17
お昼の鐘が鳴ったころにはリトルキャバルリーはもう傾いておらず、地面からすこし浮いた状態で二枚の可変翼を伸ばしていた。機体を取り囲むように新たな足場が築かれ、生徒たちはしきりにタラップを行き来して点検の最中だった。どうも点検整備と同じ熱意でリトルキャバルリーを覗くのに夢中になっているようだ。明らかに余計な外装パネルまで開けている。まあ約束の時間まではまだ間があるから好きにさせておいた。タラップを登ると、霧香に気付いたコーセイが顔をしかめた。
「あ、あの……」
「どう?作業は順調?」
「うん、だいたい治ってるみたいだよ。ぼくはシステムチェックだけだからよく分からないけど」
「そう」霧香はハッチをくぐり抜けた。生徒が作業中だった。みなオーナーの登場にちょっぴりたじろいでいた。
(まるでいたずら現場を押さえられたみたいだ)
床からメインフレームの収まった銀色の円柱がせり上がっていて、いくつもの端末が繋げられていた。ホロモニター上にものすごい速度で文字列がスクロールしている。十人ほどの生徒が床に座ってモニターしていた。霧香は生徒たちを踏まないようにほとんど足の踏み場のないフロアを横切った。
カールが立ち上がって言った。「えーと……ホワイトラブ中尉、すでに九五%復旧しましたよ。いくつかブラックボックスになってるファイルがあって、それはチェックできないけど」
「それは兵装システム関連だから、放っておいて」
「うひゃ!やっぱりこの船戦闘艇か」
「超・高性能の」
「超、高性能」カールは頷いた。「スゲー……」
「ねえ、この機体軽く四十G出ちゃうんじゃ?」好奇心が抑えがたいといった様子で別の生徒が尋ねた。
霧香は厳かに頷いた。「巡洋艦を追いかけられる」
「やっぱり!俺が言ったとおりだろ!あの背後の壁のまるい張り出しが人工特異点を収納した力場カプセルなんだって」彼はもうひとりとハイタッチした。「めっちゃすげえや!」
「けっこうなことね。でもわたしの船の弱点をみごとに突いてくれたわね。いったいどんな装置を使ったの?」
「ああ……」カールが頭を掻いた。「えーと、慣性航法装置の周波数に同調するエネルギー波で……せいぜいAPVのシステムをおシャカにするのが目的だったんだけどまさか宇宙船に効くとは……」
「うん、そうなんだ、この船を捕捉したとき、てっきりククルカン軍の偵察APVだと思ったから」
「それで新兵器をちょっと試してみた……」
「そういうこと」
「出力が大きいぶん、感応波も速く増幅したんじゃないかな……おたがいに増幅してあっという間にシステムがいかれたんだ」
「なるほどね……」
「でももう大丈夫、シールドを付け足しといたから、二度と同じ目には遭いませんよ」
「それはご親切に」霧香は操縦席によじ登った。システムを再起動させると、グリーンのホロコンソールが浮かび上がった。振り返ってキャノピー越しに機体の背後を眺めた。サイクロンバレルを収めたナセルが左右に首を振り、整流板が波打つようにせり上がる。診断プログラムはいくつか警告メッセージをちらつかせているが、おおむね機体に異常を認めなかった。予備動作を確認すると、霧香は満足げに頷いた。
「よし」
テンポラリーネットにアクセスしてキーワードを打ち込み、トピックを検索させた。さらに通信システムをGURDEチャンネルに合わせて飛び交っている通信を傍受した。
イグナト人が言ったように霧香とミルドリアは指名手配されていた。ククルカンの侵攻部隊はメッシーナ大陸をすでに半分ほど蹂躙しており、力のあるほかの自治地域を分断しようとしていた。
放送網も寸断されていた。半分ほどはククルカンのプロカパンダに置き換えられ、まだ残っているネットワークが細々とニュースを伝えていた。娯楽番組や通常放送の類はほぼ壊滅しているようだ。こうした情報に接する限り、惑星全土を戦渦に巻き込むアイアンサイドの目論見はほぼ成功している。
「だれか、このあたりの詳しいマップデータ持ってる?」
「どの程度?メッシーナ大陸全土の最新区分け図と地域データベースならあるけど……もっともここ数日でだいぶ書き換えられちゃったけど……」
「それで良いわ。学園二百マイル圏内の人口分布と自治体が分かればいいのよ」
「いろんな自治体があるからね、このあたりは」
「そうなんだ」
「だってローバーで送り迎えできる場所にこの学園があるんだもん。自前の学校がないところはみんなここに子供を送り込むんだ。それにブラックストーンは大きな街でなんでも手に入るから、周辺に小さな自治体が寄り集まるんだ」
「なるほど、利便性か」
「ダウンロードしとく?」
「よろしく……地形図も入ってる?」
「うん、標識やコンビニの位置も入ってるよ」
「霧香」メアがウッズマンの妹と共に乗り込んできた。「船は治ったの?」
「もうすぐよ」
「彼が遭難した場所は分かってるの?」
「最後の位置は分かっている。もう一度連絡があればベターなんだけど……」
「そうか……」メアは心配そうだった。
ロベルタは床に座っている若い生徒たちの肩を叩き、避難場所に向かうよう促していた。ひとりまたひとりと、生徒たちはしぶしぶ立ち上がり、床に散らかった工具箱やケーブルを片付け始めた。
彼らは授業には戻らないのだ。もはや学園の日常は中断され、いつ平穏に戻れるか定かではない。
「ホワイトラブさん……えーと」ひとりの生徒が去り際に言った。「今朝ククルカンのパトロール艦を一隻やっつけたんですよね。また戦うの?」
「ええ……たぶん」
「がんばってね!」
霧香は微笑んだ。「うん、ありがと……」
霧香の返事に被るように不吉な音色のサイレンが鳴り始めた。
生徒がのろのろと立ち上がって天井を振り仰いだ。
「なに?」
外で誰かが叫んだ。「……敵襲だ!」
霧香はハッチから身を乗り出した。バスに乗り込もうとしていた生徒たちが浮き足立った様子で騒ぎ始めていた。
「出発待て!生徒たちは防空壕に急ぐんだ、年長者は生徒たちを誘導しろ!」ギブスンが指示を飛ばしながら走っていた。
霧香はリトルキャバルリー機内に振り返った。「あなたたち全員降りて!わたしは飛び上がる」
生徒たちはラップトップをバックパックに仕舞い、ぞろぞろと列をなしてハッチを降りた。「おちんなよ、急げ、部室へ行け」カールがみなをせき立てている。
コクピットに上がっていた霧香は、出て行かない様子の三人に気付いた。
「ちょっとカールくん、それにロベルタ、はやく降りなさい!メアもはやく降りて!」
「やだよ、まだ修理がすんでない」カールが応えた。
「わたしはここにいたい」メアが言った。
「それならもうひとりいても良いわよね」ロベルタが言い添えた。
「もう!」霧香は悪態をついた。「この船は囮なんだから、どうなっても知らないよ!」
リトルキャバルリーは慣性制御システムのノイズと共に上昇した。上昇しながら機首を巡らせ、周囲をレーダースイープした。航空機の編隊が九時と十二時の方角から迫ってくる。学園上空で交差するようだ。爆撃するつもりか……。十二時方向の編隊に向けて加速すると、相手は散開した。
国際IFFに応答する機体はなかった。ふたつの編隊はそれぞれ六機ずつ。そのうち護衛機が二機。空対空防御の心配はしていなかったようだ。その護衛機、スマートなデルタ翼の機体が迫ってきた。一機がパルスレーザーを放ち、脈動するコヒーレントビームがリトルキャバルリーのフォースフィールドを舐めた。霧香は落ち着いて相手に照準を合わせ、ひと桁出力の高いレーザーを照射した。
護衛機二機は真っ二つに切り裂かれて爆発四散した。
「凄い!」カールが背後で叫んだ。いつの間にか後席の支柱にしがみついている。後席にはメアが収まっていた。
霧香はリトルキャバルリーを一万フィートまで上昇させた。速度は音速の二倍に達している。相手の電波システムにジャミングをかけた。これで通信機も誘導兵器も使えなくなる。
相手もリトルキャバルリーがAPV程度の機体ではないと気付いたのだろう。九時方向の編隊も散開して、二機の護衛機は大きく円を描いて急上昇していた。編隊の残りはずんぐりした紡錘形の機体だ。装甲化した大型APVだろう。セントラプラス学園上空に達する二マイルほど手前で、地面すれすれまで高度を下げて速度も落としていた。
高度を取った残り二機の護衛機は挟撃の進路を取りつつリトルキャバルリーに向かって降下してくる。接近警報が鳴り響いた。だめもとでミサイルを放ったようだ。誘導は効かないが奴等はじゅうぶん速度を乗せた上で短い距離から放ったのだ。二発のミサイルは近接信管を働かせ、衝撃に備えよと警告する間もなくリトルキャバルリーのすぐそばで次々炸裂した。瞬間的に慣性航法システムの対応が追いつかないほどの衝撃が伝わり、カールとロベルタは床に放り出された。
「いてててっ」カールはロベルタの尻の下敷きになり喘いだ。
「ご、ごめんね」
メアもヘッドレストにしたたかに後頭部を打ち付け、呻きながら頭を振っていた。だが被害はそれだけだった。質量兵器とは言え、炸薬を使った大気圏内用ミサイルでは深宇宙用の位相装甲を備えたリトルキャバルリーには擦り傷ひとつつかない。
二機の護衛機がフレアーチャフを撒き散らしながらリトルキャバルリーをかすめ飛んだ。
霧香は二時方向に回避旋回する機体を追った。
反対方向に旋回中の寮機は速度を上げながら霧香の背後を取ろうとするはずだ。しかし速度に勝るリトルキャバルリーは遥かにはやくもう一機の背後にぴたりと食らいついていた。
下面の自在アームを起動させ、荷電粒子の槍をいっぱいまで伸ばして目前の機体を灼いた。
「見て!」側面窓に張り付いたロベルタが悲鳴のような声で叫んだ。霧香はそちらにチラと視線を向けた。四機のAPVが学園上空をゆっくり航過していた。その下で爆発が起こっている。
「くそっ爆撃してる!」
霧香はリトルキャバルリーをAPVに向けた。護衛機の生き残りは逃走に入っていた。行く手の森林には残り四機のAPVが鳴りを潜めているはずだ。霧香は低空を駆け抜けながらビームの槍を地面に向けた。リトルキャバルリーの真下に位置していた二機がビームに切り裂かれて爆発した。
爆撃中の四機は猛烈な勢いで迫ってくるリトルキャバルリーに気付いたか、爆撃を中断してバラバラに回避運動を取り始めた。
船内に警報が鳴り響いた。あの電磁波がふたたび照射されているのだ。
カールが言ったとおりリトルキャバルリーは影響なく飛び続けていた。しかし爆撃編隊は違った……がくりと機首を落とし、動力を失って墜落している。
「やった!」カールが叫んだ。
APVはたっぷり三千フィート落下して地面に叩きつけられた。あれでは中の乗組員も無事では済まないだろう。
霧香はリトルキャバルリーの速度を大幅に落とし、学園上空を旋回した。いくつかの建物が黒煙を上げ、燃えていた。爆撃されたのはほんの一部、短い間に過ぎない。それでも方々から黒煙が上がり、破壊された建物の側、瓦礫が散らばった舗装路に遺体が転々と横たわっていた。
「ひどい……降りて、救助活動に加わらなくては」ロベルタが切迫した口調で言った。
「まだよ……林の中に行動不能の敵の機体が潜んでいるわ。いまごろAPVを捨てて、別の攻撃を試みようとしているかも知れない」
ジャミングを切り、通信回線を次々と切り替えた。敵の通信は傍受できなかったが、その代わり聞こえてきたのは救助を求める悲痛な叫びだった。
「ロベルタ、誰かに連絡を取って、上空から見える限りの被害を報告して……それからだれか……生徒会長かだれか状況を把握してそうな人と連絡を付けて。テーブルに端末があるからそれを使って」
ロベルタはすぐさま忙しく立ち回り始めた。手の甲で目許を拭っていた。カールも端末を操作して仲間に呼びかけていた。メアも側面窓から下を眺め、被害を報告し始めた。
「副会長に繋がったわ」ロベルタが報告した。「会長たちは救助にまわってるって……怪我人はブラックストーンに運ぶって。ギブスンくんも怪我してるけど、命に別状はないそうよ……それから、ブラックストーン商工会に連絡して、できるなら救助チームを呼んでもらうって言ってる」
「オーケー、通信はなるべく維持してね」
やがて林のあいだの空き地に二機のAPVを見つけた。横倒しになっていた。迷彩服姿の人影が途方に暮れた様子で霧香たちを見上げていた。慌てて銃を捨て、手を上げるものもいた。
霧香は高度を取り、ふたたびレーダーであたりを捜索した。
新たな機影はない。
「あいつらやっつけるの?」ロベルタが冷たい声で尋ねた。霧香は首を振った。
「いいえ、だけどネルに位置は報告して、警戒するようにって」
「分かった。もう敵は来ない?」
「一時的に過ぎない。避難を急ぐように言って」
「ねえ」カールが言った。「あの……墜落したAPV、中に乗ってた奴等、死んだのかな……」
霧香はカールを見た。
「たぶん」
「そう……だろうね」
「気になる?」
「うん……ちょっと……」
「かれらは武装した兵隊、そして攻撃しかけてきたんだもの。逆撃されたって文句は言えないわ」
カールは弱々しく微笑んだ。自分たちが作った機械で誰かが死んだかも知れないのだ。霧香の言葉で簡単に割り切れるはずもなく、いずれ心の重荷になることもあるだろう……だがそれは今現在の波乱を乗り越えたあとの話だ。精神的にはずっとタフなメアが年下の少年の肩を抱き寄せ、頭をぽんぽん叩いた。
「霧香さん、副会長からまた……」ロベルタが言った。「ルミネっていう人から連絡があったそうよ、敵が突然動き出したからどうにか逃げてみると……」
「そうか」
「霧香、どうするの?」メアが尋ねた。
「ルミネって、うちの講師のルミネ先生でしょ?彼がどうかしたの?」
「彼、ここに戻る途中で遭難したの。肉体的には無事なようだけど、ククルカン軍に追われてる……武器を満載したAPVに乗ってたから……」
「どうして?あのひと、たしか美術の先生だったはず」
「メアのお母さんに頼まれて、ククルカン軍に対抗する武器を集めてたのよ」
「あら……なんとなくあの先生らしいわ。ロマンチストだから」
「ロベルタ、カール、悪いけどわたしはルミネ先生を連れに行く。あなたたちは降りて……」
「一緒に行くよ!」カールが即座に反対した。
「ぜったいだめ!」霧香も即座に切り返した。「ロベルタ、これからグランドに降りるから、その子を引きずり下ろしてね」
「ああ……わかった」