続・“悪役” 令嬢は御指名前に舞台を降りる
初恋は割と早いほうだった。
けれど、失恋も早かった。
叶わない恋だとは、最初から分かっていたんだ。
どこまでも純粋な瞳であの男を見つめる少女の横顔に、俺は恋をしたのだから。
────
ぼすん、という鈍い音がベッドに沈む。
しばらくの沈黙の後、なにやらガサゴソ衣擦れの音がしたと思えば、枕に顔を埋めていた人物が唸り声のようなものを上げだした。
「ぅ、ぅうぅぅ~っ」
「────お嬢様!?」
直後、勢いよく開いたドアから侍女が部屋に入って来る。
主の異常を素早く察したこの優秀な侍女の名前はミリア。長くここハーンストラ公爵家に使えている者である。
「……なんだったの。なんだったのよあれは?」
「……お嬢様?」
ミリアが近づいても、『お嬢様』と呼ばれた人物はぶつぶつと何事か呟いている。早朝の部屋の薄暗さも相まって、絵面的にはなかなかやばいことになっていた。
「どういう意味か最後まで教えてくれなかったし笑ってたし、なんでだかドキドキして苦しくてっていうか、私がなんでこんなに悩んでるのかが問題なのよ!」
「お嬢様!?さしあたっての問題はお嬢様の言語崩壊にございます。落ち着いてくださいませ!」
ミリアは未だにベッドの上で悶えている少女の体を起こし、背中をさすった。
絶対に他の家の者には見せられないが、この少女こそがハーンストラ公爵家令嬢、フローチェ・ハーンストラである。
まだ公表は先だが、王子との婚約がほぼ決定した令嬢でもある。
「ぅ、うぅぅ~、うぅー」
「申し訳ありませんお嬢様。唸り声での会話はハーンストラ公爵家使用人の研修内容にはありませんでしたので、習得しておりません」
申し訳なさそうにミリアが言う。
フローチェは突然すっくと体を起こし、緩く首を振る。
「ううん、なんでもないの。気にしないでミリア」
「いや今更きりっとした顔で言われましても」
間髪入れずに心底呆れた顔で返された。
いや、そうなのだが。自分でも無理があるとは思ったが。
ミリアの言うことはもっともだが、それでも話すわけにもいかないだろう。
(ヴ、ヴィレムが好きとかなんとか思わせぶりでややこしいこと言うから悩んでる、なんて)
つい最近までブレフトに黄色い声を上げていたのに、流石に尻軽ではないか。言えるわけがない。
(……でも、本当にあれはなんだったのかしら?婚約者候補だったらどうするとかなんとか……)
詳しいことは結局はぐらかされてしまった。
というか、フローチェが混乱しきってきちんと聞けなかったというのも大きいのだが。
「……よし、こうなったら今日フィーレンス公爵のお屋敷に訪問して……」
「お出かけですか?お嬢様。ですが、今日はブレフト様がいらっしゃいますよ?」
「えっ!?」
思わず頓狂な声が出た。
そんなフローチェにミリアは首をかしげる。今までのフローチェにはまず考えられないことだ。
「……忘れていたのですか?なんと珍しい……。今までは一週間は前から指折り数えて待っていたというのに」
「そ、それはたまにしか会えないからで……!今回はほら、とても頻繁に来てくださるからうっかりしていたのですわ!」
ぶんぶんと首と手を振って誤魔化す。ブレフトの本性はミリアにはまだ秘密だ。
「えーっと、いつごろからいらっしゃるのかしら?」
「お昼過ぎと伺っております」
「そう、分かったわ。なら、叔父様がお帰りになられたら直ぐにフィーレンス公爵家に向かいます。馬車の手配をして頂戴。秘密でね」
「ハーンストラ公爵に許可は……」
「だから秘密なのよ」
「……かしこまりました、お嬢様」
ミリアは何も言わずに一礼した。
彼女が去っていったドアを見つめ、フローチェはため息をつく。
(ミリアには、叔父様の事をいつ話そうかしら……。ううん、話さない方がいいのかもしれないわね)
何も知らなければ、叔父の本性を明るみにしようとして失敗し、こちらが悪者になっても、彼女が咎を受けることは無いだろう。ただでさえ優秀な、失いたくない人材だ。
(そうよね。これは、危険なことだもの……)
だが、やらなくてはならない。
自身の感情も多分にある。が、それに加えて。
(私が叔父様の傀儡にならないと心を決めれば解決する話かもしれないけれど……。放っておいたら外堀を埋められるかもしれない。危うい芽は摘まなくては)
ハーンストラ公爵家を妬むものたちは山ほどいる。皆から狙われている場所に自分たちは立っているのだ。
きっと、少しの醜聞で一気に引きずり下ろされる。良くてフローチェだけ処分を受け、悪くて爵位を降格。最悪、没落だ。
(叔父様がよそでヘマをして捕まってもだめ。ハーンストラ公爵家から犯罪者を出してはいけないわ。私が叔父様の企みをできるだけ秘密裏に阻止して……)
そして。
「あの無駄に高そうな矜持をへし折って……二度と馬鹿な真似をしなくなるように教訓を叩き込むしかないわね……」
……もう一度言うが、フローチェの私的な感情も多分に含まれている故。
怒りに震える拳を胸に当て、家のためという割には実に悪役令嬢っぽい黒い笑みを浮かべるのだった。
◇◆◇◆
周囲に悟らせないというのは、なかなかに骨が折れるもので。
生来、素直で嘘が下手な部類に入るフローチェにとっては、苦行とも言えることだった。なにより、
「お、叔父様ぁ、またいらしてくれたのね!私とっても嬉しいわぁ……!」
もう想いの欠片も残っていないブレフトに、こうもはしゃがなくてはいけないというのが、辛い。
フローチェは年上趣味というわけではない。ただ『ブレフト』が好きなだけだったので、その本人も好きでなくなった今、ブレフトは顔を見るだけでイラつく上に完全に恋愛対象外の年齢の男だ。
(私、この男が来たときどうしていたかしら……?もっと喜んでいた?な、なんだか正気に戻るととてつもなく恥ずかしい……!)
恋は盲目とはよく言ったもので、あの頃はなんとも思っていなかった自身の行動に羞恥心がこみ上げてくる。
ヴィレムが奇行だと言ってきた気持ちが今ならよく分かった。寧ろどん引かれなかっただけ御の字だろう。
「お出迎えありがとうフローチェ、嬉しいよ。今日のブローチはアメジストかい?まるで君の瞳のように深い色だね。とても、澄んだ色だ」
「ま、まあっ、叔父様ったら……お上手ね」
フローチェは引き攣った笑みを浮かべる。
と言っても内心では、
(……なんでこうもイラつきますの!?というか深みがあるのか澄んでいるのかどっちですの!?冷静になったらこの男褒めるのド下手くそじゃありませんの!)
と言った具合に大荒れなのだが。
しかし腐っても公爵令嬢なので、おくびにも出さずに優雅ね微笑みを絶やさない。
「どうした、フローチェ。今日はブレフトが来たというのに髄分落ち着いているな」
怪訝そうに聞いたのはハーンストラ公爵だ。流石父親、簡単に違和感に気づかれてしまった。
「……その、私はアダム王子と婚約するようですから……いつまでも今のままではいけないと思いましたの」
このまま誤魔化すのは無理そうだ。様子が違うことは認め、しかし理由はもっともらしいことを言っておく。
「フローチェ……。だが、王子との婚約は断ってもいいのだと」
「いいえお父様。覚悟はできているのです」
言いつつ、ブレフトの方をちらりと見る。
まるで貴方に未練がありますと言った風に。演技かがった嘘臭い仕草だったが、フローチェは普段から分かり易いので、この位で大丈夫だろう。
「しかし……王子は……」
ハーンストラ公爵が苦い顔をする。第一王子のヘタレっぷりは有名だ。王子でなければ一生結婚出来ないだろうなと思うほどに。
……そしてここだけの話、婚約の話が“ほぼ決定”から“決定”にならないのは、王子がフローチェのきつそうな見た目から『怖いから婚約したくない』と王と一部の家臣の前でガチ泣きしたからなのだが、これはフローチェには言わなくていいだろう。
その一部の家臣であり、目の前で娘が怖いから婚約したくないなどと駄々をこねられた身としては、嫁に行かせたくない。
国王も悪いと思ったのか強く言ってこないので、本当に断ろうと思えば断れるのだ。
「……まだ決定した訳では無い。それに、お前はヴィレムとも仲が良かっただろう?」
「なっ、なななななぜヴィレムが出てきますの!?」
自身でも予想していなかったくらいの大声が出て、フローチェは慌てて口元を覆った。
「えっ、あっ、も、申し訳ありません!」
「フローチェ、やはりヴィレムと婚約し────」
「ち、違うんですの、意識してるとかではありませんの!」
必死に否定することで手一杯なフローチェの耳に、またしてもハーンストラ公爵の言葉は届かない。
「そ、それではっ、私は失礼いちしましゅわ!」
盛大に噛みながらもお辞儀だけは優雅に。
フローチェはドレスの裾を翻して自室へ戻った。
ミリアがドアを閉める音がすると共に、フローチェは大きく息をつく。
「大丈夫ですかお嬢様?もしや、体調が優れないのでは……」
「な、なんでもありませんわ。それよりミリア」
「心得ております。馬車の支度が整いました」
ハーンストラ公爵とブレフトはこれから領地に関する仕事の話をするはずだ。
広大な領地に比例して仕事も多い。フローチェが少し抜け出したところで気づかれないだろう。細かいところはミリアが調整してくれている。
(本当に有能よね)
改めて感心しながらミリアに導かれ裏口に周り、馬車に乗り込む。
「それでは参りましょう」
「ええ」
◇◆◇◆
ミリアには別室で待機してもらっている。
幼馴染みとはいえ共に結婚適齢期の男女が二人で会うのは不味かろうが、ドアを全開にすることを条件に許してもらった。
「────で、どうしたんだ急に。俺を呼び出すことはあってもお前から来るなんて珍しいな」
「え、ええ……そういえばそうね……」
フローチェは曖昧に笑って紅茶を啜る。
(う……。以前の発言の真意を聞こうと思っていたけれど……これは無理かもしれないわ)
いざ聞くとなるとなんと言っていいのか、答えてもらったとしてなんと返していいか分からない。
(ま、まずは叔父様に対する作戦会議!その流れで自然に聞けばいいわ!)
よしと気合を入れ、フローチェは今度は取ってつけたような笑みを浮かべた。
「べ、別に深い意味はなくってよ?貴方にばかり来させるのは流石に悪いと思っただけ」
「……そうなのか?」
明らかに不自然なフローチェの態度に、聡いこの男が気づかないはずがないが、このまま押し切るしかない。
「え、ええ。私考えましたの。やはり、あの男が他所様で馬鹿やる前に私がこの手で矜持へし折るしかないと」
「お、おお……」
過激な発言にヴィレムの意識がいったのに安心しつつ、でも本当にあの男、と考える。
「あの男、今考えると褒めるのヘッタクソだったわ……」
「そうなのか?」
「ええ。例えば、」
『フローチェの髪は綺麗で美しいプラチナブロンドだね。まるで最高級の指輪に使われるプラチナだ』
「……だったかしら。プラチナブロンドの髪をプラチナに喩えてどうしますの。そんなことは分かってますわよ“プラチナ”ブロンドなんだから」
だいたい、指輪の主役は宝石ではないか。リングに使われるプラチナでは脇役に喩えられたようなものだ。
「……せめて髪をプラチナ、瞳をアメジストにして、お前自身を最高級の指輪とやらに喩えれば良かったのにな」
「全くだわ。しかも『綺麗で美しい』って」
あれのどこにときめいたのか、今となっては謎でしかない。あの男、冷静になってみるとただのアホ丸出しではないか。
「……フローチェ。ほかの台詞、今も覚えてるか?」
「え、ええ」
複雑だが、ブレフトに関することはなんでも記憶している。
それほど、好きだった相手なのだ。
「これを使わない手はないな。過去の口説き文句なんて、大抵の男は爆死する」
「そ、そうなんですの……」
女のフローチェにはよく分からないが、ヴィレムがなにか閃いてくれたらしい。この件は少し任せてみて良さそうだ。そして。
(こ、この流れなら聞けそう……!)
飽くまで、さして興味なさそうに。
「あ、貴方も女性を口説いたことがあるの?」
フローチェは窓の外の景色を見ながら尋ねた。勿論、景色など楽しめる心境ではない。心臓バックバクである。
「俺か?そうだな……一度だけ、あるにはある」
「あ、ありますの?」
意外な返答に、視線をヴィレムへ向けた。
昔から女っ気がなく、そういうことに興味のない人なのだと勝手に思い込んでいた。
(そう……。ヴィレムも、女性に想いを寄せたことがありますのね)
鼓動が少し収まった。その代わり、少しだけ重くなった。
心に質量のある靄がかかったようだ。何故だかすっきりとしなくて、軋む。
「その方とは?交際されましたの?」
「いや。もともと、諦めるつもりだったんだ」
「ど、どうしてですの!?」
ヴィレムは王族の次に権力のある貴族の次期当主だ。本人もそれは整った顔立ちをしているし、王宮の騎士に負けないくらい剣術に長け、次期当主として叩き込まれた学もある。
ご令嬢たちに人気がない理由がないし、実際にモテる。
「そいつはもともと別の男に恋をしていたんだ。俺が入り込む隙なんてないくらいに。そんな風に真っ直ぐに人を好きになれる奴だったから、俺はそのひとを好きになった」
「な、難儀ですのね、貴方の恋って」
こんなことをヴィレムの口から聞く日が来るとは思っていなくて、正直面食らっている。
そして、やはり、靄がかかる。
「でも、思いは伝えたのですわよね?」
「いや?俺の気持ちが負担になるのは不本意だからな。応援するという体をとっていた」
「え、でも、口説いたって……」
「それは……」
ヴィレムは一瞬目を逸らし、目にかかった漆黒の前髪をかきあげた。 憂いを孕んだような、切ないような、青い瞳に思わず見惚れる。
「……つい、耐えられなかったんだ。そのひとが、その男を好きではなくなって。俺とそのひとに、縁談が持ち上がった」
「えええ……!っむぐ」
初耳だ。フローチェは思わず大きな声を上げかけ、ヴィレムに口を塞がれる。
「大声を上げるな!俺がお前を襲っていると思われたらどうする」
「お、襲っ!?ありえなくてよ。でも、まあ確かに“一応”、妙齢の男女が部屋に二人きりね。軽率でしたわ」
ヴィレムに限ってそのような蛮行をるわけはない……という寧ろ褒めているくらいの言葉だったのだが。
「ど、どうして不機嫌そうなんですの……?」
「……別に」
むすっとした表情で顔を逸らされ、フローチェは混乱する。
複雑な男心というやつだろうか。
「というか、驚きましたわ。貴方に縁談が来ていたなんて」
ハーンストラ公爵も、どうせ何か知っているのだろうから、一言くらい言ってくれてもいいのに。
「それ、で……。婚約されるんですの?」
どくん、と。
自分の言葉に、心臓が嫌な音を立てた。
(な、何ですのこれは……。ヴィレムが想っていた方と結ばれるなんて、とても喜ばしいことではありませんの)
ヴィレムもいつか結婚する。
そんなこと、分かっていたはずなのに。
幼い頃からずっと一緒にいた、だからこれからも。
なんて、一体誰が言ったというのか。
分かりきっていることなのに、痛い
ヴィレムの一番傍にいる女性が自分ではないことに、何かが反発している。
(そんなの勝手よ。今まで叔父様叔父様言っておいて、散々迷惑かけて……っ)
それなのに、ヴィレムが離れていくのを拒むなんて。
これでは、まるで……。
(まるで、私がヴィレムのことを……)
「フローチェ?」
目前にある一対の青に、思考が止まる。
そしてそれがヴィレムの目だと気がついた瞬間、顔の近さにフローチェの頭は沸騰した。
「な、なななななんでございましょう!?」
「い、いや……。ボーッとしていたから。そこまで驚かれるとは思わなかった。悪い」
「いいいえ、別に!?私がぼんやりしていたのが悪いのですわ、お続けになって!?」
続きを促したものの、よく考えたらヴィレムはまだ喋っていない。フローチェが質問をしたところだった。
「俺が婚約するのかどうか……だったな」
「え、ええ。その話でしたわ」
「それは、相手次第だ」
これまた、意外な返答だ。
「ええ?フィーレンス公爵家からの縁談でしょう?断れるような相手、まずいないと思うのだけれど……」
ハーンストラ公爵家とフィーレンス公爵家は、貴族の中では別格と言える。
例え同じ公爵家相手だったとしても、フィーレンス家を無下にできるような家はない。
「その令嬢には、俺より上から縁談が来ている。彼女がそちらを選ぶなら、俺は何も言えない」
「二大公爵家より上!?それってもう王族じゃ……」
そこまで言って、はっとする。
その令嬢が、王族と婚約予定なら?
(アダム王子から縁談が来ているのは私。そして、第二王子殿下はまだ七歳。ということは……)
分かってしまった。
「全て、分かりましたわ。貴方の縁談に即座に応じる必要はなくて……王族との縁談が来るということは……」
「……流石にお前でも、ここまで言えば伝わったか」
「ええ。気がつかなくて悪かったですわ」
気が付かなかった。ずっと、ずっと傍に居たのに。
ヴィレムは……。
「貴方は、幼女趣味でしたのね……」
「ああ……じゃない、待てフローチェ何がどうしてそうなった」
目を剥くヴィレムに、フローチェはふるふると首を振る。
「いいの。何も仰らないで。それなら筋が通りますもの」
御年七歳の第二王子殿下と縁談があるなら、お相手の令嬢もそのくらいだろう。確か、現在五歳の公爵令嬢が一人いたはず。
五歳なら、いくら相手がフィーレンス公爵家といえども、すぐに婚約とはいかない。
五歳の幼女。その子が好きだった人とは父親だろうか?それなら確かにこの上なく『真っ直ぐに人を好きなって』いただろう。とても純粋な気持ちだ。そして応援するしかない。
(この前の『王子との婚約を避ける手立てが、二大公爵家フィーレンス家の跡取りである俺との婚約だと言ったらどうする』というのは、つい最近まで叔父様大好きだった私から助言を得ようとしていたのね……)
すべての謎が解けた。
ヴィレムはひどく疲れた顔で額に手を当てている。
「そうだな、こいつはそういう奴だった……察しろという方が悪いな……」
それになんだかぶつぶつ言っている。
フローチェは心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫ですの?お水飲まれます?」
「いや……平気だ。何でもない……」
何でもないにしては生気がなさ過ぎる。
「ひどいお顔よ、休んだほうがいいわ。というわけで、私はもうお暇するわね」
フローチェがいたら休めないだろうし、そろそろ戻らくてはならない時刻だ。
「ではヴィレム、ごきげんよう。こっそり来たから、見送りは結構よ」
ふんわりと笑って礼をしたフローチェを、ヴィレムはソファーに深く座ったまま見送る。
静かに閉まったドアに、天井を仰ぐ。
「…………鈍すぎる、あの馬鹿」
全くもって不毛なぼやきを、ため息と共に零して。
◇◆◇◆
屋敷に戻ったときには、辺りはもう暗くなっていた。
暖かい飲み物をミリアに頼み、フローチェは座りなれた椅子に腰を下ろす。
今日、ヴィレムと話してみて。
色々なことが分かったけれど、分からない。
(ヴィレムは小さな女の子が好きだったのね……謎は解けたけれど……でも、一つだけ)
何故、ヴィレムが婚約かも知れないと知って、胸がもやもやとしたのか。近くにいると、こうも鼓動が速まるのか。
まだ、分からないままだ。ただ、分からない方がいいような気がしている。
(それに……分かったところで、どうしようもないわ。私は王子と結婚する。なにより、ヴィレムはまだその子のことが好きみたいだもの)
なら、分からない方がいい。
そう言えるのは、自分の気持ちに気がついたからだということも、分からないままでいた方がいい。
静かにドアがノックされた。
いつも通り入ってきたミリアに、いつも通り微笑む。
いつも通りに美味しい紅茶を飲んで、今日理解したことを全部忘れてしまえたらいいのにと思った。
翌日。
フィーレンス家から言伝が届いた。
やはりそれはヴィレムからで、『今日は俺が行くから大人しく家にいろ』とのこと。紳士ねと呟いてみる。
「お嬢様、最近よくヴィレム様とお会いになられますね」
「……やっぱり、不味いかしら?」
ぽつりと言ったミリアに尋ねてみたが、逆に首を傾げられた。
「何がでございましょう?」
「だって、私は一応王子と婚約する予定ですし……ヴィレムも、その」
「ああ……」
ミリアは合点がいったように頷きかけ、ますますわからないという顔をした。
「でも、そちらの方がいいのではありませんか?不敬になりますが、王子よりヴィレム様の方が素敵な殿方かと……」
「えっ、そういう問題!?」
なんだか噛み合わない。
微妙な雰囲気になりかけたのでフローチェはこの話を切り上げ、ヴィレムを迎える準備を指示した。
「ごきげんよう、ヴィレム」
「ああ。悪いな、早い時間から来て」
「早いと言ってももうすぐお昼前よ。気にしないで」
半刻程後、ヴィレムがハーンストラ公爵家を訪れた。昨日と同様に人払いはしてある。
紅茶を勧めながら、フローチェは焼き菓子を齧った。普段はあまり手をつけないが、五つやそこらで初めて会ったヴィレム相手だと、どうしても遠慮が無くなる。
「それで、どうしたの?」
「ああ。昨日聞いた、ブレフト殿の……なんだ」
「イタい台詞集でよくてよ。それがどうかしたの?」
「ああ。まあ元ネタは学校であった嫌がらせなんだが……」
ヴィレムの話す案なら、フローチェの目標も達成できるかもしれない。
「いいわね。それから、私も発案させてもらうと……」
このほうが、よりダメージは大きいだろう。
あとは、実行する日とタイミングだ。
◇◆◇◆
ブレフトはそれなりに多忙だが、ここ最近は頻繁に屋敷に顔を出している。
普通に仕事の話か、フローチェと王子の婚約についてもあるのだろうか。どちらにせよ好都合である。
「お嬢様、フィーレンス家からまた伝言が……」
「ありがとうミリア。内容は分かってるから、『了解』とだけ
お願い」
ブレフトには薔薇園の東屋で待ってもらっている。
フローチェとブレフトが、初めてあった場所だ。
鮮やかな赤の中。色でいえば赤よりもよっぽど褪せている、ブレフトの灰色の髪がきらめいて見えるのが不思議で。
一目惚れ、というやつだ。陳腐な表現になるが、一目見た瞬間電流が走った。
「それでミリア、あれは?」
「はい。お言葉の通りに」
「ありがとう」
そこからフローチェ世界の中心にはブレフトがいて。
いつだってブレフトのことを考え、見つめていた。
「ごきげんよう、叔父様」
そう、この男を。
ブレフトは優雅に片手を上げた。幼い頃から変わっていないブレフトに微笑む。
「ごきげんようフローチェ。薔薇園の中で見る君は一層美しいね。まるで妖精みたいだ」
「まあ……」
口元に手を当て、くすくすと笑う。今度は妖精ときたか。
「お上手ね叔父様。嬉しいわ」
「本当のことを言っただけだよ。それでフローチェ?用ってなんだい?」
優しげな微笑み。
だけどもうフローチェには見えている。
その瞳の奥に宿る、浅ましさが。
けれどフローチェは何も知らない無垢で愚かな少女の顔のまま、ブレフトの腕に触れた。
「ねえ、叔父様……。私、やっぱり王子と婚約なんて嫌。私は叔父様と結婚するの」
幾度となく繰り返した言葉を口にする。
ブレフトは困ったような顔をした。
(私は変わるの。終わらせるの。このひとから貰った思い出なんて、もう要らないわ)
あんな偽物に何の価値がある。
フローチェは嫌悪を顔に出さないように、ブレフトに寄り添った。
(私は十七で、この男は三十七……なかなか犯罪チックね)
というようなことを考える余裕はあるが。
いっそ、一度くらい誰か通報してくれればいいのに。
「だめだよフローチェ。いい子だから、分かるだろう?」
「嫌!私は叔父様が好きなの……」
「フローチェ……じゃあ、こうしよう」
ブレフトがフローチェの肩を抱き、耳元で囁いた。
「王子と婚約してから、嫌われておいで。そして婚約破棄してもらえばいい。そうしたら、私と一緒になろう」
「本当……!?」
肩に触れる手が気持ち悪い。いつまで触ってるとひっぱたきたいがそうもいかないので我慢する。
「でも、どうやって嫌われれば良いの……?」
「そうだね……。いけないことをすればいいんだ。例えば、喋ってはいけない王家のことを友人に話したり、こっそり書類を書き換えたり」
「そうすれば、叔父様と一緒になれるのね……?」
「ああ。ただし、私のことを話してはいけないよ。万が一バレても、私が自由に動けるならフローチェを救い出せる」
「叔父様……」
フローチェはブレフトの手に己のそれを重ね、
「べらべら喋ってくれてありがとう。予想以上にお粗末でいい笑い話のネタが貰えたわ」
思い切り、爪を立てた。
「なっ……フローチェ!?」
「気安く呼ばないで語彙力皆無能無しおめでた男」
絶句するブレフトに、ドレスの裾をつまんで見せる。
「このドレスの製作者の意図をわかっていらして?裾がふんわりしているならともかく、これは体の線に沿っているでしょう?大人っぽさをだしてるのですわ。なのに『妖精』なんて言ったらまだ子供に見えると言っているようなもの。侮辱に取られても仕方ありませんことよ」
本来そういうドレスは昼間に着るものではないのだが、そこには目をつぶって貰おう。
その時、どこからともなく堪え笑いのようなものが聞こえてきた。あたりを見回すと、庭師が小冊子を片手に吹き出していた。
「気になります?」
フローチェはそれと同じ冊子を取り出しひらひらと振る。
「ミリアに頼んで使用人たちに配ってもらいましたの。真面目な庭師が職務中に読みたくなるほどの面白さですわ」
ひょいとブレフトに放り投げ、読めと顎で促した。
ブレフトはフローチェの豹変ぶりに戸惑いつつも冊子を開く。
「……!?」
その手がわなわなと震えるのには、十秒とかからなかった。
フローチェは脇から手元を覗き込み、澄んだ声で朗読する。
「『君の美しさに勝る薔薇なんてないよ。嗚呼、僕の小さなお姫様』」
これは確か、十年くらい前。
小さなお姫様とか、鳥肌モノだ。
「この頃から安定のイタさで感服しますわ。叔父様?」
冊子のページは五十ほど。それにびっしりとブレフトが過去にフローチェに贈った愛の言葉(?)が書き連ねられている。
「『君の美しさにはあの星たちも嫉妬してるよ。嗚呼、このお嬢さんにはとても敵わない……ってね』。“嗚呼”が貴方のお気に入りですの?」
これは五年くらい前か。
これはもう、シンプルにうざい。
「これからハーンストラ家とフィーレンス家を訪れる時に使用人の口角がぴくぴくしていても許してあげて頂戴?堪えられるだけ優秀よ」
今頃この冊子は使用人たちの愛読書だ。
ちなみに、ミリアに見せて感想を聞いたところ真顔で『吐き気がします』と言われた。
にっこりと笑って告げれば、ブレフトは金魚のように口をぱくぱくさせる。
「叔父様、王子の誕生パーティーの日、どこにいらっしゃいましたの?」
「!まさかフローチェ、あれを聞い……っ!?」
「あら、正直者ですのね」
認めるも同然の反応に、フローチェは笑う。
もう少しうまく取り繕えないのだろうか。
「私を悪女にして?それを止めて貴方が英雄?」
くだらない。
「こんなお粗末な計画で英雄になれたらヘーレネン王国の三人に一人は英雄ですわよ。笑わせないで」
「ちっ、違うんだフローチェ!話を聞いてくれ!」
「貴方とする話などありません。離れてくだ……」
「愛している!」
ブレフトは突然、フローチェの体を抱きしめた。
「ずっと、ずっと君を想っていたんだ……。だが、君は幼い頃から王子との縁談が来ていたし、幼馴染みの、ヴィレム君がいただろう?」
ブレフトは切なげに目を細める。
「私は、君がヴィレム君のことを好いているとばかり……。私への“好き”は親愛の類だと思った。こんな年上の男が情けないが……嫉妬していた」
フローチェを抱きしめる手に、力が篭る。
「彼はフィーレンス公爵家の跡取り。だが、私は飽くまで兄の手伝いをしている次男坊で……彼より地位で劣る」
フローチェは体をよじるが、大人の男の力には敵わず、ブレフトの腕の中にいるしかなかった。
「それで、思ったんだ……私にもっと力があれば……権力があれば君は私を選んでくれるんじゃないかって……。本当に済まないフローチェ……君を愛するが故に、周りが見えなくなっていた……」
「ブレフト様……」
ブレフトが腕の力を弱める。
自身の名を呼んだ少女の唇に、ブレフトのそれが近き、触れ合う────といったところで。
「それ以上口を開かないでくださる?嘘だと分かっていても不愉快ですわ」
ごすっ、という鈍い音と共に、フローチェの頭突きがブレフトの顔に炸裂した。
「今更そんな嘘が通じるとお思いなの?貴方の頭はいつでもパーティー会場かしら?お幸せな人生ね」
痛みでうずくまるブレフトの前に、だん!とフローチェは足を踏み鳴らす。
「なにより!」
見え透いた嘘をついたこと、いきなり抱きしめてきたこと、諸々あるけれど。
「権力を手に入れられればヴィレムより貴方を選ぶ!?ふざっけんじゃありませんわよ!!」
大声を上げれば人が来てしまう。それは理解してはいるのだけれど、湧き上がった感情は簡単に収まってはくれない。
「ヴィレムは貴方よりずっと魅力的な人ですわ!!権力が全てみたいに言わないで!!」
フローチェが一際大きな怒声をあげた時。
「落ち着きなさいフローチェ。ここからは、私たちも話に入れてもらおう」
聞きなれた厳格な声がフローチェを宥めた。
振り返れば、
「お父様、ヴィレム」
「な、何故ここに二人が……!?」
ハーンストラ公爵と、ヴィレムの姿があった。
狼狽えるブレフトに説明したのは、二人ではなくフローチェ。
「私が呼んだからですわ」
昨日のうちに、ヴィレムにハーンストラ公爵に事情を説明してもらい、薔薇園の東屋へ連れてきてもらうように頼んだ。
そのうちにフローチェは冊子を作りミリアと写本して、使用人たちへ。
「話は最初から聞かせてもらった」
ハーンストラ公爵は苦々しく言う。
一人でこの男に会って自供させるなんて危険で無意味なことはしない。だが、こうして最初から最後までハーンストラ公爵に聞いていてもらえれば、もう言い逃れはできないだろう。
「っ、違う違う違う!!私は悪くない!!全部この女とその男が仕組んだんだ!私は嵌められたんだ!!」
だというのに、ブレフトは未だ地面に座ったまま、無様に喚いている。
嫌悪をこらえる必要すらなかった。ここまでくると、もうそんな気持ちすら沸かない。
「私は悪くない!私は悪くない……!!」
「……ブレフト殿。もう止めろ。それ以上は自分を貶めるだけだ」
見かねたヴィレムが首を振る。しかしこの男は、やはりどこまでも愚かだったのだ。
「うるさい!!」
助け起こそうと差し出したヴィレムの手を勢いよく払う。
「何を偉そうに!顔と権力、親に与えてもらったものしか持っていない青二才が!!」
それを聞いて、ぷつん、とフローチェの中で何かが切れた。
つかつかと無言でブレフトに歩み寄り、しゃがむ。
立ち上がったフローチェは、何かを手にしていた。
それを大きく振りかぶり、
「貴方に何がわかりますの!?」
先ほど怒鳴ったせいで疲れ果てているはずの喉から今日一番とすら言える声を出し、ブレフトの頭を全力で打った。
響いたのは、拳の当たる重い音ではなく、やたらと響く高い音。
「く、靴……」
ハーンストラ公爵が慄くように呟いた。
そう、靴だ。
自身の非力さをカバーできるよう、フローチェは硬い靴で思い切りこめかみを殴ったのである。
悶絶するブレフトに、フローチェは容赦なく言葉を浴びせる。
「親から与えてもらったものだけで評価してもらえるほど私たちの世界は甘くないのよ!!」
フローチェはずっと近くで見てきたのだ。
ヴィレムがどれほどの重圧の中で育ち、その期待に応えてきたのかを。
「貴方みたいなのが蔓延っていて、私たちはいつだって引きずり下ろそうとする手に足をつかまれている!」
家を継ぐヴィレムならばなおのこと。
彼の安らげる場所はどこにあっただろうか。
それほどまでに、いつだって気を張らなければならなかった。
「だけどヴィレムは次期当主を危ぶまれたことはないわ!それは彼が才能に頼るだけじゃなくて努力もしてるって皆知っているからよ!!彼の清廉さを知ってるからよ!!」
フローチェだって、知っている。
権力とか、顔だとか。それは魅力的の一つであって、彼のすべてなどではない。
だから。
「それ以上私の好きな人を侮辱してみなさい、泣いて這いつくばらせて差し上げますわ!!」
だから、自分はこの人に惹かれたのだ。
言いたいことを言い切り、肩で息をするフローチェに、皆は唖然としている。
「……フロー、チェ。今、なんて言った?」
最初に我に返ったのはヴィレム。
フローチェは、まだブレフトを睨みつけている。
「泣いて這いつくばらせて差し上げますと言ったのです!」
「違う、その前だ」
肩を引かれ、ムッとした顔でヴィレムに向き直る。
我ながら腹から声を出したと思ったのに。
「だから!私の好きな人を侮辱して────」
言いかけて、はたと気がつく。
自分は今、なんと口走った?
“私の、好きな人”
「あ……っ」
口元を押さえても、一度出た言葉は戻らない。
────最悪だ。
よりにもよって、こんな形で告げてしまうなんて。
「い、今のは違っ、いや、違わなくて、でも、その……ご、ごめんなさい!!」
フローチェは真っ赤に茹で上がった顔で、その場から走り出した。
◇◆◇◆
『こら、危ないから走るなと言っているだろう』
口うるさくて。
『泣くな。いつでも俺や御両親が付いている訳では無いんだ』
厳しくて。
『大丈夫だ。お前ならできる。俺は、お前が頑張ったことを知っている。俺はお前の味方だから』
優しくて。
────好きだということに、気付かされてしまった。
フローチェは、自室に戻り、部屋の隅で膝を抱えていた。
(ありえない……ありえませんわこんな……なんて間抜けな……!)
怒った勢いでつい、なんて。
「お父様もいらっしゃったのに……。王子との婚約話が進んでいるのに、叔父に現を抜かしていたと思えば今度はヴィレムって……もう、絶対に愛想を尽かされましたわ……」
どうしよう、なんと言って誤魔化そう。
頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。
不甲斐なさに涙まで滲んできた。
その時、硬質な足音が廊下を進んでくるのが聞こえた。
長い付き合いで、要らないことまで分かってしまう。これは、ヴィレムの足音だ。
「フローチェ、いるんだろう」
答えられずに、フローチェは固く目を瞑った。
「フローチェ、頼む、開けてくれ」
ガチャガチャと、鍵のかかったドアノブを回す音が聞こえてくる。
「開けてくれ、頼む。会って話がしたいんだ」
ヴィレムの声には必死の色が見えるが、それはフローチェとて同じこと。
(無理ですわ。どんな顔をして会えというの)
あんな告白をした後に、会えるわけがない。
察してくれと無言を貫いていると、呼びかける声が止んだ。
フローチェはほっと息をつきかけたが、
「そうか。そちらがそのつもりなら、このまま蹴破る」
なんだか物騒な台詞が聞こえてきた。
明らかに、本気の声音にフローチェは慌てて立ち上がる。
「な、何馬鹿なことを考えてますの!?」
思わずドアを開いてしまい、青い瞳と目が合う。
しまった、と再びドアを閉めようとしたが、もう遅い。
隙間から足が滑り込んできて、無理やりこじ開けられた。
「えっ、ちょっ、待っ、きゃあっ!?」
片足とは思えない強さに押し返され、フローチェはバランスを崩す。伸びてきた腕がそれを支えると同時に、ドアがしまった。
「ヴィ、ヴィレム……」
抱きすくめられるような格好に、フローチェの顔が熟れた果実より赤くなる。
「ヴィレム、離っ……」
「断る」
「!?」
即答され、フローチェは目を白黒させた。
「フローチェ、さっきの言葉は本心なのか」
「さ、さっきの……って」
紛れもない本心に決まっている。
けれど、それを認めてしまえば。
「ごめんなさい……」
きっと、王子との縁談がもっと嫌になる。
だから、想いを封じることがせめてものけじめだったのだが。
「何故謝る。きちんと俺の目を見て答えろ、フローチェ」
ヴィレムがそれを許さない。
腰に回された手に力が篭った。
「だって、私は、アダム王子と……」
「その話はどうでもいい。ハーンストラ公爵にも確認した。話は聞いているんだろう」
「え?」
「だから、王子と婚約するか俺と婚約するか、という話だ!」
「!?」
(何の話ですのそれ!?)
知らないアピールのために、フローチェはぶんぶんと頭を振る。
(え、ちょっと待って。どういうこと?王子と婚約するかヴィレムと婚約するか?じゃあ、最近何故か王子との婚約話の時にヴィレムが出てきていたのは……)
その二人のどちらかを選べと、フローチェが言われていたからか。
「……もしかして、知らなかったのか?」
こくこくと頷くフローチェに、ヴィレムはぽかんと口を開け、盛大にため息をついた。
「……お前は一つのことに集中すると全く話を聞かないからな……」
「そ、それは……ごめんなさい。で、でも!仮に私が貴方を選んだところで迷惑でしょう!?」
「何故」
「だっ、だって貴方、幼女が好きなんでしょう!?」
「誰が幼女趣味だ!!まだ誤解していたのか」
ものすごい勢いで否定され、フローチェは面食らう。
「いや……それもそれも、俺が何も言わなかったからか」
一人呟き、ヴィレムがフローチェの体を離した。
「……フローチェ。俺が好きな女性は今十七歳だから、別に幼女趣味じゃない」
「えっ、そうなんですの?って、どちらにせよ想い人はいるじゃありませんの!」
「ああ。お前が好きだ」
「ほら!私が好きなら私と婚約なんて……って、え?」
瞬く。
言葉の意味を理解する前に、手首をつかまれ、腰を引き寄せられて。
柔らかな温もりが、フローチェの唇に音をたてて触れた。
「好きだ。ずっと前から……俺が好きなのは、お前だったんだ」
呆けたフローチェは、されるがままに腕に閉じ込められる。
ゆっくりと、瞬きを繰り返した。
「それ……って」
「双方想い合っているなら、何も問題は無い。王子より俺を選べ。俺と結婚してくれ、フローチェ」
そこまで言われれば、いくら鈍いフローチェでも理解せざるを得なくて。
「……っ!」
頬を濡らして何度も頷くフローチェに、ヴィレムはもう一度口付けた。
「……愛してる」
一度は、諦めた。
だが、こうして彼女が己の手の中にいるから。
もう二度と離しはしないと、刻むように愛の言葉を愛しい人に落として。
◇◆◇◆
逃げ出したフローチェをヴィレムが追った後。
その場にはブレフトとハーンストラ公爵が残ったわけだが。
聞いた話では、ブレフトのイタい台詞集をブレフトの目の前でハーンストラ公爵が朗読し、二人で台詞を推敲するという死にたくなるようなことをしたらしい。
ブレフトは笑いを堪えた使用人により、領地で最も辺鄙な場所の別邸に送られ、共謀 (しようとしていた)男の情報を吐かされ、今は軟禁中だ。
といっても、あの冊子が出回った中屋敷にはこれないだろうから、軟禁されていなくとも引きこもっただろうが。
これはハーンストラ公爵家とヴィレムの中で処分されたので、他に悪評が広まることは無い。
「フローチェ、そろそろ行くぞ」
「ま、待って欲しいですわヴィレム!ミリア、大丈夫?」
「完璧です、お嬢様」
「フローチェ。時間が無い」
「分かってますわよ!でも……」
今日は第二王子の八歳の誕生パーティーで、フローチェとヴィレムが婚約を発表してから最初の社交の場だ。
「少し、緊張してしまって」
「何を今更……」
ヴィレムはフローチェの手を取り、さっさと歩き出す。
「お前が他の男の目を引きすぎる以外に、問題点はない。寧ろあまり完璧だと妙なものがよってくるから避けたいくらいだ」
「っ!?」
さらりと告げられた言葉にフローチェが顔を上げると、それをわかっていたかのように額に口づけられる。
真っ赤になったフローチェが振り返れば、案の定、両手で顔を隠すポーズをしながら、指の隙間からミリアがこちらを見ていた。
ごちそうさまです、とその口が動く。
「なっ、なっ、なっ……!」
「ほら、前を向け。馬車が来ているぞ」
何事も無かったかのように先に乗り込んで手を差し出してくるヴィレムに、フローチェはむくれる。
「もう、ヴィレムもミリアも二人して私をからかって……!」
不服そうに尖っていたフローチェの口は、しかしすぐに緩んだ。
この何気ない日常は、これからもきっと続いていく。
そんな予感が胸を温めて、フローチェは、誰より愛しい人の手を取った。
────フローチェ・ハーンストラとヴィレム・フィーレンスは、この幸せな舞台から降りることは無い。