15
最初の襲撃者は奇襲に成功した。
あたりに轟音が響き、航空機が一機、学園上空を通過した。ネルが言っていたククルカンの偵察機だろうか。その航空機に気を取られていた隙に相手が近づいてきたのだ。
「霧香、うしろ!」メアの叫びと同時に霧香はほとんど無意識に身を伏せ横に飛び退いた。素早く背後を振り返ると、制服姿の少女がたったいま霧香が立っていた場所を竹刀で振り払っていた。少女は霧香の素早い動きに一瞬眼を見張ったが、すぐに竹刀を構え直していた。
「なんなのよ!」
「あなたのやり方が気に入らない!」
「なんのことやら」
「うちの生徒に危害を加えるやり方だ!」少女は素早く踏み込んで力一杯竹刀を振り下ろした。霧香も少女の間合いに深く入り込みながらくるりと竹刀を躱し、跳躍した。驚く少女の肩に手を着いて空中で体を捻り、背後に着地した。一瞬霧香の体重が肩に掛かった少女は前方につんのめりながらもなんとか踏み留まったが、背後に伏せた霧香に足を払われて完全に身体が宙に浮き、地面に尻餅をついた。霧香は素早く立ち上がり、三歩間合いを拡げた。
「まだやる気?」
少女は立ち上がり、額の汗を拭った。「まだまだ……」竹刀を拾い上げ、慎重に構え直した。少なくもひるんだ様子は無い。ふたたび竹刀の先端を細やかに動かして威嚇しながら
すり足で霧香との間合いを詰めた。二人は円を描きながらおたがいの出方を見た。というより霧香は完全に受け身の体勢だ。
少女が素早く一歩進んで竹刀を振り上げた。霧香が横に避けたところで身体全体を思いきり横にねじり、竹刀を霧香の横腹に向けて振り払った。フェイントは巧かったが無理な動きで力はそれほど乗っていない。霧香はビームガンの銃身で竹刀を受け勢いを殺すと、そのまま脇に抱え込んで身体をねじった。竹刀はメキッと音を立てて折れながら少女の手からもぎ取られ、少女の身体もそれに引っ張られて転倒した。
霧香は折れ曲がった竹刀を遠くに放り投げた。
したたかに地面に叩きつけられた少女は、うつ伏せからゆっくり這い上がろうとしていた。
「あんたもこの学園都市を護る連中の一人?」
「そうよ……」少女は地面に這いつくばってうつむいたまま呟いた。
「名前は?」
「ロ……ロベルタ。ロベルタ・ウッズマン」
霧香はハッとした。
「ロベルタ……あんた、お兄さんがいる……?」
ロベルタもサッと顔を上げた。
「兄を……知ってるんですか?」
「ククルカンの反政府組織に属していた人だけど……」
「兄貴だわ……」霧香の使った時制に気付いていた。「兄貴、死んだ……の……?」
「立てる?」霧香は手を差し出した。ロベルタは首を振ると、すこしよろめきながら自分で立ち上がった。
「兄貴は……一昨日の武装蜂起で亡くなったの……?」兄の最近の状況は承知していたらしい。危ないことに関わっていることも分かっていたのだろう。
「ええ……。センターパレスで警備兵に撃たれた。わたしが乗ってきたあの船の中で亡くなった」
ロベルタは霧香に背を向けた。肩が震えていた。もはや戦意は失せたようだ。
霧香はかける言葉も浮かばず、少女をソッとしておくことにした。まわりを見渡したが、ほかに襲撃者の姿はない。メアはすこし離れてあたりを警戒し続けていた。霧香がロベルタに負けるとは思っていなかったようだ。コーセイは救援者までが泣き出したので途方に暮れていた。
ロベルタが霧香の隣に並んだ。霧香のほうを見ることなく言った。
「失礼した。もうあなたとは戦わない」
「助かるわ」
「兄がどうなったのか……あとで聞かせてもらえる?」
「当然よ」
終業の鐘があたりに響いた。間もなく襲撃者の第二陣がぞろぞろと到来した。運動場からそのまま駆けつけたジャージ姿の男の子たちだった。十四歳くらいから十七歳の年長まで二〇人ほどいた。
「ウッズマンさん、無事か!?」
「ミッツくん、もういいの、みんなも戦うのはやめて!」
「え?だって……」ほかの男子生徒たちも口々に不満を漏らした。
「わたしはわたしの船を撃墜した相手に会いたいだけだ」
生徒たちは敵意に満ちた目を霧香に向けた。
「それで下級生を小突き回したのかよ」
「わたしの船のメインフレームに不法侵入しようとしていたのを逆探知した結果よ……。文句を言われる筋合いはない」
「横暴だ!」腹の虫が治まらない誰かが叫んだ。だが霧香の言い分の正当性は認めざるをえない。引くに引けず、やり場のなくなった怒りを持て余している。
ローバーが飛来して霧香たちのそばに着陸した。ドアが持ち上がると同時にネルが飛び出してきた。
「みんな!やめて!」
「副会長……」
「霧香さん……霧香さんも許して。あの子」コーセイのほうに手を振った。「あの生徒と共謀した子たちは生徒会長が押さえたわ。すでにあなたの船を修理する準備にかかってます」
「分かった。勝手に動いて悪かった。あなたを煩わせてしまったようね……ご免なさい」 霧香の謝罪の言葉に生徒たちのあいだの緊張感が失せた。 「さあ解散!」ネルは手を振って生徒たちに命じた。そそくさと立ち上がったコーセイに言い渡した。「あなたは残って」
「副会長、わたしも残っていい?」
「ウッズマンさん……」ネルはロベルタの訴えるような目を見た。「……いいわ、二時限目の先生に連絡してよ」
霧香はふたたびメアをバイクの後席に乗せ、ネルのローバーのあとに続いた。生徒たちが二時限目の授業に向かったあと、大変なことが起こっている、と彼女は霧香に告げた。「ルミネ先生が……遭難したの」ネルは言った。「無線でさっき連絡があった。APVがククルカンの軍隊の検問に引っかかって、逃亡しようとしたらしいの。ククルカン軍は思ったよりこの地域に侵攻していたらしくて……」
「大変だ」
「あのひとは無事なの?」メアの声は張り詰めていた。
ネルは頷いた。「なんとかする、とは言っていたけど」
霧香の背後のメアは無言だった。
ローバーと霧香たちはグラウンドに戻った。リトルキャバルリーの周りをたくさんの生徒たちが囲んでいた。作業用の車両や機械類も並んでいた。霧香は不安の浮かんだ顔で作業中の生徒たちに近づいた。
「どう?」
ヘルメットを被った年長の生徒が振り返った。「ああ、おはようございます。機械的には損傷無しです。悪いけど、中に入っていいですか?」
「いいよ」霧香は携帯端末でリトルキャバルリーのハッチを開けた。
「よし、かかれ!」彼が控えていた作業部隊の生徒たちに号令した。生徒たちは我先にリトルキャバルリーに群がった。中には純粋な好奇心で集まった生徒もいるらしい。
「ピーター、ちゃんと挨拶しなさいよ」ネルが注意した。
「え?ああそうだ、ぼくはピーター・ギブソン、ここの生徒会長やってます」手袋を脱いで手を差し出した。
「霧香=マリオン・ホワイトラブ」握手した。ギブソンはにっこり笑った。ひょろりと背の高い人柄の良さそうな青年だ。
「ホワイトラブさんのこと、テンポラリーネットのデータベースで調べさせてもらったんですが、すごい記録がわんさか……」
「ピーター、失礼よ!」
ギブソンは肩を竦めた。「ふつうの保安措置だよ。しかたないだろ?」
「ひどい記録、じゃなければいいんだけど」
「すごく華々しいご活躍のようですが?……ネル、ホワイトラブ中尉さんはすごい手柄を立ててるんだぜ。それも公式記録はほとんど無くて、あちこちですごい手柄を立てた、っていう噂のほうが多いんだ!」
ネルは戸惑って霧香を見た。「そ、そうなんですか?」
「悪いけどノーコメント」
「バーナードのコミコンの話はホントなんですか?それにあのシンシア・コレットと友達ってすごい話……」
そんなものまでネットワークに流出てるのか!?
「あとでね。わたし急いでるの。どのくらいで直るの?」
「ああ、えーと……カール!どんな感じだ!?」
十五歳くらいの生徒がリトルキャバルリーのハッチから顔を出した。「ファイルの書き換えで七〇%復旧するはずだよ。あとは念のため重力制御システムのコア交換……在庫はある。システムチェック……思ったよりかかりそうだな……」
「おい、何時間かかるんだ?」
「う~……三時間……四時間ほしい」
ギブソンは霧香の方を向いた。霧香は了解のしるしに頷いた。
「よし、急いで慌てず間違いのないように」
「了解」カールと呼ばれた少年は奥に引っ込んだ。
「コーセイ、きみも手伝うんだ」
「オーケイ」コーセイはリトルキャバルリーに駆け寄り、梯子をよじ登ってハッチの中に消えた。
「あいつめ」
「わたしが思ってたより早い」
「とんでもない。カールのやつ、これくらい一五分で治せるって大口叩いてたのに」
「あの作業してる子たちが犯人なの?」
ギブソンは溜息をついて肩を落とした。「……残念ながら。科学部とかシステム同好会とか……ハイテクマフィアです。ときどき手に負えないいたずらをやらかすんだ」
別の少年がハッチから顔を出した。興奮したようにまくし立てた。
「この船すごいよ!まるで芸術品だ!設計者は天才だね!……おかげでちょっと手間がかかるけど。アナログ操縦桿まで装備してるんだ!」
「いいからはやくやれってば!」
少年は笑った。「カールのプライドが痛く傷ついてんだよ。自分より優秀なエンジニアリングの成果を見せつけられてさ」
「うるさいよ!」リトルキャバルリーのなかでカールが叫んだ。少年は首を振って中に引っ込んだ。
「こんな小さいのに……宇宙船なの?」ウッズマンの妹がうしろから尋ねた。
「まあね」
「これが治ったらルミネっていう人を助けに行くのね?たしか美術の先生じゃなかった?」ネルに尋ねた。
「そうよ……」ネルは振り返った。「ちょっとウッズマンさん、あなたまで行くような口ぶりに聞こえたわ」
「そうは言ってない……」
霧香も疑惑の目を向けた。いずれ着いて行くとか言いだすのではないか?
「彼、どこで遭難したのか言ってた?」
「通信の最後でタンパ・バレーの街道沿いと言ってました……ここから150㎞ほど南です。また連絡するって言ってましたけど」
「近いじゃない……ククルカンの軍隊はずいぶん接近しているのね」
「近隣の自治体も慌てて警戒態勢に入ってます。ここも防備を固めないと」
「わたしは早急にここから消えたほうがいいみたいね……」
「なぜです?」
「副会長、ニュース見てないか?」ギブソンが口を挟んだ。「ホワイトラブさんは追われてるんだ。ですよね?」
「そうよ」
「それとククルカンの侵攻と関係が……まさか、彼らは霧香さんを追ってるの?」
「関係ないかもしれないけど、ククルカン軍の動きが予想外にはやく展開してるとすると……ともかくわたしが追跡されているのはたしかだわ。スハルト・アイアンサイド暗殺未遂容疑。もちろん濡れ衣だけど」
「あの事件!」全国指名手配のニュースと目の前の人物がようやく結びついたようだ。
ロベルタが息を呑んだ。
「ホワイトラブさん、ひょっとして兄は……」
霧香は厳しい顔で頷いた。