4 ベンガル デネブの丘
リトルキャバルリーは起伏に富んだ地形の上空を飛んだ。すでに標高千フィート。行く手は山岳地帯だ。地形的にククルカン軍も容易には入り込めない。
やがて夜が明けて空が白み始めた頃、見晴らしの良い丘陵地帯に小さな村が見えた。煉瓦積みの建物は軒並み破壊されていた。
「デネブ丘陵。わたしの故郷だ……」
しばらく上空に留まり様子を見たが、人の姿はなかった。ミルドリアによれば、大きな人の形をした機械が何体も飛んできて村を破壊したのだという。アイアンサイドは機動兵器を大量に配備しているようだ……。
村はずれの雑木林の中に愛機を降ろした。
デネブ丘陵は広大な盆地で、どちらを向いても草地が途切れた遙か向こうに平らな土地が見渡せた。大きなパンケーキのような土地は一面緑の牧草地で、杉木と竹の林が点在している。舗装された道路が一本だけ通っているほかは自然のままだ。たいへんのどかな土地だが、人の気配はない。道路沿いに二階建ての木造家屋が一軒。半壊して無人のようだ。
道路から逸れて5分ほど歩くと、ミルドリアの村があった。
目立たないよう一段低くなった窪地に煉瓦通りが造られていた。階段を下りて村の惨状を見て回った。
短い煉瓦敷きの一本道を挟んで並んだ建物は半ば倒壊し、火事で煤け、まだ生々しい焦げた匂いが立ちこめている。侵攻軍は彼女のコミュニティーを取るに足らない存在だと思ったのか、駐屯部隊も置かずトラップも仕掛けていなかった。無理もない……建物は全部で三十棟ほどしかない。比較的大きな建物が通りの突き当たりの広場に一棟。その他は平屋か二階建ての住居だ。人口は数百人という規模だろう。
牛が何頭か街の外側で草を食んでいた。道端に鶏も見かけた。ここで飼われていた家畜だろう。
見たところ建物が壊されている以外に苛烈な戦闘を示す物はない。略奪のあとや放置された遺体といった類も見当たらなかった。
「林のほうに備蓄庫を隠しているのだが、そちらは無事なようだ……」少し安心した様子のミルドリアが言った。
「ここにいたひとたちは無事ですか?」
「ああ、おそらく……」ミルドリアは広場に植えられたリンゴの木を指さした。枝に白い布切れが結びつけられていた。
「枝に布切れが結びつけられているだろう?あれが印だ。なにかあったときのために用意しておいた避難場所に辿り着いたという印だ」
「ここから近くに?」
「約20キロ離れている。あっちだ」ミルドリアは遠くにかすむ大きな山のほうを指さした。
綺麗な円錐形の休火山だ。標高一万フィート以上あるだろう。山頂にはまだ雪を戴いている。
「このあたりから山裾にかけてがベンガル地方と呼ばれている。あの山もベンガル山という」
「ククルカン軍はなぜあなたたちを追い立てたんですか?」
「あの山の向こう側が海だ。この地方最大の都市国家がある。その大きな港を抑えたいのだろう」
「なるほど。それで侵攻ルート上にあるこの村が邪魔だった……」
「そうだと思う。わたしの仲間は山裾のほうに逃げた。テラフォームの時にできた大規模火山活動の跡が残るひびだらけの荒れ地だ」
ミルドリアの指示に従ってリトルキャバルリーを低速で飛ばした。地形はさらに険しくなってきた。分厚い火山性の黒い土地が見渡す限り広がっている。真っ平らな土地が山の稜線が始まるあたりまでずっと続いているが、深い裂け目が幾重にも刻まれ、そのいくつかは高さ200フィートもある。裂け目はリトルキャバルリーが楽々飛べるほど大きく、底には川が流れていた。見慣れない巨木が絶壁に沿ってのたうつように生い茂っていた。ロバ一頭がやっと通れる道が絶壁の中腹に設けられていた。
「もうすぐだ。あまり奥に入ってないはずだ……」
「そう願いたいわ」
谷底を流れる川に沿って一マイルほど進むと、川幅が広くなったところに中州が形成されていた。
「あそこに降りられるか?」
「ええ」
霧香はリトルキャバルリーを中州に着陸させた。
「どうすればいいの?」
「もうわたしの仲間が見張っているはずだ……姿を見せて、みなが安心するまで待つ」
「了解」
霧香たちはのんびりした足取りで機体から降りると、身体を屈伸させた。やや早いせせらぎが青みがかった朝の谷底に反響して、こころやすまる響きとなっていた。
ミルドリアは目をつぶり、身体の力を抜いて立ち尽くしていた。
霧香は水際に屈んでせせらぎに手を浸した。冷たい。
ふと気配を感じて顔を上げると、わずか数メートル離れた川の流れから女が立ち上がった。ボウガンを構えていた。さらにふたりが現れた。それぞれボウガンと山刀を構え、霧香をまっすぐ見据えていた。
「おっと……」霧香は両手を挙げて降参した。
三人は川から上がるあいだも霧香から眼を離さず、三方を取り囲んだ。
「アマキ」ミルドリアが呼びかけた。
「レジナ!」ひとりが武器を構えたまま叫び返した。
「そのひとはわたしのお客人だ。武器を降ろすがいい」
三人はややあって武器を降ろしたが、相変わらず霧香を見据えていた。ミルドリアは慌てた様子もなく近づいてきた。
「アマキ。帰ってきたよ」女のひとりの肩に手を置いていった。
「レジナ!……ご無事で……」
女は突然ミルドリアに飛びついて抱きしめた。ほかの二人もミルドリアの肩や腕に手をかけ、口々に生還を祝福した。
あたりは突然、人でごった返した。向こう岸の岩陰や藪に潜んでいた連中が次々と姿を現し、ザブザブ音を立てて川の流れを蹴散らし走ってくる。
霧香は全員が武装していることに気付いた。
そしてすべて女性だった。
みなまっすぐミルドリアの元に駆け寄り、たちまち彼女を取り囲んだ。百人はいるだろう。年齢も上は初老のものから十歳くらいの少女まで様々だった。霧香はそっとうしろに控え、ほのぼのした気持ちで喜びあう人々を眺めた。
アマキと呼ばれた女性が人の輪から抜け出し、霧香の側に来た。おかっぱに切りそろえた黒髪、小顔で細い顎の線、すがめるような細い眼。浅黒い素肌は筋肉質で引き締まった体つきで身長は霧香より一インチ高い。年齢も少し上のようだ。改まった態度で霧香の前に立つと、ためらいがちに手を差し出した。
「レジナを助け出してくれたそうね……礼を言おう」
霧香は差し出された手を握った。
「わたしは霧香=マリオン・ホワイトラブ」
「アマキだ」
アマキは背後に顔を向けた。「あの通り、あのかたははみなに話しかけなければならない。しばらく許してほしいと言っている」
「分かってる……彼女は高い地位のひとなのね?」
アマキは眉をひそめた。「あのかたはわたしたちの女王だ」
「女……王?」
「そうだ、知らなかったのか?」
霧香は額に手を当てた。「レジナ・メニエッタというのは名前じゃなくて、メニエッタ女王という意味か……彼女はその娘」
「我々はすぐキャンプに移動する。あなたもお連れする」
「わたしの船は置きっぱなしで構わない?」
「キャンプはすぐそこだ。それに半径50㎞以内に我々以外はいないが、まずいか?」
霧香は深い峡谷を見上げた。
「そう簡単に見つからないか……」
団体は女王を中心のひとかたまりとなってパレードになり、切り立った崖に囲まれた川沿いの道をぞろぞろ移動した。霧香とアマキは並んであとに続いた。
五分ほど歩き続けると断崖が唐突に途切れ、三方を壁に囲まれたひらけた場所に出た。まるい大きなテントがいくつか張られ、炊き出しが行われていた。川の水を引いた水辺に馬が何頭か繋がれ、長い首を屈めて水を飲んでいた。ひどく外装の傷んだAPVも何台か置かれていた。
奥の壁は垂直に切り立った人工物だった。寺院風の彫刻が施された建造物のようだが一部は白っぽい崖と一体化している。どうやら岩を削って作ったらしい。
「すごい」霧香は巨大な岩の寺院を見上げて感心した。「あなたたちが作ったの?」
「まだ作っている途中だけど」アマキもまんざらではないようだった。「女王が避難場所として用意したのだ。あのかたは先見の明がある」
テントから幼い子供が飛び出してパレードの輪に加わり、赤ちゃんを抱いた女性と老人があとに続いた。どこからか牧童犬も姿を現し、パレードに加わった。みんなそろって寺院に雪崩れ込み、階段を上がった。円柱に支えられた広間に出た。円柱には削岩用のレーザードリルが立て掛けられていた。あれでこの寺院を削りだしたのだとすると、まるっきり未開の生活ではないようだ。壁一面には精緻な彫刻模様が施されていた。神話か、なにか信仰の物語を語った彫刻だろう。
あたりはお祭りの様相を呈していた。このまま宴会が始まるのだろうか。
いつの間にか女の子の集団に囲まれていた。霧香はにっこり笑いかけた。大人たちは余所者の霧香と距離を置いていたが、恐い者知らずの子供たちは好奇心に負けたのだろう。
「おねえちゃんあのお船で飛んできたの?」
「そうよ」
「じょうおう様を助けてくれたの?」
「まあね」
「おねえちゃんきれいね」
「こんどわたしの知り合いの前でもう一度言ってちょうだいね、約束よ?」
霧香の太腿になにか温かい毛皮の塊がぶつかり、霧香は驚いて見下ろした。それが大きな虎であることに気付いて霧香は飛び退いた。子供たちが笑った。
「バルカン!」ミルドリアが虎に向かって手を差し出した。虎は後ろ足で立ち上がってミルドリアにのしかかり、じゃれながら顔を舐めた。
「バルカン、やっぱりおまえは無事だったか。よし、よし」
大人に呼ばれた子供たちは霧香の腕を引っ張ってミルドリアのいる縁側まで導いた。霧香は女王の足元にのんびり横たわって新参者を「朝飯かな?」という目つきでじっと見据え続ける虎をつとめて無視した。
「みな聞いてくれ!」ミルドリアは声を張り上げ注目を集めた。「彼女はわたしの命の恩人、芹香・ホワイトラブの娘、霧香=マリオン・ホワイトラブ。遠い世界からやって来たGPDだ」
ミルドリアは霧香の手を取り、高く掲げた。おお、という歓声がさざ波のように伝わった。
「わたしは彼女の名を部族の回想録に加えたいと思う。どうだろうか?」
異議はなかった。
「彼女が我が部族に名を連ねることは名誉なことだ……夕餉にはささやかな祝いの席を設けたいと思う」
虎が巨大な頭を霧香の足に擦りつけた。霧香は密かに背筋を奮わせた。
(おしっこちびりそう……)