14
当たり前だが、生徒たちは時間が迫ると教室に向かった。間もなく始業のベルが鳴り、霧香とメアは気の抜けた街頭にふたりだけで取り残された。まだ霧香のどこかに学生気分が残っているのか、自分もどこか教室に向かわねばならないという妙な焦燥感にとらわれた。そんな事しなくて良いのだと思うとホッとした。
(さてどうしよう)霧香は思案した。ネルは三時限に時間をもらって戻ってくると約束したものの、二時間ほど暇になる。
(ちょっとぶらついてみようか)
霧香は立ち上がった。
「行くの?」メアが立ち上がりながら尋ねた。
「ええ、散歩してみようと思って」
「あたしも行く」
人影は完全になくなってはいなかった。商店街の掃除や後片付け、ゴミ収集や商店街の店番も子供たちがおこなっているようだ。尋ねてみると、いわゆる「掃除当番」だという。定期的に授業を免除され、こうした活動に赴くわけだ。なるほど生徒たちで運営、というのは徹底されているようだ。建物の屋上やベランダにはおびただしい数の洗濯物が吊されている。見たところお手製のロボットが生徒たちを補助していた。メアはかってに動き回る機械の一団に目を丸くしていた。
霧香たちはルミネが帰ってくるまではすることもなく、あたりををぶらぶら散歩した。商店街は一般に開放されているらしく、おとなの買い物客が往来していた。地元の主婦らしき女性が買い物袋を手に店先を眺めている。子供を送るついでに立ち寄っているのだろうか。
「警官のお姉さん!」頭にスカーフを被った十四歳くらいの娘がほうきに寄りかかっていた。声をかけられた霧香たちは振り返った。
「なに?」
「その格好なんだけどさ……」メアが霧香の側らで身を竦めたが、娘が指さしたのは霧香のほうだった。
霧香はコスモストリングを見下ろした。
「ここじゃ刺激的過ぎんのよね。男子生徒どもがあぶらぎった眼でずっとガン見してるんだよ」街灯のほうを指さした。監視カメラが据え付けられている。「それでさ、よかったらあっちで」ほうきの柄に乗せた頭を背後に向けた。洋服の店があった。「服買ってよ」
霧香は娘の意見に同意して店に入った。
店内には手作りのボードが賑やかに張り巡らされていた。主に運動着を扱う店のようだ。真新しいゴムの匂いがかすかに漂っていた。
商品はしっかりした縫製品だった。運動靴や球技用具も並んでいる。奥のショーケースには手織りのハンカチや、いかにも家内製手工業的な若者向けのアクセサリイも並んでいた。
娘も清掃作業を中断してあとについてきて、霧香たちにいろいろ薦めた。
「なんだ、あなたここのお店の店員なの?」
娘は肩を竦めた。「午前中はここで店番。いわゆる実地訓練てやつ。商店街全部がその舞台ってわけ」
「面白そうなカリキュラムねえ。ひょっとして、この服もあなたたちが作ってるの?」
娘は真面目な顔で頷いた。「あたしはこの服の素材……化繊を作ってるんだ。デザインと縫ってるのはべつの連中」
「あら、すごい。そういうのはみんな授業の一環なの?」
「まあね、だいたいみんな技術者か農家の出だから、いろいろ生産に関して学ぶんだよ。自分で作った物が売れると楽しいし」言いながら売り物の陳列を直していた。
「へえ。わたしは学校でそこまでしなかったなあ……」
「お姉さんはここの人じゃないよね。もしかしてタウ・ケティやバーナード出身?」
「いまはタウ・ケティ在住だけど、生まれたのはノイタニスよ。知ってる?}
娘がパッと眼を輝かせた。「知ってる知ってる。けっこう近い星系じゃなかった?それじゃお姉さんも辺境の人なんだ!それだったらお値段ちょっと勉強させてもらうよ」
霧香が辺境出身であることがなにかの資格であるような言いかただった。単に値引きの口実をひねり出しただけなのかもしれないが、霧香は娘の威勢のいいセールストークに好感を抱いたので、申し出をありがたく受けることにした。携帯端末でクレジットが有効か確かめると、娘は脈のある客だと確信したのだろう、ますます売り込みに熱を入れた。
「メア、あなたはどれがいい?」さっきから気のない様子で、ハンガーに吊されたジャージのあいだを歩いていたメアに声をかけた。
「あ、あたし、べつに」
「どうせならお揃いでなにか買おうよ。ね?」
「あんたならこの色がイイよ、ワインレッド。明るい赤毛によく似合うわ」娘がハンガーから抜き出したジャージをメアの肩に当て、壁際の姿見の方に向かせた。
「うーん、ちょっと地味じゃない?白の上着とブラックのパンツなんてどう?」
「派手なほうがいいか……じゃ、ホワイトストライプのワインレッドの上着に黒のパンツとホワイトのアンダーでどう?ワルっぽくてクールよ……。お姉さんは黒地にイエローのストライプが似合いそう」
「それでいいわ。どう、メア?」
「うん……」
「まいどあり!Tシャツは?背中か胸になにかプリントする?二分でできるわよ?」
15分後、背中に大きくGPDとプリントされたジャージに着替えた霧香は、同じく背中いっぱいにトラを描いたジャージ姿のメアと並んで、店のショーウインドに映る姿を眺めていた。店の娘の意見に従っておさげをポニーテールに変えたメアは、遥かに周囲に馴染んでいるようだった。派手な金銀の顔料でプリントされたトラを見て、はじめて笑みらしき表情を浮かべていた。靴もスニーカーに履き替え、もとの服とサンダルは手提げ袋に収まっていた。
「さてと、このままうろついていると、ますますなにか売りつけられそうだし……」霧香は携帯端末を操作してリトルキャバルリーのコマンドにアクセスすると、船内に収納されているエアバイクを遠隔で呼び出した。ほどなくエアバイクが空を飛んで、霧香のそばに着陸した。
「ワオ、すごい、カッコイイの持ってるんだ」掃除を再会していた娘がバイクを見て感心していた。カスタマイズされたチョッパーハンドルのイタルジェットだ。前のバイクはジョン・テイラードという男にあげてしまったので、地球から取り寄せたばかりの新車だった。ここらではあまり売っていない。
メアを後席に座らせ、バイクを浮上させた。娘が手を振っていたのでふたりは振りかえし、上昇した。
学園都市の敷地は1平方マイルもあり、歩いていたら埒が明かない。霧香は今度は撃墜されないよう建物の高さ以上に飛ばず、携帯を操作して学園のネットワークにアクセスした。
学園都市を防衛するつもりの愚連隊がどれほど真剣なのかは知らなかったが、たしかに一部のデータは鍵がかかっているようだった。だがこちらはプロだ。リトルキャバルリーのメインフレームを繋いでスパイウェアを放つと、タマネギのように何重のセキュリティーを講じられていた学園の裏ネットワークが剥き出しになった。
(やっぱりね)
生徒たちはいろいろな事柄を真剣に受け取り、それなりのファイアーウォールを構築していたが、反面、自己顕示欲のかたまりなところもあった。この悪さを仕掛けたのはおれだと宣伝したいのだ。真剣にゲームをプレイしている感覚なのだろう。GPD、それに過去のあらゆる警察機関が、未成年だけのテロリスト集団や犯罪者と対峙した経験がある。データベースは豊富にそろっていた。おとなの犯罪者と違って子供たちの動機は特殊だ。まともな文脈では通じない。
自慢にもならないが、子供相手の喧嘩は得意だった。
アクセス先にわざと足跡を残し、ガベッジデータをあらゆるファイルに添付させた。うつかりファイルを開いても害はないが、かわりに画面に向かってあかんべえしている霧香と同僚のクララ、フェイトの動画が現れるのだ。こつはできるだけ腹を立たせることだ。そうすればクールぶった上辺をかなぐり捨てて真剣に対峙してくれるだろう。
「霧香、なにしてるの?」
後席で霧香の背中にしがみついていたメアが言った。肩越しに、バイクのハンドルの回りに浮かんだホロを眺めていた。
「うん、ちょっとね。わたしたちを墜落させた子たちに喧嘩をふっかけてるの。見て」
ホロのひとつを引き寄せ、メアに読ませた。先ほどからめまぐるしくスクロールを続けているネットワークのある掲示板だ。
「早すぎてよく分からないけど、悪口と口汚い罵り合いと……なんだか慌ててるみたい」 「でしょう?かれらはこっそりお喋りしているつもりなの。授業中なのに悪い子たちだと思わない?」
「その子たちを捜すの?」
「そうよ、場所の目星はそろそろつくでしょう」
「科学部」の部室は公式の案内板には記されていなかったが、クラブの部室は何カ所かに集まっているようだ。その場所のうち、リトルキャバルリーに電磁波を浴びせた発信源がひとつだけ一致していた。リトルキャバルリーの捜査プログラムをその場所に集中させ、リアルタイムチャットのデータがひんぱんにやりとりされている回線を掴んだ。
霧香はエアバイクを建物の屋上付近にホバリングさせていた。街頭カメラは上を向いていない。霧香たちを捕捉するのはいくらか難しくなるはずだ。
やがて相手が霧香の不法アクセスに気付いたらしい……リトルキャバルリーの監視プログラムが、チャットのやりとりが微妙に変化していると告げた。慌てて回線を打ち切らなかったのはえらいが、ダミーの会話に切り替えたことを感知されるとは思わなかったようだ。会話の内容は当たり障りのない馬鹿話に変わり、ペースも遅くなっている。
まもなくリトルキャバルリーのメインフレームがハッキングされた。かれらが反撃に移ったのだ。回線を引いているわけでもない宇宙船によくも侵入しようとしたものだ。
霧香はリトルキャバルリーがじりじりと浸食され、ファイアーウォールが破られるのを眺めていた。心配はしていなかった。あれはメインフレームの演技なのだ。霧香にはさっぱりちんぷんかんぷんだが、説明によれば相手を油断させるひとつの方法なのだという。
霧香のプログラムはチャットルームの監視を続け、不自然な間を置いて書き込んでいるメンバーを何人かピックアップしていた。たぶんそのだれかがが中核メンバーなのだろう。かれらはおそらく別の秘匿回線で話し合っている。プログラムはそれを探し始めていた。
かれらは相手が軍用AIだと分かっているのだろうか?GPD装備開発課が設計したAIはじつに茶目っ気があり、人間の振りをするのが得意なのだ。かれらは二人か三人のハッカーを相手にしていると思い込まされているはずだ。あるいはGPDの化けの皮を被った政府系の電脳捜査部隊かなにかを相手にしていると、疑心暗鬼を植え付けているかもしれない。ミスリードはAIの得意中の得意だ。
彼らはリトルキャバルリーに砲撃でも加えた方がずっと効果的なのだ。だがやれることは個々の得意分野に限られているらしい。多元的な攻撃を展開できなければ戦闘に勝ち目はない。ひとりで状況を把握している霧香のほうがまだ分があった。
すでにメインフレームは分析作業に専念している。捜査プログラムは学園のサーバーにこっそり居を移し、デタラメな情報を流して相手を攪乱しつつさらにデータを収集していた。
そのあいだに霧香たちはテーブル台地が重なり合った絶壁を見下ろすように飛んでいた。高さ五十フィートあまりのほぼ垂直の壁に、粗末な小屋が無数に張り付いていた。小屋どうしは貧弱な板張りの回廊や階段で繋がっている。小屋の入口にはクラブ名を記した看板が掲げられていた。いまは人の姿はない。
壁の中腹のわずかな張り出しにバーナード松の大木が生えていた。その根元に得体の知れない電子機器が隠れるように接地されていた。絶壁を上がりきった場所にはバリケードに囲まれた無人の通信施設がアンテナを林立させていた。
リトルキャバルリーに対する攻撃はこのアンテナ群をジャックしておこなわれたのだろう。
イタルジェットを着陸させると、メアと一緒に崖の部室群に向かう階段を下りた。板の立て付けはいいかげんでバタバタ音がする。ところどころ割れたり朽ちかけていて、踏み抜いてしまいそうだった。いくつか部室を迂回して進むと、やがて先ほどの松の根元に着いた。
「科学部」は近くのはずだ。限られた部活動の時間で何マイルも離れた場所に機材を設置する余裕があるとは思えない。松の根元に設置された機械を探り、ケーブルの行く先を辿った。ケーブルはすこし離れた崖の裂け目に向かっていた。裂け目の角に立って様子を伺うと頭上二メートルほどの高さに、地割れで崩落して岩に挟まれたような小屋があった。 (あの中かな?)
携帯端末が霧香の注意を引いた。攻撃者の端末を特定したらしい。(よし)霧香はいくつかコマンドを打ち込み、待機した。
突然小屋からベートーベンの【第九】が鳴り響きはじめた。
「なんだよ!」慌てた声で誰かが叫んだ。合唱は大音量で鳴り響き、止む様子がなかった。 「……えっ?そうなんだよ、端末が突然……」ごく若い子供の声だ。「電源?シャットダウンできないんだってば……え?バッテリー?そうか、分かったよ。……うん、すぐここから離れるんだね?分かったよ」
霧香はメアに手を上げ、そこで待機するように伝えると、反対側の角に移動した。
間もなく「ハレルヤ」の大合唱が止み、立て付けの悪いドアが開いて、誰かがバタバタ降りてくる音が聞こえた。十二歳ほどの男の子が角から現れた。抱え込んだラップトップ端末に気を取られて霧香の姿に気付くまで間があった。霧香が通路を塞いでいることにようやく気付いた少年はハッと立ち止まった。
「おはよう」
少年は挨拶を返さずうしろを振り返った。そちらはメアが立ち塞がっている。少なくとも少年の決断は早かった。霧香よりも華奢なメアを押しのける方が簡単だと踏んだのだろう。ラップトップを抱えたまま身を屈めてメアの側らを駆け抜けようとした。だが小柄でも彼女はアマゾネスだ。素早く少年の襟首を掴んで岩肌に叩きつけた。少年は呻いて端末を取り落とした。メアはそのまま今度は逆方向に振り回し、少年の身体がほとんど通路の縁からはみ出るところで止めた。いつの間にか片手にはナイフが握られ、少年の首筋にぴたりと据えられていた。
「わっわあーッ」
少年は爪先だけがわずかに縁に乗った状態で必死にバランスを取りながら、同時にナイフの切っ先から逃れようと首を仰け反らせていた。メアはほとんど上体を揺らしもせず少年の襟首を掴んだまま霧香を見た。霧香は頷いた。メアは少年をぐいと引っ張って通路に投げ出した。
「逃げることないでしょ」霧香は少年の側らに屈んで言った。ビームガンを頬に突きつけた。
「なんだよそれ……オモチャ?」少年は銀色の銃身をみて莫迦にしたように言った。
霧香はビームガンを一〇メートル下の水路に向けると引き金を引いた。水面がボカンという鋭い音を立てて派手に水柱を上げ、蒸発した水煙が立ちのぼった。
少年はつばを飲み込んで黙り込んだ。
「ハンドビームガン。いまはメイザーモードにセットされてるから。あんたなんか一秒で骨まで粉末になるわよ。わかるわね?」
「マジかよ!」
「あんた名前は?」
「こ、コーセイ……」
「コーセイ。よく聞いて、いますぐ残りのメンバーの居所を言って」
「メンバーってなんの?」
「科学部」
「ボ……おれ知らないよ……メディア研究部だもん」
「それじゃああんたが電脳攻撃の主犯ということね」
「攻撃って……なに言ってんのかな」
「わたしの大事な宇宙船を攻撃したでしょう?いま現在もメインフレームに攻撃を仕掛けてる最中じゃないの。さあ、いますぐ仲間の居所を吐くのよ」
「ね、ねえ、そっちの赤毛のお姉ちゃん、なんか言ってよ……おれなんのことか分からないよ」
メアは無感動に見下ろしていた。「ワタシ、ガキのコトバわからない」
「くそっ!言わないよ!なにも言うもんか!」メアにガキ呼ばわれされて気持ちが傷ついたのか、少年は突然捨て鉢な調子で叫んだ。声が潤んでいる。
(容疑者は黙秘権を行使しましたとさ……)霧香は溜息をついた。
さすがに声変わりしかけの少年をいびり続けていると居たたまれなくなってきた。少年を引っ張って立たせると、ラップトップを拾い上げて駐機しているバイクのほうに戻った。少年は懸命に嗚咽を堪えてしゃっくりみたいな音を立てていた。メアに叩きつけられて肩を痛めたのか、しきりに擦っていた。霧香は声をかけたりはしなかった。しばらくは敗残者の屈辱に浸っていてもらおう……みんなそうやっておとなの階段を上がるんだから。
少年はもう逃げる気配もなく、メアの側らの地面に座り込んでいた。うつむいてときおり鼻をすすっていた。もっとふてぶてしい子ならなんとか逃走する隙を窺うはずだが、そんな素振りはない。やはり根っからの悪い子ではないのか、それとも体育会系タイプではないだけか。
「このあとどうするの、霧香?」
「そこらじゅうにある監視カメラのいくつかが、いまの逮捕劇を捕らえたはず」
「この子が捕らえられたことをもうみんな知った、ってこと?」
「少なくとも一部はね。特にコーセイくんの関係者は」
「それで、そいつらがこの子を助けに来るということ?」
「なにか動きがあるかも……すこし待ちましょう」
動きはすぐに現れた。小型の無人機がどこからともなく現れ、霧香たちの頭上を旋回しはじめた。
「あれが仲間か?」
「そう、わたしたちの様子を伺ってるのよ」
メアはナイフを投げた。素早いモーションでほとんど狙いをつけた様子もなかったが、ナイフはみごとに無人機の片腹に突き刺さった。軽量のプロペラ機はナイフの重みでバランスを崩してきりもみ状態になり、十メートル程離れた地面に墜落した。
「すごい!」霧香は感心して、無人機に駆け寄った。胴体のカメラはまだ生きている。ボール状の基部をしきりに旋回させていた。霧香はカメラに向かってチッチといように指を振り、踏みつぶした。
(これで私たちの様子がわかったわけだ……つぎはどうする?)