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担ぎ上げられた馬上から振り落とされないようにするのに精一杯で、麻衣は男が困った顔をしていることに気が付かなかった。
身体にかかる振動がなくなり、地面に粗雑に降ろされた。緊張して体に変な力が入っていたからか、どこもかしこも痛いような痺れているような、疲れが急激にどっと押し寄せる。
地面に座り込んで脱力をしている麻衣には構わず馬を連れてどこかに行って戻ってきた男に目の前の扉に入るように促された。
「事務所はここだ。俺より訳がわかる人がお前の状況を説明してくれるだろう」
簡素な木の扉を引き開けて、中に入るように促してくる。
麻衣が扉の中に足を踏み入れると、簡素な木の扉からは信じられないほど、洗練されて整った室内が広がっていて思わず感嘆の声をあげてしまう。入るまでは靄がかかったように中がよく見えなかったのに、中に入ると今度は外がよく見えなくなる。不思議な扉だ。
「ようこそ、落ち人よ。そなたの望みはなんだ?」
ロココな飾りがある机がよく似合う美青年が、ゆったりと麻衣のことを見ながら問いかけてきた。
一目で高級そうとわかる調度品に囲まれても全く遜色のない美青年。さらに着ているものがとにかく素晴らしい!惜しげもなく金糸銀糸の刺繍が全体に入ったワンピースのような服をさらっと着こなしている時点で、この人の顔面偏差値の高さはわかってもらえると思う。
それにしても、このワンピーススタイル。
どちらかといえばア中東系の民族衣装に似ているけど、刺繍の感じはおフランスな雰囲気もある。なにより調度品もおフランスな感じで、なんというミスマッチ。でもそこがいい。違和感を調和に変えた美しさがある!
「お前、止まれ。おい、聞こえているのか!」
焦ったような男の声と共に肩をつかんで止められた。
どうやら衣装に集中するあまり、柔和な美青年にじりじりと近寄っていたらしい。
美青年の顔つきで、鏡を見ずとも自分が相当気持ちが悪い顔をしていることが麻衣にはわかった。
30余年普通であることを心がけて来た矜持にかけて、品よく、愛想のよい笑顔を全力で顔に浮かべ直した。
「初めまして。麻衣と申します。望みと言われましても、正直現状がわかっていないので、説明からお願いできるとありがたいです」
麻衣の変わり身の早さに若干顔を引きつらせながらも、美青年は鷹揚に頷いた。
「ふむ。状況を知りたいとは珍しい。あちらでは申し込み殺到で順番待ちであると聞いているが、自身で申し込んでいるのであろう?」
申し込み?順番待ち?そんなことした覚えもない。
「え?いや、ごめんなさい、申し込んだことなんて一切記憶にもなければ、心当たりもないです」
「心当たりがない?そのようなこともあるのだな。順番も待たずに来ることができた自分の幸運を喜ぶがいい。ここは落ち人を受け入れている藩の一つ、水富だ。名前のごとく水が豊かで、落ち人受け入れ藩の中でも特に安定している藩である。落ち人には、ここ藩主の館にて到着登録をした後、希望の職種に付ける技能を授け、ほかに当座の生活に必要な資金・住居・家庭教師を手配することになっている。して麻衣とやらの望みはいかようなものだ?」
別に不満もなかった生活から切り離されて、幸運と喜べとはなんて傲慢な人なんだ。
一時でも服が輝くほどの美青年だと思ったことを後悔するほどの、冷血漢だわ。
「あの、質問なんですが、望みやここで生活する以前に元の世界に帰ることはできないんですか?」
質問を受けて、美青年はさも不思議そうに眉を上げた。
「偶然とはいえ、我が藩に受け入れられたことが迷惑だとででも?不思議な方ですね。ここでならば、これまであきらめていた技能を簡単に身に付けられ、生活も保障されていると先人たちは喜んでいたぞ。そして一方通行であるため、帰ることはできません。諦めてください」
さらっと告げられた内容に、そうかなとは思っていたけど現実を突きつけられて心が重くなる。
ただここで落ち込んでいても仕方がない事だけはわかる。
告げられた事が確かならば、生きる上で必要な技能がもらえて、当座の衣食住が保証されるらしい。
確かになんていう好待遇。むしろなにか裏があるのかと疑ってくださいと言わんばかりの状況。
「帰れないということは、わかりました。逆に藩から落ち人に求めることはなんですか?正直、厚遇過ぎて怖いんですが」
「もっともな質問ですね、しかし、特に何も。ただ藩内で生活をする人々が飢え死なないようにすることに重きを置いた法律ですので。ただ、あなたの場合は出迎えに行くまで時間がたちすぎて通常与えられるはずの、得る技能を考えるためのお試しツアーができませんので、この場で即決していただきます。これを見なさい」
美青年は麻衣に砂時計が映し出されている水晶玉が見えやすいよう、近くに呼び寄せた。
「終わるまであと少しも無いですね」
「そうだ。そのためこの場で今すぐにでも選んでもらう。これが過ぎてしまうと何の技能も持てず、下働きすらままならない人間になってしまうのだ」