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翼を持つ者

翼を持つ者

作者: 有沢 諒

 全てが紅く色づく夕陽の中、ルカは陽に染まった彼女の姿を見上げた。


 いつも、彼女の姿を思い出すときは暖かい陽の光を思い出す。

 たぶん、彼女のイメージがそうだからだ。


 ルカにとって彼女は親代わりのような存在だった。

 本当の親は幼い頃に二人とも人間との戦争で死んでしまっていた。

 自分のような子供は珍しくなかったから、特別寂しいとも感じなかった。


 それに、ずっと終わらない戦いの中、それでも笑顔を絶やすことがなかった彼女の存在が、いつも自分を支えていた。

 でも、身近な人の死がいつも傍にあって、大人たちはいつもピリピリしていて、どこか余裕がなかった。

 それがなんだか辛くてルカは訊いてみた。


「ねぇ、戦争はいつ終わるの? 僕たちはなんで戦っているの?」


 彼女はどこか困ったみたいに微笑んだ。

 優しげで、でも強い光を宿した赤い瞳がこちらに向けられる。


「・・・それは、私にもわからないな」


「ええ~?」


 意外な答えに声を上げると、彼女は笑いながら手を伸ばし、ルカの髪をくしゃくしゃと混ぜた。

 うわっと叫んで逃げると、彼女は楽しそうに微笑みながら屈んでいた体を伸ばし、ふと笑みを消した。


「でも・・・そうだな。たぶん、弱いからだろうな。人間も、私たちも」


「・・・弱い?」


 意味が解らなくて訊き返す。

 彼女は応えずに何かを思い出すみたいに、目を細めて沈みゆく夕陽を見て言った。


「・・・いつか、皆が強く、そして優しくなれたらいいのにな・・・」


 呟く言葉は、どこか祈りのように響いた。

 白い翼が優しく包み込むように羽ばたいていた。




「うおらっっ!! なにボケてんだぁ?」

「うわっ!?」


 ドゲシッと背中を蹴られて、危うくルカは道の真ん中でこけそうになった。


 軽く踏み固められただけの細い田舎道。

 夏の夕暮れが全てを赤く染め上げている。

 真正面には夕陽に染まった山脈が見え、周りには野原が広がっていた。


 ルカは振り返って、ものすごく理不尽な行為で物思いを邪魔してくれた旅の相棒のラナを睨む。

 彼はルカを育ててくれた彼女の双子の兄でもある。

 でも、はっきり言って顔以外あんまり似ていない。

 ラナはちょっと目つきが鋭いから、一見すると怖い感じだ。


「いったいなぁ、何するんだよ」

「こんなとこでボケてんのが悪い」


 反省の色を全く見せずに胸を張る。

 大柄な彼がそうするとメチャクチャ態度がでかく感じる。

 黒髪黒目。

 歳は人間でいうと二十代後半くらい。

 夏用の薄いマントを着て、小さくまとめられた荷物を背負い、腰に剣を佩いている。

 ルカも同じような格好だ。


 いい大人が子供みたいなことをするなよ・・・


 言いたくなったけどやめておいた。

 だって、ラナの気持ちもわからなくなかったから。


 もうすぐ村に着く。

 ピリピリしてもしかたない。


 ・・・人間、敵だった者たちの村だ。


 ルカたちは人間ではない。

 翼人ルーン、そう呼ばれる種族だ。

 背中に純白の、鳥のような翼を持ち、その寿命は人間の優に五倍は長い。


 だからラナは百歳をとうに越えているし、ルカも人間だと十代半ばくらいに見えるだろうが、もっとずっと歳をとっている。


 まあ、歳をとったからといって大人になるわけじゃないから・・・ラナを見つめてルカはため息をつく。

 ・・・あまり意味はないけど。


 他にも、翼人は基本的に人間よりも身体能力が高い。

 そして、それだけでなく人間にはない魔力を持っていた。

 でも、魔力を自在に扱えるものは翼人でも少数で、もちろんルカもラナもそんな力はなかった。


 今、人間と翼人の間には深い溝・・・傷がある。


 それはもう、二百年ほど前の話。

 もともと大陸の西にある森林地帯に翼人が、東の平原に人間が住んでいた。

 しかし、徐々に人間の人口が増え接触が増え、そして争いが起こるようになった。


 いつしか、それは種族同士の大規模な戦争に発展していった。

 それが百五十年前。

 個体としては翼人と人間では勝負にならないが、戦争は数がものを言う。決着はなかなかつかず、それから百年以上も続いた。


 そして、戦争は二十年前に翼人の敗北という意外な形で決着を見た。


 理由は皮肉なことにその長い寿命。

 翼人は人の五倍の寿命を持つ。


 けれど、それは一人の翼人が大人に成長するのにも、人間の五倍かかることを意味していた。

 出生率も人間に比べると雲泥の差で、戦争を始めて百年も経つ頃には、翼人はその数を激減させていた。


 戦争などやっている場合ではなかった。


 そして、敗北を認めた翼人は、人間の足では踏み込めないような山奥などに居を構え、人間たちとの接触を避け暮らしている。


 ルカも五年前までは山奥の村に隠れ住んでいた。

 だが、旅に出るというラナに半ば無理やりついてきたのだ。

 人間の里を旅するため、二人は翼人特有の赤い瞳は魔力で黒に変え、翼も隠していた。


「でもさぁ、もう戦争終わって二十年もたつんだよ~?」


 小さく、ため息をつくように呟くと、背後に不穏な気配。


「だからなんだってんだぁぁ!?」

「うわ!? やめてゴメンってばぁ!!」


 ギリギリギリとこめかみを拳でグリグリやられる。

 めっちゃ痛い!


「痛いって!」


 振り払ってようやく逃げると、ラナがチッと残念そうに舌打ちする。


「まったくもう! ほら、目的の村、すぐそこなんだから!」


 ルカは目の端に入ってきた山の麓の民家らしき屋根を指差す。

 まだ、かなり距離があるが翼人であるルカたちには細部まで良く見えた。

 さほど大きくは無い村だ。

 民家の屋根が数軒と農地らしい緑が見る。


「大丈夫、僕たちはちゃんと人間に見えるって、ね?」


 にっこり笑むと、ラナもつられるように口元を緩めた。


「わぁったよ」


 ぽんぽんとルカの頭を軽く叩いて早いペースで歩き出す。


「あ、待ってよ。ラナ!」


 ルカは頭を抑えてラナを追いかけた。




 村に入って、いよいよラナは不機嫌になった。

 ムッとした表情で口を引き結んで、なんだか周りに喧嘩を売っているみたいな雰囲気で歩いている。

 人間の住む世界を旅するようになったのはもうずいぶん前のことなのに、ラナは未だに人間に心を許していないところがある。


 ルカと違って、自ら戦場に赴いたことがあるからかもしれない。

 けれど、今回はちゃんと用があってこの村に来たのだ、この雰囲気はいただけない。


「ラナ~あのさぁ~もっと、なんていうかさぁ~・・・普通にできない?」

「・・・なにがだよ?」


 目を細くして言うと、ラナは怖い目つきのまま、ぎろりとこちらに視線を返してきた。


 ・・・だから怖いって。


 ラナはルカの呆れたような視線を感じて、ふんっと視線を戻す。

 今度はどこか不貞腐れたような感じで呟いた。


「やっぱやめねぇかぁ? 別にこんなとこ寄らなくてもよぉ・・・そのまま山に入ればいいじゃねぇか」

「ダメだよ、路銀も残り少ないんだし、どうせならお金も稼がないと」


 それにはこの村の村長さんのところに行かないといけないんだから、と続けると、ラナは渋々諦めたように口を閉ざす。

 ルカはラナのため息を背中に感じたが無視をして、村人を探しながら歩き出した。


 正直、わくわくするのを止められない。

 うきうきとした気分のまま、ルカは足を踏み出す。


 人間の村。

 実を言うとルカはちゃんと訪れるのはこれが初めてだった。

 今までは、ラナが危険だというので必要最低限の買い物などでしか、町に寄ることがなかったのだ。


 でも、ルカは人間に興味があった。

 翼人の仲間はみんな、人間のことを卑怯でずるがしこい奴らだとか言うけれど、ルカはそうは思わなかった。

 だって、本当に人間とちゃんと話したことがある翼人はいないし、こんなに翼人と人間は似ているんだから、本当はもっと近くでわかり合えてもいいんじゃないかな?


 この気持ちはラナには内緒にしていた。

 言ったって、人間を嫌っているラナにはたぶん理解されないし、反対されるだけ。

 わかっているし、反対されたって気持ちは変わらないから。


 そんな事を考えながら歩いていると、村の奥のほうから人の声が聞こえてきた。

「こらっ、待ちなさい!」

 という、女の子の声と。

「やだよっ!」

 と応える、小さな子供の声。


 まるで追いかけっこみたいに、子供の足では全力疾走といった感じで二人はこちらに駆けてくる。

 亜麻色のおさげが二本、少女の動きに併せて跳ねた。

 先を逃げる小さな頭と同じ色。


「もう、いいかげん止まりなさい! あんまり走ると転ぶわよ!?」

 女の子が危なっかしい走りの子供に心配そうな声を上げる、が。

「へへん! その手にのるかよ!」

 なんだかしたり顔で、男の子が言った。


 心配そうに顔をしかめる女の子と違って、追いかけっこが楽しくなったのか満面の笑みで。

 すると、かなり近づいてから、男の子がようやく気づいたようにルカたちを見る。

 驚いたみたいに目を丸くして、そして。


 つまづいた。


 あっと思ったとき、地面とキスしそうになった男の子の体をラナの手が支えた。


 ホッとしてラナを見上げると、物凄く不機嫌そうな顔だった。

 たぶん、とっさに手が出てしまったんだろう。

 それでも、手を振り払ったりせずに男の子を立たせてやる。


 こういうところがラナらしいなと思ってルカは笑みをこぼした。


「ごめんなさい!」


 女の子が駆け寄ってくる。

 歳は十四、五歳くらいで、見た目はルカと同じくらいだ。

 男の子は七つくらいだろうか。


「良かった。心配させないでよ」

 男の子の無事を確認して、笑顔になった少女は、助けてくれたラナを見上げて、たぶんお礼か何かを言おうとしたんだと思う。

 けれど、その言葉はきけなかった。


「危ねぇクソガキだな、ちょろちょろ走り回るんじゃねぇよ」


 突然のラナの言葉に、女の子はぽかんと口を開け、ベソをかきかけていた男の子も目を丸くしてラナを見上げた。

 思わず頭を抱えたくなった。

 もともとラナの口の悪さは知っていたけれど、ここに来て確実に拍車がかかっている。


 ルカは慌ててラナと二人の間に入って、ラナの身体を押し退けて言った。

「ごめんね、いきなり変なこと言って。こいつ、ちょっと変だから気にしないでね」

「おいこらルカ。なに言ってんだ、ああ? ふざけんなよ」


 どっちかふざけているんだか、ラナの言葉なんていちいちきいていられない。

 ルカはすっぱり無視をして、こっちを見ている二人にごまかすように笑顔を向けた。

 おいこら待てよっ、とかなんとかまだ言うラナ。

 いい加減にしてよもう・・・とか思ったとき、女の子がハッとしたように口を開いた。


「こちらこそ、お礼も言わないで・・・弟を助けてもらってありがとうございます。ほら、リュイも」

 リュイと呼ばれた男の子は姉らしい少女に肩を押されて、こちらをじっと見上げる。

 二人の造作は姉弟らしくそっくりなのに、どこか優しげな姉の印象と違って、リュイは勝気に見えた。


 そして、リュイはニッと不敵な笑みを浮かべて言った。

「ありがとう、口の悪いオッサン」


 え・・・


 目を丸くすると。

「こらっ、リュイ!」

 女の子が慌てて弟に手を伸ばした。


 その手をスルリと抜けてリュイはべーっと舌を出す。

「オッサンがヤなら名乗りなよ。おれはリュイ。クソガキなんて名前じゃない」

 言われてみればその通りで、女の子は半ば呆れたように手を下ろして、ルカは思わず吹き出してしまった。


 なんだかこの子、ラナに似ている。


「確かにね。僕はルカ。よろしく」

 そして視線をラナに向ける。

 ルカの楽しそうな表情に、ラナは不機嫌さを隠さず眉間に皺をよせて視線を逸らす。


 それでも口を開いた。

「・・・・・・ラナだ」

「へぇ~、ラナなんて変なの、女みたい」

「うっせぇ、クソガキ」

「クソガキじゃねぇよ、女みたいな名前のオッサン」

「その通りだよ、ラナ」


 彼が自分の名前を女みたいだと嫌がっていることを知りながら笑顔を向けると、ラナはムッとしたように顔をしかめてそっぽを向いた。

 ちょっといじめすぎたかな? と、思いながらルカは視線を女の子に向ける。


「で、君は?」


 少女は驚いたみたいに視線を返した。

 その瞳が綺麗な翠色だった。

 自分たちの種族にはないその瞳の色彩いろ

 栗色の睫に縁取られた新緑の翠に、予想外に驚いた。


 よく見れば服の上に着けられたエプロンの縁取りが、同じ翠色だ。

 とても大切にしているのだろう、裾に繕ったあとが見えるが染みひとつない。

 翠の縁取りがあるだけのシンプルなデザインが、翠色の瞳を持つ少女に良く似合っていた。


「あたしはアイラ。あなたたちは旅の人? こんな辺鄙なとこまでよく来たわね」

 旅人が村に来るのはひどく珍しいことのようにアイラは言った。


 実際、街道からも離れたこんな小さな村に立ち寄る旅人などほとんどいないのだろう。


「うん、そうだよ・・・ちょっとこの村に用があって」

「用?」

「そうだ、教えてもらえるかな? 村長さんの家なんだけど」

「村長さん? それならすぐそこの。ほら、大きなヒマワリの咲いてる家。・・・村長さんに用があるの?」


 指差す方に顔を向けると、確かにたくさんの太陽みたいに鮮やかな黄色い花で彩られた家が見えた。


「うん。噂を聞いてさ。雇ってもらえないかと思って」

「噂って・・・」


 そう言って、アイラはルカとラナを下から上までマジマジと、不躾なくらい見回す。


 翼人と気づかれるかと思って、一瞬どきっとした。

 けれど、翼は隠してあるし翼人特有の赤い瞳も変えてある。

 だから大丈夫なはずだ。


 アイラは二人の腰にある剣に気づくと、困ったみたいに首を傾げながらルカを見上げた。


「まさか、山に住み着いたあいつらの相手をする・・・とか?」

「・・・うん、そうだよ」

「え!? あなたたち二人きりで!? 嘘でしょう? 死んじゃうわよ!?」


 ルカはその様子に驚いた。

 見ず知らずの自分たちにかけられた、それは間違いなく心配の言葉だった。

 嬉しいような照れくさいような。


 けれど『あいつら』というのを彼らだと思っての発言だと考えると、なんだか複雑。


「・・・大丈夫だよ。僕たちは慣れてるから。・・・・・・相手にするのも初めてじゃないし」


 ルカはちょっと困って曖昧な笑みを浮かべる。

 アイラが心配してくれているのは嬉しい。


 だけどアイラが言う『あいつら』というのは、実は翼人の残党のことなのだ。

 二十年前、翼人は全面降伏を申し出て表向き翼人の兵は撤退し、平和が訪れた。


 けれど、翼人は個人なら人間よりはるかに戦闘能力が高い。

 そして、世界のあちこちには未だに敗北を認めずにいる翼人たちがいて、残党と呼ばれているのだ。


 それが、最近になってこのあたりの山に住み着いたのだというのを、ルカたちは食糧調達のために寄った街道沿いの町で聞いた。

 それだけでなく、彼らは街道まで下りてきては山賊のように無法を働き金品を奪うらしい。


 ラナはそれを聞いてメチャクチャ怒ったけれど、彼らが翼人だというのはただの噂で確証はない。

 そこでルカたちはそれを確かめるためにここに来たのだ。


 しかも、この村は彼らの直接的な被害こそまだないものの、彼らが住み着いたせいで、行商人が来なくなるなどの被害を受けていて、山賊狩りに賞金を出している。

 それが目的でルカたちはこの村に足を踏み入れたというわけだ。


「あいつらが翼人だってこと知ってるの?」

 アイラが目を丸くして言う。

「・・・うん。だから来たんだ」


 彼女は簡単に頷くルカに驚きを隠せないようで、ルカも曖昧に微笑むしかなかった。

「でも、本当に本気なの? 翼人を相手にするのよ?」


「うっせぇガキだな。大丈夫だって言ってんだろ」


 突然、ラナがとてつもなく不機嫌そうな声を出した。

 眉間に深い皺。

 目つきが鋭くて怖い。


 アイラがびくっと肩を震わせた。


 彼女の言葉がラナのプライドに触れたらしい。

 ラナは剣も強いから、あんまり心配されてそっちのほうでバカにされたみたいに感じたんだろう。


 本当に大人気ない。


「ラナ。やめなよ」

 言われてふんっとそっぽを向く顔がまだ不機嫌そう。


 ルカはため息をついた。

「ごめんね。アイラは僕たちのことを心配してくれてるのに。・・・でも本当に大丈夫だから」


 なんだか悲しくなった。

 こんなふうにちょっと話すだけでも二つの種族の溝は小さくない。


 アイラの心配のなかに翼人に対する恐怖が見て取れる。


 ・・・大丈夫だよって言いたくて言えない事が辛かった。

「・・・教えてくれてありがとう。僕たち、しばらくこの村にいると思うから、またね」

 まだ何か言いたげなアイラに口を挟む隙を与えず、ルカたちは歩き出した。




「おぬしたちが? それは何かの冗談かね?」


 威張っているというわけではないけれど、どこか横柄な態度で村長は言った。

 見るからに頑固ジジイといった様子にラナは初めから憮然とした様子でそっぽを向いているし、ルカは困って、それでも会話を続けた。


「いえ、僕たちは本気です。これでも腕には自信がありますし・・・」

「おぬしみたいな子供の腕を信じろと言うのかね」

 即座に言葉を返される。

 子供と言う言葉に驚いて目を丸くした。


 本当は歳、あんまり変わらないんじゃないかな・・・もしかしたら、村長さんのほうが下なんだけど。


 でも、そんなことはもちろん言えない。

 まあ、実際ルカの見た目はアイラと同じくらいだし、翼人で言えばまだまだ身体も出来上がっていない子供であることは間違いない。

 それでも翼人だから、人間の大人に比べても身体能力では負けはしないけれど。


 村長は口ごもるルカを見て、ため息混じりにしゃべりだす。

「悪いが、おぬしみたいにな子供にそんな危険なことは任せられんよ。結果が見えとるような戦いなど馬鹿者のすることだ。

・・・後ろのお前さんもな。いくら腕に自信があっても翼人を一人や二人で相手にすることなどできるわけなかろう? 剣で飯を食っていきたいと言うならこんな小さな村などでなく、大きな街で用心棒などしとったほうがよほど良いのではないのかね?」


 確かに村長の言うことは正論だ。

 でも、翼人であるルカたちには意味がない。

 けれど、それを説明するわけにはいかない。


 ルカはどうしたもんかなと頭を悩ませた。

「・・・あの、とりあえずひとつ聞いてもいいですか?」


 そう、ここで村長さんに断られようと、山に行くことに変わりはない。だからこそ、どうしても確かめておかなければならないことがあった。


「その山賊は本当に翼人なんでしょうか?」


 村長はじっとルカを見てから、ふんっと鼻を鳴らす。

「それは間違いない。わしもこの目で見た。あれは間違いようもなく翼人だった。あやつら特有の赤い印をこの眼で・・・」


 語る村長の目が軽く震えて閉じられる。


 ルカのに、それは溢れる恐怖を押しとどめているように見えた。


「そう、ですか・・・」


 ラナを見ると、珍しく真剣な眼差しとぶつかる。

 ルカは決意を込めて頷いた。




「ああ、せっかく村まで来たのに、なんで野宿なんか・・・」


 ルカは思わず溜め息をついて、焚き火に小枝を放り込む。

 場所は村の外れ、山に近い辺りの少し開けたところだ。

 ルカとラナの二人は野営の準備を終え、焚き火の周りに腰を下ろしていた。


「うっせぇな。いいんだよこれで。下手に人間に恩を売られるより全然いいじゃねえか」

「それはラナの考えだろ? 僕は別にいいよ。もともと山賊退治に来たんだし」


 もう一度溜め息をつくと、ラナはどこか複雑な顔をこちらに向けた。

 謝るかどうか迷っているのだ。

 けれど、最終的にはふんっとそっぽを向く。

 本当にいじっぱりだ。


 乾パンと干し肉を火で焙って簡単な食事をとる。

 これもどこかの家に泊めてもらえたらもっと美味しいものが食べられたのに。

 そう思うとよけいにお腹が空いた。

 なにしろルカはまだまだ育ち盛りなのだ。

 こんなんじゃちっとも腹がおさまらない。


 まったくラナが悪いんだラナが。

 思って睨むと、ラナがなんだか滅多に見られない真顔でこちらを見ていた。


 え? なに?


 驚くルカにラナは溜め息をつくように言葉を吐いた。


「お前・・・そんなに人間に関わりたいのか?」


「っ」


 突然のことに言葉をなくす。


 ラナはその様子に今度こそ本当に溜め息をついた。

「ま、お前はあいつに育てられたんだ。ちょっと人間に甘いところがあるってことは俺も最初っからわかってたつもりだ。

けど、とくにこの頃のお前は・・・今日もそうだ。・・・変に人間に対して警戒心が足りなすぎんだよ」


 なにも言えずに唇を引き結ぶ。

 気づかれていた。

 そのことに驚いて軽く肝が冷える。


 今日は今までと違って、明瞭な理由があって人間と接触した。

 その大義名分があるから、とくに取り繕いもしなかったのがいけなかった。


 ルカは知っていた。

 ラナがどれほど人間のことを嫌っているのか。


 そんなのは一緒に旅をしていれば嫌になるほどわかる。

 ラナは人間の前に居るときは一時だって警戒を解かない。

 食糧などの調達のために町に寄っても、いつもピリピリしていて必要以上はしゃべらないし、用が終わればすぐに立ち去る。

 人前にいるときのラナは普段とは比べ物にならないくらい怖くて、ルカでも声をかけるのをためらうくらいの雰囲気をまとっていた。


 ルカが生まれた頃、ラナはすでに戦場にいた。

 ・・・戦場。

 それがどんなものかルカにはわからない。

 想像することしかできない。

 辛かったんだろう。

 いろんなことが辛くて苦しかったんだと思う。


 ・・・でも、それでも。


「戦争はもう終わったんだよ。ラナこそ、なんでそんなに人間を嫌うわけ? どうして人間と仲良くしちゃけないんだよ?」


 けれど、ラナはそんなルカの言葉を聞いてギリッと奥歯を噛み締めた。


「・・・お前はなんにもわかってねぇよ」


「・・・え?」


 ラナの低い呟き。

 よく聞こえなくて、意味もわからなかった。


「なんでもねぇ。・・・この話はもう終わりだ。明日は山に行ってバカどもをとっ捕まえなきゃならねぇんだから、早く寝ろ」


 柔らかい草の上に横になりながら、無理やり会話を断ち切るみたいな言い方にルカは目を丸くする。


「え? ラナちょっと待ってよ。なん・・・」

「うるせぇっもういいって言ってんだろ!?」


 ラナは身を起こしざま、手元にあった小石を投げた。

 もちろんただの脅して、石はルカを大きく外れて背後の闇に飲み込まれる。


 思わず肩が震えた。

 ラナがどうしてこんなに怒るのかわからなかった。


「うわっ」


 突然、誰もいないはずの背後から声がした。


「オッサン危ねぇな。なにすんだよ」


「リュイ?」

 聞き覚えのある声に目を丸くして振り返ると、そこには確かに昼間あったやんちゃな人間の子供、リュイがいた。


 一瞬、どこから話を聞かれていたんだろうと思ってひやっとしたけれど、リュイはそんな心配とは裏腹にルカにニッと笑顔を向けて、隣に腰を下ろす。


「なにしにきやがった。クソガキ」

「うっせぇなオッサン。人に石投げつけといて謝りもしねぇくせに」


 言われて、ラナはふんっとそっぽを向いた。


「石は当たらなかった?」

 たずねると、リュイは昼間と変わらない笑みで視線を返してきた。


 ・・・なんだかほっとした。


「うん、だいじょうぶ。それより、なんでこんなとこにいんの? 今日は村長んとこに泊まるんだと思ってた」

「え・・・っと、それは・・・」

 ルカはちょっと言葉を詰まらせてラナを見る。


 彼は腕を組み、なんか文句あるかといった様子でそっぽを向いていた。

 その様子に嘆息してルカは答える。

「ちょっとね・・・ラナが村長さんと喧嘩しちゃって」

「へ?」

 リュイが驚いて目を丸くする。


 ルカは溜め息をついて、そのときのことを話し出した。




「そう、ですか・・・」


 翼人であるなら尚更、彼らを止めるためにも山に行かなければならない。


「僕たちは明日、山に行きます」

「こりん奴じゃな。駄目だと言っとろうが。おぬし、そんなに死にたいのか?」

「・・・でも、僕たちは・・・」


 翼人だ。

 だから大丈夫なのに。

 ・・・言っちゃだめだ。


 わかっているのに言いたくなって、村長さんの優しさがなんだかひどく辛かった。


 と、そのときラナがいきなり声を上げた。

「グダグダとうるせぇクソジジイっだな!? 俺たちが山賊を退治してやろうってんだから、お前はただここで俺たちが首尾よく帰ってくんのを待ってりゃいいんだよ!!」


「な!? クソジジイとはなんだっ初対面の人間に向かって!」


「あぁ? テメェだって俺たちの技量、若いから弱ぇって決めつけてバカにしてんじゃねぇのかよ? クソジジイがなんだってんだ。お互い様だろうが。・・・ああ、コチコチに固まった石頭じゃそんなこともわからねえか?」


 馬鹿にしたようなニヤニヤした笑いが浮かぶに至って、村長の顔から火が噴いた。


「おのれぇ・・・黙って聞いておれば言いたいこと言いおって、この若造がっ!!」


「うっせえ! あいつらぶっ倒せば文句はねぇだろ。協力できねぇんならじゃますんな!」


「誰がじゃまなんぞするものかっ。山でもどこでも行って好きに野たれ死んでくるがいいわ! とっとと、この家から出て行け!!」


「あぁ、言われなくてもそのつもりだ。こんな頑固ジジイの家なんて一秒たりとも居たくないね」


 最後まで悪態をついてラナは村長に背を向けた。

 戸口から出て行く姿を見て、口も挟めずにいたルカはハッとして慌てて追いかけ部屋を出る直前に村長に謝罪の言葉をかける。


 けれど、村長はルカに対しても唇を引き結んで横を向いたまま、一言も口をきかなかった。




「うわぁ・・・むちゃくちゃすんなぁ・・・」


 リュイがなんだか感心したような呆れたような声を出した。


 ルカは困ったように頷いて。

「止められなかった僕も悪いんだけどね」


「で、お前はなにしにきやがったんだ。クソガキ」

 思い出すだけでもむかつくのか、ラナが不機嫌そうに口を開いた。


 リュイは、本当に口の悪いオッサンだなぁと呟いてから、ニッとどこか楽しそうな、いたずらっ子みたいな笑みでルカを見た。

「ルカたち、山の奴らを倒しに行くんだろ? なら、教えてやろうと思ってさ。おれ、いろいろ知ってるんだぜ。どの辺りにいるとか、何人くらいとか」


「なんでお前がそんなこと知ってんだよ?」

 得意げなリュイの様子にラナが眉間に皺を寄せる。


「だって、山は俺の遊び場だもん。いいかげん迷惑してんだよね。あいつらのせいでさ」

「て、ことは山賊が現れてからも山に遊びに行ってるの?」


 ちょっと冷や汗を流しながら訊く。


「うん、もちろん! だから今日もねえちゃんに怒られて追いかけられたんだよ。いいじゃんか別になんにもなかったし。あんなに怒んなくてもさぁ。ルカもそう思うだろ?」


「え・・・いや、それは・・・やっぱ危ないんじゃないかなぁ・・・」

 ちょっとアイラに同情する・・・


 ええ? そうかぁ? とか言って、リュイが首を傾げた。


「そんなことより、さっさと教えろよ。あの村長のクソジジイ、そういうことなんにも言わねぇんだから」


 それはラナが悪いんだろと思って、そんなことを平然と言うラナに力が抜ける。

 自然と隣に座るリュイと目が合って、二人で一緒に溜め息をついた。




 起き出したばかりの虫の声が遠く長く響く。

 夏の山は噎せ返るような緑の匂いに包まれていた。

 けれど、朝の爽やかさが涼しさをよんで、どこか快適な感じだ。


 ルカとラナの二人は、木々に身を隠すように物音を立てないようにして歩を進めていた。

 荷物は野営していた場所に置いてきたので、マントと腰に佩いた剣だけといった軽装備だ。

 歩く道は獣道だが、ルカたちには進むのに苦労はない。


 しばらくして、木々がざわりとした嫌な感じを運んできた。

 たぶん、目的地が近いのだろう。


 翼人は森の民だ。

 森に住み自然との共存を好む。

 そして、その魔力は主に翼で空を舞うためにあるのだが、それだけでなく木々との対話を可能にしている。

 木や植物の微かな感情を知ることができるのだ。


 山賊たちはこの先の狩りのために立てられた山小屋に居座り生活をしているという。

 ルカたちは村から最短距離の道なき道や獣道を通ってここまできたが、山小屋に向かうちゃんとした道は村から離れた街道の近くにつながっているらしく、おかげで村への直接の被害がなかったらしい。


 ここに来るまでに、途中にちょっとした崖があった。

 どうやらそれを避けるために迂回した道が作られているようだ。


 リュイは普通に山道を通って山賊を見にいっていたらしい・・・怖いもの知らず過ぎる・・・。

 リュイの得意げな様子を思い出して、苦笑する。


 ふいに木々の嫌悪感を含んだ感情がいっそう強く漂った。

 その感情に押されるように緊張しながら進む。


「いやがった・・・」

 先を歩いていたラナが立ち止まり身を低くして言った。


 まだ遠い。

 かなり距離のある場所に小屋らしいものが見えた。


 よりいっそう身を潜めて近づくと、ちょうど外に出ていた人の姿が確認できた。

 薪らしい木を何本か抱え小屋の中に入っていく。

 その人影の髪が朝日に照らされて赤く輝いた。


「赤髪族か・・・クソガキの言った通りだな」

 ラナの呟きにルカも頷いた。


 赤髪族。

 翼人の部族のひとつだ。

 生まれつき赤い髪を持つ。


 赤い色は翼人の特徴のひとつだ。

 赤い瞳を持つルカたちは、赤眼族と呼ばれている。


 実際、翼人と人間の見分けるためにはその色を確かめることの方が多い。

 一番の特徴であるその翼は簡単に隠すことができるからだ。


 実のところ翼は魔力の具現であるため、実態があるのにないような不思議な存在だ。

 実際、ここに来るとき二人は崖を渡るために翼を使って飛んだが、服には穴は開いていない。

 このあたりの仕組みは翼人であるルカたち当人にも良くわからない。

 ただ、翼人の翼はそういうものだということだ。


 ルカたちは警戒を解かず、細心の注意をはらって小屋に近づいた。


 本当に仲間だとしたら、こんなことはやめさせなければならない。

 けれど、翼人同士とはいえ、無法を働くような輩とまともに話ができるかもわからない。

 それに、まだ人間である可能性も捨てられないのだ。


 小屋に近づくと、中から数人の男の声が響いてきた。

 リュイの話からすると山賊たちは全部で五、六人ほど。

 耳を澄ます。

 確かに男たちの気配はそのくらいだ。


 ラナが注意深く窓から中を覗こうとする。

 そのとき、男たちの会話が耳に飛び込んできた。


「しっかし、楽勝だなぁ。こんなことだけでよぉ」

「ほんとほんと。こんなにうまく行くんなら、もっと早くからこうしていりゃ良かったぜ」

「まったくだ」

 ガハハというような下品な笑い声が響く。


 なんのことだと思って眉間に皺を寄せ、ルカもラナ同様に身を潜めて窓を覗いた。


 赤い髪の男たちが六人、テーブルを囲んでだらしない格好で椅子に腰掛けている。

 酒盛りをしているらしく、戦利品らしい荷物を広げて、昨夜から呑んでいたのか皆すでにかなり酔いが回っているようだった。


 すると、一人が隣の男の髪に手を伸ばした。

「でも、けっこう色が落ちてきたなぁ。お前の根元が茶色くなってんぞ?」

「ああ、そろそろ染め直しが必要だな。まあ、真っ昼間にデバっていかなけりゃ、そうそうバレることもねぇだろうけどな」

「そりゃそうだ!」

 ガハハとまた笑う。


「・・・たくっ、やっぱり人間じゃねえか」

 ラナがチッと舌を鳴らした。


 ルカも眉間に皺を寄せる。


 髪の色は変えようと思えば色粉で簡単に染められる。

 赤い色粉は高価だから、そうそう人間が翼人に化けることもないが、不可能なことではないのだ。


 でも、どこかほっとしてもいた。

 翼人の仲間が悪いことをしているのを見るのは、やっぱり悲しいから。


「翼人様々って感じだな。俺たちが翼人だって思われてるおかげで捕まえに来る奴はまずいねえし、それに国のおエライ連中だって、簡単には手がだせねぇって話だぜ」

「ああ、また翼人と戦争になっちゃヤバイもんな。いくら勝ったっていっても、もう戦争はコリゴリってワケだろ?」

「翼人なんか今じゃ山奥に逃げ込んでるってのに国も情けねえこった。あんな奴ら、いくらだって俺たちがぶっ殺してやるってのによ!」

 そうだそうだと上がる無責任な声。


 ぐらりと怒りの気持ちが湧き上がる。


 戦争をルカは良く知らない。


 知っているのは戦時中のどこかピリピリした空気だけ。

 父母は亡くなったけれど、物心つく前だったから、身近な者の死も実際には良くわからなかった。


 でも、ラナたち戦場を知る者たちの心にあるどうしようもない葛藤とか、そういうのは直接わからなくてもわかろうと努力はしていた。


 今の山賊たちの言葉はそういう気持ちが少しでもあるなら、絶対に言えない言葉だ。


 こういう奴らがいるから翼人と人間の溝はいつまで経っても埋まらないんだ。


 ぐっと歯を喰いしばる。

 自然と手が剣へと伸びた。


「それに、翼人は金になるって聞いたことがあるぞ。生け捕りもいいかもな」

 さらに山賊たちの声は続く、もう聞きたくなかった。


「っざけんな・・・」

 真横で囁かれた低い声に驚いて見ると、ラナが奥歯をかみ締め無表情になるところだった。


 それを見た瞬間、ルカはすっと血の気が引くのがわかった。


「ラナ・・・!」


 制止の声は届かなかった。

 ラナは身を翻しざま剣を抜き放ち、そのまま山小屋の戸を蹴破った。


「なんだテメェは!?」

 突然の乱入者に上がる怒号の声。


 ルカも慌てて剣を抜き放ちあとを追った。

 男達もすぐ手の届くところに置いてあった剣をとり、テーブルの上にあった戦利品をぶちまけて動揺を露にしながら立ち上がる。


「っるせぇ!! 黙って聞いてりゃ言いたいこと言いやがって・・・かかってきな! 一人残らずぶちのめしてやる!!」


 立ち上る気迫に山賊たちが息を呑む。


「ラナ、落ち着いてよ」

 ルカは慌てて、今にも切りかかりそうなラナの背中に言った。


「あぁ、わぁってるよ・・・俺はすっげぇ冷静だぜ?」

 山賊から一時も逸らすことなくラナの瞳が剣呑に輝く。


 ルカは顔をしかめてそんなラナを見上げた。


 そう、ラナは冷静に怒っている。

 わかるから余計に心配だった。

 つまりは本当に怒っているということだから。


 相手、肋骨折るくらいですめばいいけど・・・


 ルカの心配をよそに、男達は二人の姿を認めてふっと動揺から覚めた。

 よく見れば乱入者はたったの二人、しかも一人はまだ子供だ。


「なんだ、ただの人間じゃねぇか。・・・お前ら良く見ろよ? 俺たちは翼人だぜ? 痛い目にあいたくなけりゃさっさと失せな。今なら許してやるぜ?」

 ガハハといかにも鷹揚そうにリーダー格らしい男が笑った。


 ルカは眉間に皺を寄せ、ラナは唇の端を持ち上げて笑う。

「痛い目にあうのはテメェらじゃねぇのか? ニセモノ翼人さんよ?」


 途端、男たちのにやけ顔が剥がれ落ちる。

「っ、聞いてやがったのか」

「そんじゃ、ただで返すわけにはいかねぇな。俺たちはまだまだこれからこの髪で稼ぐつもりだからよぉ」


 下卑た笑い。

 男たちの目に新たに殺気が加わって、剣を持つ手に力がこもったのがわかった。


「つべこべうるせぇんだよ!」

 ラナが剣を振り上げて、足を踏み出す。


 ルカは慌てて叫んだ。

「ラナ! 殺しちゃダメだよ!!」


「わあってるよ!!」

 叫び返してそのままの勢いで正面にいた男に上段切りをあびせる。


 男は慌ててそれを受けたが派手に後ろに吹っ飛んでテーブルを倒した。

 ラナはそのままの勢いで小屋の中央へ、そこに横から別の男が切りかかる。

 けれど、ラナは踏みとどまって余裕で半身になって避けた。

 身を翻しざま、避けられていきすぎた男の顔を目掛けて切りつけ、男が怯んだ隙に横から切り込んできた別の男の剣を受ける。


 相変わらず派手だなぁ・・・


 ルカは少し感心してその様子に見入っていた。

「ルカ!」


 呼ばれてハッとすると一人の男が剣を降りあげるところだった。

 慌てず後ろに下がってその剣を弾くように払う。


「ボケてんじゃねぇ!」

 切り結ぶ合間にラナが声を上げる。


 その声はどこか高揚した感じで楽しそう。

 戦争をラナは憎んでいるけれど、剣を交えるのは基本的には好きなのだ。

 剣士の宿命というやつかな。


「わかってる!」

 応えてルカは再度切りかかってきた男の剣を受け流す。


 明らかにこちらを見下している剣は隙だらけだった。

 ルカを子供と見て、ラナに対する人質にでもしようとしているのかもしれない。


 真正面から振り下ろされる剣に、踏み込んで相手の剣を弾く。

 つんのめるようによろめいた相手の横をすれ違いざま、その勢いを殺さずに剣の柄でみぞおちを突いた。

 男が倒れるのを確認もせず、次に向かってきた男の剣を弾いて身を翻して小屋の外に出る。


 男六人で住むには狭く感じるような小屋の中で剣を振り回すにはいいかげん無理がある。

 ラナみたいに膂力があればいいかもしれないけれど、ルカにはまだ力が足りない。

 ちゃんと相手の剣を受けて戦うのは不利だ。

 それには間合いを取れるスペースが必要だった。


「待ちやがれ!」


 追いかけてきた男の剣を振り向きざまに弾いて正面を向く。


 男の顔には焦りが見えた。

 二対六。

 それは普通なら楽勝といえる人数だ。

 それが仲間は簡単に倒されている。

 しかもこんな子供に。

 焦らない方がおかしい。


 ルカはそんな男の焦りを見て・・・笑った。


「おじさん、怖いならやめなよ。どうせ僕には勝てないからさ」


 その一言で男の顔に朱が走る。

「なめてんじゃねぇぞ!!」


 叫んでほとんど闇雲に突き出された剣の切っ先をルカは余裕で躱した。

 行き場を失ってよろけた男の剣の根元を打ち下ろす。

 その衝撃で手が痺れた男はそのまま剣を取り落とした。

 思わず落とした剣を追う男の首筋をルカは剣の柄で叩く。

 男は崩れるように倒れた。


「・・・勝負は焦ったり動揺したほうの負けなんだよ?」

 ルカは小さく呟いて、小屋に向き直る。


 戸口を見ると、ちょうどラナが出てくるところだった。


「終わった?」

「ああ、ちょろすぎんぜ、こんな奴ら。あ~・・・・・・つまんねぇっ」

 物足りなそうな顔でラナが吐き捨てた。


 ルカは呆れて、はいはいと適当な相槌を打って小屋の中に戻る。

 中には完全に伸びた男が五人。

 はっきりいって狭い。


 ルカは男たちを見て、あれ? と思う。

 ラナが倒したのは四人なのだが、大した怪我人はいなかった。

 皆、軽い打撲だけ。


 ラナを見上げると、彼はなんだか憮然とした表情で、あんま怪我させると後が面倒だからなと、吐き捨てるように言った。


 ルカは小屋を見回して、梁に引っ掛けられた縄を見つけると、ラナと二人で男たちを縛り上げた。

 二人だけで六人もの男たちを連れては帰れない。

 後で村人たちにこいつらを連れに来てもらうつもりだった。


「これでよし。さ、早く帰ろう」

 ルカは晴れ晴れとした笑顔をラナに向けた。

 リュイたちの喜ぶ顔が見れるかと思うと嬉しかった。


 ラナはちょっと複雑な表情をしてから、ふっと息をついて苦笑をもらした。

「そうだな。帰ってあのクソジジイから金をふんだくらなきゃならねぇしな」


 ルカの表情から笑顔が消える。

 かわりに頬を膨らました。

「なんでそういう言い方するんだよ? もっと素直に喜べないわけ?」

「悪かったな。どーせ俺はひねくれてるよ」

「あ、待ってよ!」

 すたすたと歩き始めるラナを追って、ルカも麓に続く道を駆け出した。




「あ、ほんとだ。こりゃなんかイモムシみてぇだな」

 村人がほっとしたように、わははと笑った。


 あの後、ルカたちはいったん村に戻り、今度は男手を連れて山小屋に戻ってきていた。


 ルカに案内されて山小屋に来た村人たちは、倒されて縄で両手両足を縛られた山賊たちを見て、ようやく安心して笑みを交わす。

「こんなんなら、リュイ連れてきてやっても良かったな」

 村人が言い、ルカは複雑な思いで苦笑した。


 ここに戻って来るとき、リュイがついてくると言ってきかなかたのだ。

 けれど、アイラに駄目と言い切られて、リュイは悔しそうにしながらも諦めた様子だった。


 不服そうに頬を膨らました顔を思い出す。

 そのときのアイラの剣幕がすごくて、少しリュイがかわいそうな気もしたけど、仕方がないなとも思った。

 これは遊びじゃないし。


「まあ・・・でも、アイラが許さないだろ。この山には絶対入れたくないだろうしな」


 ふと、村人の言い方に引っ掛かりを覚えた。


「なにか・・・あったんですか? この山で」

「ああ・・・・・・いや、そういうわけじゃないよ。・・・ただ、アイラたちは両親がいなくて二人きりだからな。心配なんだろ」


「そうなんですか?」

「五年前にな。・・・リュイはアイラが育てたようなもんなんだよ」

 それを聞いて、さっきのアイラの剣幕に納得した。


 ついで、笑みがこぼれる。

 村人のアイラたちのことを話す口調に、彼らのアイラたちへの想いを感じた。


 五年前ということはアイラたちはまだずいぶん幼かったはずだ。

 アイラがリュイを育てたといっても、それはたぶん村の皆の支えがあったから。

 そして、今もこうして見守っている。


 確かにラナが言うみたいに、この山賊たちのように卑劣な人間もいる。

 けれど、それだけじゃない。

 こんな優しい心を持った人たちもたくさんいる。

 ルカはそんな人たちに出会えたことがとても嬉しかった。


「それにしても、いくら人間だったといっても、お前たち二人だけでよく六人も倒せたもんだな」

 感心したような声に、少し照れて微笑む。

「僕は大したことないですよ。すごいのはラナで・・・こいつらだって、一人で4人いっぺんに相手にして倒しちゃうくらいだし」


 それを聞いて、村人たちは複雑な顔をして、へえともほおともつかない声を上げた。

 中にはあからさまに眉間に皺を寄せる人もいる。

 ルカはその反応に困って、心の中でこっそり溜め息をついた。


 ラナのバカ!!


 思わず叫びたくなる。

 ルカは山を下りて村長と会ったときのことを思い出した。




「なに!? あの若造ども、本当に山に行きおったのか!?」

「そうだよ。今朝早くに行くって言うから、おれ、荷物あずかったんだ」


 リュイはルカたちが野営をしていた場所で、荷物番をしているところを昼頃になって村長に見つかった。

 実際はここに来たらルカたちはもう山に行ってしまった後で、ルカたちが帰ってくるのを待っていただけだったが。


 騒ぎに、昼になって畑仕事を切り上げてきた大人たちも集まってきていた。


「あの馬鹿どもが、無茶しおって。・・・・・・しかたがない。村の若い者たちを集めよう。助けに行くんだ」

「でも、村長、そいつらただの流れ者でしょう? いちいち助けに行くなんて・・・」

 自分たちの身が危険だ。

 そんな雰囲気を感じ取って村長はぐっと息をつめる。


 しかし、昨日のあの会話。

 売り言葉に買い言葉で山に向かったとすれば、目覚めが悪い。


 そんな村長を見てリュイは首を傾げた。

「そんなに心配しなくても大丈夫じゃねぇの? ルカたちなら」


 けれど、幼いリュイの言葉は全く説得力がない。

 大人たちはそろって顔を曇らせた。


「リュイ、相手は翼人だぞ。そんな簡単なもんじゃないんだ」

 哀れむような村長の台詞。


 リュイは顔をあげて反発した。

「そんなことねぇよ! だってルカたちは・・・!!」


「僕たちがなんだって?」


 割り込んできた声にリュイが顔を輝かせる。

「ルカ!」


 駆け寄ってきたリュイにルカは戸惑う。

 かなり離れた場所から話し声は聞こえていたけれど、内容がわかったのはリュイの叫んだ声だけだったからだ。


「おぬしたち・・・そうか途中で諦めて戻ってきたのだな。・・・無事でよかった」

 勝手に納得する村長に一番に反応したのはラナだった。


「ああ? なに言ってやがんだぁ? おい、村長。昨日言ったとおり山賊ども退治してきてやったぜ。感謝しな」


「なに!? 本当か!?」


 村長の驚きようにラナが眉間に皺を寄せる。

「ああ、あたりめぇだろうが。だいたい、奴ら翼人じゃなかったぜ。ただの髪染めた人間。髪が赤いってだけでビビッてっから、あんな奴らのさばらせるんだよ」


 それを聞いて、村長だけでなく集まっていた村人たちにも剣呑とした空気が湧く。

 だれだっていきなり知らない人に、お前は腰抜けだと言われたら腹が立つ。

 ラナの言っていることはつまりそういうことだ。


「ラナ、言い過ぎだよ」

 たしなめるが聞くラナではない。


 ふんっと鼻から息を吐き出して続ける。

「金集めて賞金懸ける前に、ちったぁ偵察くらいしろよな。怖え怖えって家ん中に閉じこもってばっかいるから、あんなバカどもを山賊なんかにすんだよ。その首の上に乗っかってるもん、少しは使いやがれ。飾りじゃねぇんだろ?」


「ラナ!!」

 叫ぶような声に、ようやくラナは口を閉じる。


 けれどもうすでに、この場の雰囲気は修復不可能なくらい悪くなっていた。

 村長の顔は赤を通り越して青くなり、村人の雰囲気も最悪だった。


「すみません。村長さんは心配してくれたのに・・・」

「おぬしに謝られても意味はないわ」


 低く冷たい声にルカはそれ以上何も言えなくなる。


 リュイが心配そうにルカとラナの姿を見上げ口を開いた。

「な、なぁ・・・ルカたち山賊倒したんだろ? そいつらはどうしたんだよ。どこにいんの?」


 リュイの助け舟にルカはなんとか笑みを返す。

「ああ、山賊は六人で僕たち二人で連れてくるのは無理だったから、縛って置いてきたんだよ。

・・・それで、できれば人手を借りたいんですけど・・・」

 村長に目を向ける。


 村長は唇を引き結んでいた。

 ピリピリとした緊張が走る。


「俺は行かねえぞ。伸びてる奴ら連れてくるだけなら能無し連中でもできるだろ」

「ラナ、いい加減に・・・」

「いい、わかった」

 ラナに詰め寄ろうとしたルカの前に手を差し出して村長が止めた。


「確かに、そやつの言う事にも一理あるわ。・・・クレイ、若い衆を集めてくれ。小僧、案内を頼むぞ」

 言い置いて、村長は家の方に戻っていった。


 その後、アイラとリュイの行く行かないの押し問答があって、結局ルカは村人十人だけを連れて山に入り、今に至る。


「すみません・・・ラナの態度、本当に悪くて・・・」


 ラナは野営をしていた場所近くの木の根元にどっかりと座り込んで昼寝をし始めていたから、いまもたぶん寝ているだろう。

 溜め息をつく。


「お前が悪いんじゃないさ。気にすんな」

 慰めるようにルカの肩に手を乗せたのは、クレイと呼ばれた三十代半ばくらいの男だ。

 茶色の短髪にがっちりとした体躯で、一見するとどこか無骨そうな感じ。

 でも、笑顔はすごく人懐っこい印象で、とても気さくな人だ。


「ところでお前さんたち旅人だそうだけど、何か目的とかあるのかい? 賞金、路銀にするとか言ってたけど、目的地はそんなに遠いのか?」

 訊かれて、ルカは少し驚いた。


 そんなことを訊かれたのは初めてだった。

 今まで人との接触をできる限り避けてきたから、当然といえば当然。

 こんな些細なことすら誰かに話したことはなかった。


 ルカは空を見上げた。

 木の葉の隙間から差し込む陽の光に目を細める。

 自然に笑みがこぼれた。


「人を・・・捜しているんです。どこにいるのかわからないから、目的地っていうのもないんですけど・・・」

「へえ、誰だい? 肉親か?」


 問いに、ルカは視線を下げる。

 彼女との直接的な血のつながりはなかった。


「・・・家族なんです。僕にとってもラナにとっても大切な。・・・突然いなくなって、連絡もなくて心配で・・・どこかで元気にしてくれてるって思うんですけど・・・」


 戦争が終わってすぐに彼女はいなくなってしまった。

 まだあの頃はいろいろゴタゴタしていて、ルカは幼かったしラナもすぐには捜しに出ることは出ることはできなかった。


 けれど、もう捜し始めてから五年も経っている。

 太陽の、陽の光のイメージを持つ彼女は今どこにいるんだろう・・・?


「そうか、大切な人か・・・会いたいよな」

 なんの気負いもなくクレイが言った。


 その言葉がすとんと胸に落ちた。


 自分たちのところに戻ってきてほしいとかそういうんじゃなくて、ただ会いたい。

 その笑顔が見たい。

 そういう気持ちなんだって改めて自覚した。

 微笑む。


「それに僕、昔から旅をしてみたかったんです。いろんなところを見て、いろんな人に会って、いろんなことを知りたいって、ずっと思っていて」


「へえ、じゃあ旅はおもしろいだろう」

 微笑むクレイにルカは満面の笑みを返す。


「はい。でも、今まではゆっくりと誰かとしゃべる機会ってなくて・・・ラナが、その・・・ちょっと人間嫌いのところがあるから」

 軽く言葉に詰まるとクレイが呵々と笑った。


「みてぇだな! でも、悪い奴じゃないってのはわかるよ。ただ、ちょっと口が悪くて素直すぎるみたいだけどな」

 さっぱりとした笑い声に、周りにいた村人も苦笑を漏らす。


 さっと、場の空気が和んだ。


「さて、そろそろ村に帰るか。親父も顔しかめて待ってるだろうしな」

 クレイは村長の息子だった。

 次期村長の言葉だからか、はたまた、ただ彼の人徳からなのか、村人はおうっと応えて嫌な顔ひとつ見せずに動く。


 ルカは軽く感心した。


 山賊たちを一つの長い縄で結ぶ。

 小屋の中にあった戦利品らしい品物も回収して二人くらいでわけて持つ。

 山賊たちの剣は危険なので扱いに慣れたルカが請け負った。


 山賊たちは観念したらしく、目を覚ましても騒ぐことも暴れることもなかった。

 人間だとばれた上に、この人数差ではラナがいなくても勝てるわけもないと悟ったのだ。

 山賊をつなげた縄の先を一人が持ち、山賊を一列で歩かせ、後ろにも一人つく。

 残りの人間でその傍をかためた。


「ありがとうございました」

 歩き出してから、ルカは一番後ろについたクレイの横に行き、礼を言った。


 彼の言葉には重みがある。

 クレイがラナのことを認めてくれたから、ラナがそう悪い奴でもないと皆受け止めてくれたのだ。


 クレイは驚いたように眉を上げてルカを見て、苦笑する。

「俺、なにか礼を言われるようなことしたか? ・・・でも、そうだな。ここは素直に受け取っておくか。・・・どういたしまして」

 少しおどけたような口調で、でも満面の笑みを見せる。


 なんだかその笑顔がただ嬉しかった。




「ほれ、これが約束の金だ」

 村に戻ってすべてが済んだのは、だいぶ陽が傾いた頃だった。

 夏のきつい西日を感じる頃、山賊を閉じ込めた蔵の前で村長がルカに袋を手渡した。


 ルカは受け取って礼を言う。

「ありがとうございます」


 けれど村長は何か怒ったようにムッと顔をしかめ唇を引き結んだ。

 なにか気に触るようなことを言ったかなぁと、戸惑うルカの横でクレイが笑った。


「先に言われたからってすねるなよ。親父も素直じゃないな。礼が言いたいなら言えばいいだろう?」

「うるさい。お前は黙っとれ!」


 はいはいとクレイが笑って引き下がる。

 村長はどこか照れたようにゴホンと咳払いをして、驚いているルカに顔を向けた。


「おかげで助かったわ・・・礼を言う。ありがとう」

「いいえ、あの・・・こちらこそ、ラナがいろいろ失礼なことを言ってすみませんでした」


 少し、和んだ空気が流れてルカは嬉しくて微笑んだ。


 だいぶ親しくなったクレイが笑ってルカの肩を抱く。

「どうだ、今夜はうちに泊まっていくか? 今日はもう旅に出るには遅すぎるし、朝からいろいろやって疲れただろう?」

 まだいろいろ話したいこともあるし。

 笑顔で言われてルカも嬉しくなる。


 でも、村長のちょっと困ったような表情に気づいて、顔を曇らせた。

「でも、ラナがなんて言うか・・・」

「う~ん、そうか」


 悩む顔のクレイにルカは慌てて言い直す。

「ダメかどうか訊いてみなきゃわからないから、訊いてきます」

「ああ、そうだな。じゃ、待ってるから」


 ルカは頷いて身を翻し、野営をした場所に向かう。


 思ったとおりラナは近くの木の根元で昼寝をしていた。

 声をかけると、重たげに瞼を開きルカの姿をみとめて伸びをする。


「ちゃんと金をもらってきたようだな。これで、もうこの村に用はねぇ。さっさと出るぞ」

 そう言って腰を上げまとめた荷物に手を伸ばすラナに、ルカは慌てた。


「ちょっと待ってよ、ラナ! そんなに急がなくったっていいだろ。今出たらすぐに日が暮れちゃうし、それにクレイが家に泊まっていいって言ってるんだ」

「クレイ?」

「村長さんの息子だよ」

「てことは村長の家ってことじゃねぇか。ふんっ、誰があんなクソジジイの家になんか泊まるかよ」


 顔をしかめて言い捨てるラナに溜め息をつく。

「また、そんな憎まれ口たたいて・・・村長さんたちは善意で言ってくれてるんだよ?」


「ふん、どうだか・・・」

 言う、ラナの顔が微かに曇った。

 それはいつものふてぶてしい感じと違って、どこか哀しそうな感じで驚く。


「ラナ?」

「・・・なんでもねぇよ」

 言い捨てて歩き出す。


 これ以上の会話を避けるような背中にルカは戸惑う。


「ラナ・・・」

「ルカ!」


 引き止めようとしたルカの言葉を遮るみたいに、後ろから声をかけられる。


 振り返るとトレードマークのおさげを揺らして走ってくるアイラがいた。

 ひどく慌てた様子で駆け寄り、どこか必死な顔でルカを見上げる。


「リュイを見なかったっ?」


 息が荒くて汗だくなのに青ざめたような顔で、アイラは食ってかかるように言った。




「リュイは知らないの・・・あそこに崖があること」

 少し落ち着きを取り戻したアイラが、それでもまだ青い顔で話し出した。


 リュイがいなくなり、日が暮れはじめても帰ってこなくて、今も村の人たちが探しているらしい。

 でも、アイラはリュイが山に行ったと確信しているようだった。

 ルカたちの後を追って山に入ったのではないかと。


 アイラは昨日と同じエプロンの裾をぎゅっと握り締めた。


「はあ?」

 ラナのいぶかしむ声。

 ルカも不思議に思う。


 崖と言うのは山小屋に向かうときに二人が飛んで渡ったあの崖のことだろうと想像がつく。

 茂みに隠れて少しわかりにくい感じだったが、この村と崖の近さを考えると、その存在を知らないなんてことがあるんだろうか?


 二人の困惑を感じて、アイラは歯を食いしばって目を伏せた。


「アイラ・・・?」


 今にも泣きそうな様子にルカはこれ以上訊くのをやめることにした。

 それよりも今は・・・

「僕もリュイを捜すの手伝うよ。ラナも・・・」

「俺はいかねぇ」

 ルカの声に被せるように言われた台詞に驚いて振り向く。


 ラナは不機嫌そうに横を向いていた。

 眉間に刻まれた皺が深くて怖い。


「そんなこと俺には関係ねえ。・・・ルカ、お前もだ。俺たちはすぐにこの村を出るんだ」


 ルカは驚いて目を見開いた。

「なに言ってるんだよ、ラナ。・・・リュイが遭難してるかもしれないんだよ!?」

「それがどうしたってんだ? 俺がこの村に寄ったのはバカな奴らを捕まえて路銀を手に入れるためだ。村の奴らと仲良くなったり、ましてや人助けをするためなんかじゃねぇ」


 ルカは衝撃で手が震えた。


「ラナ・・・本気?」

「ああ、もちろんだ」


 ラナの平然とした声に、叫び出したくなるのを奥歯を噛んで堪える。


 彼がなんでこんなことを言うのかわからなかった。

 ラナが本気でリュイを心配してないなんて思えない。

 横を向いて決して視線を合わせない姿を見ればわかる。


 それでもラナはリュイを捜しに行くつもりがないことも確かだった。


 口が悪くて、思ったことをすぐに口にするけれど、一度口に出した言葉を簡単に覆す男でもない。


 それだけはわかって、でもどうしてなのかわからなかった。


 ルカは知っている。

 ラナが本当はリュイのことを気に入っていること。


 いくら口悪く言っても、どこか小生意気なリュイの様子を楽しそうに見ていたことには気づいていた。

 ラナが人間のことを嫌いとかそんな理由だけで、リュイを見捨てようとするなんて思えない。


 なにか別に理由があるのだ。


 それでも、そっぽを向いてこちらを見ようとしないラナは決してそれを教える気もないのだとわかって悲しくなる。


 そんなに僕は頼りないのかな・・・?

 ラナにしてみたら自分は子供で、頼りないと思われても仕方ないのはわかっている。


 でも、それでも納得なんてできない。


「どうしてそんなことを言うんだよ・・・?」


 ラナはやっぱり何も応えない。

 相変わらず横を向いたまま。

 いつもなら思ったことを口に出さずにはいられないみたいに溢れる言葉が、かけらも漏れてこなかった。


 胸に、冷たい気持ちが湧く。

 怒りにも似た感情。


 なんで、どうしてという思いと一緒に感情が言葉になって口から溢れた。


「見損なったよラナ!! いくら人間嫌いだって言ったって、リュイみたいな小さな子を見捨てられる人だとは思わなかった!!」


 ラナは横を向いたまま、やはり何も言わなかった。

 その事が余計に苦しくてルカも視線を逸らす。


 言ってから本当はただ、強く言えばなにか応えてくれるかもしれないと思っていたことに気づいた。


 これ以上ラナと顔を合わしているのが辛くて踵を返す。

 するとこちらをハラハラしながら見ていたアイラと視線がぶつかった。


「行こう、僕は手伝うよ」

 なんとか笑顔を作ってみせる。

 上手く笑えたか自信はなかったけど、緊張した面持ちだったアイラの表情がかすかに緩んだ。


「・・・ありがとう。みんな、山に捜しに行ってくれてるはずだから」

「うん、行こう」

 そして、ルカは一度も後ろを振り返らずにその場を後にした。




「五年前にね・・・あたしたちの両親はこの山で死んだの・・・崖から落ちて・・・」

 アイラが山肌を目で探りながら言った。


 不安で、なにかしゃべらずにはいられないんだと思う。

 震える声で言葉を紡ぐ姿が痛々しい。


「え? それじゃあ・・・」

 尚更、リュイが崖の存在を知らないことが理解できない。


 その疑問を感じ取ってアイラが応える。

「リュイはまだ小さかったから・・・・ずっと嘘をついてきたの。・・・病気で死んだんだって・・・」


「なんで、そんな・・・」


 アイラは唇を微かにわななかせ、それでも気丈に前を向いて懺悔するみたいに言った。

「お父さんたちは、あたしのせいで死んだから」


「アイラちゃんっ・・・それはちが・・・」

「違わないわっ」

 隣を歩いていたおじさんが心配そうに眉を寄せ、口を挟んできたが、アイラは言葉を遮って首を振った。


「あたしがわがままを言ったりしなかったら、慣れたこの山で道に迷って崖から落ちるなんてことはなかったはずよ。あたしがいけないの・・・」


 とうとう堪えきれず、アイラの目から涙が零れる。

 歩き続けることもできなくて、立ち止まったアイラは顔を覆ってうずくまった。


「アイラ・・・」

 どうしたらいいのかわからなくて、ルカはアイラの肩に手を乗せることしかできなかった。


「・・・アイラちゃんのせいじゃないよ。あれはただの事故だ」

「そうだよ。山はどんなに慣れた人間にだって、危険がいつもつきまとうものだから」


 慰める声に、だけどアイラは首を振った。

 歯を食いしばって涙を拭いながら立ち上がる。


「違うわ・・・だって、あの日・・・」

 アイラはいつも身に着けているエプロンの裾をぎゅっと握った。


「あたし、お父さんたちと喧嘩したの・・・」




「なんで? ヤダこんな色!」

 アイラは母親が縫ってくれたエプロンについて文句を言った。


 翠色の縁取りを指差して声高に叫ぶ。

「もっと可愛い色がいいって言ったじゃない! 翠なんて男の子みたいでヤダ!」


 この頃、この村では女の子たちがこぞって可愛いエプロンを着けるのがはやりだった。

 赤とか桃色とかヒマワリみたいに鮮やかな黄色とか、みんな可愛い色のエプロンを身に着けているのに、アイラの母が縫ってくれたエプロンは、若草色の縁取りがあるだけのシンプルなものだった。


「そんなことないだろ。この翠色はアイラに似合ってるじゃないか。すごく可愛いぞ」

 父が眠ってしまったリュイを抱き上げながら言った。


「ヤダ! 作り直して!」


「そんな我がまま言うもんじゃない」

 それまで笑っていた父が真顔になり低い声で言った。


 怒ってる・・・。

 ひくっと泣き出しそうになりながらもアイラは頑なな態度を崩さなかった。

「ヤダぁ・・・」

「・・・わかったわ」

 そんな様子を見て取った母親がにっこり笑って言った。


「そんなに言うなら作り直してあげる。だけど、今日は無理だから我慢してね」

「どうして・・・?」

「明日はリュイの誕生日だろう? これから父さんたちは山に食材を採りに行ってくる。アイラは留守番をしていてくれ。リュイの面倒を見ているんだぞ」


 季節は世界が山吹色に染まる秋で、山にはいろいろな森の恵みが溢れていた。

 両親が明日二歳になるリュイのためにご馳走を作ってあげようとする気持ちもわかる。


 けれど、アイラは素直に頷くことができなかった。


「リュイばっかり・・・」

「え?」

「リュイばっかりずるい! いっつも、お父さんもお母さんもリュイは特別扱いで、あたしのことなんてどうだっていいんだ!」

 アイラは思わずそう口走っていた。


 リュイが生まれて二年。

 それまで、自分だけのものだった両親がリュイのものになってしまった。

 リュイが生まれてから二人はリュイを第一に行動するようになって、自分が除け者にされているという想いが拭いきれなくなっていた。


 リュイが可愛くないわけじゃない。

 弟だし、寝ている姿や自分に無邪気に笑いかける笑顔とか、見ているだけで嬉しくなる。

 大切だと思う。


 だけど、そういう想いとは裏腹に、もっと自分を見て欲しいって気持ちが止められない。

 嫉妬する。


「アイラ!」

 大きな声で怒鳴られてびくっと肩を竦めた。

 お父さんの顔が怖かった。


 こんな顔を見たかったわけじゃない。

 こんな想いをしたかったわけじゃない。

 ただ、自分を見て欲しかっただけなのに・・・。


「もぉいい! お父さんなんて大っ嫌い!!」

 叫んで、アイラは家を飛び出した。


 ・・・そして、それが最期だった。




「お父さんたちは隣のおばさんにリュイを預けて、それで山に入ったきり帰ってこなかったの。

・・・今日みたいに村のみんなで捜して、谷底に倒れているお父さんたちを見つけて・・・でも、深い谷からは二人の身体を引き上げることもできなかった」


「でも、それは・・・事故で、アイラのせいじゃないだろう?」


「お父さんもお母さんもこの山には慣れてた。崖のことだって知ってた。なのに落ちたのよ? きっと、あたしが我がままを言ったから・・・あたしのこと怒っていたから。だから崖から落ちちゃったの・・・それ以外に考えられないじゃない?」

 理由がほかに見つからない。


 もし本当に自分のせいではなかったとしても、最期に見たのはお父さんの怒った顔で、お母さんの困ったような顔で。


 思い出す度にどうしたらいいのかわからなくなった。

 謝りたくても、遺髪さえアイラは手にすることができなかったから。


 そして、なによりリュイになんて言えばいいのかわからなかった。

 物心つく前にいなくなった両親のことをリュイはなにも覚えていない。

 アイラと違って思い出すらもないのだ。


「あたしがリュイからお父さんとお母さんを奪ったようなものなのよ。だから、あたし・・・怖くて。リュイに本当のことが言えなかった。

病気で死んだって嘘をついて。みんながあたしの嘘に合わせてくれたのに甘えて。本当のことを言う勇気もなくて。

山に行きたがるリュイを止めることすらできなかった・・・」

 なんで山に行ったらいけないんだよ? そう訊かれて言葉に詰まった。

 いつもどうしても本当にことが言えなかった。


「これでリュイまでいなくなったらどうしよう・・・っ!!」

 震える右手を左手で掴んで額に押し当て、必死に涙をこらえて歯を食いしばる。


 ルカはそんなアイラを慰めたくて、けれどなんて言ったらいいのかわからなかった。


 今、リュイが見つからないことも、過去の両親の死までも自分のせいだと思って悩み苦しんでいる少女に、簡単に大丈夫だなんてとても言えなかった。


 ざわりと森が鳴る。

 頬に当たる風を感じて、不意にラナを思い出した。

 口が悪いけれど、いつもどこか達観している彼なら、アイラになにか言ってあげられるのかもしれない。


 漠然とそんなことを思った。


 ふと、さっき別れたときの頑なな横顔を思い出す。

 あんなに怒っていたはずなのに、もうすでに自分はラナを頼っている。

 そう思ったらなんか可笑しかった。


 ―――生きとし生けるものはすべて森に還り、そして新たな命に生まれ変わる。輪廻―――

 翼人たちに古くから伝えられる言葉だ。


 旅の間、森の恵みを得たときに、いつもラナが言っていた。

 感謝するように。

 そのときの彼の珍しく敬虔な表情を思い出す。


「きっと、大丈夫だよ・・・」

 気づいたら、するりとそんな言葉が零れていた。


「・・・え?」

 濡れた瞳でアイラはルカを見上げる。


「森で死んだものはみんな森に還る。命もなにもかも。いろいろな動物の糧になって木々を育てて・・・。

これは僕たちの故郷に伝わる言葉なんだけど。命は巡る。なくならずに見守ってる。

きっとアイラの両親もこの森のどこかで君たちを見守っているんじゃないかな? だからリュイもきっと無事だよ」


「見守ってる・・・?」


「うん・・・死んでも想いはなくならないから」


 ふと、アイラの服に目が留まる。

 優しい風を感じた。


「そのエプロン・・・」


 繕いだらけで、でも真っ白なエプロン。

 翠色の縁のついた。

 アイラに良く似合っている。


「とても大切に着ているんだね。たぶん二人も喜んでいると思うよ。もう怒ってないよって、大切にしてくれてありがとうって」


 目を見開いて、アイラはルカを見上げた。


「もう・・・怒ってないのかな・・・」


 ずっと欲しかった言葉。

 ずっと許してもらいたかった。

 我がままを言ってごめんなさい。

 本当はお父さんのこともお母さんのことも、リュイも大好きだって。

 大切だって。


 ・・・謝りたかった。


「うん、きっと」


 この森はアイラに優しい。

 一緒に来てはじめてわかった。

 柔らかい風。

 温かい想いを感じて微笑む。


「・・・命は巡る」


 ルカの言った言葉をアイラは口にしてみた。


 本当にそうだったらいいなと思った。

 この森に生きる獣に木々たちに、父と母の魂が宿っている。

 そう考えたらとても嬉しかった。


「ごめんなさい・・・」


 アイラは初めて謝罪の言葉を口にした。

 いつもどこに向けたらいいかわからずに、言葉にできなかった想いを森の木々に向かって。


 届くかな? 届けばいいな・・・。


 半信半疑で、でも確実に心のどこかがすっきりと落ち着くのを感じた。


 ふっと息をついて、ルカに顔を向ける。

「ありがとう」


 アイラは泣き腫らした翠色の目を細めてかすかに笑みを浮かべた。


 ルカはその顔を見て、胸の奥から嬉しさがじわりと込み上げてくるのを感じた。


 アイラの役に立てた・・・それだけじゃなくて、その笑顔を見れたことが、ただ本当に嬉しかった。


 と、その時。

「おおいっ! リュイが見つかったぞっ」

 遠くから聞こえた切羽詰ったような声に、さっとその場の空気に緊張が走った。




 その場所を見て、アイラとルカは思わず身体が竦んで立ち止まった。

 そこは切り立った崖だった。


 こんもりとした茂みの後ろに崖が隠れるようにしてある。

 数人の村人がそこから慎重に崖下を覗き込んでいた。


「リュ、リュイ・・・?」

 もしかして、そこから落ちたのだろうか? 崖下に落ちて・・・まさかっ!


 アイラは激しく動揺した。


 五年前の忘れようとしても忘れられない光景が脳裏に浮かぶ。


 血溜まりの中で、折り重なるようにして倒れていた姿。

 虚ろに開いていた瞼と唇。

 血に汚れた横顔。

 そんな両親ふたりの姿が・・・。


 ぐらりと視界が傾きそうになったとき、微かな声が聞こえた。

「ねぇ・・ちゃん・・・?」


 ハッとなってアイラは崖っぷちに駆け寄った。


「危ない!」

 自分の身をかえりみる余裕のないその動きに、ルカは慌てて落ちそうになったアイラの腰に手を回して抱き留めた。


「気をつけろっ! リュイまで落ちるぞ!」

 クレイの叱責の声。


 小石がパラリと深い谷底に吸い込まれていった。


「上手いこと木の根に引っかかってるだけだから・・・」

 村人の一人がそっと声をかけてきた。


 崖を覗き込むと、人の身長三人分ほど下のあたりに僅かに揺れる小さな身体がある。

 リュイだ。

 運よく腰紐が崖から突き出た木の根に引っかかっていた。

 もし、落ちたのが大人だったら支えきれずに谷底まで落ちていただろう。


「リュイ・・・」

 安堵とも不安ともとれる声音でアイラが呟いた。

 気が抜けたようにその場に座り込む。


「うぇ・・・」

 リュイのぐずったような声が微かに聞こえた。


「リュイ、泣くな。今助けてやるから」

 クレイが勇気付けるように声をかける。


「・・・どうするんです?」

 ルカも慎重に崖下を覗き込みながら声を潜めて訊いた。


 見れば見るほど状況は最悪だった。

 崖は切り立っていて、ほぼ垂直。

 見る限り引っかかりになる場所もほとんど無く、しかもこの崖の地質は思った以上に脆いようで、なにをしたわけでもないのに、パラリパラリと土が零れていく。


 これでは、もし縄を使って誰かがリュイのところまで降りようとしても、土が崩れてその衝撃でリュイが落ちてしまうかもしれないし、降りる人も危険だ。


 しかも、日が暮れて風が出てきた。

 茜色の残照と夕闇の中で視界も悪くなる。


「今、足りない縄を取りに行かせている。それが着きしだい俺が降りてリュイを助ける」

「クレイが? ・・・でも、それは・・・」


 クレイは村人の中でもかなり体格がいいほうに入る。

 この場合、できるだけ身軽なものが降りたほうが危険が少ないし、後々引き上げる際ににしても簡単だ。

 なのに・・・。


「わかってる。けど、これは危険な賭けだ。そんな役割をほかの連中に頼めるか?」

「なら、あたしが・・・!!」

 とっさにアイラが叫ぶが、クレイは静かに首を振った。

「アイラの力じゃ、あそこまで降りれたとしてもリュイを支えてここまで登ってくることはできない。・・・わかるだろう?」

 くっとアイラが悔しそうに唇を噛んだ。


「だから俺がやる。・・・それに、俺はお前たちの両親が死んだときに二人に誓ったんだ。お前たちのことは俺が守るってな」

 そう言ってアイラを見つめるクレイの眼差しがとても柔らかかった。

 微笑んで、泣きそうになったアイラの頭を撫でる。


 その時、馬の蹄の音が聞こえた。

 ハッとして振り返ると、振動を与えないようにだろう、離れたところで馬がとまり、縄を肩にかけた村人が降りるところだった。

「きたか・・・」

 クレイが言って立ち上がり、アイラは危ないからと村人に呼ばれて、崖から遠ざかった。


 ルカは縄を身体に巻きつけ準備をするクレイの傍らでしばらく迷って口を開いた。

「やっぱり僕が・・・」

「いや、それは駄目だ」


 ルカの言いたいことなど初めからわかっていたのだろう。

 きっぱりと首を横に振る。

「言っただろ、誓ったんだって」


 頑固なくらい強い決意に、逡巡して口を開く。

「アイラたちの両親とクレイって・・・」


 クレイはニヤリと口角を上げて笑みをつくる。

「ああ、父親とは親友だったんだ。いいライバルってやつさ。・・・・・・同じ娘を好きになって・・・その娘のことで争ったりな」

 結局、俺の負けだったけどな・・・と、苦笑しながら呟く。


「もしかして・・・」

「・・・アイラはそっくりだよ。面倒見が良くて優しいところとかな」


 ぎゅっと腰に縄を巻きつけて縛り、村人が反対側を太い木の幹に縛り付けたのを確認して、クレイはくっくっと引っ張って縄の張り具合を確かめる。


 ルカはその様子を歯噛みして見た。


 自分ならもっと簡単に助けることができる。

 翼を出して飛んでいけばいい、ただそれだけ。

 けれど、それには自分の正体を明かさなければならない。

 今まで騙していたことを言わなければならないのだ。

 言いあぐねて迷っているうちにクレイは準備を終えてしまった。


「リュイ! 今、行くぞ!」

 崖下に声をかけてクレイが崖に足を踏み出したとき。


 ざわり、と木が鳴った。

 不意にぞくっと悪寒が走った。


「クレイ!!」

 とっさに叫んで、身体を半分崖下に乗り出していたクレイを引っ張り上げる。

 そこに、横殴りの突風が吹いた。


「うわぁっ」

 村人たちが声を上げて身体を伏せる。


「リュイ!」

 アイラの悲鳴のような声が一際高く響いた。


 ハッと見ると、悲鳴を上げたリュイの身体が二、三度大きく揺れて、宙に放り出されるところだった。


「リュイ!」

 叫んで、その後の行動はほとんど無意識だった。


 ルカはリュイの落下する身体を追うように、崖を蹴って宙に飛び出していた。


「ルカ!?」

 悲鳴が谷底に木霊する。


 崖下を覗き込んだアイラは、そこにある光景を見て茫然とした。

「ル・・・カ・・・?」

 かすれた呟きは誰の耳にも届くことは無かった。




 ・・・間に合わない!


 飛び降りた瞬間にルカはそう感じた。

 本能としか言いようの無い感覚で、このままではリュイを助けられないことを悟った。


 そしてルカは躊躇することなく行動に移る。


 背中に力を込める。

 なにかがうずくような感じの、ひどく慣れた感覚に襲われた。


 次に息を吐いたとき、ルカの背中にはどこまでも白く抜けるような純白の翼が現れていた。


 羽ばたいてリュイとの距離を縮める。

 落下の恐怖に気を失ったまま落ちていくリュイの身体を両手で捕まえた。


 急ブレーキをかけるように羽ばたく。

 急激な速度の変化に身体が悲鳴を上げた。

 唇を噛んで耐える。

 間に合った・・・。


 しかし、落下の速度が緩んでほっと息をついたとき、急に身体が傾いた。


「うわっ・・・!?」


 バランスが崩れて、またもや地面に向かって吸い寄せられる。

 自分の身体さえ支えることができず、錐もみ状態で落下を始めた。


 汗が吹き出す。


 必死に羽ばたいて体勢を立て直そうとするが、思った以上に重いリュイの身体が邪魔をした。


 リュイがいなければ、ルカだけは助かるだろう。

 けれど、ルカはその手を離すことがどうしてもできなかった。


 したくなかった。


 せっかく掴んだ命を、ただ投げ捨てることなんて絶対にできなかった。


 リュイの身体をぎゅっと抱きなおす。

 地面の衝撃に耐えるために目をつむった。


 覚悟を決めたその瞬間、ガクンとその落下が止まった。


 え!?


 見開いた目に思いがけない光景が飛び込んできた。


「ラ・・・ナ?」


 力強く羽ばたくラナがルカの腰帯をしっかりと掴んでいた。


 そして、ラナはなにも言わずにルカの腕の中のリュイを奪い取り、造作も無くその身体を抱えて崖上へと向かう。

 身軽になったルカは慌ててその後を追った。


 ・・・良かった。


 ルカは目の前で力強く羽ばたく白い翼を見ながら、ほっと息をついた。

 あんなことを言っても、ラナはやっぱりリュイのことが心配だったのだ。

 きっと今だってずっと影で自分たちの事を見ていて、それで助けに来てくれたのだろう。

 それならそれで、はじめからリュイを捜すのを手伝ってくれればいいのに、全く素直じゃないなぁと思うけど、それでも嬉しかった。


 ラナに続いてルカも崖の上に降りる。

 ラナは無言で、腕の中のリュイをそっと柔らかい下草の生えた地面に下ろした。

 リュイに怪我はなく、気を失っているだけなのですぐに目を覚ますだろう。


「リュイ!」


 ラナの手が、リュイから離れた瞬間、それまで微動だにしなかったアイラが、突然呪縛から解き放たれたかのように走り寄ってきた。


「大丈夫、気を失ってるだけだよ」

 その剣幕にくすっと笑いを漏らして声をかけた。


 アイラはリュイをぎゅっと抱きしめて、ばっと顔を上げる。

 その表情にルカは思わず動きを止めた。


 え・・・?


 その瞳は今まで見たアイラの表情のどれとも違っていた。

 いや、その瞳は今までルカが一度も人から向けられたことのない感情で溢れていた。


 信じられないものを見たときのような驚愕、そしてなによりそこに確かに宿る、怯えと恐れの感情。


「アイラ・・・?」

 驚いて、思わず手を伸ばす。


 アイラはびくっと身体を震わせて、無意識のうちに、リュイを抱きしめたまま後ろにずって逃げようとした。

 伸ばした手が行き場をなくして固まる。


 一瞬、衝撃に息が止まった。


 目を見開いてアイラを見つめる。

 けれどアイラの表情は変わらなかった。


 自分に向けられた瞳に確かに宿る恐怖。


 突然、怒りとも悲しみともつかないような感情が膨れ上がる。


 その感情に身体がついていかない。


 茫然とした表情のまま、ルカはただアイラを凝視した。


「・・・ルカ」

 いつに無く感情を抑えたラナの呼びかけに、ルカは不自然なほどゆっくりと振り向いた。


「行くぞ」


 目の前には大きな白い翼を背に、夕陽よりも赤く輝く瞳を持ったラナがいた。

 今の自分と同じ、ひどく見慣れた姿の・・・。


 ラナの言葉にルカはただうなずいた。


「んぅ・・・?」


 羽ばたいてラナの後ろ姿を追おうとしたとき、リュイの微かな声が聞こえた。

 けれど、ルカは振り返らなかった。




「だから人間なんかと関わりたくなかったんだよ・・・」

 ラナが溜め息をつくように言葉を吐く。


 ルカは今になってようやく、ラナの今までの行動の全てが理解できた。


 ラナはわかっていたのだ。

 アイラたちが本当の意味で自分たちを受け入れていたわけではないことに。


 なのに、ルカはただ単純に人間の優しさに触れて喜んでいた。


 ・・・嬉しがって浮かれていた。


 だから、ラナはあんなにも苛々として不機嫌だったのだ。

 ぶっきらぼうで一見怖いようなところもあるけれど、本当は優しい彼だから、本当のことを言ったら自分が傷付くと思って黙っていたのだってことは容易に想像がついた。


「ラナは・・・わかっていたんだね・・・」

 ルカはしゃっくりを上げながら呟いた。


 二人は山道を歩いていた。

 崖からは少し離れたところになる。

 翼人は夜目が利くので、夕闇で飛ぶのに支障はないのだが、ルカが途中で涙があふれて飛べなくなってしまい、二人は翼を隠して歩いて荷物を取りに村を目指していた。


 人間と翼人との間にある溝。

 その深さをルカだって忘れていたわけじゃなかった。


 それでも、ルカは信じていたのだ。


 例え最初は人間に化けて騙していることになってしまっても、お互いを知って仲良くなれば、後から翼人と知れてもきっと受け入れてくれるはずだと。

 傷は完全には消えていなくても大丈夫だと信じていた。


 ・・・でも、駄目だった。


 さっきまで笑いあっていたアイラから向けられた眼差し。

 悲しくて辛くて、なにより悔しくて、涙が止まらなかった。

 昨日会ったばかりで、話もそんなにたくさんしたわけじゃない。

 それでも友達だと・・・友達になれると思っていた。

 だから力になりたかった。

 力になれて嬉しかったのに・・・。


 森の中を歩きながら、ルカは泣き続けた。

 ラナはほとほと困り果てて呟く。

「せっかく今まで人間を避けてたってのに・・・」


「え・・・?」


 その言葉に、なにか引っかかるものを感じた。


 ルカは涙を拭って、まだ止まらないしゃっくりをあげながら、ラナを見上げる。

 もしかして、ラナは自分のために今まで人間を避けて旅をしてきたのだろうか。


 関われば自分が傷付くと思って・・・?


 そう考えれば、つじつまが合うことが多い。

 いくら人間嫌いといってもラナの避け方は普通じゃなかったし、仮にも人探しをしているのに人を避けて旅をしていてもあまり意味が無い。


 ルカだって不思議に思うことがあったのだ。

 そんなことで本当にラナは彼女を捜す気があるのかと。


 全ては自分のためだったのだ。

 そう思ったら胸が熱くなった。


「ごめん・・・ラナ」

 感謝の気持ちを込めて言うと、ラナは照れくさそうに頭の後ろを掻いた。

「・・・でも、お前にはやっぱちゃんと言っておいた方がよかったな」


 かすかに目を伏せた後、ラナは顔をあげるとルカに真剣な眼差しを向ける。

「ルカ、これだけは覚えておけよ。・・・お前はもう戦争は終わったのに、とか良く言うけどな。俺たちと人間との間にある問題はそんなことじゃねぇんだ」


 ラナの言葉を聞いて、ふとアイラの顔が脳裏に浮かんだ。

 ほっとしたような笑顔と、最後に見た恐怖に覆われた顔。


「人間にとって俺たちは・・・化け物だ。

人間にはない翼、赤い色。寿命に魔力。ま、魔法なんてそうそう使えるもんじゃねぇけど、それでも人間にしてみたら未知のもんだ。

戦闘能力も個人対個人じゃ比べもんになんねぇほど高い」


 こくんとルカは頷いた。

 それはルカだってちゃんと理解しているつもりだった。


「つまり、翼人おれたちと人間は対等じゃねぇんだ」


 ルカは一瞬なにを言われたのか解らなかった。


 対等じゃない・・・?


 なんだか急に胃のあたりがむかむかした。


「対等じゃないから、その力に人間は恐怖する。嫌悪したり、拒絶したり。

・・・ルカ、お前が望むような関係にはなれねぇんだよ」


「対等な関係にはなれない・・・?」

 口にしたら余計にむかつきが大きくなった。


 ラナの言っていることがわからなかった。

 ・・・わかりたくなかった。


「なんだよ、それ・・・!」


 思い出す、優しい笑顔。

 怒りに赤く染まった顔。

 悲しみの涙に濡れた横顔。

 その度に、自分も一喜一憂した。


 ・・・何ひとつ違いなんて無かった。


「そんなことないよ。絶対違う。

確かに、違いはあるけど・・・想う心は、感情はなにも変わらない、同じものだろう?」


 だから・・・僕は。


「信じたいんだ。人間のこと。いつかは受け入れてくれるって・・・」


 時間はかかってもいい。

 でもいつか受け入れてもらいたい。

 人間と仲良くなりたい。

 何度、今みたいに傷ついても・・・それでも。


「人間に関わっていきたいんだ・・・」


 この村に来て初めて人間とちゃんと向き合って、今は悲しくても・・・嬉しい気持ちもたくさんもらったから、大切にしたい。

 こういう気持ちを無くしたくない。


 それだけは確かだった。


 ルカは涙の滲んだ顔で、それでも決意を込めてラナを見上げる。


 ラナがちょっと呆れたような、けれど、どこか感心したような複雑な表情を浮かべた。

「お前は強いな・・・」

 かすかに呟いて苦笑する。


 ・・・強い。

 不意に彼女のことを思い出した。


 ―――たぶん、弱いからだろうな。人間も、私たちも。・・・いつか、皆が強く、そして優しくなれたらいいのにな・・・。


 祈るように言われた言葉。


 ラナの呟きがそれに重なった。

 彼女の夕陽に染まった顔を思い出して・・・目を伏せる。


「・・・違うよ。僕は強くなんか無い」


 だって、怖いから。


 ・・・もう一度アイラたちに会うのが。


 会ってまたあの眼差しを向けられるのが怖い。

 胸が痛くて悲しくて・・・逃げたい。


 諦めたくはない。


 だけど・・・今はまだ、勇気が出せなかった。


「早く行こう。ラナ」

 呟くように言ってルカはうつむく。


 なにかを言いかけたラナも、そんなルカの様子に気づいて頷くと、山を下りるために足早に歩き出した。




 身を隠しながら村に戻って荷物を拾ったあと、ルカたちは無事に村人に気づかれることなく、村を出ることができた。


 気づくと、初めに夕陽に染まったこの村を見たあの場所にいた。


 あの時、なにも知らずにわくわくしていた自分。

 つい昨日のことなのにずいぶん昔のことみたいに感じる。


 ルカは立ち止まると、振り返って村を見た。

 夜の闇に溶け込んで、光だけがその存在を主張している。


 向き直って、少し先で待っていてくれたラナに追いつくと、今度こそ村から遠ざかるために歩き出した。

 その時、ふとかすかな呼び声を感じた。


 ありえない。


 そう思ったのに身体は勝手に歩くのをやめていた。


 自分の名を呼ぶ声。

 かすかに身体に響く、馬の蹄の振動。

 近づいてくる。


 まさか・・・でも!


 ルカは次の瞬間、勢い良く振り向いていた。


「ルカ! よかった間に合った!」


 ルカたちが今歩いてきたその道。

 そこにいたのは一頭の馬に乗った三人の姿。


「リュイ、アイラ、クレイ・・・どうして」

 呟くと、転がるように馬の背から降りてきたリュイが、飛びつくようにルカの腰に抱きついた。


 小さな身体を抱きとめて、ルカは驚きに目を見開いた。


「だって、ルカたち黙って行っちゃうんだもん。ひどいじゃねーか。おれ、なんにも聞いてない」

 なじるように言って、逃がさないと言うように、しがみつく腕にぎゅっと力を込める。

 リュイの小さい身体から伝わる温かさが胸まで響いて、なにか熱いものがこみ上げる。


「でも・・・僕たちは・・・」


 けれど、もしかしたら、リュイはただ自分たちのことを知らないだけかもしれないと思った。

 リュイはあの時、意識を失っていたのだから。


「知ってる。知ってたんだよ。本当はおれ、昨日のうちにルカたちが翼人だって知ってた」

「え?」

「聞いてたんだ。きのうルカたちが話してたの」


 ルカはハッとした。

 昨夜ラナと話していたとき、リュイが突然現れたことを思い出した。


「じゃあ、なんであの時に・・・」

「だって、カンケーないじゃん。ルカたちがなんだろうとさ。

ルカたちは悪いことしてないんだから。それに、けっきょく悪いことしてたのは翼人のカッコした人間で、翼人じゃないし。

ルカたちが気にする必要なんてないじゃん」


 しがみついていた身体を少しだけ離して、リュイはルカを見上げる。


 ひどく澄んだ、真摯な眼差しがそこにはあった。


「・・・すまなかった」


 その声にはっとして顔をあげると、馬を降りたクレイがアイラとともに近づいてくるところだった。


 ルカの前まで来ると、自嘲するように苦笑を浮かべる。

「俺は自分でお前たちのこと悪い奴じゃないって言っておきながら・・・リュイに言われるまで、そのことを忘れていた。

・・・翼人だった。人間に化けてたってことで動揺しちまって。

・・・全面的に受け入れられるってわけじゃないが、それでもお前たちのことを信じると決めたのは俺自身だ。俺は自分を信じる。

・・・だから、こんな逃げるみたいに出て行くのはよせよ」


 かすかに動揺をその瞳の奥に残しながら、クレイはルカの目を真っ直ぐに見て言った。


「クレイ・・・」

 この人は本当に強いんだなって思った。

 自分の間違ったところを認めて、そして前を見て歩いていく強さを持っている。

 嬉しくてなんだか胸の奥が熱かった。


「・・・ルカ」


 か細い声にはっとして視線を向ける。

 少し離れた場所で、アイラが隠しきれない恐怖をその瞳に宿したままたたずんでいた。


 ルカは思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。


「・・・ごめんなさい。リュイを助けてもらったのに、お礼も言わなくて・・・」


「ううん・・・そんなの」


 震えるアイラの声。


 今まで熱かった気持ちがすっと冷めていく。

 どうしようもなく、間に立ちふさがる壁を感じずにはいられない。


「・・・・・・あのね・・・あの。あたし・・・ルカたちが怖くないって言ったら嘘になるの・・・」

「ねぇちゃん!!」

 リュイが怒ったように声を上げる。


 けれどアイラはどうしてもルカと視線を合わせられなかった。


「いいよ。リュイ・・・」


 悲しいけれど・・・しかたがない。


 いくら、ルカたちが悪いことをしたわけじゃないと言い聞かせて、頭では理解したって、それで翼人に対する恐怖が消えてしまうわけじゃない。

 リュイみたいなのが本当に特別なのだ。


「アイラも・・・無理しなくていいから」


 しがみついているリュイの手を優しく離す。


 ・・・このまま別れたほうがいい。


 無理をしているアイラを見るのも、それを受け止めるのも・・・辛すぎるから。

 ルカは目を伏せて一歩後ろに下がった。


 アイラはそれに気づいてはっと顔を上げた。

「待って、あたし・・・!」


「え?」


 呼び止めてから軽く唇を噛んで、アイラは必死に言葉を探した。

 上手い言葉が見つからない。

 でも、これだけは言わなきゃいけない。


 崖の上で、ルカの傷ついた瞳を見たときに、どうしてもこの気持ちを伝えなきゃいけないと思って、ここまで来たんだから。


「怖いって気持ちはなくならないの。

・・・でもね、ルカに感謝しているのも本当なの。

リュイを助けてもらったし・・・それだけじゃなくて・・・山の中で話してくれたこと、本当に嬉しかったから・・・」


 アイラは初めてルカの赤い瞳を真っ直ぐに見た。


 胸に手を当てる。

 ここにあのとき生まれた気持ち。

 今もなくならずにある。

 それはきっと誰かを信じる・・・勇気だから。


「だから・・・ありがとう」


 アイラはかすかな笑みを浮かべた。

 すぐに溶けてしまう淡雪のような、かすかで繊細で、それでいてどこか鮮烈な笑み。


 驚いて目を見開く。

 嘘みたいだと思った。


 それはルカが無理かもしれないと思いながらも信じたかった希望そのものだった。


 いつか、きっとって・・・。


「信じてもいいのかな・・・」


「ルカ・・・?」

 見上げてくるリュイ、胸のうちに葛藤を抱えながらも、見送りに来てくれたアイラとクレイ。


 その姿が、確かな答えだった。

 心に優しく温かいものが広がった。

 触れあった心。

 その温かさに自然に笑みがこぼれる。


「・・・ありがとう」

 嬉しくて、言葉がついて出る。

 いろんなことが哀しかった分、泣きたくなるほど嬉しかった。


「・・・騙してごめんね。でも、僕はこの村にきてよかった。アイラたちに会えて本当に良かったよ」


 続く別れの台詞を予感したのか、リュイがなにか言おうと口を開きかけた。


 そしてそれはそのままの形が止まった。

 次にその口から零れたのは感嘆の溜め息。


「すっげ・・・」


 ルカはそんなリュイの様子にくすりと笑いを漏らして、翼を露にした自分の背中に手を伸ばした。

 ぷちっと音を立てて翼から羽根を一枚引き抜く。

 軽い痛みを感じたが飛ぶのに支障はない。


「これ、あげるよ」

「え・・・? いいの?」


 うなずいて、リュイの手に握らせる。


「・・・おい。それ、大切にしろよ」

 今まで我関せずといった様子で、ルカたちを見ていたラナが突然声を上げた。

「俺たちにとって、羽根は特別なもんだ。それひとつひとつに魔力が宿っていると言われてる。俺たちが翼を無くすってことは死を意味するってことだ」


 威圧的な言い様にリュイとアイラがびくっと身を竦めた。


「ラナ!」


「・・・大声あげんじゃねぇよ。・・・俺が言いてぇのは、ただ大切にしろってことだ」

 いつになく真摯な言い方に、え? と思ってラナを見上げる。


 そこには、今までのあのピリピリとした雰囲気が嘘みたいに、落ち着いた様子で佇むラナの姿があった。


「それはルカの命の一部みてぇなもんなんだ・・・わかったか、リュイ」


 リュイは信じられないものを見たように目をパチクリと数回瞬かせたあと、すごく嬉しそうに笑った。


 ルカにもわかった。

 ラナは初めてリュイの名前を呼んだのだ。


「ああ、わかったぜ。ラナ!」

 そして、二人は示し合わせたかのようにニッと笑いあう。


「・・・そんじゃ、そろそろ行くか」

 ラナも翼を出す。


 アイラたちならともかく、ほかの村人たちまでも追ってこられたら何かと面倒なので、そのまま飛んでこの村を離れることにしたのだ。

 ルカはその意図を汲んで頷く。


 なにかを言いかけたリュイはアイラに肩を掴まれて口を閉ざした。

 想いを言葉にするかわりに、その手に掴んだ羽根をぎゅっと握りしめる。


「じゃあ・・・さようなら」

 言ってアイラたちに背を向けると羽ばたく。


「っ・・・・・・ルカ! ラナ! ぜったいぜったい、また来いよ!」

 リュイが叫んだ。


 振り返って応える。

「うん、絶対にまた来るよ!」


 いつか必ず。

 希望をくれた人たちのもとに戻りたい。

 今度は初めからなんの偽りもなく向き合いたい。


 そして、それを彼女にも見て欲しいと思った。

 初めに希望をくれた人。

 人間の世界にたった一人で旅立っていった人。


 ・・・たぶん、心配ないよね。


 彼女もきっとこんなふうに優しい人に支えられているんだ。

 先を飛ぶラナの白い翼を追いかけて、ルカは大きく羽ばたいた。


 夜の大空に綺麗な星が瞬いていた。



かなり昔に書いた作品を手直ししてUPしました。

別のサイトで投稿していたんですが、友人に「小説家になろう」を勧められて、こっちでもUPしてみることにしました。

続編を執筆中なんですが、なにせ、この小説を書いたのはかなり昔なので、文体から何から全然違うものになってます。

これは成長なのか・・・後退なのか・・・(汗)

ま、楽しんでいただけたらな~と思います。

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