7
イグナト人のひとりがなにか叫び、霧香は立ち止まった。
霧香は喉から短い叫びを張り上げた。アマキがぎょっとした。イグナト人たちもぎょろりと眼を剥き、立ち止まって霧香に注目した。
「彼らの言葉を話せるの?」
「いいえ。会話はとても無理……いまのは翻訳するのは難しいけど、神に誓ってわたしの話を聞け、というような意味」
「なるほど、みんなあなたに注目してるぞ」
鮮やかな鱗模様のイグナト人がのし歩いてきた。霧香たちの手前、二メートルあまりで立ち止まると、しばらく霧香を上から下まで眺めた。
「人間、ここから立ち退け」
恐ろしげな形相の大きく裂けた口から驚くほど流ちょうな公用語が飛び出し、霧香は傍らでアマキが身震いするのを感じた。
「ここはあなたたちの土地なの?」
「さよう。正当な手続きにより手に入れた土地だ。直ちに立ち退け」
「すこし話し合いたい」
イグナト人はしばし黙り、ひとつ頷いた。
「イグナトの言葉を発したおまえは誰だ?」
「ホワイトラブ。あなたは?」
「おれはウル・ココルクランのモーゼ。おまえたち地球人相手の交渉役だ」
「モーゼだと……」霧香の背後でアマキが呟いた。
「おまえはなぜ我々の言葉を知っている?」
古い話だが、いちかばちか昔の縁を利用してみることにした。
「わたしはウル・バルククランのハードワイヤーときょうだいの契りを結んだ。龍女王に接見する栄誉も与えられた……」
モーゼは大きな眼を見開いた。「龍女王」という言葉にぎょっとしたのだ。
「なんだと……デタラメを言っているのじゃないだろうな?」
霧香は咳払いすると、ハードワイヤーとその配偶者の名前をイグナト語でなんとか詠唱した。
「もういい、分かった」モーゼは慌てて霧香を遮った。
イグナト人は生殖活動に関する知識を外に漏らさないよう最大限の注意を払っている。霧香はハードワイヤーというイグナト人とある事件を追い、その過程でたまたまイグナト人の生殖を目の当たりにしてしまった。きょうだいの契りを結んでいなければ、その秘密を守るために霧香は殺されていたはずだ。
「ハードワイヤーのウル・バルククランは名門だ。我々は彼の庇護を受けた人間に危害は加えない」
「信じていただけた?」
「真偽がすぐに判明しない以上、われわれはむやみにおまえの言葉を疑うことはせん。ハードワイヤーの名誉のためだ。……だが偽証だと知れればそれ相応の罰を下す」
「なるほど」ウソだと分かったらどこまでも追いかけられて殺されてしまうということか……。霧香はゴクリと唾を飲んだ。
「だが、ウル・バルククランの物語は俺も聞いたことがある。おまえがそのときのGPDか?」
「そうです」
「しかし困ったことだ……そのような名誉を与えられた人間に出遭うとは予定外だ」
「わたしの友人たちを脅して追っ払うつもりだった?」
「そんなところだ」
「あなたたちはここにネストを作ろうとしていたの?」
「ネストではない……クランだ。ちゃんと土地を買い、人間どもの承諾を受けた」
「あら……そうなの」彼らも龍女王を迎えて新しい部族を作ろうとしているのだ。
モーゼの元に部下のイグナト人が現れ、なにか早口のイグナト語でまくし立てた。一通り話を聞いたモーゼは歯列を剥きだして顔をしかめるような表情になった。
「ホワイトラブ……なにか身元を証明できるか?」
霧香は携帯端末のホロを浮き上がらせ、GPDのIDを表示させた。交差した流れ星ふたつの紋章と霧香=マリオン・ホワイトラブ中尉の名前が浮かび上がっていた。それを見てモーゼは喉を唸らせた。
「GPDのマリオン・ホワイトラブ……たしか、ローマ・ロリンズの手のもの。我々のネストにも伝わる名前だ。ハードワイヤーと契りを交わしたという言葉もこれで裏付けられた。勇者よ、あなたを迎えるのはおれの栄誉だ」
勇者とは大げさだ……霧香は頭の天辺を掻いた。
「ありがとう。わたしたちはあなたを困った立場に置きたくはない。あなたの顔を潰さないように話し合えれば嬉しいのだけれど……」
「なにについて?」
霧香はアマキのほうに顔を向け、頷いて見せた。アマキは怯え汗を滲ませていたが、霧香が促すとしっかり頷き返した。
「用件はこちらのアマキが伝えます」
「承知した」
アマキは一歩踏み出し、しっかりした声で言った。
「……わたしの姉妹たちの安全。それにときどきこの一帯で食料を収穫する許可を得たい」
「フム、おまえの姉妹とは、どれほどの人数なのだ?我々は不特定多数の人間がここを歩き回るのを望まない」
「わたしたちのコロニーは全部で300人ほどよ」
「ベンガルヒルに住んでいた女ばかりの部族か?」
「ええ……知ってるの?」
「このあたりのことはすべて把握している。おまえの顔も覚えてるぞ。何度か我々に追い払われて口汚く罵り返していたな。なかなか勇敢だった」
「え?ああ……」
モーゼはいったん言葉を切り考え込んだ。「300人か……フム」
「わたしたちは一時的に峡谷に待避している。いつまでも籠もっているつもりはない。峡谷から出ればこのあたりで食べ物を採ることもなくなる」
「だが見通しは立っておらんのだろう?たしか、軍隊に追い払われて落ち延びたのだったな?」
「それはそうだけど……」
「いいだろう……その程度は問題にならん。あとでおまえたちの巣に赴き話し合い、人間式の条約を結ぼう。それで我々は共存できるはずだ……だがおまえたちが増長するようなら話は別だからな」
「調子に乗らなければ放っておいてくれるのね?わたしたちは穏やかな生活を送りたいだけです。あなたがたの生活も尊重する……」アマキはゴクリと喉を鳴らした。「わたしの名誉に賭けて誓う」
「そう、お互いに調和を尊重しよう、命をかけて」
モーゼは部隊を率いて帰った。APVが山の向こうに消えるまでみな無言で成り行きを見守り続けた。霧香の側でアマキがへたり込んだ。ほかの仲間はワッと声を上げながら駆け寄ってきた。
「ああ恐かった」
「アマキ!」仲間に支えられてアマキは立ち上がった。
「どうなったの?話し合いしていたみたいだけど」
「わたしたちは交渉することになった……」アマキはまだ茫然としていた。霧香に向き直ると、なんとか笑みを浮かべて見せた。「あなたのおかげ。顔が広いんだね……驚いたわ」
霧香は首を振った。「まだこれからよ。これからいろいろ話し合うことになる。あなたがやるのよ」
「わたしの命をかけたんだ。せいぜいふっかけよう」
霧香は二の腕を叩いた。「その意気」
大事な知らせを伝えるため霧香たちは食料の調達を早々に切り上げ、寺院に帰った。アマキは女王に報告しに急いだが、小さなコミュニティだ。噂はたちまち広がった。霧香はふたたび子供たちに囲まれてしまった。
「ねえ、うちゅうじんに会ったの?なにか話したの?」
「仲良しになりましょうって話したのよ」
「すご~い!」
「あとでここに挨拶に来るって」
「ええ!?恐いよう……」
「大丈夫。おっかない顔だけど、話しかけてみて。そんなに恐くないよ」
間もなく霧香も女王に呼ばれた。
「アマキに聞いた。おまえは我々のために多大な働きをしてくれたようだ。礼を言う」
「幸運でした。相手がたまたまわたしを知っていたのです」
「幸運もひとつの力だよ……だがあのトカゲたちはおまえを勇者と呼び態度を改めていたと聞いた。おまえはここを訪れたばかりでずいぶんと福音をもたらしている。わたしたちはしばらく良いことがなかった。わたしはこれを吉兆と思いたい。それに、アマキを引き立ててくれたようだな……そのことも感謝する」
「わたしが率先するよりそのほうが良いと思いました」
「ありがとう。あの娘には若き指導者として経験を積んでもらいたいのだ。彼女の話では、わたしたちは異星人相手に話し合いを持つそうだな……」女王はやや心配そうだった。
「ええ。イグナト人という宇宙の放浪民族です。わたしたちが狩りに出掛けた大きな山の麓に、彼らの居留地を作るのだと言っていました。繁殖のための本格的なコロニーです。仲良くすれば、いろいろ頼もしい種族ですよ。彼らはプロの傭兵ですから」
「そうなのか。では雇うとしよう」
ふたりは笑った。
「それにしても、おまえは控えめだな……初めて出遭ったときも、わたしを野蛮人扱いしなかった。知恵遅れに話しかけるような猫なで声や横柄な態度も取らず、対等の人間らしく接していた……それだけでわたしは身の縮む思いをしなくて済んだ。わたしがおまえを気に入ったのは、そんな点だった」
「あなたがアマゾネスの女王だと知っていれば、もっと丁寧な態度でした……」
ミルドリアはフッと笑った。
「わたしもひねくれている。街からやって来る人間が、ときどき不遜な態度なのだ……われわれを発達の遅れた哀れな連中と決めつけ、うす馬鹿を相手にするような話し方をする。おまえは恩人だから、人柄を見極めるまで正体を明かしたくなかった。わたしが気に入らなければここにも連れてこなかっただろう」
「それは光栄です……ここが好きになり始めたから」
「そうか」ミルドリアはひときわ大きな笑みを浮かべた。「わたしもおまえが好きだ。できればおまえの血を部族に加えたい」
「わたしはここに留まることはできません」
「分かっている。わたしたちの生殖について、話しておくべきだろうな……。我々は女同士で愛し合い、子をもうける。ちゃんと遺伝子を分かち合って、健やかな子を授かる。わたしが欲しいのはおまえの遺伝子だ……おまえの血を継ぐ子供が欲しい」
霧香は茫然と頷いた。
(ママはなんていうかしら?)彼女は霧香の卵子だかなにかをひとつ欲しいと言っているだけだ。妙な気分だ。まさかパパになってと言われるとは……。
それにすこし寂しい気持ちだ。霧香の血を受け継いだ子供がひとり、霧香の存在も知らずに育つかもしれないのだ。
でもひとつの家族のようなこの場所で、霧香の血を受け継いだ子が育つなら……。
「分かりました……分かったような気がするわ」
「そう、良かった。うまく子をもうけられればわたしにとっても喜びだ……」
なにか変な性愛の誘いを受けた気分でミルドリアと別れ、階下に降りた。
霧香は欠伸を噛み殺した。この惑星に到着してからずいぶんといろいろなことが起きたが、まだ二十四時間も経過していないのだ。それにろくにまとまった睡眠を取っていない。このまえベッドでぐっすり眠ったのが何時間前だったか思い出せなかった。ポルックス標準時に合わせようとしていたから、恒星間連絡船内で眠ったのが最後だ……。
ぼんやりテントのあいだを歩き、洗濯する女性や川で遊ぶ子供たちを眺めた。
和やかなひととき。部族の創始者たちが何を望んだにせよ、いまもこうしてタフに存続し続けている。霧香が守護するとGPD憲章に誓った、これは究極的な世界の縮図だった。
リトルキャバルリーのもとに辿り着くと、ひとりの若い女の子が機体を見上げていた。
「ハイ」
霧香が声をかけると、女の子はぎくりと肩を震わせて振り返った。まるでいたずらの現場を押さえられたように怯えた顔でその場を去ろうとした。
「待って!逃げなくていいでしょ?」
「あたし……」
「わたしの愛機に興味があるの?」
「べつに……」女の子はすこし反抗的な顔つきで、ちょっと可愛らしかった。一五歳くらいか、霧香とたいして変わらない年齢だ。
「本当にあたし、もう行くから」
「そう。あ、わたしは昨日から寝てないからすこし眠る。誰かが捜していたら、そう伝えてくれる?」
女の子はおざなりに頷いて走り去った。
深刻な悩みを抱えているように眉を寄せ、唇を引き結んでいる。怒ったようなふて腐れたような顔……。おそらく部族に馴染めない子だ。霧香の故郷でも見慣れた顔つきだった。反抗期を迎え、おとなの言いつけに素直に従えなくなった、大人になる寸前の女の子……そういえば霧香だって一時期はあんな顔だったかもしれない。
家出を考えているのだろうか。