16
霧香たちは学園都市中央の高台に位置する庭園に移動した。白い円柱と階段で構成された美しい空中庭園だった。円柱に蔦の絡みついたドーム型屋根の東屋には、ラップトップをまえにした生徒会役員たちが忙しそうに働いていた。庭園から学園都市全体を一望できた。学園都市の周囲も何マイルにもわたって見通しが利く。ここはいわば露天指揮所なのだ。
「生徒会長!」
「モリー、避難計画は順調かい?」
「十歳以下の子たちはあと一時間以内に疎開をはじめます」
「バスは足りるかな」
「ピストン輸送しても全員はとても……」
「いざとなったら地下に潜るしかないか……」
「地下にそれだけ備えがあるの?」霧香は尋ねた。
「人数にもよりますが、五万人が一週間持ちこたえる備蓄と防備はありますよ……過去の経験で」
現代戦がそれ以上続くとは思えない……そして防衛側のかれらが最終的な勝ちを収めることも、またあり得なかった。
「探知されてしまうわよ……相手はプロ集団なんだから」
「持ちこたえてるあいだに救援が来ることを祈りますよ」
その救援を呼ぶのは霧香の役目だ……。
「まさか、戦うつもりじゃないわよね?」
「もちろんできるだけ戦闘は避けますよ……」つまりいざとなれば銃を手に取るという意味か。
「スハルト・アイアンサイドは、挑発的な書簡を送って国連軍を呼び寄せるつもりだわ。どうやってかしらないけど、その国連軍を巻き込んで戦争するつもりなのよ……。いま各地に戦闘部隊を派遣しているのは、できるだけ混乱状態を作り出すため」
「国連平和維持部隊が混乱してどこから手をつけたらいいか分からなくなるように?」
「そう、いわば人間の盾ね。それに……」
「領土を拡大しておく……戦争が終わったどさくさに紛れて新しい支配地域を既成事実化するために?」
「的確な分析ね。まえから考えていたの?」
「まあ、毎日ニュースには眼を通してるから……」
「それで、非常時の用意もしていたってわけね。あなたの戦略分析と準備が適切なことを祈るわ」
生徒会長はすこしホッとしたようだった。あんたたち子供の出る幕じゃないと言われるのを恐れていたのだろう。
「この地域の敵の規模は分かってる?」
「いま衛星で情報収集中です。モリー?プロッティングスクリーンを投影できる?」
「待って……」ラップトップ上のアイコンをいくつか操作すると、テーブルの上に大きなホロスクリーンが浮かんだ。惑星パルテノンの赤道をほぼ取り巻くメッシーナ大陸が映っていた。大陸の下端にククルカン、上端……北の沿岸がブラックストーンと学園都市だ。こうしてみると大陸中央を分断しようとしていることが分かる。赤い凸が大陸じゅうに散らばっている……ククルカンの侵攻部隊だ。いくつかの都市部に白旗が立っていた。霧香はベンガル地方を捜した。学園都市の左側、地図では大陸の西側の沿岸近くにあった。侵攻軍はその地方最大の港町を占領するつもりで進軍しているのだ。メイデンホーンアマゾネスとイグナト人居留地はその進路上にある。ひときわ大きな凸がふたつ、その地域を囲んでいた。
ギブソンはホロに手を伸ばして学園都市付近を拡大させた。「ブラックストーン防衛隊の通信によれば大隊規模らしいです……戦闘車両一二〇両。大砲を積んだAPVが半分。兵員二万人……」
戦闘車両軍は広範囲に散らばっていた。まとまった反攻勢力が存在しないのでのんびりしたものだ。おたがいにネットワークで繋がっているため、行軍中はひとつどころに固まる必要がないわけだ。叩くのは厄介だった。
「それほど大規模ではないわね。重機動兵器は?」
「まだ見当たりませんね……隠蔽装置でしょう」
「脅すだけで無血占領できると踏んでるのね。で、手に負えなくなったらそれらが焼き討ちする」
「ですね……ルミネ先生が遭難したのはこのへんです」地図を拡大して指でふたつの街道が交差したところを指した。「ああ……ここはちょっと厄介だな……」
「なに?」
「ここは地元の人は寄りつかない地域なんです……メッシーナ大陸の自治体の中でもちょっと変わり種が住んでるんだ……。厄介者、というのかな」
「どんなひとたち?」
「ひとつは肉体改造主義者のコミューン。もうひとつはキリスト教白人至上主義者の極右コミューンです……どちらもこのあたりの人は寄りつかない」
「たしかに厄介ね……」
「ルミネ先生はわざとその地域に逃げたのかもしれない。ククルカン軍も避けて通りそうだから」
霧香は黙って頷き、開いたベンチに腰を下ろした。会話が途切れた。心配のあまり指揮官のような口の利き方になってしまう。あまり出しゃばると彼はやりづらいだろう。
ギブソンは立ったまま、作業の様子を見回っている。霧香はベンチにもたれて庭園を見回した。ネルとウッズマンの妹がメアを案内して花壇のバラを眺めていた。異なる世界で育った女の子たちが親交を深めている。じつに平和な光景だった……戦乱が迫っているとはとても思えない。いや、戦渦に踏みにじらせるわけにはいかない。霧香は頭を反らし、陽光に顔を向けて目をつぶった。
五分ほど過ぎるとギブスンも手が開いたようだ。霧香の隣にどかっと腰を下ろした。霧香はそちらに顔を向けた。
「そうだ、あの男勝りなお嬢さん、ロベルタ・ウッズマン。彼女、お兄さんを亡くされたのよ……」
「えっ……」ギブソンは思わず花壇のほうに眼をやった。「それは……注意することにしましょう」
「そう、よろしくお願い」
彼はしばし沈黙したのち、ためらいがちに話し始めた。「GPDは、必要なときにはちゃんと現れるっていう人がいたけど、彼の話は本当だった……」
「現れないって考えている人のほうが多い?」霧香の中でウッズマンの言葉が蘇った。「天下のGPDがお出ましだったとは……」彼は失望しながら死んだのだろうか……。
「だってここには国連代表団もGPDも駐留していませんからね……無理もないでしょう?」
「わたしたちはまだまだ小さい組織なの。だけど情報収集はまめにしているつもりよ……」
「パルテノンは恒星間大戦の混乱に乗じて独立した植民地と見なされているけど、ここはもうずっと前から自治権を獲得してたんだ。ぼくたちはそれが自慢だった。だけどその反面、いざとなるとタウ・ケティとかの力のある人たちから見捨てられるんじゃないかって、いつも心配してるんです。虫の良い話だと思います?」
「そんなことない」
「ぼくはあと半年で卒業なんだ……来月に生徒会は選挙があって、ぼくは引退する」
「そうなの……」
「こんな事態でなければ進路に頭を悩ませているところです」
「新社会人か……どうするか、考えはあるの?」
「漠然と、軍隊に志願しようと思ってました。バーナードかタウ・ケティに行って国連軍に入隊しようかって……」
霧香は組んだ膝に肘を乗せ、拳に顎を乗せてギブソンを見つめていた。
「……GPDの採用試験て、難関ですかね?」
霧香は微笑んだ。「どうかな……志願者の3/4は一次試験でふるい落とされる。保安官に任官できるのはそのさらに半分……約千人ほど。近ごろは再志願も認められているから、もうすこしマシかも」
ギブソンは顔をしかめた。「うへっ!宇宙軍よりだいぶ厳しい倍率ですねぇ……」
「これが終わったら連絡してよ。あなたの立派な修了証明書といっしょにわたしの推薦文を添えて、志願書を提出できるようにするから……もっとも推薦文のほうはあんまり当てにできないけどね」
「ありがとう……感謝します」
二人は握手を交わした。
「どういたしまして……でもなんでGPDに?」
「だって……あなたひとりが現れただけでどれほど僕らがホッとしたか。それって凄いことですよ。僕らは見捨てられてないんだって思わせてくれるんだから。それでぼくも志願したいと思ったんです」
「そう……」そんなふうに考えたことはなかった。霧香は俯き、頭を掻いた。たいへんな重圧だった。
ギブソンは立ち上がった。「さて、ぼくは初等部のちびっ子たちが無事出発できるか見届けますよ」
「たいへんだね。わたしはルミネ先生と連絡がつき次第出発するわ」
「分かりました。出発するときは知らせてください」
「了解よ」