2
「いまごろ外は大騒ぎのはずだ。うまくすればどさくさに紛れて逃げられるだろう」
「あんた革命分子なのね?そうでしょう?」
「そんなところだ」
どこかで鈍い爆発音が響き、床が揺れた。
パレスの廊下は徐々に騒がしくなってきた。どこからともなく人間が溢れ出し、右往左往している。まだEMPから数分経過したに過ぎない。反政府勢力の武装蜂起が始まっているとしても、大騒ぎになるまでもうすこし時間がかかるだろう。いまのところ霧香たちに注意を向けるものはいなかった。
だが玄関ロビーに降りる階段に辿り着いたところで警報が鳴り出し、霧香たちの運が尽きた。誰かがアイアンサイドの死体を発見したのだ。警備隊がロビーに並び、誰ひとり建物の外に出さないよう人間のバリケードを形作った。
霧香たちはとっさに手近の扉を開けて部屋の中に逃げ込んだ。控え室のようで、狭い室内の壁際にいくつかの椅子が並べられていた。女性は部屋の中を眺めなにやら物色し始めた。武器を捜しているのかもしれない、と霧香は思った。
男は椅子のひとつにどっしり腰を落とした。
「出口は塞がれた」
「知ってるわよ」霧香は携帯端末を操作し始めた。「まったくもう……EMPはどれだけ続くの?」
「五分間……だったと思うが、わからん」予定ではすでに殉教者になっているはずだった男は、その後の計画にあまり注意を払っていなかったようだ。態度もどことなく心ここにあらずという感じだ。
「アイアンサイドは偽物だったの?」
「残念だが、コピー人格だった。だけど俺と似たようなことを五カ所で一斉にやっている。誰かがオリジナルを消しているはずだ」だが男の言葉は確信を欠いていた。
「アイアンサイドは人格コピーをいくつも用意していたのね」
「あの通りの男だ。コピー同士で争わないようキルスイッチを仕込んだコピーを用意していた。オリジナルは生きていれば143歳だ。60年前に電脳人格化して以来、神出鬼没になった。おれたちはコピーの居所を根気よく掴み、逃げられないよう電磁パルスでネットワークをシャットダウンさせ、一斉に攻撃したんだ」
電子的な天国である4.0に隠居することなく、サイボーグとして生まれ変わって人間社会に介入し続けた独裁者か……。よほど楽しい人生だったのだろう。
男はポケットから小さな箱を取りだし、中身の細い棒を抜き取って口にくわえた。べつのポケットからさらに小さななにかを取りだし、口にくわえた棒の先に火を点けた。一連の動作はひとつの流れになっていた。棒は紙製のようで、じりじりとオレンジ色に焼ける先端から紫煙が立ちのぼった。
霧香は古い映画で見た仕草に思い当たった。煙草だ。フーッと深い吐息を漏らして煙を吐いた。
女が身振りで一本寄こせと伝えた。男は箱を振ってもう一本抜き出した。女がつまんで口にくわえ、差し出されたライターの火に屈み込んだ。男は空になった煙草の箱を握りつぶして床に捨てた。
「これからどうするつもりなんだ」女性が紫煙を吐きながら口を開いた。
「まあ待てよ」
女性はほとんど剥き出しの肉体に宝石と金細工だけを身に付けている。ベンガル地方で捕らえたといっていたが、どことなく野性的な風貌だ。野蛮人、というアイアンサイドの言葉が無くとも、ふつうの現代人とはどこか違っていた。裸同然なのにじつに堂々としている。アイアンサイドはオダリスクに仕立てようとしたのだろう。豊満な体つきなうえに筋肉が発達していた。霧香より背が高い。年の頃は30歳ほどか。
霧香は煙のひどい匂いに辟易して、奥の窓を開けた。
外の空気もさして新鮮ではなかった。生温かい熱帯夜の空気とともになにか焼け焦げた匂いと火薬の匂いが漂っていた。自動小銃の乾いた打擲音も聞こえる。火線は見えなかった。身を乗り出して下を見た。二階とはいえ地面は60フィートほど下で、飛び降りるのは無理だ。
「降りられそうか?」霧香の背後で男が尋ねた。
「下には誰もいないんだけど、高過ぎる。ロープがないと……」
「カーテンかなにかで作ればいいだろう」女が即座に言った。
「そうか」霧香は椅子を引き寄せてその上に昇ると、カーテンレールに手を伸ばした。男が向かい側の窓で同じようにカーテンを外し始めた。霧香はポーチからナイフを取りだし、外したカーテンと一緒に女に放った。
「60フィート程度の長さが必要です」
「フィート?それは何メートルだ?」女は聞きながらナイフを使ってカーテンを裂き始めた。
「だいたい20メートル」
女は素早く、手際よく短冊状にカットしたカーテンを結んだ。すぐにじゅうぶんな長さになったので、いっぽうの端を椅子の脚に結びつけると、残りをひとかたまりにして霧香に寄こした。霧香はロープを窓の外に放り投げた。
「よし、届いた」
「わたしが最初に降りよう」女が有無を言わさない口調で宣言した。
「俺は最後でいいよ」
霧香のナイフを咥えると、女は軽やかな身のこなしで窓枠に乗り、慣れた調子でするするくだり始めた。あっという間に地面に降り立つと、急いで来いというように腕を振った。 霧香もロープを掴んで窓から身を乗り出し、壁を跳躍するようにリズムをつけて降り始めた。(あんなにうまく降りられないわ……)焦らないよう慎重に降り続けた。(おしりが重いんだもの……)
それでも30秒ほどで地面に辿り着いた。男もすぐに窓枠から身を乗り出し、ロープを伝い始めた。下から見たほうがずっと危なっかしくぎこちなさそうに見えた。
霧香たちはパレスの脇のほう、フェンスと建物のあいだの狭い敷地に出ていた。背の高い庭木が植えられており、霧香たちの姿はうまく隠されていた。霧香が男を見ているあいだに女のほうは敷地の端まで移動して様子を伺っていた。爆発や銃撃の音がだんだん近づいてくる気がした。武装蜂起した市民がパレスに雪崩れ込んできているのだろうか。
男が霧香の側らに降り立った。
「さて、これまでは幸運が続いたが……」
「行こう」
女の背後に寄ると、パレスの正面玄関と庭園が見渡せた。ずらりと並んでいた機動兵器はどこかに姿を消し、破壊されたローバーが何台か燃えていた。死体も転がっていたが大勢ではない。どうやら正面玄関付近でなにかが爆発したらしい。砲撃だろう。戦闘はもっと遠く、センターパレスを囲む高級住宅地のあたりで散発的な銃声が続いていた。火災の炎を遮るように巨大な影が動いている。二足歩行戦闘車両が敵を掃討しているのだ。
「わたしの宇宙船が2マイル……3キロメートル離れた駐機場に置かれている。そこまで走るしかないわね」
「やってみよう」
霧香たちは10ヤードずつ距離を置いて駆けだした。警備兵の姿は遠く、ローバー駐車スペースに中隊が整列している最中なので、暗闇に紛れた霧香たちが見とがめられることはなかった。しかしリトルキャバルリーに向かうということは戦場のほうに近づくということだ。走り続けているとどんどん戦闘が間近に迫ってきた。
パルスライフルを担いだ分隊規模の歩兵たちが熱のこもらない駆け足でどこかに向かっている。事態を把握しきっていないのだろう。装甲APVが低空で霧香たちの頭上を航過した。キャタピラを備えた戦闘車両も騒々しい音を立てながら通り過ぎた。
ようやくリトルキャバルリーの間近まで辿り着いたが、すぐ隣の駐機場に大勢の兵隊が集結している。リトルキャバルリーの隣にパークしている宇宙輸送船に乗り込もうとしているのか。
霧香たちはブラストリフレクターの影に身を潜めて様子を伺った。
「あのちっぽけなボートがあんたの船?」男が呆れたように呟いた。
「ええそうよ」
「兵隊が邪魔だ……」
兵隊たちは銃を構えてなにか威嚇している。間もなく、それが住宅地から逃げてきた市民だと分かった。市民たちが安全を求めて宇宙船に殺到しているのだ。どんどん数が増えてゆく。
「状況は好転しそうにないぞ」
砲弾が飛来する鋭い音が宙から響いた。「伏せて!」霧香は叫ぶと同時に地面に伏せた。 着弾とともに地面が震えた。爆圧で空気が圧縮され、不快な匂いと熱が伝わってくる。破片があたりにバラバラ音を立てて振りそそいだ。
顔を上げると、宇宙船の機首がゆっくり傾いていた。
兵隊と市民が蜘蛛の子を散らすように倒壊する宇宙船から逃げ出していた。悲鳴とひしゃげる金属の音が混ざり合う。
「ああもう!なんてこと!」霧香は立ち上がるとリトルキャバルリーに向かって駆けだした。
「おい……待て……!」残りのふたりもあとに続いた。
逃げ惑う兵隊と市民を掻き分けて愛機に辿り着いた。リトルキャバルリーのハッチが自動的に開いた。
霧香の背後で手負いの宇宙船は持ち直していた。パイロットは慣性航法装置を働かせて宇宙船を浮上させ始めていた。破壊され、もげかけた降着脚を引きずっている。だが高度を上げた大きな船体は格好の的だった。その横腹にさらに二発の砲弾が着弾して、宇宙船は弾かれたように横滑りしながら霧香たちの頭上を越えた。
「やばい……!」
霧香は落ちてくる破片を避けながらリトルキャバルリー船内に飛び込んだ。操縦席によじ登ってメインシステムを起動させた。振り返ると、女が入口で外を向いていた。
「早く締めて!」
「あいつがまだだ」
霧香はキャノピーから外を覗いた。あの男が兵隊ともみ合っていた。銃をもぎ取り、威嚇するように相手に向けながらなにか叫んでいる。「あっちに行け!失せろ!」と叫んでいるようだ。
男は突然つんのめり、地面に倒れそうになった。
「撃たれた……!」
男がよろめきながら近づいてきた。女がハッチから飛び降りて駆け寄り肩を貸した。リトルキャバルリーの急勾配のハッチを登るのは難しそうだが、女は傷ついた男の体を難なく引きずりあげた。ハッチを登り切った男はそのまま女の身体に倒れかかった。
霧香は機を上昇させた。
わずか200ヤードほど離れたところであの宇宙輸送船がふたたび体勢を立て直そうとしていたが、さらにレーザーの直撃をくらって、とうとう派手な火柱が噴きだした。タンクが破裂したか弾薬が誘爆したのだ。ぐらりと傾いて地面に機首から落ち、爆発した。
あたりは火の海に飲まれた。
霧香はキノコ状に立ち昇る爆炎に巻き込まれながらなんとか上昇を続け、五千フィートに達したところでようやく機を安定させた。
「なんてひどい……」
見渡すかぎり……駐機スペースと公園のほぼすべてが炎に呑みこまれようとしていた。真っ二つに割れた宇宙船の一部はセンターパレスの正面に突っ込んで建物を半壊させていた。
高度三万フィートに達したところで水平飛行に移った。ここまで来ると地上の喧騒がウソのように静かな空が広がっていた。しかし安心するのはまだ早い。
霧香は自動操縦装置をセットすると、フロアに降りた。壁の収納庫から救急パックを引っ張り出してふたりの側に急いだ。
男は仰向けに横たわり、女の膝に頭を保たれていた。
「彼は……」
女は厳しい表情を霧香に向けた。
軍服の下の肌着が血に染まっていた。胸のあたりから出血している。
霧香は男の上に屈み込んだ。
「あなたの名前……まだ聞いてなかった」救急パックから鎮静パッドを取り出しながら尋ねた。
男はぼんやりとした笑みを浮かべた。
「ウッズマン……あんたは?」
「マリオン・ホワイトラブ。GPDよ」
「そうか……」顔をしかめた。「天下のGPDがお出ましだったとは……そうと知ってればあと一日予定を延ばしても良かったな……」苦しげに咳き込んだ。口元に血が滲んだ。
「ウッズマン、しっかりして、もう喋らないほうがいい。いま応急処置するからね……」
「悪くない……」かすれた弱々しい声で呟いた。
「なにが?」
「美女の膝に抱かれて……もうひとりの美女が、心配そうな顔して、さ……」
ウッズマンは息を引き取った。
英雄の最期を迎えた男は穏やかな笑みを浮かべていた。
彼は肺を撃ち抜かれていた。
応急処置は間に合わず、間もなくインジケーターが脳波停止を告げた。
今作はもともと『アマゾネスの逆襲』なる仮題でしたが、この二ヶ月ちょっとなろうで修行したためか、「もうちょっとくだけたタイトル無いかな?」と散々思案したあげくこんなタイトルとなりました。
でもあんまり気に入っていないのでいずれ改題するかも知れません。