30
最終章です。
二章に分けようと思いましたがキリが悪いので、やや長めですが一度に掲載することにしました。
「蛮族の女王よ。わしの元に戻ってきたか」
霧香たちは球形モジュールの幅いっぱいある広い円形の室内 を見渡した。ミルドリアは赤い絨毯の上をさらに歩いて行く。
「それにGPDの若きお嬢さんも一緒か……。ショウの結末に間に合ったようだ」
「スハルト・アイアンサイド!確かにショウはおしまいよ!あなたはもう逃げられない。お分かりでしょう?」
暗い笑い声があたりに響いた。「外のうるさい蚊とんぼかね?どうやら汚らわしい異星人まで味方に付けたようだが、法の番人としてのきみの中立性はどうなったのだね?」
「わたしはGPDとしてここにいるのではないわ!この惑星を平定するひとりの人間として、あなたを追い詰めている」
「正義の味方のつもりか?え?まったく面白い。きみのおかげでこの数日は退屈しなんだ。だがきみの言うとおり、そろそろおしまいとしよう。蛮族の女王よ、わしを殺しに来たのだろうが、わざわざご苦労なことだ……。そなたの遺体は傷つけないよう気をつけねばな……わしの書斎を飾る剥製となりずっと楽しませてくれるように」
「戯言はもういい!姿を現すが良い」
そんな要請にあの男が従うかしら……と霧香が思ったのもつかの間、溜息のような音と共に天井の一部にまるい穴が開き、玉座に腰掛けたスハルト・アイアンサイドが降りてきた。
ミルドリアは腰の剣を抜いた。アマゾネス戦士たちは女王を囲みながら周囲に気を配っていた。霧香もあとに続いたが、アイアンサイドの様子がどこかおかしいことに気付いて立ち止まった。
薄笑みを張り付かせて座ったまま身動きしていない。
ミルドリアもそれに気付いたようだ。玉座の側に立ち尽くし、少し考え込むようにアイアンサイドを見下ろしていた。
女王は大剣を一閃した。
アイアンサイドは表情ひとつ変えず、その首が大理石の床に転がった。
中身は空っぽだ。
霧香は溜息をつき、カールから渡された特性通信機を取り出した。
「カール、カール?聞こえる?」
「いるよ!」
「カール、ボロゥさんか誰かから連絡はあった?」
「あったよ、ついさっき、アイアンサイドのアンドロイドを一台壊したって」
「そう……そいつは影武者だった?」
「残念だけどそうみたい」
「ほかに悪いはなしある?」
「いっぱいあるみたいだよ……ええと、センターパレスの地下からロボットがいっぱい沸きだしてきたみたい……戦闘アンドロイドだってさ」
「人間型の?」
「人間型の違法戦闘ドロイドに、犬型も……そいつらほとんど無差別に攻撃しかけてる。それからもうひとつ、衛星軌道上に軍艦が二隻いるらしい」
「ええ?所属は……」
「国連軍みたいなんだ」
「早すぎる……」アイアンサイドの抗議書簡はまだタウ・ケティに向かう途上のはずなのに。
もともと結託していた連中が現れたのだろうか?メッシーナ大陸制圧計画が破綻しかけてるから、第二計画を前倒しした?
「まずいわね……」霧香は考え込んだ。事態が手に負えない方向に転がり続けている。「……わたしたちはいま地下100メートルにいる。こちらもアイアンサイドをひとり見つけたけれどやっぱり偽物だった。奴はまだククルカンにいるのかしら?」
「電脳人格はひとりも逃げ出していないはずだけどなあ」
「サーバーの片隅に潜んでやり過ごそうとしているのかもしれないわね。奴は何十年でも待てる」
「システムにはチェックプログラムを流し続けてる。抜け道なんかあるとは思えないけど、ちっこいデータキューブに自分を保存してどこかのロッカーにしまい込んでたとしたら、お手上げだ」
そうだったらセンターパレスを徹底的に破壊するしかない。
「分かった。わたしたちもいまから地上に戻るわ」
「マリオン」女王が言った。
「レジナ。すぐここから出ましょう。やつは姿をくらまし……」
女王の背後でなにかが動き、霧香は黙って凝視した。透明な球状の壁の向こう、暗い水の中でなにか大きなモノが動いている。
巨大なスハルト・アイアンサイドの顔がこちらを覗き込んでいた。
顔色を変えた霧香の視線を追って女王とアマゾネス戦士たち、そして残りのレジスタンスたちが振り返った。
「な、なんだありゃ!」
ふたたびアイアンサイドの嘲笑混じりの声が響き渡った。
「やあ君たち。じっとしていろよ」
霧香たちがやってきた通路が閉まり、球形構造物全体が揺れた。水圧で浮かんでいた構造物の係留具が切断されたらしい。構造物はゆっくり浮上し始めていた。
アイアンサイドも一緒に浮上している。顔だけで10フィート以上ある。巨大で醜悪な姿だ。フード付きのマントに鎖帷子と肩当て。古代の騎士のつもりだろうか。
あれがアイアンサイドの真の姿なのだ。誇大妄想の果てに、自分自身を文字通り拡大したのだ。
霧香は不安定な床を慎重に歩いて女王の傍らに立ち、おたがいの肩を掴んで顔を寄せ合った。「レジナ!水面近くに浮上したらここの壁を破壊します。水で満たされたら外に泳ぎだして、とにかく逃げてください」
「分かった」
アマキも加わって話を伝え、急いでほかの者に伝えた。レジスタンスたちは上着を脱いで泳ぐ用意をした。みな不安げな面持ちだ。頭上がにわかに明るさを増し、まもなく水面に浮上するというところで霧香はビームガンを抜き、最大出力で透明隔壁を撃った。
穴がうがたれるとたちまち水が噴き出して来た。霧香は銃を動かして1メートルほどの大穴を開けた。
すぐに床が水浸しになりどんどん水位が上昇してゆく。それと共に浮上スピードも鈍り始めた。霧香はビームガンのバッテリーが切れるまで壁に穴を開け続けた。みなは最初に開けた穴の周囲に固まっていた。すでに肩まで水に浸かっていた。
「よし!穴が水中に潜った。ここが沈み始める前に外に出ろ!」
アマゾネスたちは流れ込んでくる水の勢いに賢明に逆らいながら、隔壁の外に体を引っ張り出した。
「仲間を待たないで水面に上がれ!急げ!」
その言葉を最後に女王も水中に潜った。霧香も続いた。構造物は天井に残ったわずかな空気でかろうじて浮力を保っていた。水の勢いは弱まり、霧香は難なく泳いで構造物から距離を置いた。濁った視界の隅にアイアンサイドの巨大な足が見えた。池の岸に這い上がろうとしているようだ。
霧香は懸命に手足をもがいてようやく海面に顔を出した。まわりを見回してみるとみなそれぞれ岸に向かいはじめていたが、女王やアマキを見分けるまでには至らなかった。霧香も一番近い池の縁に見当をつけてふたたび泳ぎはじめた。背後で大量の水が滴り落ちる気配がして、アイアンサイドが岸に上がったのだと分かった。
よく分からないが、周囲は慌ただしい。あちこちで建物が燃えていた。カールはアンドロイドの兵隊が暴れ回っていると言っていた。霧香はようやく池の縁に泳ぎ着いて体を引き上げた。アマキがすぐ側で四つん這いになって息を継いでいた。
「レジナは!?」
アマキが顔を上げて霧香を見て、次いで辺りを見回しはじめた。アイアンサイドは池をまわりこんで接近してくる。巨大な脚が地面を震わせている。
「レジナ!」アマキが叫んだ。
霧香たちよりずっとアイアンサイドに近い池の畔に、女王が這い上がっていた。霧香はポーチを探って、エネルギーカートリッジを取り出してビームガンに装填した。アイアンサイドが足元のミルドリアに気付いて巨体を屈めていた。腕を伸ばし、女王を捕まえようとしていた。
(なんと)霧香はその瞬間悟った。アイアンサイドは手慰みで女王をいたぶっているだけだと思っていたのだが、違う。(本気で執着していたんだ……)
霧香は狙いを定めて撃った。ルビー色の光線がアイアンサイドの片眼に命中した。アイアンサイドはうるさげに顔をしかめたが、痛がってはいない。いくら精巧なアンドロイドとは言え痛感までは再現していないだろう……しかしアンドロイドボディーに人間の精神を宿すためには、あまりいろいろ省略してしまわないほうがいいのだ。何万年にもわたって培ってきた生存本能が役に立たないほどカスタマイズしてしまったら、それは人間ではなくなる。だからたとえば飢餓感や、皮膚の触感や注意を促すための痛感に似たものは必要なのだ。顔を撃たれれば、人間の本能で反射的にかばおうとする。ダメージを負わないとしても何らかの注意を引く。
ミルドリアが立ち上がって、霧香たちのほうに走り始めた。重いマントや装身具は泳ぐ前に脱ぎ捨てていたから、いまはほとんど裸同然だ。
アイアンサイドは身を起こした。霧香のビーム攻撃を防ぐように片手で顔を覆いつつ、もうかたほうの腕を霧香たちに向かってかざした。
「逃げて!」霧香は叫び、アイアンサイドに背を向けて走った。
アイアンサイドの指からレーザーが放たれ、たったいま霧香が立っていた芝生を燃え上がらせた。
上空、ごく低い高度を見慣れない円盤状の飛行機編隊が航過した。異星人、ブロマイド人の船だ。円盤の縁からレーザーが放たれ、アイアンサイドの巨体を薙いだ。
しかしアイアンサイドのボディーは宇宙船並みのフォースフィールドに包まれているらしく、明確なダメージは与えていないようだ。それでもやつの注意をミルドリア女王捕獲から逸らす役にはたった。霧香はアマキとともに女王の両脇を固めてひたすら走り、建物の陰にたどり着いた。
「いい運動になった……」女王が肩で息をしながら言った。
「これからどうするんだ、マリオン?」アマキが訊いた。
「さて、どうするか……」さすがになにも思い浮かばない。「アマキ、ボロゥの部隊に連絡を取って」
「ああ」さっそく無線機を取り出しながら言った。「集合するか?」
「いいえ、できるだけバラバラに逃げるようにって。それから核兵器の処理はどうなったかたずねて」
「了解だ」
霧香も自分の携帯端末を操作した。リトルキャバルリーを呼び出すための操作をひととおり入力し終えると、カールの特性通信機を取り出した。濡れていたが壊れてはいないようだ。
「カール!」
「いるよ!アイアンサイドの奴が……」
「分かってる、わたしのすぐ近くにいるわよ。旅館の駐機スペースにひとっ走りして、だれかにわたしの船の被いを取ってと告げてくれない?自動操縦で発進させるから」
「分かったよ……さっきモーゼっていう人から連絡があったんだけど、あのひとまさか異星人?」
「イグナト人の千人隊長。なんていってた?」
「特大アイアンサイドがなんか電波を放射してるみたいなんだ。軌道上に残った衛星とリンクしているって」
「それって、核兵器発射の用意じゃないの……」
「そうなんだよ!それから、いまからアイアンサイドに攻撃を加えるからできるだけ早くセンターパレスから逃げるよう言ってたよ!」
背後のどこかで爆弾が破裂して、霧香は飛び上がった。土砂の破片が降りかかってあたりがもうもうたる噴煙に包まれた。
「それ先に言ってよ!」霧香は咳き込みながら文句を言った。アマキの肩を叩いて注意を促し、移動するよう身振りで示した。ふたたび三人で駆けだした。センターパレスの表玄関に向かう建物のあいだの煉瓦敷きの通路を走った。このあたりは霧香が最初に訪れた日に宇宙船が墜落して、破壊された状態からたいして片付けられていない。
走りながら背後を振り返ると、アイアンサイドがまっすぐこちらに向かって歩いてくる。
「しつこい男だな!」ミルドリアが忌々しげに言い捨てた。
「レジナにご執心のように見えますよ!」
「知っている。あんな態度の男だが、ときおり本気なんじゃないかと感じていた。――少なくとも、剥製にして飾りたいというのは間違いなく本気だ。おまえになびくことはあり得ないときっぱり断ったから」
「そ、それでまっすぐわたしたちを追ってくるんですか?」アマキが尋ねた。
「そのようだ」
そのとき巨大な船体が空を覆った。霧香たちとアイアンサイドが同時に空を仰いだ。イグナト人の戦闘艦だ。その船底から、あのヘビ型強化服の一個中隊が落下してきた。同時に艦砲の集中砲火を浴びせはじめた。
霧香はますます懸命に走った。破壊の余波が熱と振動のかたちで襲いかかってくる。しかしイグナト兵士たちがアイアンサイドを立ち往生させてくれたおかげで、ようやく距離を取ることができた。センターパレスの正面玄関、の残骸を迂回して、銃撃戦の跡も生々しい広大な庭を走り続けた。戦闘はもう終わっているようで、無数の死体が転がっている。
アイアンサイドが虎の子のアンドロイド兵士を解き放ったと、カールは言っていた。そいつらは敵味方関係なく無差別に殺戮しているのか。
(地獄だ)
市内にいた人たちが退去できていればいいのだが。
やがて霧香は数日前に着陸したスペースシップ駐機場に舞い戻っていた。辺り一面APVや戦車の残骸が燃えていたが、リトルキャバルリーの着陸する余地はまだ充分あった。
「女王陛下!ホワイトラブ中尉!」
霧香たちが振り返ると、ボロゥとレジスタンスの一団がぞろぞろ歩いてきた。数が減っていた。
「おぬしも無事か」
「ちっと弾を食らいましたがね……」みんな怪我を負っているようだった。「狂ったアンドロイドが地面からいっぱい沸きだして来やがって……しばらく死んだふりしてました」
ボロゥはセンターパレスをさらに破壊しながらもつれ合うイグナト兵器とアイアンサイドの巨体を見た。「……いまはアレだ。なんと醜悪な」
「レジナ!」
アマゾネス戦士たちも集まりはじめた。
「みな無事か?ラニーは?ネルは……」
バーサが無念そうに首を振った。彼女も傷だらけで、背中にアマゾネスを一人負ぶっていた。難儀そうに降ろして地面に横たえた。
「ジゼル!」アマキが駆け寄った。
「頭を打った。だが気絶してるだけで心配ないよ」バーサはそのまま地面にあぐらを搔いて座り込んだ。手を伸ばしてジゼルの額にできたひどい瘤をそっと撫でた。
「来た」霧香は呟いた。愛機が接近してくる。二機のAPVがエスコートしている。イグナト人のAPVだ。
「ちょうど良かった。あれに乗って安全地帯に退却してちょうだい」
「わたしはおまえと行くぞ」ミルドリアが宣言した。「このまえは置いてきぼりだったからな」
「わたしも行きます!」アマキが言った。ほかのアマゾネスたちも次々と名乗りを上げた。しかしミルドリアはその声を制して言った。
「アマキ、おまえは怪我人を連れて行きなさい。大勢で行っても危険なだけで出番はないからな」
リトルキャバルリーが着陸した。APVがその両脇に着陸して、イグナト兵士の一団が重そうな武器を担いでぞろぞろ這いだしてきた。霧香が兵士のひとりを捕まえて怪我人の後送を頼むと、尻尾をしきりに振りながらもどかしげに答えた。いいぜ、勝手に乗ってけよ。おれたちは急いでるんだ。一刻も早く戦闘に加わりたくて仕方がないようだった。
「荒っぽい連中だ」ボロゥは傷ついた仲間に肩を貸してAPVに向かいながら、本質を剥き出しにした戦闘民族を見送った。武器を背負って四つん這いになり、手足をばたつかせて猛スピードで走り去ってゆく姿はどこかカートゥーンめいた滑稽さだったが、それを見て笑うものはいなかった。
「あとは頼んだぞ!」そう言ってミルドリアは堂々とした足取りでリトルキャバルリーに向かった。
「マリオン、レジナを……」
「分かってる、アマキ」
霧香は若き指揮官とがっちり手を合わせると、それぞれの機体に向かった。
先にリトルキャバルリーに登場していた女王は、女王らしくソファーに深く腰掛けて足を組んでいた。霧香がハッチをくぐると言った。
「それで、これからどうするのだ?」
「けりをつけます」霧香はパイロットシートに這い上がりながら答えた。「イグナト人の軍艦も対艦戦闘用の宇宙兵器を使うのを躊躇しています。エネルギーが強すぎて都市ぜんぶが焼け野原になってしまいますからね。わたしの船に装備されているビームランスならちょうどいいのです」
霧香は二機のAPVが無事離陸するのを見計らって愛機を発進させた。高度3000フィートまで上昇して都市上空を旋回しつつ加速させた。
霧香はイグナト人の周波数に合わせて無線に呼びかけた。
「こちらGPD、ホワイトラブ。攻撃に参戦します」
「GPD、モーゼだ。アイアンサイドは強力な火器で武装しているぞ。奴の右腕に放射線反応がある。核兵器を隠し持っているようだ」
「そうですか」
「ミサイルを発射するために衛星と通信している。指向性の強いレーザー通信だから妨害も限度がある」
「分かりました、これより奴に接近戦を試みます。一時的に砲撃を止ませてください」
「了解だ」
霧香はリトルキャバルリーを急降下させて機首をアイアンサイドに向けた。背後から接近していたが、奴は360度の視界を持っているらしい。こちらにぐるりと巨体を向けた。奴の手足、それに首にはイグナトのヘビ型強化服が絡みついていた。足元ではイグナト兵とアイアンサイドのアンドロイドが格闘しているようだ、その強化服が絡みついた片腕を霧香に向けて振り上げた。霧香は機体に急制動をかけて腕の反対側に回り込むと、プラズマの槍を起動させた。紫色の稲光が背中に突き刺さって、アイアンサイドが仰け反った。たまらず振り上げた拳から散弾が飛び出し、リトルキャバルリーの船体を激しく叩いた。 「くそっ!」
よろける機体をなんとかコントロールして距離を取ろうとした隙に、すかさずイグナトの援護射撃が加えられ、アイアンサイドは肉の熱い顔を凶悪に歪ませた。やはりフォースフィールドが張られているうちは決定的なダメージは与えられない。
「奴の動力は宇宙船と同じ、メインドライブを内蔵しているようだ。陸戦兵器の出力では太刀打ちできん。どうにかしないといつまでも動き続けるぞ」
「さすがに隠し球だけありますね……」
「マリオン!」
「なんですか、レジナ?」
「ハッチを開けて奴に近づけ!」
「いったいなにを――」
「いいからやれ!」
霧香はしぶしぶ側面ハッチを開放した。ミルドリアはハッチから身を乗り出し、声の限りに叫んだ。
「おおい!図体ばかり大きな間抜け!わたしはここにいるぞ!」
霧香は驚愕して、慌ててアイアンサイドに目を向けた。
縮れた金髪を頂いた頭がぐるりとこちらを見上げ、霧香は軽く驚いた。戦場の喧噪の中でさえミルドリアの声を聞き分けたようだ。
「どうするつもりなんです!?」
「少しでも奴の気を逸らせるのだ」
たしかに気を逸らしたらしい。アイアンサイドは周囲の攻撃をものともせず、リトルキャバルリーに向かってくる。霧香は慎重に距離を開けつつ、リトルキャバルリーをゆっくり上昇させた。しかしアイアンサイドはミルドリアの姿を認めて、こちらに攻撃の手を向けてこない。
(元気な爺様ね!)霧香はなかば呆れていた。150年も生きて、あんな姿になって、まだひとりの女に執着するとは……
それから、アイアンサイドが上昇を開始した。
「飛び上がった……!」
慣性システムまで備えているらしい。どんどん高度を上げ霧香に迫ってくる。歯を剥き出し、目を見開き、躁病的なにたにた笑いを張りつけていた。本人はさしずめ大天使かなにかのつもりなのだろうが、あまりにもおぞましいその姿に霧香は総毛立った。
「ハ、ハッチを閉じますよ!」
ミルドリアは頷いてハッチの縁から退いた。
霧香はさらに機体を上昇させた。100フィートの背丈の男がそれを追いかけて空を飛ぶ。端から見ればいささか間の抜けた光景であっただろう。いったいどこまで追いかけてくるのか。
「いいぞ!GPD!」無線を通じてモーゼの声が響いた。
アイアンサイドの背後からイグナト人の戦闘艦が急上昇してくる。
そして、すくい上げるように、アイアンサイドの体に艦首を激突させた。
「なにをする気なの!?」
「このまま宇宙に放り出してやる!」
「そんな無茶な……」とは言え霧香も慌てて機首を巡らせ、どんどん加速してゆくイグナト戦闘艦を追った。周囲にはブロマイド人やウーク人の宇宙船も随伴していた。
奇跡的にアイアンサイドはイグナト戦闘艦の機首に張り付いたままだ。加速Gで身動きができないのか。それとも異星人たちは何らかのトラクターフィールドでアイアンサイドの体を押さえ込んでいるのかもしれない……。なぜなら、各艦艇は恐ろしくタイトな密集編隊を組んだまま上昇し続けていたからだ。おのおのの間隔はせいぜい300フィートしか離れていない。人類の船ではあんな危険行為は許されない。
アイアンサイドは艦首にしがみついたまま片手で狂ったように隔壁を叩いている。高度はすでに50万フィート。ほぼ真空だが、もちろんアイアンサイドに呼吸は必要あるまい。それでも過酷な環境には違いなかった。宇宙を想定したアンドロイドボディーでなければ、センサー類や関節機構にガタが出ているに違いない。
高度120マイル。
衛星軌道に突入すると、イグナト艦は制動をかけてアイアンサイドの体を艦首から引き剥がした。アイアンサイドの動きは緩慢だったがまだ死んでいない。ゆっくり回転しながら周囲にレーザーを放っていた。
「よし、これで遠慮なく奴を主砲で焼けるぞ。ホワイトラブ」
「なんですか?」
「おまえは国連艦隊に向かえ。上陸を阻止しろ」
「了解!」
霧香はリトルキャバルリーをさらに上昇させた。
レーダーで確認すると、国連艦隊は月を背にしてラグランジュ宙域に留まっていた。交戦状態のようで、散発的な荷電粒子砲の光条があたりに瞬いていた。おそらく国連軍を巻き込むためにアイアンサイドが仕向けた偽装艦隊かなにかと戦っているのだろう。かれらは急接近するリトルキャバルリーに気付いて、たちまちレーダー波が浴びせられた。ひどく警戒しているようだ。
こちらのトランスポンダーは確認しているはずだ。
「国連艦隊へ、こちらGPD、霧香=マリオン・ホワイトラブ中尉。応答願います!」
霧香はコンタクトを試み続けた。
「こちらGPD、惑星パルテノンにおける争乱はほぼ平定されました!都市国家ククルカンの首領、スハルト・アイアンサイドは市民軍に倒されました。国連治安維持部隊の出動の一時凍結を要請します。メッシーナ大陸の動乱は平定されました」
望遠鏡に巡洋艦の姿が映し出されていた。
霧香は額の汗を拭った。巡洋艦の主砲が相手ではリトルキャバルリーもハエのように叩き潰されてしまう。
「繰り返します、こちらGPD、惑星パルテノンの争乱は平定されました――」
「こちらは国連平和維持部隊、αケンタウリ宇宙軍所属〈ティタニア〉。GPDのIFFトランスポンダーを発信する宇宙艇に告ぐ、ドライブを切り停戦せよ」
霧香はミルドリアと顔を見合わせた。
ミルドリアが頷いた。
「了解です」
霧香はリトルキャバルリーの推進器をすべて切った。
****************
それから七日間が経過して……。
体裁を整えた国連軍艦隊をなんとか撤退させ、霧香は張り詰めていた気持ちをようやくほぐした。彼らがアイアンサイドと結託していたのかどうか、それはいずれ判明するかもしれないし、永遠に分からないかもしれない。とにかく今回は利益追求をあきらめてくれたようだ。
それでよしとすべきなのかもしれない。
メッシーナ大陸の全自治体の代表が一堂に会して、今回の事件に関して話し合った。かれらは今後同様の事変が起こらないよう対策を施すことで同意した。その同意の中には一定の金額を供出して自治軍を創設することも含まれていた。タックスヘイブンもこれで終焉となる……。
霧香はアマゾネスが経営する街道沿いの食堂に帰っていた。もう3時間ほどひとりでテーブルを占領していた。テーブルの上にはメッシーナ大陸全土から集められた報告書の山が積まれていた。霧香の要請にしたがって派遣される本物の国連視察団がもうすぐやってくる。それまでにまとめ上げて提出しなければならない。
「マリオン、そろそろ仕事を止めてこっち来なよ」
カウンターからアマキが呼びかけた。
「はーい」
食堂の入口ドアが開いてミルドリア女王とジャスティン・ボロゥが現れた。ルミネがあとに続いていた。再建中のアマゾネスの村を案内していたのだ。
「おっ!?」
床の上等なカーペットの上で大きなトラがのんびり寝そべっているのを見てボロゥはたじろいだ。
「その子はバルカン、わたしのお供だ」女王が言った。
「なるほど」彼がトラを大きく迂回しながらカウンターに向かうのを見て、霧香はいささか意地の悪い満足感を覚えた。
メッシーナ大陸全体が混乱から立ち直りつつあり、人々は新しい生活に向き合う前のひとときを過ごしていた。ボロゥふらりとが現れたのもそんなときだ。セントラプラス学園からやってきた生徒たちもここに滞在していたが、午前中に帰った。かれらは新たに学園生徒となったメアも一緒に連れ帰っていた。
セントラプラスの天才児たちの手で大陸全土の自治体を繋ぐ統合ネットワークが構築された。各自治体管理サーバーのデータベースをまとめ上げた結果、この惑星の総人口が創設以来はじめて、はっきりした。
三二億五千八百十六万三千人。誤差はプラスマイナス六百人。セカンドエグザイル植民惑星の人口としてはボーダーランドに次ぐ規模だ。
つまり、大昔の地球の二〇世紀中盤とおなじ、長い暗黒時代に突入する最初の段階に差しかかっているということだった。もはや行き当たりばったりの気ままな生活を続ける余地も、移民を受け入れる余地もない。ふたを開けてみれば問題は山積していた、ということだ。
その反面、人間の数はすなわち“力”である。惑星パルテノンの総人口は遠からず地球並みになる。経済力が増せば国連における発言権も得られるだろう。
「それもいいかもしれないが……」カウンターのスツールに腰掛けたボロゥが、グラスを傾けながら言った。本人は興味がなさそうだが。
「そんなことに執心する連中もいるだろうが……この星の大多数は「地球なんか興味ないよ、ほっといてくれ」なのではないかな?」女王が言った。
「だといいんですが……政治ごっこがしたいならこの惑星の中だけですればいい。世界が地球の上だけだった頃にそうしていたように」
ボロゥを挟んで女王の反対側に座っていた霧香が口を挟んだ。
「それでは、ボロゥさんは新しくできる代表議会に参加されないんですか?」
「俺は興味ないよ。家に戻って仕事を再開する」
「おぬしは革命戦士になる前はなにをしていたのだ?」
ボロゥは笑いながら答えた。「パン屋です」
「そうか」女王は言った。「パン屋か。いいな。わたしはこの騒ぎで引退の時期を逸した。アマキに女王の座を譲るつもりだったが、あと半年は無理のようだ」
アマキはカウンターの隅でグラスを磨いていた。
「レジナ、あと少しだけ我慢をお願いします。「謁見」がひととおり終わるまでは」
「半年だ。その頃にはお腹も目立つようになるから、引退しなければ。おまえは少し髪を伸ばせ……女王らしく」
「はい、レジナ」
異星人とともに惑星パルテノンの「顔」となったミルドリア女王のもとには連日、拝謁を願う訪問者が跡を絶たない。このままではメッシーナ大陸の女王に担ぎ上げられてしまうと本気で心配していた。それは女王の望むところではないが、霧香は密かに「それもいいんじゃないか」と思っていた。
人々の望む「象徴」でいることも高貴なるものの義務なのだ。
少なくとも、スハルト・アイアンサイドよりはずっと良い。
故郷に戻るボロゥに別れを告げたときには日も暮れ、デネブ丘陵は静けさを取り戻していた。ベンガルの戦いで食堂は一種の観光地となり、大勢が訪れていた。もとの静寂を取り戻すのはいつのことか。
「マリオン」女王の声に霧香は振り返った。
「おまえも、数日後には行ってしまうのだな?」
霧香は頷いた。「国連視察団に案件引き渡しが済んだら、わたしはお役御免です」
「みんな寂しがるよ」
「また会いに来ますよ……ご出産の時に」
「そうだな」ミルドリアはお腹に手を当てた。そこにはメアの妹が宿っているのだ。しかも霧香の血を受け継いでいる。まだ受胎五日目に過ぎないが、余程のことがないかぎり無事生まれるはずだ。妙な気持ちだった。
「おまえはメイデンホーン部族の一員だ。いつでも帰っておいで」
「はい」
「娘の名前も考えるが良い」
「名前ですか……」霧香は頭を搔いた。本当に、妙な気分だ。世の父親みたいな宿題まで押しつけられてしまった。
それでもまんざら悪い気分でもなかった。
――了――
メモ
ほとんど文庫一冊くらいの長さになってしまいましたが、ふた月近くお付き合い頂きありがとうございました。
若干の反省点その他;今回はなるべく大勢の登場人物をひたすら絡ませる、というのが課題でした。おかげで登場人物一覧無しではやや不親切だったかも知れません。
全体的にSF要素がちょっと少なすぎ、後半の戦争スペクタクルは、スペクタクルと言うにはちょっと淡泊だったかな……と。もっと行き詰まる犠牲者大勢という戦いを書く誘惑にも駆られましたが、それはなろうではあまり受けないかも、ていうか書けないし、と躊躇してしまいました。霧香がもっといろいろな場所を訪れ、ヘンな住民と遭遇する話も書きたかったけど、それを含めて作者の力量不足が露呈しました。
でも敵の親玉がけっこうあっけなく倒されてしまうところなんか、わりと欧米スペオペ小説の伝統を踏襲してるんじゃないか、とか思ってみたり……(笑)
ともあれ、マリオンGPDはまだ続きますので、気が向いたらちょっとのぞいてくださいな。