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「ひどいな。もう、滅茶苦茶だね」

返事を求められたので、頷いた。襟が高い服なので、首が擦れた。

その衣擦れの音で、返事を返した。

「だろうね。これ、もう何が何だかわかんないよ」

日差しは中点。影が、かがみこんだ。足元一足分まで縮んだ影が、潰れた指を触った。肉が潰れ、地が溢れている。脂肪の黄色が隙間からはみ出す。

まだ匂わない。それが、少しありがたかった。ここは少し冷たい。風が通り抜けるせいか、はたはたとはためく袖。袖を握った。風がこれ以上入り込まないように。

空中歩道から、人は消える。妙なしに方をした人間が転がっていたら、関わらない。近づかない。ルールではなく、マナーだ。経験則といってもいい。野次馬はろくな死を迎えられない。好奇心、猫をも殺す。だから目を伏せ、避ける。逃げる。

かくして、道から人は消え、さざめく声も、もうしない。この時間帯だから通行量は大いはずだから、実際、みんな恐れているのだろう。

それでも随分足跡は残っていた。ちらりと見るだに足踏みや、貧乏ゆすりの痕跡も見てとれる。冷たさが、覆い隠していく。

「ミンチより酷い」

同じ服に身を包んだ影がいう。一回り小さい袖は一回り微かな音ではためく。厚地のコート。黒い布地にやたらと悪趣味な金ボタン。至急品。塔守り専用のだ。

襟の高い服に、長い紙をし舞い込み、体のラインを厚地の布ででしまえば、男か女か分からなくなるというけれども、死体の指を慣れた手つきで観察する細くて白い指先が見える。性格精密な検査でもないのに、許されているのは、こいつのめがいいからだ。これまであった誰よりも。

前より藻白くなった。雲から太陽が出るのはかっきり十時間だが、日差しは夏より少ない。とうに、冬は来ている。

この時期は、欲でるのだ。馬鹿が。だからたぶん、きっとこれもそうだ。

だから、直ぐ終わる。終わってしまう。

だから、コートなんていう軽装ですませられるのだ。期待などしていないから。

かくゆう自分も、鞄の中から道具一式すらだしていないが。

「罪人か」

たぶん、これだろう。と半分あなどっていた。冬は、馬鹿どもの季節だ。

黙って死ねばいいのに、ごみくずの命を惜しむ。よくあることだ。珍しくもない。

かえる用意すら済ませていた。

後は聞くだけだ。ポケットに指を突っ込み、懐刀の温もりを逃がさないようにする。

期待もしてはいない。めんどくさい。うっとおしい。

貧乏ゆすりが始まる。ゆっくりと、ためらうように唾を飲む舌が、凝った空気をかき混ぜる。貧乏ゆすりが始まると、思考までせいてくる。苛々してくる。

「違うのか?そうだろう?」

エールだ。エールエール。酒だ。酒だ。こんな寒い日には、暖炉に辺りながら酒だ。何でもいい。とにかく強いのを、暖炉の炎は燃えそうな暗い熱くしよう。とにもかくにも、損にも特にもならないことは、速く終わらせた方がいい。やらんければならないことだったら。やらなくてもいいことなら、やらない。ここにいるのは、前者だからだ。だから、速く速く結論を。お前も同じだろう。考えていることは、不思議とあう。だから、速く終わらそう。二人で酒でも飲もう。



それでも、沈黙だった。

とにかく、肉の切れ端を目の前に阿呆みたいにぶら下げる、こいつを何とかしないことには、変えれもしない。何を戸惑っているのだ。いつもと同じ流れ作業だ。何が変わったというのだ。いつもと同じじゃあないか。速くいってくれ、速く速く。それで終わりだ。

口を開いた。やっとだ。どうせ罪人だ。終わりだ。






















「違うね。これ、前科なしだ」

冷たい風にさらされて、少し嗄れた声が答えた。寄せ会わせた襟元から、断定の声音。高い女の声が、意図するところに眉を潜めた。血液が、足元から、指先から引いていく音がする。血潮が、心臓に集まる音がする。乾いた音が、鋭くなった。

全身の毛が逆立つ音を聞いた。服に擦れる肌が痛い。


「死んだのは」

続けて尋ねる。いや、僅かな可能性にかけたといってもいい。冬。そして、死体。よくある季節の風物詩だが、そうなると話は全く変わってくる。この肉片の元が、罪なしだったとしたら、

暫しの沈黙。唾を飲む。肉片を汚ならしげにつまみ上げた手が、ふと止まる。

「一時頃。夜だ」

口のなかが、乾いた。ぱさぱさと逆立つ舌の表面を口のなかでいじり、どうしても、唾がわいてこない。予想外のことだから、というわけではなかった。確かに、夜と聞いた。罪なしだとも。それでも、なぜか、そんな驚愕には至らなかった。

いや、驚いているのだ。きっと。

「本当か」

白いうなじを隠す黒髪が揺れる。苛立って、何度も頷くその首は、怒りの感情を露にしていた。「まちがいない」たぶん、見つめているのだろう。黒い髪と同じく黒い目で。死体を、余すところなく光二匹づりだしためで、今は、こちらをうかがっているのだろう。殺したり、殺されたりしたその目で。

ゆっくりと、口を開いた。風が口中を吹き荒れ、歯茎が、痛くなる。襟のボタンをいじった。なかで熱がこもって厚い。夜は、これより熱い。まだ、何も始まってはいない。これからだ。慎重に、万感の思いを込めた。

「信じられない」

同じ思いのようだった。頷きを返した顔は、服の影に隠されて見えなかった。

「私も、だ」処刑人なら、誰でも同じことを思うはずだ。自分を含めて、こいつも、何も変わってなどいない。時は、巡る。四つの季節は繰り返す。今年、初めての冬だ。冷たい風。冷たい死体。崩れた肉片が、醜い残骸をさらす様を隠すように影が起き上がる。

鉄びょうを打ち込んだブーツを軽く地面に打ち付け。かがみこんだ背を、億劫そうに持ち上げた。曲がった背を伸ばす。乾いた音に、徹夜明けの軽い音をにじませた。考え込む時に、頬を歪める癖はなおっていないなと思った。僅かにちらつく不快と、思慮の混じった表情。見た限りでは、ろくなものではない。

「めんどくさいことになったな」

「そうだね」と、背後の肉と骨の絨毯をかえりみ、「これは、報告しないとね。厄介なことになった」と呟くようにいった。自分にいったのかもしれない。

その意見には全くもって賛成だった。事実、ここ1ヶ月ばかりは、よほどの揉め事は、全くない。せいぜい雑事をこなして、後は、時間をもて余していた。上も、大分静かだったのに。ただ、暇すぎて死にそうだったが。それも、終わった。あるいは終わってしまった。

「厄介だな、くそったれめ」黒いブーツで死体を踏む。ぎちぎちと、ぎりぎりと更に力を加える足に、苛立ち以上の何かを感じ取った。

暫し無言になった。素直な、気分で言えば、全くのうんざりだ。始まる前から疲れているといってもいい。無言になると、風の音がやたらとでかくなった。袖も、はためいて、踊っている。

今更ながらに地の臭いが、漂ってきた。

油と、リンパと、鉄の混じった生臭い臭い。

市の臭いだと、ひさしぶりの実感が湧く。今年初めて、この臭い。人間が死んだ。

「そうだな。全くもってそうだな。大変だ」

冷たい風で、歯が痛い。からからに乾いて、やけに暑かった。

「そうだな」

鳶色の目を伏せ、返す声も上の空。きっと、同じだ。同じことを考えてる。

「御愁傷様」

「お互い様だ」

笑っていう。冷たいのに、体に触れる風が熱い。


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