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9 星の降る夜

「遠慮しないでたくさん食べてねー。男の子なんだから」

 羽菜が連れてきた凌空は、琴子に大歓迎され、今夜の夕食はいつもの三人に凌空が加わった四人になった。

「ほら、もっとおかわりしなよ。凌空ちゃん」

「あ、いや。男の子でもさすがにもう……」

「遠慮しないでいいのに」

 四杯目のおかわりを勧められ、苦笑いをしている凌空の前で、琴子がにこにこ微笑んでいる。その隣で櫂はいつものように、何も言わずに箸を進めている。

 羽菜と凌空と、琴子と櫂、四人で囲む晩御飯。

 ついこの間まで接点のなかった四人が、こうやって一緒に夕食を食べているなんて、すごく不思議な気分だった。


「あ、でも、この天ぷら、マジ美味かったっす。いつも食ってるスーパーのお惣菜とは、一味違うっていうか。さすが琴子さんですよねー」

 そう言って笑った凌空の脇腹を、羽菜が肘でつつく。

「違うって。これ作ったの、櫂くんだから」

「は? マジで?」

「あはは、ごめん。わたしの料理、なんか微妙に評判悪くて。ダメだねぇ、料理もできない女なんて」

「いや、全然ダメじゃないです! ていうか、櫂さんのほうが女子力高すぎっつーか」

 テーブルに箸を置いた櫂が、ガタンっと音を立てて立ち上がる。いつものことだから、羽菜はもう慣れていたけど、隣の凌空は、あきらかにビビっているみたいだった。

「金魚」

「へ?」

 櫂ににらまれるように言われて、凌空は苦笑いを浮かべている。

「お前の持ってきた金魚。庭にいるから、餌やってけ」

「あ、あの金魚! 櫂さん、ちゃんと育ててくれてたんすね!」

「違う。世話してんのは羽菜だ。羽菜に礼言っとけよ」

 食べ終わった食器を持って、櫂が背中を向ける。凌空は小さく息を吐き、羽菜にこっそり耳打ちしてきた。

「ヤバ、怒られるのかと思った、おれ」

「大丈夫。櫂くん、いつもあんな感じだから」

 凌空の隣で羽菜が笑う。凌空は「マジかー」なんて言いながら、残りのおかずを食べ始める。

 そんな二人の姿を、穏やかに見つめながら、琴子が言った。

「凌空ちゃん、今度は優海ちゃん連れておいで」

 凌空がゆっくりと顔を上げる。

「ね。優海ちゃんとまたおいで」

 静かに箸を置いた凌空は、琴子の言葉に何も答えなかった。


 居間の灯りが差し込む庭に、凌空と並んでしゃがみこんだ。

 暑さはだいぶ和らぎ、虫の鳴き声だけが耳に響く。

 池の上にかぶせてある、すだれを取り外すと、水の中を泳ぎ回る二匹の赤い金魚が見えた。

「猫が来たら困るから、すだれのせてみたの。日よけにもなるし」

 そう言って隣にいる凌空を見る。凌空はぼんやりと池の中を見つめたまま、黙り込んでいる。

「どうかした?」

 羽菜がその顔をのぞきこむ。すると凌空が暗がりの中でぽつりと言った。

「おれってさ。かわいそうとか思われてんのかな?」

「え?」

「親に捨てられたかわいそうな子とか、思われてんのかな?」

 羽菜は黙って凌空を見つめる。そんな羽菜から逃げるように、凌空は顔をそむける。

 真っ暗な水の中を、泳いでいる二匹の金魚。たぶん優海が欲しがって、凌空がしぶしぶ買ってあげたのだろう。だけど自分たちでは育てられなくて。

 引き取り手が見つからなかったら、この金魚たちは今ごろ、どうなっていただろうか。

 涼しげな風が庭に吹き込む。縁側に吊るされた風鈴がちりんと音を立てる。

「おれ、もう帰るわ」

「凌空……」

 顔を上げた羽菜の隣で凌空が立ち上がる。するとそんな凌空に、縁側から声がかかった。

「凌空、こっち来い」

 櫂が凌空のことを呼ぶ。

「車で送ってやるよ」

「え、そんな……いいです」

 首を横に振る凌空に向かって、櫂が言う。

「帰る前にドライブでも行かないか? 羽菜も一緒に」

「えっ、あたしも?」

 驚いて羽菜が立ち上がると、櫂の後ろから琴子の声が聞こえてきた。

「あ、いいなぁ。わたしも連れてって?」

 台所で洗い物をしていた琴子が、にっこり笑って居間に顔を出す。

 羽菜はぼんやりと立ち尽くしている凌空を見てから、縁側にいる櫂を見上げる。

 櫂はそんな羽菜にふっと笑いかけると、車のキーを顔の高さに上げて、軽く揺らした。


 琴子の店の軽自動車に四人で乗り込む。櫂の運転する車はゆっくりと走り出し、老人ホームへ続く坂道を上りはじめる。

 朝、パンを配達する時とは違い、あたりは真っ暗な闇に包まれていた。

 青い空も、どこまでも続く海も、今は何も見えない。

「ねぇ、櫂くん。どこに行くの? こんな夜じゃ、景色も何も見えないじゃん」

 後ろの座席から羽菜が言う。運転席の櫂は黙ったままだ。

「うっせぇなぁ、羽菜は。行き先も決めずに行くのが、ドライブってもんだろ?」

 櫂の代わりに口を出したのは、羽菜の隣に座る凌空だ。

「えー、ドライブっていったら、ちゃんと行き先決めて行くでしょ?」

「それじゃつまんねーじゃん。行き当たりばったりってやつがいいんだよ」

「じゃあただ、真っ暗闇の中を走ってるだけで終わっちゃったら? こんな田舎に、夜景スポットなんてないだろうし」

「いいんだよ。それがドライブってやつなんだから」

「ヘンだよ。凌空」

「お前のほうがヘンだ」

 次々と羽菜に言い返してくる凌空は、もういつもの凌空に戻っていた。

 だけどやっぱりそのほうがいい。暗闇の中でふさぎこんでいる凌空より、青空の下で笑っている凌空のほうがいい。

 そんな二人の声を聞き、助手席の琴子が笑いながら言う。

「ほんと、仲いいんだねぇ。羽菜ちゃんと凌空ちゃん」

「は? やめてくださいよ。こんなうるさい女と仲いいとか」

「それはこっちのセリフ。あたしだってね、あんたみたいな男、ぜんっぜんタイプじゃないんですから!」

 琴子がくすくすと笑っている。羽菜はまだ文句を言いたそうな凌空から顔をそむけ、窓の外を見る。

 いつも配達帰りに寄る、駐車場を通り過ぎた。羽菜の好きな景色は、やっぱり見えるわけがない。

 やがて老人ホームの建物が見えてきて、車はその手前を左に曲がった。

「あれ……」

 こんな脇道あったんだ。毎日のように来ていたのに、こんな道があることに、羽菜は気づいていなかった。

 車は舗装されていない道をさらに登る。櫂は迷うことなくハンドルを握っている。

 行き場所はきっと、決まっているんだ。

 しばらく行くと、細い道を覆っていた木々がなくなり、視界がひらけた。

 その先に道はないのか、少し広くなった場所に、櫂は車を停めた。

「降りてみな」

 櫂の声に、羽菜は首をかしげて窓の外を見る。視界はひらけているとはいえ、海が見下ろせるわけでもなく、もちろん夜景スポットなんかじゃない。

 琴子と凌空が車を降りる。羽菜もドアを開け、外へ出る。

 うっそうとした山の中。しばらくあたりを見回してから、羽菜は車に乗ったままの櫂を見る。

 すると櫂がちょっと口元をゆるませて、一本立てた人差し指を上へ向けた。


「わぁ……」

 口をぽっかり開けたまま、空を見上げる。

 羽菜の上で瞬く無数の星。まるで空から降ってくるような。

 ああ、星って、こんなにたくさんあったんだ。

 そんな当たり前のことを、知らなかった自分に気がつく。

 ふっと首を動かして、近くに立っている凌空を見る。

 凌空も羽菜と同じように、ぽかんと口を開けて上を向いている。

 羽菜は小さく微笑んで、車の反対側に立っている琴子の元へ駆け寄った。

「琴ちゃん、琴ちゃん、すごいねぇ! こんな場所、琴ちゃんも知ってた……」

 そこまで言って言葉を切った。黙って空を見上げている琴子の目から、涙がこぼれ落ちていたから。

「……琴ちゃん」

「あ、やだ、ごめんねぇ。なんか、じぃんときちゃって」

 羽菜に振り向いた琴子が、さりげなく涙を拭って笑いかける。

「わたしも来たの、初めてだよ。こんな場所知ってたくせに、今まで内緒にしてたなんて、櫂くんってひどいよね」

 そう言ってから琴子は、もう一度夜空を仰いでつぶやいた。

「一人でここに来ていた櫂くんは……何を想いながら空を見上げていたんだろう」

 羽菜は琴子の横顔をしばらく見つめたあと、車の中へ視線を動かす。櫂は運転席に座ったまま、そっぽを向いている。

 琴子を泣かせたのは櫂だ。そして櫂が、本当にこの星空を見せたかったのは、きっと琴子なんだ。

 それなのに、自分は関係ないって感じで、涼しい顔しちゃって……ほんと、ひどい男。


「羽菜ー!」

 羽菜の前に凌空が駆け寄ってくる。

「なんかおれヤバい。すっげー涙出てきた」

「は? あんたなに泣いてんの?」

「わかんねー。わかんねーけど、星見てたら涙止まんねー。おれやっぱ、病んでるよなぁ?」

 小さくため息をつき、羽菜はもう一度車の中を見る。だけどやっぱり櫂は知らんぷりだ。

「もうっ。凌空まで泣かせて……」

「羽菜?」

「待ってて」

 羽菜は凌空の前から駆け出して、車の反対側へ回る。そして運転席のドアをこつんっと叩いた。


「ちょっと櫂くん」

 運転席に座る櫂が、ちらりと羽菜のことを見る。

「責任とってよ。二人とも泣いちゃったじゃん」

 櫂はどうでもいいように、羽菜から視線をそらしてつぶやいた。

「泣きたいやつは泣かせとけ」

「え?」

「たまには吐き出したほうがいいだろ? あんまり貯めこむと、そのうち壊れる」

 羽菜は黙って櫂を見る。

「お前なら、わかるよな?」

 配達の帰り道、櫂の隣でわんわん泣いたことを思いだし、恥ずかしくなる。

 だけどその後、少しだけすっきりしたんだ。たとえ、問題が解決したわけじゃなくても。

 櫂は運転席のシートを倒し、そこにもたれかかった。そしてフロントガラス越しに、ぼんやりと空を眺める。

 羽菜は窓の外から、そんな櫂の横顔につぶやいた。

「琴ちゃんが、言ってた」

 自分の声が、少しひんやりとした空気に浮かぶ。

「櫂くんはここで、何を想いながら空を見上げていたんだろう、って」

 櫂はただ黙って、星空を見ている。

「あたしも知りたい。櫂くんは何を……ううん、誰を想って見上げていたの?」

 櫂の視線が羽菜に移る。羽菜は思わず全身に力をこめる。

「知りたい?」

「……うん」

 櫂の想う人が、どうか琴子でありますように。

 羽菜は満天の星に、そう願った。

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