専属護衛
しばらくして、ガドウィンの手の動きが止まり頭から離されると、余韻に浸るように目を閉じていたリータが、嬉々とした樣子で今後についての話を切り出した。
エルフ族の国での情報収集が不可能になった為、リータは手持ち無沙汰になる。その為、主人の役に立ちたくて仕方のないリータは、せがむように別の任を要望したが、ガドウィンに首を振られてしまった。
それに、ガックリと肩を落としたリータは、みるみる落ち込んでゆく。任務を遂行する為に、権力者との良好な関係は大きな武器になるはずだった。しかし、蓋を開けてみれば、色香に惑わされた男の欲求の対象でしかなく、それによって任務は不成功。性的欲求を自制しない男に怒りを覚えるが、それ以上に巧く立ちまわる事の出来なかった、彼女自身に対して嘆かわしさを感じていた。
「私と共に行動するか?」
自分を責めて元気を無くすリータに、ガドウィンが声をかける。
「ええっ!?」
突然の提案に、リータは喜び混じりに悲鳴のような声を上げた。
そして、一歩ガドウィンに近づくと、懇願するような表情で何度も頷く。
「何でもします! お供させて下さい!」
そう言ったリータに頷いて返したガドウィンは、リータの分の宿泊部屋を取るため一階に向かう。
部屋を出て階段を降りると、昨日受付をしていた少女がロビー部分になるカウンター周りを掃除していた。
季節関係や早朝という時間帯である為に、建物の中といえど肌寒い。その為、少女は手を赤くしながらバケツに汲んだ水で雑巾を洗っている。ひんやりとした水に手を入れているが、少女はそんな事を気にした樣子もなく鼻歌を歌いながら作業を続けていた。
そんな少女にガドウィンが声を掛けると、元気いっぱいといった樣子で挨拶をする。少し鼻を赤くしており寒そうな印象を受けるが、その笑顔は春の陽気を感じさせるほど暖かかった。
少し面食らった樣子のガドウィンだが、すぐに表情を緩めて挨拶を返す。そして、自分の連れが増えるので別の部屋を取りたいと申し出た。すると、少女は嬉しそうな表情で頷いて、ガドウィンの両手を取ってはしゃぐ。宿泊客が増え、売上が出ることに喜んでいるようだ。
その少女の樣子から、問題なくもうひと部屋取れることを悟ったガドウィンは、少し待っていて欲しいと少女に伝え外に出る。そして、あらかじめ外に待機させておいたリータを呼び、再び宿へと戻った。
リータを伴って現れたガドウィンに、少女は驚愕の表情で固まる。その視線はリータへと向けられており、何事かを呟いているのか僅かに口が動いていた。その対象であるリータは不思議そうな表情で首をかしげると、少女は慌てて笑顔を浮かべ接客する。自分の隣の部屋にして欲しいと言うガドウィンに、少女は下衆臭い表情を浮かべて同室を提案したが、ガドウィンは呆れた表情を返してそれを拒否した。しかし、リータはやや興奮気味に少女の提案を希望して、嬉々とした樣子で何度も頷いて同室を要求した。それに、ガドウィンが悪乗りするなと叱ると、しゅんと身体を縮こませて凹んでしまう。太ももの辺りで両手を合わせ肩を竦めて、切なげな表情で俯くリータの可愛らしい姿に少女はゴクリと喉を鳴らし、数瞬見惚れていた樣子だったが慌てて対応に戻った。
一悶着ありながらも、無事リータの部屋も取れ二階に移動した二人は、これから行動する上での取り決めを話し合う。
婚約者として振る舞いたいと熱望するリータに手を焼かせられながらも、大筋はガドウィンの主導で話が決まっていく。ガドウィンとリータは四年前から共に冒険者としてパーティを組む相棒であり、ギルドで依頼を請け負いながら各地を転々としている渡り者。王都へは闘技大会に参加する為に訪れ、ガドウィンだけが参加する。リータは魔物との戦闘で怪我を負った為、大事を取って参加を回避した。
その他にも細かい取り決めを詰めていく二人は、互いの関係性や境遇、実力など。今後問われるであろう疑問を予想しながら、冒険者のガドウィンとリータを創造していった。
「こんなものでよいか」
「はい、問題ないと思います!」
話に切りを付けるよう言ったガドウィンの言葉に、リータは頷きながら肯定する。話し合いにて合意に至った事柄にリータは悦楽に浸った。なぜならば、ガドウィンから『親しい間柄』であると周りが感じるよう振る舞いたいと所望されたからだ。関係を偽る上で必要性が高く、なお且つこれからの個人的な変化を心掛けるため、まずはリータとの振る舞いを変えていきたい。
そう要求されたリータは、
「お役に立てるのであれば、何でもします!
必要であれば、夜伽だって毎日務めます!」
と、少々飛躍した思考を感じさせながらも、嬉々として受け容れた。その健気な忠義にガドウィンは微笑んで頷く。
しかし、種族の性質ゆえに性欲に希薄なガドウィンは、リータの言葉の後半を断る。続けて、必要であれば娼婦を買うと言って話を締めようとしたガドウィンに、リータが鬼気迫る形相で詰め寄った。
容姿が好みに合わないのか、経験の無い生娘では不足か、今後の努力での挽回は無いのかと、一心不乱に縋り付くように取り乱すリータだったが、ガドウィンに「お前を大事にしたい」との言葉を投げかけられると鎮まる。数瞬の後、頬に両手を添えて腰掛けていたベッドに倒れゴロゴロと転がり回りながら、歓喜の声を上げていた。
そんなリータの樣子を少し疲労感を感じさせる表情で眺めていたガドウィンだったが、ふと部屋に立て掛けられた時計を確認する。時計の針は、そろそろ闘技場へと向かわなければならない時間を指していた。目的地までの距離が長いため、余裕を持って出なければ予選に間に合わなくなる可能性がある。
その為、リータに一言掛けたガドウィンは、ニコニコと手を振って見送る姿を最後に部屋を出る。そして、一階に居た少女に鍵を渡して出掛けることを伝えた。少女はガドウィンが一人だけで出掛けることを不思議そうに訊ねたので、闘技大会に出場すると言う言葉に目を丸くして驚いた。
もし活躍するような事があれば宿の宣伝をして欲しいと頼み込み、ガドウィンはそれをやや困惑気味に承諾する。しかし、その現場を宿の主人であり、少女の父であるハオスと名乗った男に目撃され、少女──トウナ(という名だとハオスが紹介した)の頭を叩いた。叩かれたトウナは頭を押さえながらうずくまり、ハオスを憎たらしげに睨みつける。
そんな親娘のやり取りを苦笑いで見ていたガドウィンは、予選に遅れると言って素早くその場を去り、闘技場へと向かった。
※
昼下がり。
雑踏響く王都の大通りにて、エリスと護衛として連れている二人の騎士を伴って歩くマノリは、目を輝かせながら街並みを眺めている。所狭しと立ち並ぶ商店に、その好奇心旺盛な視線を巡らせ、時折隣を歩くエリスに嬉々とした樣子で話しかけていた。高貴で気品溢れる装いとは不釣り合いだが、年齢と容姿に見合った態度である。
その為、エリスもそんなマノリの態度を嗜めるような事はなく、微笑ましそうにしながら愛嬌ある主人を見つめていた。
「あっ……」
不意に、宝石店を覗きこんだマノリが小さく声を発する。今にも駆け出しそうな歩調であった先程とは裏腹に、立ち止まって呆然とその大きな瞳を宝石店へと向けている。その視線は愉悦を孕み、待ち焦がれていた相手を見つけたかのような瞳であった。
そんなマノリを不思議そうに見つめながら首を傾げたエリスは、その視線を宝石店へと向ける。
そこには、ガラスケース越しに陳列される宝石を、眉間に皺を寄せながら食い入るように眺めるリータの姿があった。隣には店員と思しき男が立っており、商品を勧めているのか、その口は饒舌に動いていた。
しかし、そんな言葉など興味なさげに聞き流していたリータは、数瞬店員の方へと顔を向け何事かを告げてから、また宝石を眺め始める。その言葉の内容はマノリ達には聞こえなかったが、店員を黙らせるには効果的だったらしく。苦しい愛想笑いを浮かべて、そそくさとリータの側から離れた。
そんな一連のやり取りを呆然と見つめていたマノリだったが、突然かけ出して宝石店へと転がり込む。護衛達の忠告に素直に従っていたマノリが、その約束を破り走り出した事に、エリスと護衛は一瞬呆気にとられる。しかし、すぐに我に返ると、主人を追いかけるように宝石店へとその身を滑らせた。
「リータさん!」
宝石店に入ったマノリは、いの一番にそう声を上げる。
「うん?」
食い入るように宝石を見つめていたリータだったが、どこか聞き覚えのある声に顔を上げた。
そして、息を弾ませ嬉しそうに頬を上気させるマノリに視線を移してから、再び顔を下に向けて宝石を眺めた。
「どれにしようかなぁ~……。
ガウィは黒が好きだから黒曜石なら喜んで貰えそうだけど、赤も似合いそうだよなぁ~。
わたしの髪と同じ色だし」
と、呟きながら宝石を選んでいる。
そのリータの姿を、マノリは声を掛けたその場で立ち竦みながら、呆然と見つめていた。自分の姿をその瞳に映したにも関わらず、目の前の宝石を優先させたリータの態度に唖然としているようだ。
マノリを追いかけて店へとやってきた三人も、公爵家令嬢に対するリータの態度に言葉を失う。しかし、すぐに激昂した騎士の一人が、リータに詰め寄ろうと歩み寄るが、それをエリスに止められる。そして、騎士を止めたエリスはそのままリータへと歩み寄った。
「リータ様?」
「お久しぶり! 元気そうで安心したよ! どうしたの?」
リータの傍らに寄ったエリスが声をかけると、愛想の良い返事が戻ってくる。その声は弾んでいて、とても好感が持てるものだ。到底、少し前屈みになって宝石を眺め続けたままといった、失礼な態度を取っている人物の返事とは思えない。
「お久しぶりです。またお会いできて嬉しく思います。
お姿を拝見したので、お声を掛けさせて頂きました」
「そうなんだ! わざわざありがとね!
わたしも、覚えててくれて嬉しいよ!」
丁寧な返事をしたエリスに、リータは本当に嬉しそうな声色で答える。
しかし、その視線は宝石へと向けられたままだ。
「こちらこそ、ご記憶いただき光栄です。
それで、その……何をされているのでしょう?」
リータの態度に困惑しながらも、エリスは聞きづらそう問いかける。
「相棒のね、プレゼントを選んでるんだよ!
闘技大会に出場するから、怪我をしないようにおまじないを掛けて渡そうかなって」
そう嬉しそうに返すリータに、エリスは更に混乱する。
リータの会話をする姿勢は褒められたものではない。むしろ、最悪の姿勢だと言っても良いだろう。話しかけてきた相手に視線どころか身体も向けずに、ずっと宝石を眺めたまま話している。その事に、エリスが憤りを感じるもの当然の事であり、誰が責められようか。
しかし、リータの会話内容はどうだろうか。再会を喜ぶような挨拶から始まって、エリスの問いかけにも充分な理由も付け加えて答えている。
だからこそ、エリスは困惑する。そして、その状況を後ろから眺めているマノリと二人の騎士も同様に。
「──リータ様?
大変不躾なお願いではありますが、こちらを向いていただけませんでしょうか?」
エリスは聞くものが聞けばギョッとするような言葉を掛ける。
会話をしているのであれば当たり前であり、もし見ていないのだとしても、相手が相当目上の権力者か目の離せない状況であるかのどちらかだろう。しかし、リータはそのどちらにも当てはまらない。目の離せない状況であるというのは微妙だが、それは本人の優先度の違いであり礼儀をわきまえている者であれば迷う余地など無い。ただの常識知らずで礼儀知らずの態度だが、そうでないことは会話の内容から読み取れる。だからこそ、エリスも“願い”としたのだろう。
「あははっ……ごめん、ちょっと無理なんだ。
ほらっ──」
そう言って、リータは上着の裾を少し捲って腰を晒す。
「うっ──」
裾を捲って晒されたリータの腰を見たエリスは、口元を押さえてえずきそうになるのを必死に堪らえた。
リータの腰には包帯が何重にも巻かれており、少し傷が開いているのか血が滲んでいる。見るに耐えないその姿は、立っていられるのが不思議だと感じるほど痛々しい。
「ちょっと、ドジっちゃってさ。
絶対安静なんだけど、相棒の為に健気にもプレゼントを買いに来たわけですよ」
おちゃらけた樣子で言うリータは、捲っていた裾を下ろして痛みに耐えるように少し顔を顰める。
その姿に、エリスは己の愚かさを呪うかのような表情で深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。事情も知らずに、浅はかなお願いを申し上げてしまいました」
「いいの、いいの。わたしの態度が悪かったんだし。
正直言うとね、かっこ悪いトコ見せたくなかったんだよ。
だから、アイツ態度悪いなって怒って離れていくように隠してたの。
わたしの方こそ、ごめんなさい」
エリスの謝罪に、リータは気にしてないと手を振ってから答える。そして気まずそうに謝罪をした後「お辞儀は勘弁してね。まぁ、常にお辞儀してるような格好だけど……」と、苦笑いで付け加えた。
エリスの心境を気遣うようなリータの言葉に、離れて聞いていたマノリと騎士達も苦しげな表情で俯く。そしてその中でも、リータと面識があるマノリは、より一層自分を責めていた。
リータの人格を知っているにも関わらず、目に見える態度にとらわれ、彼女のより深くの事情を探ろうとしなかった。公爵家を継ぐ者として、目に視える情報にとらわれず、広い視野を持って物事の本質見極めろ、と常々父に教えられてきた。
だというのにも関わらず、マノリはリータを蔑んだ。礼儀のなっていないリータに失望した。自分に気づきながら視線を逸らされた事が悲しかった。
そんな想いにとらわれ、リータの本質を見抜けない自分自身に深く絶望した。だからこそ、リータが自分を無視した訳ではないと気づいてからも、その小さな脚を動かせずにいた。
視界が滲み、腕が震え、脚は固まったかのように動かない。顔を俯かせて震えながら泣いているマノリに、騎士達はオドオドと狼狽えるだけだ。
それに見かねたエリスが、マノリを宥める為、会話中にも関わらず側を離れる無礼を謝罪する言葉を掛けようとすると、リータが小さく口を開いた。
「いいんだよ、マノリ様──」
未だ背を向けたままだが、リータはそう声をかける。
「──ぇっ?」
俯かせていた顔を上げ、リータへと視線を向けたマノリはため息のように聞き返した。
「わたしが悪いの。だから、そんなに自分を責めちゃダメ。
こっちおいで」
そう言って、顔を顰めて痛みを堪らえながら背筋を正したリータは、振り返ってマノリの方へと向く。すると、顰めている顔を必死に笑顔に変えて手招きをした。
その仕草に誘うわれるように、マノリは一歩一歩リータへと近づく。
二人の距離が縮まり、マノリがリータの前にまで来ると、優しく小さな身体を包むようにして抱きしめた。そして、愛おしげに滑らかな黄金の髪を梳くようにして撫でる。
「まだ子供なんだからさ、間違えたっていいんだよ。
今日わたしと会ったことで、マノリ様が一つ成長してくれるなら、それだけでとっても嬉しい」
マノリの心の闇を払うかのように、リータは優しく言葉を掛けた。
抱きしめられ、目を見開いて呆然と立ち竦むマノリの瞳からは、大きな一粒の涙が頬を伝って流れていく。そして、一回、二回と、リータの手がマノリの頭を撫でる度、合わせるようにして徐々に崩れて破顔していく表情が、限界まで歪められた。
抱き寄せるようにしてリータの腕を掴んだマノリは、どうしても会って伝えたかった気持ちを吐き出す。
「わだじぃ……リーダさんどぉ、会いだくで……」
「うん」
「ずっどぉ……いっじょにっ……いでほじぐでぇ……」
「うん」
「あ゛っだらぁ……いぼぉどっ……おもっでだんでずぅ……!」
「うん、なぁに?」
泣きながら必死に伝えようとするマノリに、リータは優しく相槌を打つ。
そして、自分から離れないようがむしゃらに掻き抱いたマノリの腕が、リータの傷を負っている腰へと回された。
その事態に、二人の姿を涙を浮かべて眺めていたエリスが、我を忘れたマノリの行為を慌てて止めるように腕を伸ばすと、リータの手が向けられる。
傷を強く触られているにも関わらず、その優しげな表情は崩れず維持されたまま、エリスの動きを制する。そして、エリスが止まったことを確認すると、再びマノリの頭を優しく撫で始めた。
マノリの手は服の裾を握り締めており、それによってリータの腰がはだけ傷が晒される。包帯にじんわりと血が滲み出し、真っ白な布が少しずつ赤く染まっていく。誰が見ても傷口が開いていると分かるその痛ましい光景に、エリスは苦しそうな表情で顔を背けた。
だが、エリスの背けた視線の先には、傷の痛みなど感じさせない慈悲深い笑顔で、マノリをふんわりと包み込むリータの姿がある。その姿に、エリスは口元を押さえて懸命に嗚咽の声を自制した。
やがて、少しずつマノリが落ち着きだし、リータを抱き締めている腕の力が抜けていく。そのため、掴んでいた上着の裾から手が離れ、重力に従って滑り落ちたそれが腰の傷を隠した。
ゆっくり、ゆっくり、マノリの身体の緊張が抜けていく。
クシャクシャに崩れていた顔も、強張っていた肩も、がむしゃらに抱いていた腕も、ゆっくりと感情の落ち着きとともに力が抜けていく。そして、完全にマノリの身体の震えが収まると、リータが撫でていた手を止めて静かに身体から離れた。そのまま、短い呼吸を繰り返して必死に息を整えるマノリを、穏やかな笑みを浮かべて見守る。
「わたしの、護衛になっていただけませんかっ!?」
両手を握り、足を地に力強く立て、縋り付くような表情させて、マノリは思いの丈を叫んだ。
「いいよ」
短く返した言葉に優しい眼差しを添えて、リータはマノリを見つめる。
その返答に再び泣き出しそうな表情を浮かべるマノリを、リータは宥めるようにして頭を撫でた。
その光景を涙を流しながら見届けたエリスは、泣きじゃくる“小さな主人”と心の底から嬉しそうな笑顔を輝かせて宥める“新しい従者”を、羨望の眼差しで眺め入る。
しかしエリスは、“新しい従者”の見惚れるような笑顔が、“全てを捧げた主人”の期待に応えられた悦びからくるものであるという事を、一生涯知る由もなかった。