始まる瞬間の詩の断片
地下鉄の壁に貼られたタイルは詩の設計図。
白、白、淡青、淡茶、白、白……
白、白、白、淡青、白、薄黄赤……
(タイルの色は言葉の色)
空白行に間奏が流れている……
(音のない音楽でもあるそれに)
変わらない信号灯は、黄色のまま待ち続ける。(待つことは途切れない楽しみ)
ひと時の永遠は繰り返すさざ波。波間の月夜に夢が現れた。(夢は永遠に連なる眷属)
後ろめたさを吸い込みながら、掻き出された夢の積み上がった小さな山を振り仰いでいる。(頂上にはなにもいない)
雲に翻る旗印は愚か者の指標となって、追随する者たちに菓子を与え続ける。(与える者が与えられている)
垂直に昇っていく一本の線は、輝きを失わない表現の導き。(理想に直線的であろうとする試み)
それはすでに、わたしの内界から生まれる空白を求める言葉。あるいは外界からの語り掛けに応じるこころの揺れ。(動揺あるいは浸透からわたしの詩は生まれる)
空白を含むメルヘンであるところの詩を。(現実世界に立脚しながら、何もない空間を孕むものを求めて)
これは、作品の一部としてではなく、あくまでも愚かしくも後書きです。
地下鉄を待っていると、壁が目に入りました。その煉瓦のタイルは巧まざる配置の妙がありました。一面の白でない白っぽさに、詩の理想をみたのです。
曲の歌詞の間には、間奏があります。詩が音のない音楽であると思うのです。
黄色信号から赤信号に変わる一刻の間が好きです。いっそ、その息の詰まるような時を永遠なら楽しいのにと思うのです。さざ波は繰り返す永遠の象徴。一つとして同じものの無く、止んだと思えばまた繰り返す。月夜もまた永遠の一つです。夢は大きな永遠の一族の眷属であり、わたしたちはその一部であるのかもしれません。
夢をあきらめたり、失ったりした後ろめたさを振り返るとき、その涯に何も立っていないことを見るのです。
もてはやされることが、必ずしも良作の条件ではないと思うのです。何時の間にか評価を求めるあまり、創り手(与える側)であるはずの作者が与えられる側になってしまっていることがあります。そうならないように、理想を真っ直ぐに追いたいのです。
詩は、内界と外界の相互作用によって生まれます。内界の動揺。外界で起こった作用の内界への浸透。そのことで、着想が芽生えることがままあります。
何もない空間は、息の詰まる真空。また、こころの奥底まで沁みとおる深呼吸。切り取られた矛盾を孕む世界の一断片。 それを呑みこんだ幻想的な現実との接点を詩としたいのです。