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王都

 サナトリア王国。

 建国から数え300年の歴史を有する、人口2000万人からなる人族国家である。

 その領土は、土質や気候にも恵まれた豊かな土地で自然が充溢する。太く力強く大地に根を張り巡らせる木々に、鮮やかな自色を存分に主張する実を宿らせた果樹。その周りを様々な草花たちが綺羅びやかな絨毯を敷き、その影からは小動物たちが顔を覗かせる。ぽっかりと窪んだ大地には、自然の生命力を充分に含んだ碧々と輝く水が流れ、銀色に煌めく鱗を持った魚たちが優雅に泳いでいた。


 そんな好条件に恵まれた大地に、人族たちが国を興したのは必然であろう。

 生活の基盤となる第一次産業は、有余る資源によって閃光の如く成長してゆき、人族国家を大国へと押し上げた。

 しかし、人口が増加するに従い、人類の糧でもあり癌でもある【欲】が充満する。

 その衝動に駆られた人類は、現状で満足する事はない。純粋な力を欲する者、社会的地位や権力を欲する者、富や財を欲する者。多種多様な【欲】によって、人類に格差が生まれる。そして、歴史を重ねれば、その格差は大きく溝を開ける。

 支配される者と、支配する者。

 力の種類は違えど、確かな力を得た者達が大国を支配していく。

 それによって国民は、生まれついて支配する事を決められた者と、支配される事を決められてしまった者に分類される。

 支配する者は二種類存在した。確かな志を抱懐し集う者達に、尊重の心を持って導く光となる者と、強欲にまみれ肥大する傲りを恥じる羞恥心を無くした闇となる者だ。

 光に照らされた者達は謳歌し、闇に閉じ込められた者達は怨恨する。闇に支配された者達が、藻掻き苦しみ、一筋の光に手を伸ばす。


 その代表にして、何人もの前例を出してきたのが【闘技大会】だ。


 己の力一つで、支配からの脱却を目指す強い意志が集う場所。支配される者達が、支配者へと成り上がる機会が与えられるのは、五年に一度。

 その機会を逃さぬと、瞳に野望を携えて王都へと集結する。











 レンガが規則性を持って張り巡らされた道に、多種多様な商店が立ち並ぶ。

 開放感を味わえるほど広い大通りには、見渡す限りに人が溢れている。時折、商人の操る馬車が通りぬけ、商店の前では客を呼び込む声がそこかしこで響き渡る。

 誰が見ても活気溢れるこの街が、サナトリア王国の中心都市であり王都と制定された場所である。


 その王都を、全身を膝下まで覆うマントを纏いフードを顔が隠れるほど深く被った男が、人混みを縫いながらもゆっくりとした歩調で進んでいた。


――変わったな。


 頭の位置を全く変えずに人混みに揉まれているにも関わらず、ガドウィンは王都をそう比較する。

 人を集める催しが企画される時期ではあるが、明らかに活気が違った。単純な人の量だけではない、集い合う人間の放つ雰囲気が大きく違っていた。気力に満ち、生きがいに溢れ、存在する事実を喜悦する。そんな人間が集まったからこそ、これだけの活気を生み出していた。


 そんな者達に、僅かばかり不快な気分にさせられながらも、王都のどこを歩こうとも確認出来る目的地へと脚を進めていた。


「兄ちゃん! どうですかい? 見ていきやせんか!?」


 人塊を避けたことで、図らずに側へ寄ってしまった店の客寄せに声を掛けられる。

 少し顔を上げたガドウィンは、その店の看板を確認した。盾の前で二対の剣が交差する模様。ひと目で武具屋だと判断出来るその店に、興味が惹かれた。

 足を止めたガドウィンの反応に、目的を果たした店員は満足そうな笑みを浮かべる。ガラス越しに自信作として陳列された商品を眺めている客に、何度も口にしてきた商品の良質さを伝える言葉を投げかけようとしたところで、ゆっくりとガドウィンの口が開かれた。


「この店は長いのか?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった店員だが、数瞬ばかり時を置くと、大きく頷いて理解と肯定の意を示した。


「へい! 創業200年になりやす。自慢になっちまいやすが、王国騎士団にもうちの商品を卸してるんですぜ」

「……ほぅ」


 店員の説明に短く相槌を打ったガドウィンは、一歩踏み出し先よりも熱を持った姿勢で商品を眺める。そのことに、もうひと押しだと店員は嬉々として売り文句を紡ごうとしたが、対象はゆっくりと首を振ってしまった。


「悪いが、手が出ないな」

「そ、そうですかい……また、余裕のある時にでもお願いしやす!」


 気まずそうに定例文を言う店員に頷き、ガドウィンは再び人混みへと紛れる。


(劣悪)


 並べられた商品を品定めした感想は、そのたった一言。

 明確な程に粗悪な、店を構えることに疑問符が浮かぶ羞恥品。材料の鉱石も悪ければ、職人の腕も悪い。鍛冶師の腕がまともであれば、質の悪い鉱石であっても多少観れる物が作り出せる。

 しかし、扱う炎の熱が低い為に不純物が充分に取り除かれず混在し、不十分な叩きで処々に強度の違いが生まれ均等さを欠いていた。


(変わったな──良くも悪くも)


 人族だけでなく、この大陸が変わった。

 ガドウィンにとって、屈辱の烙印が刻まれた忌まわしき地。今もなお色褪せず燻ぶり続ける【憎悪】は、刻々とその心を充たしている。

 だからこそ、彼はこの地を深く印象付けている。人間、エルフ、獣人が住まうこの大陸が、“長い年月”を経たことで、大きく変化している事に気づいた。

 一つは、種族の数。彼が知る時代は、龍族はこの大陸に生息していなかった。龍族が移り住んでいた事実に驚愕したが、ある人物から「もう、ここに来て300年は経つね」と教えられた際には、更にその衝撃が大きくした。

 そして、もう一つは、種族の弱体化。龍族を除いた三種族の戦力が著しく低下している。その原因は定かではないが、先程の武具屋の一件を鑑みると技術力の低下も要因の一つとして考えられる。

 なぜならば、強者にはその力に耐えうる武具が必要になるからだ。勇者や英雄に、その者を象徴する武器と防具が存在するように。本気で振るって容易く折れ曲がる剣では、実力の出しようもない。そのような手足を縛られた状態では、例え強者足り得る実力を持っていたとしても凡人に成り下がる。圧倒的な力を持っているのならば話は違うが、“その三種族では無理”だ。


(焦りは禁物だ。時間ならば、幾らでもある。それに──もう一つは、時間が掛かる)


 静かに上げられたガドウィンの瞳に映し出されるのは、一台の馬車。時折行き交う商人の馬車とは、存在感からしてまるで違う、異質な馬車であった。ゆっくりと進行するその馬車の周りを、騎士甲冑の護衛たちが囲み、大通りを往来する多くの人間が物珍しげな視線を向けながら、妨げにならぬよう道を開ける。

 物々しい雰囲気に包まれる大通りを悠然と進んでゆくその馬車から、一人の少女が身を乗り出していた。黄金に輝く金髪を靡かせ、蒼く澄んだ瞳には好奇の色が浮かんでいる。その姿を眺める人混みの中から、感嘆の吐息を漏らす音が聞こえる程の端麗なその顔は、煌めくように輝いていた。純白のドレスを揺らしながら、視線を向けている通行人に手を振り、何やら声を掛けたりしている。流石に貴族の御令嬢と判る人物からそのような立ち振る舞いを受けて、無視が出来る程の勇気が無かった者達は、短く声を返したり手を振り返したりしていた。そういった反応が返ってくる事が嬉しかったのか、その御令嬢は嬉々とした表情をより強くしている。


──少しずつ


──少しずつ


──二人の距離が近づいてゆく。


 頭を覆うフードを外し、顔を露わにしたガドウィンは、すぐそこまで近づいてきている少女を見つめた。すると──ふいに少女がガドウィンの方へと顔を向ける。

 少女から笑顔が消え、動きが止まる。呆けた表情で吸い込まれるように、ただ一点──ガドウィンだけを追うように、ゆっくりと顔が動く。

 立ち止まるガドウィンと、ゆっくりとはいえ馬車で移動する少女とでは、数秒しか顔を合わせる時間はない。しかし、明らかな少女の反応の違いに周囲の者達が気づくだけの時間は存在した。

 その視線を追うと、少女が見つめる先に周囲の目が集まる。しかし、そこには誰も居ず。首を傾げて再び少女に目を向けるが、やはり誰も居ない場所を、遠ざかって行くまで見つめ続けていた。










 肢体を優しく包み込むベッドに身を沈めたマノリは、ティーポットから紅茶をカップへと注いでゆくエリスを黙って見つめたまま、馬車の中で父から告げられた言葉を思い出していた。



『今回、お前を初めて王都へと連れ出したのは、ただ闘技大会を観戦させる為だけではない。

 なぜなら、お前の専属護衛を雇おうと考えているからだ』

『専属護衛……でしょうか?』

『そうだ。これから先、お前がサルディニア家を継いでゆく上で、確実に必要となってくる存在だ。

 その者を今回の闘技大会で選抜しようと考えている』

『理由はわかりました。ですが、屋敷の騎士達ではいけないのですか?』

『勿論、騎士達の護衛も必要不可欠だ。

 しかし、騎士達では手の行き届かない場合もある。

 先日……魔物に襲われた時がいい例だろう』

『──はい』

『だからこそ、常にお前の側に控え、命に賭してでもお前を護る事の出来る者が必要だ』

『わかりました。

 ──ですが、そんなに都合よく見つかるものなのでしょうか?』

『そうだな。その心配も当然だ。お前の護衛として側に置くのだから、護衛としての実力もそうだが、人格にも優れた人間でなければない。厳しく選定するからな、どちらかと言えば見付からない可能性の方が高いだろう。

 だが、闘技大会で上位に残る者達は往々にして王国でも指折りの実力者だ。一癖も二癖もある者も多いが、ソリウスのような人格者も居る』

『わかりました。良き出会いがあることを、神様にお祈り致しましょう』

『ああ──』


「はぁ……」


 初めて訪れた王都で、よもやこのような試練が待ち受けているとは思いもしていなかった。

 そんな気持ちを吐露するかのように吐き出されたマノリのため息は、静かな部屋の中でこだまする。


 十になるマノリが、今まで王国の王都へと訪れたことがなかったのは、他でもない。過保護である父の命令によるものだ。

 父の許可無くして、サルディニア家の本邸である屋敷の中、もしくはその周辺に広がる草原を、定められた距離までしか出ることを許されない。

 本妻であるマノリの母を早くに亡くした父は、その分も含めて一人娘に愛情をそそいでいる。

 そんな公爵の位を得る家に生まれ育ったマノリは、文字通り温室育ちの娘であった。

 温かい家で、温かい食事を与えられ、温かい家族とその家臣に育てられる。着る物にも困らず、生活する上で必要な物を当然のように与えられ、当然のようにそれらを受け取り、その事が当然のように生きてきた。

 だが、マノリも、ただその事を世の常だと考えている訳ではない。

 毎日身体が疲れきるまで重労働をこなしながらも、空腹を満たすのは少量の食事。季節ごとに替える量など持ち合わせていない衣服は、汚れが目立ちシワシワに縒れている。そんな境遇を強いられながらも、得られるのはごく僅かな金銭。貧しい生活の中、必死の思いで生きている人々がいる事を。

 その人々に比べれば、マノリの置かれている状況は贅沢以外のなにものでもない。貧困にあえぐ人々が、まさに夢見る生活だろう。

 しかし、体験した事のないその状況は、慈悲の心は持てど、マノリにとって空想の世界でしかない。貧しい生活を送っている人々が、どれ程の苦しみを感じているのか、どのような事に喜びを感じるのか、頭の中に想像が出来たとしても、それが答えとしてあっているのか、疑問でしかない。

 慈悲という名の施しを与えて、全ての貧しい人々が不自由のない生活を送れるよう、王族や貴族などの財産を有する者達が支えていゆけばいい──そんな、短絡的な綺麗事で片付く問題でないこともわかっている。


 だからこそ、マノリは感じたかった。

 飛び出したかった。

 自分の知らない世界が広がる外へと、訪れてみたかった。

 その欲求がやっと満たされ、今まで溜め込んできた想いを爆発させる機会があたえられた。これから広がるのは、未知の世界。長く待ち焦がれた世界だ。数えきれないほど、やりたい事があった。


──だが、突きつけられたのは、またも父からの命令。

 己の護衛を探す使命を与えられた。

 その事に、どうして落胆しない事ができようか。やっと開けた未知の世界の扉が、大きく閉じられた気持ちになる。

 その使命を背負いながら、自分のやりたい事もやっていけばいい。そう考える者も居るだろう。

 しかしながら、マノリにとってそんな考えは、立場と重圧の無い者達の無責任な思考でしかない。

 サナトリア王国公爵家の立場。その跡取りである重圧。これだって、体験してみなければ感じることのない思いだろう。現当主である父の言葉は絶対で、娘であるマノリはその命令に忠実でなければならない。

 だからこそ、優先すべきは父から与えられた使命だ。この王都に滞在する間、マノリは自身の専属護衛を見つけ出さなければならない。

 そう……見つけ出さなければならない。でなければ、いつまでもその使命に縛られる。使命を全うすることが遅れれば、今後のサルディニア家を継ぐ為の試練に支障をきたす筈だ。それでは、いつまでもマノリの願いは成就しない。


 マノリもまた、自分のやりたいことを我慢している。我慢しながら、重圧に不安になりながら日々を生きている。

 だから、こんな贅沢な生活を送っているが、小さな胸に渦巻く様々な葛藤を和らげるため息の一つは許して欲しかった。



「ふふっ、ため息ですか、マノリ様?」

 

 カップに紅茶を注ぎ終えたエリスが、己の仕えるべき小さな主人の表情と声を聞いて、微笑みながら首を軽く傾げる。

 その仕草に誘われて、ゆっくりと身体を起こしたマノリは、エリスの居るテーブルに向かう。

 絶妙のタイミングで引かれた椅子に、礼を言いながら座ると、スッとカップが差し出された。

 それを持ち上げ、白い湯気が立ち上り、鼻を擽る香りを放つ紅茶を口に含む。少々熱いが、フワリと口の中で広がる味と匂いに、笑みを浮かべながら嚥下した。


「美味しい」

「ありがとうございます」


 笑顔で味を伝えるマノリに、笑顔でお礼を伝えるエリス。

 主従関係でありながらも、二人はやわらかな雰囲気に包まれている。にこやかに笑いながら軽く出されたマノリの掌は、隣の椅子を指していた。

 その動作に一礼を返すと、ゆっくりとエリスは椅子に腰を下ろす。隣からニコニコとした笑みを向けてくるマノリに、すぐさまその意図に気づいて、自分で淹れた紅茶を口に運んだ。


「我ながら上出来です」

「ふふっ、エリスったら」


 紅茶を飲込んだエリスがそう感想を述べると、マノリが愉しそうに微笑む。

 主従関係でありながらも、二人はその身分差を感じさせない関係性であった。

 だからこそ、エリスは使用人の身としては踏み込み過ぎている言動であると自覚しながらも、気持ちを探るように問いかける。


「不安ですか?」


 ゆっくりと持ち上げていたカップを置いたエリスの言葉に、マノリは小さく頷きながら顔を伏せた。


「うん……いきなりだったから」

「そうですね。ですが、マノリ様には絶対に必要な方ですよ」


 不安そうな表情になったマノリを、エリスは真剣な表情で真っ直ぐと見つめる。

 エリスの言葉に顔を上げたマノリは、しっかりと向けられる顔を受け止め、先よりも大きく頷く。


「うん。それは──わかってる」

「そうですか。でしたら、わたしからは何も申し上げません」


 弱々しい印象ながらもしっかりと頷いたマノリに、エリスは微笑みながらそう声をかける。

 小さな主人が、これから少しずつ大人になっていく。責任や使命といった、小さな心が背負うには少し酷だと感じる運命だ。しかし、公爵家の一人娘である彼女が乗り越えて行かなければならない宿命。その第一歩として、共に運命を歩むことの出来る確かな存在が必要になる。

 そんな小さな主人の事が大好きなエリスは、か弱い彼女を“身”も“心”も護る事の出来る存在を見つけて欲しい。そう、思っている。

 だからこそ、後悔している──


「──リータ様に、お話だけでもさせていただきたかったのですが……」

「……うん」


 絶体絶命の危機に颯爽と駆けつけた、燃えるように紅く美しい髪の少女。

 二人の命の恩人であり、今日に至るまで何度となく話題に上った人物。お伽話に出てくるような、勇猛で気高い英雄を思わせる存在。夢物語のような出来事だったが、確かに体験した真実。

 これだけの心境を抱かせ、こういった状況の中で後悔するなという方がおかしい。


「お会いしたのは短い時間でしたが、今でもはっきりとそのお顔を思い出せます。それだけ、存在感の強い方だったのですね」


 目を瞑り僅かに顔を伏せるエリスは、リータの姿を思い出す。魔物を狩るその姿は近寄りがたく恐怖を抱く、物言う姿は心安らぐ安息の空気へ誘う。

 様々な姿を持つ彼女だが、確かに心に残る感情は安心と安らぎであった。


「そうね。ああいった状況だった事もあるのでしょうけど……。それでも、ここまで印象に残るのは、リータさんの魅力が人並み外れてる証拠ね」


 エリスの口元が優しげに綻ぶ事に、彼女の心境が理解出来るマノリも目を細める。


「はい。わたしが知る限りでは、そういった方はマノリ様ぐらいです」

「わ、わたしなんて、全然……!」


 瞼を開いたエリスの言葉に、マノリは小さく首を振りながら慌てる。

 可愛らしく動揺する小さな主人に、エリスはクスッと笑顔を零した。


「そのような事はありません。マノリ様の人を惹きつける力は、人並み外れています。馬車で王都を移動していた際がいい証拠です」


 そう告げるエリスは先程と同様口元が綻んでいる。しかし、今は緩んでいると例えたほうがしっくりとくる表情だった。

 そんな微細な変化に気づいたマノリは、すぐに自身が誂われているのだと気づく。


「そ、その事は忘れてって言ったのに……! エリスのいじわる!」

「ふふっ、残念ながら元々印象の強いマノリ様ですから、忘れろと申し上げられましても、なかなか記憶から抜けません」


 身体を揺らして抗議するマノリの反応が、自分の思い描いた通りであった事に、エリスはしっかりと天邪鬼になった。


 馬車で王都の街中を移動する際、マノリは嬉々とした表情で外を一望する。

 屋敷からそう遠くない場所にありながら、一度も訪れたことのない場所。見たこともない大勢の人数に圧倒されながらも、初めて見るその光景を脳裏に焼き付けようと、身を乗り出して眺めていた。

 そんなマノリの姿に、大通りを行き交う人々が視線を集めるのは必然だった。貴族の豪勢な馬車が通るだけでも注目を集めるが、その窓から少女が顔を覗かせている。

 マノリ自身の自覚は薄いが、その端正な顔立ちは、思わず見惚れてしまう程整っている。まだ少女であるがゆえに、美しいと感じる者は殆ど居ないが、可憐で高貴なその容姿に男女ともに惹きつける魅力が存在した。


 そんな少女に注目が集まり、恥じらいに頬を染めながらも、華が咲くような笑顔で手を振る光景はとても絵になる。そんな印象を抱く人物から見つめられながら、手を振られたり声を掛けられたりすれば、悪い印象を持たれないよう反応を返してしまうのは致し方ない。

 それに、反応を返すことでその少女は嬉しそうに微笑むのだ。時折、反応が返ってこなかったのか哀しそうに眉を顰める姿を見てしまえば、返さなければならないと使命感すら覚える。


 図らずともすれ違う人々にそんな思いを抱かせて交流を続けていたマノリは、突然隣に座るエリスから呼ばれる。その事に少々煩わしさを感じながらも、振り返ってエリスの顔を確認すると全てを悟った。エリスの指す視線の先に座る、父のヴォルガの表情を見てから、突如行われた公爵家一人娘と国民の交流会はお開きとなった。



「うぅ~……、ぁっ……そう言えば……」

「……どうかされましたか?」


 いつまでも愛でていたくなる程可愛らしく頬を染めるマノリが、何事かを思い出したかのように動きを止める。

 その為、にこやかな表情でそれを眺めていたエリスは、少し残念そうな表情を浮かべた後、問いかけながら小さく首を傾げた。


「少し気になる方が居たの……なんだか、リータさんを初めて見た時のような気持ちなる人。惹き込まれるような、何故か目で追ってしまうような……」

「そうですか……やはり、居るのですね。そういった魅力を持っておられる方が──」

「うん、その方の顔もはっきりと思い出せる。エリスも見ていたら、絶対に同じ印象を抱くはずだわ」


 自分が抱える気持ちを理解してもらおうと精一杯、表情と身振りを使って表現するマノリに、エリスは嬉しそうに大きく頷いた。そして、感嘆の声を漏らしながも再び巡ってきたチャンスに、マノリを見倣うようエリスも精一杯の表情と身振りをつけて答える。


「それほど……お若いって羨ましいです。わたしの年齢であのような事は、とてもとても……」

「も、もぉっ……! エリス! 怒るわよ!?」


 嘆くような表情で胸に手を当てながら小さく首を振るエリスに、マノリは収まっていた羞恥の感情を再発させる。

 今度は耳まで朱く染めて怒りを露わにする小さな主人を、意地の悪いメイドはただ愛おしそうに見つめながら微笑むだけであった。

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