10
真夜中を過ぎてリトルキャバルリーに戻ると、闖入者……メアはまだいた。ベッドに横たわって眠っていた。霧香はテーブルのバーチャルコンソールを呼び出し、いくつか指示を打ち込んだ。ハッチがかすかに溜息のような音を立てて閉じた。
メアが目を覚まし、霧香の姿を認めてぎくりと肩を震わせた。
「ハイ、起きた?」
「わたし……勝手に入るつもりはなかった……」
「そう?これを飛ばしてどこかに行こうとしてなかった?」
メアは表情を硬くした。「なぁんだ……ばれちゃってた?」悪びれもせず開き直った口調で言った。
「動かせなくて残念ね」
「どうせわたしは無学よ!」メアはベッドから飛び降り外に出ようとした……それでハッチが閉じていることに気付いた。
「なによ、閉じ込めてわたしを痛めつけるつもり?」
「おしりを引っぱたくくらいはするかもね」
「そんなことさせないよ」腰からナイフを抜き身構えた。
「ナイフなんか仕舞いなさい……」
メアがベッドを踏み越えて襲いかかってきた。霧香にとってはスローモーションの動きだった。突きをかわしながら片手でナイフを持った手首を掴み、あっという間にうつ伏せにベッドに叩きつけていた。ちょっと強く腕を捻り上げると、メアは呻きながらナイフを放した。
「それ以上暴れたら腕を折るわよ」
「勝手にすれば!」メアは泣いていた。「あんたなんか大嫌いよ!」
ひどい劣等感を覚え、喧嘩にも負けた……彼女のプライドは痛く傷ついているはずだ。
霧香はすぐに手を離した。メアはパッと起き上がり、ハッチの側に駆けた。
「開けてよ」
「それが無理なのよね……もう飛んでるんだもん」ナイフを拾ってベッドサイドテーブルに置いた。
「えっ?なんのこと」
霧香はベッドにあぐらを掻いたまま舷側の展望窓に顎をしゃくった。
メアは展望窓に張り付いて外を見た……一面漆黒が広がっていた。
「なによ……どこなのここ……ああっ!」
舷側の上のほうからまるい地平線が現れた。
「ウソ……」眼下に広がる惑星の姿をメアは茫然と眺めていた。
「宇宙よ。わたしたちは惑星パルテノンを見下ろしてるの」
「なんで……」
「なんでって……外に出てみたかったんでしょ?」霧香は慣性航法装置を切った。重力が消失した。
「キャ……」メアは短く叫び、天井に軽くぶつかると、霧香のほうに漂ってきた。霧香はベッドカバーの裾を掴み、もういっぽうの手でメアの腰を掴んだ。じゅうぶんに慣性を殺してからゆっくり引き寄せ、抱き留めた。
「無重力よ。分かる?」
「そのくらい知ってるよ……」不安げだがまだ反抗心は残っているようだ。さすがあの女性の娘だった。
「ときどき、こうして無重力で過ごすと面白いわ」
霧香は空中に漂いだし、天井に脚をついて一回転した。メアはバカにしたような顔で鼻を鳴らし、そっぽを向いた。可愛げがない。普通生まれて初めてゼロGを経験したらもう少し楽しんでもらえるはずだが、さすがにそんな気分にはならないか……。
船内に警報が鳴り響いた。
「な、なに?」
「お客さんよ。わたしを捕まえに来たようね」
霧香はコクピットに飛び上がり、手を伸ばしてメアにも昇って来るよう促した。メアが後席になんとか身体を滑り込ませるのを確認した霧香は、人工重力を回復させて通信システムをチェックした。相手は高い軌道からレーダーを使っていた。パトロール艇だろう。自動音声の停戦命令を繰り返していた。霧香が返事を返しても応ずる様子がない。所属組織も名乗っていない。
最初から撃墜するつもりなのか……。
メアがキャノピーのむこうに広がる闇を見上げていると、突然その空がめまぐるしく動き出した。リトルキャバルリーはとんぼ返りをうち、惑星を背にした。
「こちらGPD所属パトロール船リトルキャバルリー。接近中の船舶は所属を名乗り、ただちに敵対行動を停止されたし。接近を続けるなら破壊する。応答せよ」
相手は沈黙し続けていた。望遠鏡が接近する武装艇の姿を二隻捉えていた。一隻は霧香にレーダー波を照射している。もう一隻はすこし距離を置いて接近していた。電波は出していない。
距離千㎞。パトロール艇が不意に加速した。霧香の機体を囲むように旋回していた。霧香はレーダーを使っていなかった船に向かってスロットルを開いた。リトルキャバルリーの尾部にまばゆいトーチが灯り、滑らかに加速を開始した。
パトロール艇がミサイルを射出した。ライフルダーツ弾だ。炸裂して霧香の進路状にがらくたをばら撒くつもりだろう。回避する霧香をもう一機が狙い撃つ……そんな寸法だろう。霧香は突進した。ミサイルが弾頭を炸裂させた瞬間、霧香はスロットルを全開にして回避行動に移った。同時に光学チャフを放ち、相手の照準システムを攪乱した。ミサイルの破片を拡散しきる直前に躱し、相手の進路と交差するように進路を取った。思いもよらないスピードで接近してくるリトルキャバルリーに相手は困惑しているはずだ。
「どうするつもりなの?」
「あれはあなたのお母さんを捕らえた軍隊だと思う。このまま戦うつもりなら、やっつけてやる」
「母を……」
「そうよ、どうする?」
「殺して!」
霧香は頷き、ジグザグに進路を変えながらパトロール艇に肉迫した。相手はレーザーに切り替えていた。リトルキャバルリーは放熱のため主翼を展開し、シールドを張っている。パトロール艇の出力では貫通されることはない。
機体下部のアームが伸び、荷電粒子ランスを発生させた。リトルキャバルリー唯一の対艦兵器だ。メインドライブの有り余るエネルギーのおかげで長さ千フィートに及ぶプラズマの槍を発生させることができるが……小さすぎる愛機には、それを高速射出できるだけの電磁レールはない。従ってリトルキャバルリーの戦い方はその二本の槍を構えたまま、敵に肉薄するしかない。つまり宇宙船自身がミサイルと化すわけだ。常識的に考えればスーサイドアタック、カミカゼ特攻というべき無茶な戦法だが、超小型で加速性能の高いリトルキャバルリーなら可能な芸当だった。
「ひゃあ……!」なにもない闇に突然相手の船が現れ、猛烈な勢いで視界一杯になり、背後に過ぎ去った。メアは悲鳴を上げた。
荷電粒子の槍はパトロール艇の隔壁に大穴を開け、中身を焼いた。船体に空いた穴から白熱したガスを噴きだしてぐらりと傾いていた。
「一丁あがり!」
霧香は船体を反転させ、ふたたびフルスロットルで突進した。
「やっつけたの?」
「もう一隻いるけど……」
コンピューターが予測した位置にもう一隻のパトロール艇の姿はなかった。望遠鏡が動く点を再捕捉した。進路を大幅に変え始めている。高度を下げ、惑星の影に向かっていた。恐らく逃走に移ったのだろう。霧香はパトロール艇のあとを追った。
相手はなけなしのミサイルを放出している。霧香はレーザーで狙い撃ちしてミサイルを殺した。
パトロール艇は大気圏すれすれをかすめ飛んだ。霧香はじゅうぶん近づいたと思えるところまで接近すると、制動をかけてリトルキャバルリーを大幅に減速させ、次の攻撃を待ち構えた。一〇㎞手前でミサイルが一発炸裂した。霧香はメインドライブを切り、高度を下げ始めた。
ミサイルが当たって死んだふりを演じなければならない。上層大気圏に突入したリトルキャバルリーは派手に燃え始めた。パトロール艇はじきに地平線のむこうに達して霧香たちを見失う。うまくすれば撃墜したと思い込むだろう。
まだスピードがあるあいだに進路をチェックした。なるべく自然に降下してうまくメッシーナ大陸上空に戻りたかった。ルミネのいるブラックストーン地方に進路を向けた。
「どこに行こうとしてるの?」
「うん、ルミネっていう人を迎えに行くの」
「ルミネを!?」
「あなたにも彼を捜す手伝いをしてもらおうと思って」
「……はじめからそのつもりだったの?」
「まあね」
「母はものすごく腹を立てる……あたしを外に連れ出したと知ったら。それもルミネを迎えになんて」
霧香は肩を竦めた。「なんとなく見当はついてたわよ……。わたしをバルカンの餌にするつもりなら、相当覚悟してもらわないと」
メアはぷすっと息を漏らした。笑ったのかもしれない。
「べつにこの船にいてもいいよ?わたしひとりでルミネを見つけるから」
「留守番なんかイヤよ。あたしも外に出る」
「了解。ブラックストーンに向かうわ。どんなところなのか分かる?」
「あたしだって彼から聞いただけだけど……大きな、なんていうの、学校……学園ていうのがあって、彼はそこの季節雇いの講師なんだって」
「ふうん……」
おあつらえ向きに海上に低気圧を見つけ、霧香はリトルキャバルリーをその中に突入させた。夜が明けて真っ白な空の下で盛り上がった海面がダイナミックにうねっていた。強風に吹き流される泡混じりの飛沫を浴びるほどの超低空飛行で波間を飛び、東海岸に接近した。メアは見渡すかぎり広がる荒れ狂う三角波に見とれていた。海を見るのは生まれて初めてだといった。