり間を空けて母と結婚して出来た俺は、彼の晩年の息子だった。
ちなみにその四年後に妹が生まれた。父は俺と妹どちらも溺愛した。
俺が八歳の時、すでに六十五だった父は他界し、その時、母はまだ四十。
二十五歳差だ。
父に箏を習っていた、代々地方議員を務める家の娘で大恋愛だったそうである。
母が家出同然で父の元に嫁いだために、俺が生まれても母方の家とは絶縁状態だ。
父が亡くなった時、叔父は三十八。
三橋の家において後ろ盾のない母を叔父が気遣い、二人が恋仲になって結婚したのは父が亡くなって三年後のことだ。
叔父が門下で教室を構える前妻と離婚したのは父が亡くなる五年も前だし、離婚当時二歳だった娘は妻側が引き取って、叔父はいまも養育費を払っている。
父が亡くなった後に母が叔父と結婚したなんて言えば複雑な家庭に思われそうだが、全然そんな事はなく、それぞれ後ろ暗いことはなにもない。
しいてあるとするなら娘同然な歳の母を娶った父だろう。軽く犯罪だ。
父と叔父の間には二人の叔母がいて、叔父もまた祖父の晩年に生まれた末っ子で、祖父に溺愛されて育った。
男親に甘やかされて育った者同士、大変気は合うのだが……それでも俺が叔父をいまだに父と呼べないのは、やはり実の父が持つ威厳と音が沁みついているからだった。
仲のいい悪友のような叔父を、父と思って呼ぶには違和感がありすぎた。
それに――。
「俺より、自分の娘に目をかけたらどうですか。詩織は文句無しに一門の奏者の中で活躍しているし、実力もある」
「あいつはだめだ。私と同じく凡庸だからな」
「家元がなに言ってるんだか」
「兄さんが生きていたら、なろうとも思わず回ってくるはずもない役目だ。なあ、洋介……お前はその兄さんが“稽古をつける必要がない”って言った息子なんだぞ」
もう何十回と聞いた台詞にうんざりして俺は溜息を吐いた。
叔父は父の言葉を曲解し、好き勝手やっている俺にばかり構って、一門の奏者として存在感を放っている実の娘を蔑ろにしている。
「正確には“好きにさせとけ、稽古なんか必要ない”。やりたければ習うし、やりたくないなら習わないだろう。家元だった自分の子供であるからといって筝をやる義務はないってだけ」
「あのなあ、洋介。そのつもりなら乳幼児に使い古しとはいえ、自分の箏なんか与えるわけないだろお前の父親が。一門の人間を実力だけで黙らせた、あと数年長く生きてたら人間国宝だってありえたかもしれない人だ」
まさか、それは無いだろうと思ったが、叔父の父に対する尊敬と憧憬の念は並みならぬものがあるので黙っておいた。
母と婚約する時に父の墓前で土下座した人だ。
独り身でいる間はちょろちょろ粋筋の女性と遊ぶ人だったが、父という後ろ盾を失った母を、父の再婚を快く思っていなかった親戚筋や一門の有力者からの圧力から守った。
そこまでされて子供の俺が否やとは言えない。まあ、反対する気もなかったけれど。むしろ夫婦としては父よりお似合いだとすら思っていた。
父と母ではどう見ても親子だったから。
「晩年の息子だから可愛かったんじゃないかな? 叔父さんだってお祖父さんに色々もらっているじゃないですか」
「遅がけに出来た馬鹿息子が可愛いのと、自分を凌ぐ天分を持つ一人息子じゃ全然違うんだよ。なんでわからんかな……お前は」
「叔父さんこそ、どうしてそこまで思い込み激しいんだか」
「まあいい。とにかく弾け、家元命令だ」
「横暴だ……もー寝ないでくださいよ、後で母屋に運ぶの大変なんだから」
「ふん、放っておけばいいだろう」
「朝になって母さんに泣きつくじゃないですか、俺が放置した、継父いじめだって」
母が細かい事にこだわらない人だから冗談で済んでいるものの、まったく悪趣味な叔父である。おかげで父の神経質を受け継いだ妹から、お兄ちゃん最低と蔑みの目で見られているというのに。
「第一、気が散る。一曲弾いたら母屋に帰ってください」
わかった、わかった。兄さんそっくりなんだから……そういって、俺が中断された曲を頭から弾きだすとぴたりと黙って目を閉じる。
箏で弾くドビュッシー。
その時の叔父の公開講座のテーマは確か『西洋音楽にみる東洋的音階』だったか。
叔父は、父の背を追って誰より修練を重ね一門随一の技巧を持つ奏者と認められても、父と自分は違うといって邦楽だけでなく西洋音楽も深く研究し、単に一門だけでなく筝曲界全体に貢献する活動をしている人だ。
いまでは誰もが家元として彼を認めている。
そんな人がろくに稽古もしていない、我流に限りなく近い俺を何故自分の後に据えたがるのか、やっぱり父の息子だからだろうか……迷惑な話だ。
昔から、叔父はこうと思い込むと頑固で手が付けられなかった。
他の人達が認めるわけがないのにと苦笑して、俺も次第に自分の手元から響く音に没頭する。
今夜は本当に音の響きがいい。
うっとりするような余韻の音だ。
かき鳴らす右手でつい絃を慈しんでしまう。
こんなに機嫌がいいと、絹の糸を象牙の琴爪が弾き、しゅっと擦る時の感覚がとても艶かしく思える時がある。
内側で常に響く音を思うまま、思う通りに吸い込んで鳴って……それよりもっとずっと美しく澄んだ歪みのない音があると誘われる。
この楽器との交感がもし失われたら、内側に響く音は吐き出すこともできず行き場を失う。
それは考えたくもない恐ろしい無間地獄だ。
音からは決して逃れられないのだから。