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11.閉館日

「今日、木造校舎入れないんだってね」


 朝の合流場所と決めた本條家の洋館の門柱で挨拶を交わしてすぐそう言った玲子に、黙って俺は頷く。


「第一図書室は閉館?」

「入れないからね」


 ひょこんと前屈み気味に一歩先に跳ねるように進んで振り返って俺を仰ぎ見た玲子に答えれば、そう、と玲子は言って上体を起こした。

 肩甲骨まで伸びた髪の先が背中で跳ね、肩先を滑りさらさらと音を立てるよう揺れる。


「なに?」


 歩き出し、隣に並んだ俺の顔を窺うように見詰めてきた玲子に問いかければ、俺の顔を見たままおずおずと首を竦めるように彼女は口を開く。


「じゃあ、今日も読めないのよね?」


 一瞬の間を置いて、玲子が読みかけのままになっている本のことを言っているのだと理解して、ああ、と苦笑した。

 ここ二三日慌しくて、少し忘れかけていた。


「そうだな、これで四日目?」


 まだ四日目なのか、と玲子に言った言葉を反芻する。

 玲子が現れてから休み時間と放課後の度に何事かがあるため、もう一週間以上経っているような気分でいた。


「……ごめんね」


 告白してきた日に俺が桟田に呼び出された時のように項垂れて、玲子がぽそりと呟いたのに、艶々した玲子の頭を子供にするように撫でた。

 俺と並んだ時の高さといい、位置といい、つるんと天使の輪のように艶が広がっている見た目といい、玲子の頭はなんだかつい手を伸ばしたくなる感じなのだ。


「君とは関係ない理由だし。それとも君は天才的な策士家で、他人が俺の読書の邪魔をする動きを取る様に仕向けてる?」


 俺が撫でた部分を片手で押さえ、ふるふると玲子は首を横に振った。


「なら、謝る必要ない」

「うん。三橋くんって……時々、思いもつかないこと言うね」

「探偵小説好きみたいだから、そういう可能性もあるかなと」

「うーん……たぶんないと思う」


 歩きながらしばし自分の事を省みるように唸って、思い当たる事は無かった様子でにっこりと答えた玲子に、一応、可能性を考えてみるんだなと俺は思った。

 また、否定しなかったところをみると、やはり玲子は探偵小説が好きなようだった。


「久生十蘭は読み終わった?」

「ええ、でも読み返してるの」

「なにか気に入った短編があった?」


 尋ねれば、玲子は嬉しそうに頷いた。

 あんまり嬉しそうだったので思わずつられて目を細めてしまった。

 俺が本を読めないことを気にしつつ、自分は自分で楽しんでいる。

 人によっては身勝手と捉えるかもしれない、玲子の朗らかさは憎めない美点だと考える。

 因果関係もはっきりしないのに、変に卑屈になって気遣われても気が滅入るだけだ。


「そういえば、三橋くんはなにを読んでいるの?」

「横光利一の“春は馬車に乗って”」

「可愛い題名ね」


 作者と題名を告げれば、玲子はどうやら俺の読んでいる本についてはなにも知らない様子で、作者より先に題名に反応した。

 たしかに題名だけ聞けばなんとなく牧歌的でかわいらしく思えるかもしれない。

 その内容は肺を病んだ妻と彼女を看病する夫の夫婦間の愛憎入り混じる応酬が淡々と綴られているものなのだけれど。題名はラストにかかってくるのだ。


「そうだな……復刻全集の一冊で、装丁もちょっと可愛いらしい。外箱にロバが引く馬車のシルエットの絵とかあって」


 どんな話と聞かれて答えたら困惑しそうなので、苦笑しながら本の外見について話して聞かせれば、玲子は興味深そうな表情をして見せたので今度見せるよと約束する。


「明日は読めるといいね」

「まったくだ。どうもここ二三日、密度が濃いからそろそろ落ち着きたい」

「密度?」

「毎日、色々と……新入生とか、委員会とか」


 学校前の道路に出る、だらだらと緩やかにカーブする住宅地の道を歩きながら、右手で顎を掴むようにしてここ二三日の出来事を思い返す。

 ちらりと委員会を終えて会議室を去った佐竹の顔が頭を過って消えた。


「昨日は委員会だったのよね。どうだった?」

「どうって?」

「無事終わった?」

「終わっていなかったら、まだ会議室にいるよ」


 そうね、となにがおかしいのかくすくすと玲子が笑う。

 まだ四日目だが、四日ともなにか玲子は楽しそうに見えた。

 いつもそうなのか、たまたまそうなのか、それとも俺と付き合い始めた事が多少影響しているのかはわからない。

玲子とちゃんと付き合え、か。

根拠のない俺の一方的な印象だが、俺と付き合う事とは関係なく、いつも玲子は楽しそうでいるような気がした。

短い期間の間で、溜息吐いたり、怒ったりといった様子を見たが、そういった時でも何故か玲子は底に暗いものが感じられない。


「放課後、なにか用事ある?」


 学校前の道に差し掛かり、ふと玲子の横顔を見て尋ねてみた。

 俺の言葉に彼女は首を傾げる。

 今日は生徒が最も多くなる時間帯を避けていたので並んで歩いている。玲子はまるで機械が演算処理でもしているように、数秒ほど無表情に沈黙して、ううん特にはと答えた。


「どこか行く? 第一図書室は閉館だし」


 たとえ第一図書室を開ける必要が無くても、新校舎完成が迫ってきているため、第二図書室と蔵書リストを突き合わせる仕事があるにはあるのだが、昼休みの内にやってしまえばいい。

 第二図書室はデーターベース化されているため作業は大した手間ではなかったし、まだ四日目とはいえ、こうして朝一緒に登校するだけの付き合いなので、互いに放課後の都合がつくなら玲子と街をぶらついてみるのも悪くないように思えた。


「あ、じゃあ……あ、やっぱり急かな……うーん」


 急になにか思いついたように大きく目を見開いて、すぐまた思い直したように考え込んだ玲子を怪訝そうに眺める。


「なに?」

「あのね」


 言いさして、また口を閉ざしてしまう玲子に首を傾げれば、ガードレールを隔てた車道を自転車の大群が歩くのと変わらない速度でのろのろと停滞しているのが見えた。

 おそらくは、自転車置場の入口がつかえて渋滞になっているのだろう。


「三橋くんの……お家……」


 ぽつりぽつりと(こぼ)れるような玲子の言葉に、そんなことかと思った。

 そういえば、俺は玲子の家を知っていて毎朝門まで訪ねているのに、玲子は俺の家を知らない。それはなんとなく不公平にも思える。


「俺の家?」

「うん」

「構わないけど」

「本当?!」


 人の出入りは常にあるだけに来客には慣れている家だ。

 それに玲子はただの俺の客で、教えを乞いにきた者でもなければ、なにか頼みごとをしにくる者でもないから家の都合は関係なく特に支障はない。

 玲子の表情がわくわくと嬉しそうなものに変わる。

 その表情のまま俺を見上げて玲子は言った。


「三橋くんのお家を一度見てみたいなって。やくざの親分みたいな、大きいお家なんでしょう?」

「……まあね」


 それは、そうなのだが。

 一体それは、俺の家だからなのか、やくざの親分みたいな家だからなのか、大きな家だからなのかどれに重点を置いた言葉なのだろうか。


「玲子……」

「はい」

「君、時々、思いもつかないことを言うね」


 ゆっくりと不思議そうに玲子が首を傾げる。

 そうかなと瞬きした大きな目が言っていた。

 噂や、お嬢様であるとか少し天然であるとかそういういった評判を別にして、玲子はなにか物事に対して興味を持つポイントが少し変わっていると思う。


*****

 

  アッ、ハハハハハハッ、ハハッ……!


「笑い過ぎだ、三田村」


 廊下を歩きながらたしなめる。

 三限目は選択授業の地学で、三田村は隣のクラスだった。

 選択授業は隣のクラスと合同で授業を受けるため、講義棟の教室へ向かう途中で三田村に、今朝の玲子とのやりとりを話して聞かせたことを軽く後悔し始める。

 三田村はまだ盛大な笑い声を立てている。

 すれ違う、自分の教室に戻る途中の新入生や上級生から奇異の目を向けられても、三田村はまだ笑い続けている。


「騒がしいぞ」

「た、たしかにさっ……お前の家って門の向こうに看板あるから、やくざの家だって誤解してる連中いるけどっ、ははッ……」

「三田村」

「普通、それを聞いて行ってみたいって思う? ていうか本人それも自分の彼氏にやくざの親分みたいな家なんでしょうなんて言う? 面白過ぎるだろ、玲子ちゃんっ」

「一つ言っておくが、俺の家についての誤解や噂はお前のせいでもあるんだからな、三田村」


 中身はともかく、見た目はチンピラヤクザが学ラン着てへらへら歩いているようにしか見えない、三田村を横目に睨む。

 隣街や市外から電車と自転車を使い、俺の家の前を通って通学してくる生徒の一部に誤解が生じて迷惑な噂となっているのは知っていた。

 誤解、噂の経緯はこうだ。

 夜の街でなにかやってるヤバイ奴であるらしい三田村が学校近くのやけに立派な門構えの家に時々出入りしている。三田村がその家を訪ね、家の中から和服きた大人が出てきて頭を下げて出迎えられているのを見た。気になって門に貼り付けてある表札を見ればどうやら三橋といった奴の家らしい。

 そういえば学校でよく一緒にいる友人らしき奴は三橋というのではなかったか?

 その三橋の家から平日学校を休んで和服を着た俺が、黒塗りのやけに大きな車に乗ってどこかへ出かけていくのを見た……あれは絶対ヤバイ家だ、三田村とつるむ三橋もヤバい、と。

 たしかに三田村や俺と接点のまったく無い生徒が、三田村を外見だけで判断した噂を鵜呑みにし、俺の家の前でそんな場面だけ見れば、思い違ってしまうのも有り得なくはない。


 実際は、三田村については彼の父親が道楽半分に営んでいるバーでアルバイトをしているだけで家の手伝いみたいなものであるし、俺の家に遊びに来た三田村を出迎える和服を着た大人というのは、叔父の内弟子であるのだが。

 ちなみに黒塗りの車というのは、叔父が使っている自家用車である。

 一応、紫綬褒章なんて大層なものも貰っている三橋流筝曲宗家の家元であるため、対外的にそんな安っぽい車にも乗れない。やけに大きいのは贅沢や威を示すためではなく、箏といったかさばる楽器を積み、更にお付の内弟子も乗せるためで完全に実用上の理由だった。

 そもそも叔父は、先代の家元であった俺の父親の死後、自分が家元になる前はいまにも故障しそうなボロの四駆に乗っていたような男である。

 平日学校を休んで俺が和服姿で自家用車で出かけていったのは、たぶん、なにかの理由で断り切れずに演奏しにいった時だろう。

 まあ、堅気の家かと聞かれれば、いわゆるサラリーマンや事業家や公務員の家ではないので微妙なところではあるのだが……。

 三田村の言う通り、三橋流箏曲宗家の看板は門の内側、母屋の正面玄関に掲げられているし、一般的な高校生には邦楽なんて縁のないジャンルだろう。


「玲子はやくざの家と聞いたから行ってみたいと言ったんじゃない。やくざの親分みたいに、大きな家だからと言ったんだ」

「どっちだって対して変わんねーだろ? なんて言うかさ、玲子ちゃんっていままでお前に近づいた女の子の中にはいないタイプだよな」

「さあね」

「お前と合う気がするよ。ぜひ、玲子ちゃんに三橋を更生してもらいたいね」

「そうか」

「お前がそんな振り回されてる感じも珍しいからな」  

「別に振り回されてないし、玲子も振り回すようなタイプでもない」


 むしろ女の子としてはとてもマイペースで安定していると思う。


「ま、仕方ないな」


 教室に到着したとほぼ同時に、三田村が俺の左肩に手を置いて体重を乗せてくる。


「俺も遊びに行ってやるよ、部活も休みだし」

「頼んでない、佐々木むつみとデートしないのか?」


三田村は剣道部に所属しているが、道場にも現在改修工事の手が入っていた。


「お母さんと買い物なんだって、かわいいだろ?」


 でれでれと相好を三田村が崩す。

 強面男の糸のように細い目じりが下がったところで、見た目として気味が悪いだけだ。

 母親と買い物のなにがかわいいのだろうか……そもそも何故、三田村が玲子と一緒に俺の家に来る流れになっているのだろうか。

 別にそのこと自体は構わないけれど、先程の三田村の物言いだとまるで俺が玲子を一人で迎えることが出来ず、三田村に頼んでいるように聞こえる。

 不可解な気分で三田村を見ると、だってさと三田村は言った。


「玲子ちゃん、いちいち反応が面白そうじゃねえか」


 まあ、確かに面白そうではある。


「そういった人を観察するようなのあまり好きじゃない」

「へいへい、いいんだよ。俺、個人の楽しみなんだから」

「……わかったよ」


 半ばあてつけに大仰な溜息を吐き出して頷けば、丁度授業前の予鈴が鳴った。

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