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相棒

冬がきた。今年初めての「死者」がでた。

その知らせは、たちまちのうちに町を駆け巡った。辻から、辻。表通りからら通り。通路を巡り、交差点へ、すれ違ったざわまきが、水面に落とした波紋のように伝わっていく。水面をまみうたたせながら。噂が駆け抜けたところから、直ぐに光が吸い込まれ始める。

煌々とともされた明かりは、消え、うるさいほどの音楽が流れ出すのを止める。光の行列は、町に溢れた洪水のように網目野模様を描いてハントを縮める。数百メートルまで見渡せる光の投網を見て、改めて実感する。

足音がしないので、他の音もよく聞こえる。

うるさいほどに、軋む鉄の門。

備え付けのおお扉に裏通りは、閉ざされ、人気の少ない空中歩道は閉鎖。

家の戸も閉ざされる。口も。

皆黙っている。誰も喋らない。ちっともいない。何も、誰も。無人の通りを沈黙が肩を組んで更新する。こんなにも明るいのに、ちっとも人気がないものだから、何時もすいすいと気持ちよく歩けるいい季節だ。秋は終わり、冬が訪れて。

いい季節だ。全く。

かつかつとなる鉄びょうも、このときばかりは弾んで聞こえる。鉄の刺が石畳を小気味のいい音を立てるたびに、あちらこちらで息を飲む気配がする。身を屈めて臥せっている。

いい君だ。

少し、早めに歩いている。報告だ。中央のばかどもに報告だ。いち、にい、いち、にいと歩く。見慣れた街が何時もより速く逃げあっていく。足並みを驚きによろめかせながら。或いは、恐怖か、それとも自分の高揚がそう見せているだけなのか。うめきごえを尻目に、陰口やを置き去りに。畏怖の視線を引きずったまま。堂々と、歩く。中央の槍の塔に向かって。空を、行き過ぎる黒い影は、ねぐらへと帰る。空は低く。屋根が雲を支えていた。柱が軋み、曇天が沈黙をおしつつんでいる。

鼻唄が漏れる。低い空にぶつかって止まる。

「薄気味悪いな。何時もより」頭ひとつ文の低さでぼそりと呟くのは、つまらなそうなこえだった。隣の足音は、自分よりも、ひとつかんかくが狭い。逸るように進む。

ここから一刻も速く通り抜けたいという風な、歩みだった。

表情も、眉をしかめた不機嫌面だ。

「結構なことだ。いいだろ。これぞ、冬が来たって感じで」

そこまで、不機嫌になる必要はないのに、昔から、この調子だ。冬のこの街。その奇妙な有り様は、もう見慣れたというに、これだ。

何を、そんなに顔を歪める必要があるというのか。切れ長の黒の瞳が、細められ、皺が寄せられると、こいつは酷く陰険な顔になる。パーツパーツは、まあまあなのだが、こうしてみるとゾッとするほど嫌な顔になるのはなぜだろう。顔が、高い襟にうずもれる。

「まあ、それは」顔をうつむける。頷いた訳ではないらしい。顔は上げない。

「何か、問題でも?」

「下らないから。嫌なんだよ」

そういわれて、何の気なしに、回りを見渡した。首の骨がぽきぽきなった。

人がいない街。それなのに、明かりさえも、深々と眠る。街の戸は閉ざされ、人の声はしないというのに、自分たちだけは、歩いている。狭い通路と、幾重にも交差する空中歩道の隙間をかいくぐり、反響する賑やかさのこけおどし。それだけだ。冬の光景だ。右にも左にもいしかべだ。空は狭く。小さく切り取られる。歩くのは、最下層の通路だ。通常ではこれより上は歩けない。普通の奴等は、通行は許されていない。二人並んで歩くのが精一杯の通路を歩くしかない。

それがどうした。今は、冬だ。誰に見とがめられるはずもない。雑踏もない。人影もない。最高の季節だ。

肩をすくめて見せた。

「結構なことじゃねえか」と、繰り返す。

「何も、結構じゃないさ。うっとおしいんだよ。これが」

親指で、右手の特にうるさい店を示した。無人だ。そして空っぽだ。

早足で歩いたので直ぐ見えなくなった。おとはまだ大きい。追いかけてくる。

「俺だって好きじゃねえけど。人がいないだけでいいだろ」

「そういうことじゃない」

無言になった。また、足が速くなる。少し早めで追いかけた。横にならんでいたのが、あとからおうかたちになる。気分の良さが損なわれた。先程の高揚が薄れてしまった。舌打ちをしたいほどではなかったけれども、鼻唄を黙らせるのにはちょうどよい。道は、緩やかな下り坂になるところだった。雲がもっとひくく降りてくる。

多くをかあらないのは、何時ものことだった。聞かない限りは答えない問いのがこいつのポリシーなのか。

「気分が悪いんだ」

「俺も悪くなったよ」

黒コートを靡かせながら駆け足で歩いていく。風が乾いていて湿ったシャツから水分が飛ぶ。襟元を汗が、流れて、直ぐに乾く。でも、ここは湿度が少し高めだ。また汗が出る。色々な臭いがする。腐った汚物の臭い、排水口の粘っこい臭い。鼻から抜ける。嫌な味。いつでも代わらない、街の臭い。低い雲が、臭気を閉じ込めて、冷たい味が空中で混ざる。

怯えた気配がする。家の中から。鉄びょうを打ち付けるのは、自分たちが通るという合図だからだ。春と冬は特にひどい。誰もかれも、自分たちを、塔守りを誰も見ようとはしない。関わりがあろうが、なかろうがだ。不自然に視線を前方に固定するか、足元に、市価興味がないという顔をして。春の陽気を、夏の暑さを歩いていく。

それが嫌いだ。

「いちいち、水を差すようなこと言いやがって。馬鹿じゃねえの。何があるんだよ」

ひび割れた唇を舌がなめるのが見えた。

「私は、冬が嫌いなんだよ、冬の街が嫌いなんだ」

「そうかい、変わってるねぇ。俺は冬がいい」

「人がいないから、だろ。私はそれが嫌だ」

歯をぎちぎちと鳴らす。これも、こいつの癖だ。唇がめくれて、歯がむき出しになる。犬歯が白い。鋭い歯ぎしりだった。耳のなかをひかきぼうでかき回されるような。冷たい風が滑っていく。音が直ぐに流れ去った。それでも、耳の中でまだ回っている。前を見る。眼には黒いコートの背。こいつは前しか、見ていなかった。長い裾を巻き込みそうないきおいで、冷気の渦をまっすぐに。足音を腹立たしげに踏み鳴らして。なげやりにいう。

「どいつも、こいつも、呑気なつらして歩いてたのに、冬がきたと言えば、直ぐにこの有り様だ。ろくなもんじゃない。家の中に震えてとじ込もって、あげくの果てに、助けて、だとよ。ふざけてる。だから私は、嫌で堪らないんだよ。冬が」

「どうでもいいだろ。そんなこと」

足を早めた。振り向いた目とぶつかる。

直ぐに追い付く。ぼうぼうと耳を膨らまして、流れていく風を胸一杯に取り込む。配布の中で、暴れる風を飲み込む。白い息が漏れ出して、二人の見えないところに消えていく。「今は、俺たちの季節だ。冬だ。何をやろうが俺達の勝手だろ。何を気にすることがある。そんなどうでも良いことなんて考えるだけ無駄だ」

「そうかも知れないな」珍獣を見るようなもの珍しげな、目線。黒の瞳が、こちらの顔をまじまじと見つめた。自分の方が背が高いから、自然と見上げるような格好になる。瞳が、不揃いに歪んでいる。「まだ、冬じゃないよ。まだ、報告もしていないのに」

「それがどうした。だったら、黙っとけ。気分が悪い」

こんな気分の悪い話を聞く気には成らなかった。冬だ。冬だぞ。俺らが生きられる季節だ。まともに。人がいない。不気味。薄暗い。そんなことはよくあることだ。上を見上げた。灰色だ。空だ。いや、空ではない。うえの歩道の下だ。いくつも無数に重なる空中歩道の底で蓋をされている。これが、ぞっと不快に背中を撫でる。自分たちの上を、奴等は歩く。春も、夏も、秋も降ってくるのは足音と、水滴だ。誰も彼も無神経だ。誰も見ようとはしない。人間が他人に向けられる態度の中でもっとも悪いものは無神経だ。だから、冬には、俺達は、堂々と歩く。同じことをする。それがなんだ。「楽しくやろうぜ。なんだかんだいっても、文句をつける奴はどこにもいねえんだ」

また、「そうかも知れないね」という声が聞こえた。顔を見る。何も、変わっていない顔だ。投げやりな顔だ。長く、細く息を吐き出した。人肌に暖められた大気が白く濁る。

「でも、やっぱり嫌いだね。好きじゃぁないよ」

「ああ、そうかいそうかい。糞野郎め」

「冬は嫌いだね。冬じゃなくても何時もだけど。春も夏も秋も何時だって変わらないさ。嫌いの理由は違うけど」肩を軽く竦める。目を暫し瞬かせて、言い返した。「だったら何時だって同じだろ。喚くなよ、鬱陶しい」何をいっているのだ、こいつは。馬鹿か。

「そう言う話じゃあないんだよ、クロムウェル」名前で呼ぶなといってあるのに。舌打ちを軽くした。何時のまにか立ち止まっていた。なんとなくともいってよかった。なんとなく話を聞いてなんとなく苛立って惰性で、口喧嘩をしているのだ。まあいい。「名前で呼ぶな、といっただろうが」それでも釘くらいはさす。

だから、それほど不快でもないのだ。目を細目、軽くうつむく肩の細さがめに入った。唇をかみ、深く、深くうつむいている。顔を見せたく内容に。鼻を鳴らそうとしたが、ならせなかった。動揺していたといってもいい。とにかく、不意の出来事に弱いのだった。だから、どうすればいいのかわからなかった。

肩に手をかけようか迷って、やっぱりやめた。

暫しの間のあと、冷たい空気の中で震えた顔があげられる。少し息を飲んだ。

口もとを弛め、切れ長の目のまなじりをさげている。

つまりは、笑顔だった。

「クロムウェル、私はね。どちらかというと静かなのが嫌いなんだ。あと寒いの」

前言撤回。やっぱりこいつは糞だ。

「そこまでひっぱっといて、そんな落ちはねえよ」拳を固める。

「いやいや、割りとマジなんだよ。私」顔の前で手をヒラヒラと振った。細い、白い指が、からかうように揺れる。ますます、笑みを深める顔。酷く、むかつく。爪で、思いっきり引っ掛かれている気分だ。「どうでも良いことばかりいってんじゃねえよ。時間の無駄だ」頭に爪を引っ掻けてガリガリとかきむしった。痛いくらいでちょうどよかった。

「暇潰しにはちょうど良かったんじゃないかな」全く違う。どこから、そんな発想がわいてくるんだ。だが、にやにやと笑う口もとを見ると、それも宜なるかなと思うのだ。「頭の中が大分浮わついていたみたいだし」それこそ余計なお世話だった。お陰で、楽しい気分が全くの台無しだった。「何がやりたいんだお前。特にこれからゆじなんてないだろ」

「やっぱり、忘れているんだね。ほら」

つい、と細く、長い指が背後を指した。コートの黒襟の舌で含み笑いする口もとをもう隠そうともしない。

「もう、ついたよ」

後ろにあったのは、街の中心、槍の塔。真っ黒な外壁が高く、高く上を目指してのびえいる。そこの回りだけ、ぽっかりと十メートルくらい灰色が隙間を開けていた。そこから、風がどおっと狭い最下層の通路に流れ混んでくる。最下層の通路―つまりは、自分たち塔守りの通路以外は渡されてはいない。金属の幅広い扉が、口を開いて待っている。もう、しれわたっている証拠だろう。冬が来た、と。

「ああ、糞、忘れてた」それに、めんどくさいぐだぐだと質問に答えてやる退屈な時間が来たということでもある。それを凌げば後は、好き放題だが。それならば、わかりきっていることを言わなくてもいいのに。とも思う。「目」の見たことを疑うのも、全く時間のむだとしか思えない。「あ、やっぱり忘れていたんだろ」と、楽しそうに笑い、「さあ、楽しい楽しい詰問のお時間だ。なにしろ、酷い有り様だったからね。あの死体。しつこく聞かれると思うよ」

「うっせえ。お前は、「目」だからいいが。俺はそうもいかねぇんだからよ」

「はいはい、じゃ、早く済ませてこようよ」にやつくという言葉の意味がこれほどまでに実感でいた時はなかった。じめじめと嫌らしくかたほおを上げて陰険に笑う。

「けっ、ろくでもねえ奴だ」

「お互い様、だろ」先程自分がいった言葉を繰り返された。笑みは、ますます深くなるばかりで、頬を緩めてばかりだ。本当にろくなもんじゃない。こいつは。小柄な体を揺すって笑った。

黒いコートで身を包むと、口もとが完全に隠れる。一回り、大きな服でも、不思議と似合って見える。もともと、そこそこでかいのだけれども。男に比べると、といったところだ。しかし、その嫌らしさは、上のジジイどもに負けず劣らずだ。

「畜生め」と呟いた声を耳ざとく拾ったのか、ますます笑った。声を放って、からからと笑う。付き合ってられうか。

「いくぞ」いつまでたっても笑いやまないのを横目でにらんだ。

「はいはい」ますます、笑みは深くなる。

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