表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/15

8 うちにおいでよ

 海水浴場の上の堤防に座って、海を見ていた。

 少し湿った風が羽菜の髪を揺らし、波は今日も穏やかだ。

 浮き輪を抱えた何人かの若者が、浜辺から階段をのぼってきた後、息を切らして羽菜の前に現れたのは凌空だった。

「おい」

「あ、凌空」

 堤防から飛び降りて、凌空の前に立つ。

 凌空のバイト先に顔を出して、バイトが終わるまで待ってるって声をかけたのは羽菜のほうだ。

「何の用だよ?」

「え、何の用って……」

 羽菜は一瞬戸惑ったあと、持っていた紙袋をさっと差し出し、凌空に向かって頭を下げた。

「この前はごめん! お祭り一緒に行こうって誘ったのは、あたしなのに」

 ぶすっとした顔で羽菜を見てから、凌空が乱暴に紙袋をひったくる。

「なんだよ、これ」

「メロンパン。たこ焼きのお礼」

 じろりと凌空ににらまれる。

「あ、あたしが作ったんじゃないから。琴ちゃんが作ったんだから」

「だったら食う」

「ひどっ」

 羽菜の前で、凌空がにかっと笑う。よかった。怒ってなかった。


「もう具合いいの?」

 堤防に寄りかかるようにして凌空が聞く。

「うん、もう大丈夫」

「マジで心配したんだからな? お前、顔真っ青だったし」

「ごめんね?」

 へへっと苦笑いしながら凌空を見る。少し会わないうちに、凌空はまた一段と日焼けしたみたいだ。

「これから優海ちゃんのお迎え行くの?」

「行かね。今日はあいつ保育園行ってねーんだ」

「え、なんで?」

「親父帰ってきたから、優海大喜びでさ。べったりくっついて離れないの。今、二人で家にいる」

「あ、凌空のお父さんって、漁師さんなんだっけ?」

 羽菜の言葉に、凌空がバカにしたように口元をゆるませる。

「らしいな。一か月の漁を終えて、優海のお土産にって、アニメのDVDぶら下げてきたけど」

「え?」

「どこで買ってきたんだか。街でパチンコして、酒飲んで、女の家、泊まり歩いてたんじゃね?」

「嘘でしょ?」

「おれの母さんが出て行った時も、別に悲しんでなかったし。それより、面倒なガキ置いてくなよって、そっちのほうで荒れてたな」

 凌空が羽菜の顔を見て、もう一度小さく笑った。


 スピーカーから町に流れる、どこか物悲しい夕暮れのメロディー。

 二人の前を、自転車に乗ったおじさんと、家へ向かう子どもたちが通り過ぎる。

「あー、家、帰りたくねー」

 空を見上げながら凌空が言う。羽菜は黙ったまま、そんな凌空の、夕焼け色に染まった横顔を見つめる。

「おれにとってはさ、親父も近所のおばちゃんも、自治会長のおっさんも、みんな敵。この町にいる限り、完全アウェイ状態なわけ」

「凌空……」

「だから早く大人になりたい。大人になってこんな町出て、好きなように生きたい」

 目の前の道路を、若者たちが乗ったバイクが、派手な音を立てて通り過ぎる。

 羽菜はぎゅっと手を握り締め、凌空に向かって口を開く。

「お母さんは? 凌空のお母さん。凌空を産んでくれたお母さんだったら、凌空の味方になって、助けてくれるでしょ?」

「まさか」

 空から視線をおろした凌空が、隣に立つ羽菜を見る。

「味方だったら、こんな所に息子置いて、出て行くわけないだろ? 一度も連絡くれねーし、どこかで男に刺されて、死んでるかもしれねーな、あの女」

「死んでるって……自分のお母さんなのに」

「羽菜にはわかんねーんだよ。お前みたいに、何の悩みもないようなやつには」

 握っていた手に力をこめる。そして次の瞬間、開いた両手で、凌空の体を力任せに突き飛ばした。


「いって……何すんだよ!」

 二、三歩よろめいた凌空が、怒った顔で羽菜に言う。けれど羽菜も負けてはいない。

「何の悩みもなさそうで、悪かったね! だけどあたしはこれでも、真剣に考えてるの! なのに凌空も櫂くんも、お前に言ってもわかんねぇよって、自分ばっかり被害者ぶった顔しちゃってさ」

「は? なんでそこに櫂さんが出てくるわけ?」

「凌空も櫂くんも、同じくらいバカだってこと!」

「あー? お前、誰に向かってそういうこと……」

 その時バイクのクラクションが鳴り、さっき通り過ぎたバイクが数台、二人の前に戻ってきた。


「あー、ほら、やっぱ凌空だ」

「凌空ー、お前、久しぶりじゃん」

 乗っているのは凌空より派手な格好をした、若い男の子たち。後ろに女の子を乗せている者もいる。

 凌空は羽菜から目をそらし、バイクに乗った若者たちに向かって、ちょっと面倒くさそうに「ようっ」と片手を上げる。

「お前、最近付き合い悪いと思ったら、こういうことだったんだ」

「こういうことって?」

「女と会うのが忙しくて、おれらと遊んでる暇はねぇってか?」

「はぁ? ふざけんな。こんなやつ、全然おれのタイプじゃねぇっつーの」

 ムッとした顔の羽菜を隠すように、凌空が一歩前に出る。

 するとバイクの後ろに乗った女の子が、羽菜に向かって指を指した。

「えー、けどあたし見たよぉ? お祭りの時も一緒だったじゃん。凌空、この子と」

「マジか? だからおれらが祭り誘っても、断ったわけね」

「違うって」

「ていうか、最近お前、おれらのこと、バカにしてね?」

 髪を赤く染めたリーダー格風の男が、凌空に向かって言う。凌空がさりげなく顔をそむけたのに、羽菜は気づいた。

「転校生だったお前と、仲良くしてやったのは、おれらだけだったよなぁ? なのにお前はおれらのこと、友達だと思ってないわけ?」

「そんなこと、言ってねぇし……」

 赤髪の男がバカにしたように、ははっと笑う。

「もう東京には、帰れないんだろ? お前が見下してる、このクソ田舎で暮らすしかないんだろ? だったらお前みたいな中途半端なやつが、ここでやってくにはどうしたらいいか、わかってるよなぁ?」

 からかうように男たちが笑う。

「まぁ、これからも仲良くやろうぜ。凌空」

 バイクのエンジンをふかして、男たちが去って行く。

 凌空はぼんやりと突っ立ったまま、バイクの影が見えなくなるまで見送ると、羽菜に背中を向けたままつぶやいた。


「じゃあな、羽菜」

「え……」

「わかっただろ? おれなんかといると、ああいうやつらに絡まれる」

「ちょっ、ちょっと待って」

 歩き出した凌空を追いかける。凌空の右手には、琴子のパンが入った紙袋が握られている。

「ちょっと待ってよ。なんなの、あいつら。あんなやつらと仲良くすることなんてないよ!」

 羽菜の声に立ち止った凌空が、くるりと後ろを振り返る。

「あんなやつら、友達なんかじゃないでしょ? もっとガツンと言ってやんなよ」

「お前、やっぱり何もわかってないな。これ以上この場所で、敵増やしてどうすんだよ」

 凌空があきれたようなため息をついて、羽菜に背中を向ける。

「バカなやつらとつるんでるってわかってても、そうするしかねぇじゃん。おれは結局、ここから逃げられないんだし」

 凌空の着ているTシャツに夕陽が当たる。羽菜はそんな凌空の背中につぶやく。

「じゃああたしが友達になる」

 羽菜の声に、凌空がもう一度振り返る。

「あたしが凌空の、たった一人の友達になるよ」

 凌空が黙って羽菜を見た。羽菜もそんな凌空の顔を見つめる。

「……バカじゃね? お前」

 ぽつりとつぶやいた凌空の前で、羽菜がへへっと笑った。


 凌空は羽菜から視線をそらし、また歩き出す。羽菜は少し小走りになって、そんな凌空の隣に並ぶ。

「凌空、これからどうするの?」

「どっかで時間つぶして、メロンパンでも食う」

「だったら、うちに来ない?」

 凌空があきれたように羽菜を見る。

「うちって言っても、琴ちゃんのうちだけど」

「お前って……ヘンなヤツ」

「凌空ほどじゃないよ」

 軽く握ったこぶしを、凌空が羽菜に振り下ろす。羽菜は笑って、そんな凌空の手をキャッチする。

「バカじゃねぇの?」

 もう一度つぶやいた凌空は、そのまま羽菜の手を握り締めて、琴子の家に着くまで離してはくれなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ