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「――以上が、今回の顛末です」
薄暗い部屋に、狭間の声が響いた。
狭間は三メートル四方の正方形の部屋にいた。狭間の上司が準備した、セーフハウスの一室にある隠し部屋である。
そこには世界が呆れるガラパゴス技術の粋が集められた機材がいくつも並んでおり、狭間が向かい合っているのはその内の一つである通信機器だった。特殊な周波数に変換し、衛星を介して世界の何処からでも通信できる秘匿通信機だ。
『ふむ……ご苦労だった』
聞こえてきたのは、上司の男の声だった。映像は無い。声紋判別によりお互いが本物であると認識できているし、映像まで送ろうとすると容量の問題で傍受される危険性が高くなるからだった。
「しかし驚きました。まさかミサイルが飛んでくるとは……。どう処理なされるおつもりで?」
『その程度、予想がつかない君ではないだろう』
「さて……」
見えない事がわかっていても、狭間は肩をすくめずにいられなかった。
「まあ、『アレ』が飛んできたからには何故私にこの任務が回されてきたのか、なんとなく理解はいたしましたよ」
『ではそれが答えだ』
狭間は堪え切れずに小さく噴き出した。
「くく……今頃お上は顔を真っ青にしていますか」
『シビリアンコントロールは結構。むしろ望むところだがね。我々の理念すら曲げられるのはさすがに業腹というものだ。ささやかな下からの警告、と言ったところだろうかね』
「とはいえ、理解いたしますか、あの連中が」
『さてね。理解してくれる事を祈っておくしかあるまい。でなければ、しばらく新聞やニュース番組はにぎわう事になる』
「……やれやれ」
呆れ混じりの笑みを浮かべながら、狭間は言った。
「酷い人だな、どの口がシビリアンコントロールなんて言うんですか」
『君があげてきた調査結果だろう』
「――さて、何の事でしょう」
平坦に狭間が言った。その口調には何の色も無く、演技臭さも無い。ただ無感情に、まるで人形のような口調だった。
「……」
『……ふむ、いいだろう』
しばらくして聞こえてきた満足げな男の声に、狭間は内心で、このクソタヌキと毒づく。
あそこで肯定するような返答を返せば、間違いなく次の瞬間には自分は死んでいた。そう簡単に死ぬつもりはないが、しかしこの目の前の機材が大爆発を起こしてしまっては、避けようもない。
無論、忘れていたわけではない。男の言っている『調査結果』は、間違いなく自身が調査しその結果を男へと上げたものだ。その記憶も間違いなく、一字一句の漏れも無い。何せほんの一年程度前の任務だ、忘れようもなかった。
それは狭間の上司も理解している。誰よりも――ともすれば狭間以上に――狭間の能力を理解している男だ、狭間の台詞を頭から信じるはずもない。
そもそも先ほどの会話も、『知っている』事前提の会話である。しかし便宜上、狭間はその件については内容こそ知っていても調べてきた人間については知っていてはならない。何故ならそれを調査した人間は、『狭間大地』とは『別人』であったからだ。
故にこその――この、茶番である。
『では、思い出したまえ』
「……は」
そして茶番はすぐさまに終わった。狭間は見られていないにもかかわらず姿勢を正し、直立不動の体勢をとる。
『気をつけたまえ。言質は出ていなかったが、そうととられかねない会話だった。私とて君のように優秀な部下を失いたくはないのだからね』
「は、以後気をつけます」
『よろしい。さて、では、品目は覚えているかね?』
「一つの漏れも無く」
『よろしい』
狭間が調査していたのは、いわゆる『日本に存在してはならない兵器』についてであった。
専守防衛を基本戦略とする日本には、いくつか『存在してはならない』兵器がある。とはいえ馬鹿な事を考える連中はいたもので、狭間がスパイ映画顔負けの調査をした限りでは、少なくない数の兵器が日本に存在していた。
現在は様々な裏取引等によりそれは狭間の上司の管理下に置かれていたはずだが、数か月前からそれに対し妙に感心を寄せる人間がいた事を、狭間は耳にしていた。それも単体ではなく、複数。その裏を追えば政府上層にも繋がっており、つい先日までこの件を調べていた狭間やその上司は小さくない危機感を共有していた。
何せ名目上は『存在していない兵器』である。どう扱われても知らぬ存ぜぬで押し通す事が可能なのだ。これほど扱いに困り、扱いやすい物も無い。
故に狭間の上司は、自分の管理下にあるこの機会に、それらを全て使ってしまおうという心算のようだった。
『政治的問題、責任云々は君が気にするところではない。それは私の仕事だ。が故に、君は君の任務を忠実に果たしたまえ』
「は、心強い援護、感謝いたします」
そして同時に、自分に対し釘を打ち、恩を売り、さらにがんじがらめとしようとしている。厄介な男に買われてしまったものだなと皮肉気に口元を歪ませながら、狭間は敬礼をした。
『さて……君の報告により、政府は例の巨大物体を一種の災害と認定する事になった。……もちろん、表には出せんがね』
「……災害なら、まあ、いつ起こるかもわからないものもありますからね」
『ああ、そうだとも。まして未だ人的被害は出ていない。避難もどの規模までしていいのかもわからん。下手に動かしては――世界各国に宣伝するようなものだからな。……今更、手遅れかもしれんが』
若干の疲れを乗せた声色だった。それも無理は無いと、狭間は内心でぼやく。
『月の地形を変える……か。やれやれ、もう少しやりようもあったろうに』
その内容こそが、現在のトライセイザーに対する脅威の度合いを指し示していた。
昨晩、夜闇が一瞬で朝に変わったかのような閃光が空を走り、巨大球体を貫いた晩。
巨大球体を貫いた光の矢は、終ぞその勢いを衰えさせず――射線上にあった月にまで届き、少し精度の高い望遠鏡ならば素人でも確認できるほど巨大なクレーターを形成させたのである。
それほどの大事を隠し通す事など、できるはずもない。結果として現在、政府には巨大怪物よりもむしろ、人型巨大ロボット――トライセイザーを危険視する声も上がっているほどだった。
「……彼女たちは戦闘に関しては素人……いえ、知識は持っていたようですが、それでも常識の外の戦闘において、こちらの常識を求めるのは酷というものでしょう。それに何より驚異的なのは――」
『……ああ、わかっているとも』
宇宙開発競争が激化してきている昨今、月に対する野心は世界のどの国にも共通して見え隠れていているものだった。
故に――その月の変化を、世界が見逃すはずが無かった。
そしてその埒外の事態が、動画サイトに投稿された例の映像と結び付いてしまえば、あまり考えたくは無いが、今この瞬間にも、この町に弾道ミサイルが降ってきてもおかしくはないのだ。
『人が一人でも死ねば……話は変わったのかも知れんがね』
「ですが、それは……」
『ああ、もちろん。現状は少なくとも、我々にとってはベストを尽くしたと言わざるをえんよ。何故なら国民が、誰一人とて――死んでいないのだから』
何処か誇らしげな色すらある男の言葉に、狭間も表情に苦いものをにじませながら、しかし満足げにうなずいた。
「……はい、誰一人とて」
何故ならそれは、自分たちの拠り所なのだ。国民の生活と生命を護る。それこそが自分たち自衛隊の第一義。例えそれが原因で任務が困難になったとしても――誰が非難できようか。
『……今後、任務は厳しいものになるだろう。外からの干渉は私が防ごう。それが私の仕事だ。ただ――』
ふと、上司が言い淀む。珍しい、と思うと同時に、狭間は顔をしかめた。この男が言い淀むのだ、余程の厄介事に違いない。そういった考えから先を聞きたくは無かったが、それでも任務に関係のある事柄ならば聞かなければならない。狭間は上司の次の言葉を待った。
そしてたっぷり十秒ほど上司は押し黙り、そして意を決したように口を開いた。
『――情報が外に漏れている可能性がある。それもこちら側からではない、そちら側からだ』
「……」
狭間は声を出さなかった。ただ目を閉じ、眉根を寄せて、その可能性のある人物を思い浮かべて行く。
『漏れた可能性のある情報は君の事だ。君個人としての情報は流れていないが、それでも我々が隊員を送り込んでいるという情報が漏れている。その心当たりはあるかね?』
「……残念な事に、いくつか」
『そうか。判断は君に任せよう。ただ――それで協力体制を築くことは難しくなった』
「……はい」
狭間は首を振ってこたえた。予想外の事態が立て続けに起こる。まったく、いやになる。
『そちらの方は私もなんとか動くつもりだ。しかし向こうの出方もある。現状では、種をまくのにすら一週間二週間はかかるだろう。それを念頭に置いて、動くように』
「了解しました」
狭間は敬礼して、通信を切った。
○
少し、時間を遡る。
「はい、狭間先生、どうぞ!」
どんっ、と勢いよく置かれたのは、白米が山盛りになったどんぶりであった。その傍らには焼き海苔が入った小皿、出汁巻き卵や焼鮭が乗った皿に、味噌汁が入ったお椀まで添えられている。
これぞ和食の朝食風景と言わんばかりのラインナップだ。――ただし、それぞれの量が半端ではなかった。優にそれぞれ合わせて五、六人前はありそうな量が、狭間の前に並んでいる。
「あ、ああ、ありがとう……」
それらを前にして、狭間は口の端をひきつらせながら礼を言う。それを受けて、んふー、と満足げに頷くのは、不知火響だった。
「はい、お腹一杯食べてくださいね! 何せ朝食は一日の活力! お腹が減っては戦ができません!」
元気よく力説しつつ自分の分のご飯をよそう響。その手に持っているのは狭間と同じくどんぶりであるが、狭間の前に置かれているどんぶりよりも二回りほど巨大だった。狭間のものですら二、三キロはありそうだというのに、あの大きさなら一体どれだけ入るというのか。
というか、この少女の体の中の何処にあれだけの量が入るというのか。いやもしかしたらあのトライセイザーを動かすのには莫大なカロリーが必要になり、それらを補給するために大量の食糧を摂取できるような身体に変化しているのかもしれないなどと狭間は真面目に考えたりしたが、対面に座る涼子や瑠花の前に並ぶ料理は普通の量であるためどうやら違うらしいと思いなおす。ただ単に響が健啖家なだけらしい。
「遠慮なくたくさん食べてくださいね、狭間先生! たくさん作ってありますから!」
巨大などんぶりに山盛りにご飯を盛った響が言うものの、狭間としてはその光景だけでお腹がいっぱいになりそうであった。訓練時代は食べる事が娯楽であったためにそれなりに大食いには自信があったが、それでもこれだけの量を食べきれる自信などあるはずもない。
「あ、ああ……」
演技するまでも無くぎこちなく頷く狭間に、響はぷくー、と頬を膨らませ何かを言おうとするが、その背後にいつの間にか移動した涼子の拳骨によって止められる。
「はぎゃん!?」
ごがんっ、と机に突っ伏した響を見下ろしつつ、涼子は腰に手を当てやれやれと首を振った。
「この馬鹿娘が。皆が皆お前のように大食いじゃないんだぞ」
「でっ、でも、狭間先生男の人だし、結構鍛えてるし……」
「身体を鍛えるのは男なら当たり前とは言わんが普通だ。でも胃を鍛えるのはフードファイターぐらいだぞ。だいたい、うちぐらいだぞ、たった一食で業務用炊飯器が空になるのは」
「うぅ……」
というか空になるのか。喉元まで出かかった突っ込みを無理やり呑みこんで、狭間は乾いた笑いを浮かべる。
「あ、あはは、ま、まあ、自分もそれなりに食べるほうなので、が、頑張ってみます……」
「……すいません。無理そうなら残しても構いませんので……」
「い、いいえ、せっかく作っていただいたものを残すなんてできませんよ。……頑張ります」
そうして、狭間は未だかつてない程に真剣に、戦場へと向かったのだった――
○
十数分後。
「お……おぉ……ぐ、ぁあ……」
狭間は仰向けに倒れていた。その口からは、まるで地の底から響いてくるかのような呻きを漏れている。声だけ聞いていれば、半死半生の人間がそこにいるととられかねない声だ。
しかしそうでない事は、そのぷッくりと膨れ上がった下腹部を見れば一目瞭然であった。
「……凄い……」
「うごふっ……うはっ……あぉぉおお……っ!?」
その傍らにしゃがみこんで、つんつんと妊婦のようなお腹を突っつくのは瑠花である。つっつくたびに漏れるうめき声が何かの壺に入ったのか、次第に頬を紅潮させどんどんエスカレートしていき。
「……うふふ……」
「いい加減にせんか」
ごんっ、と洗い物を済ませて戻ってきた涼子の拳骨がまた落ちて、うめき声をあげる人体が二つに増えた。
「うぅ……痛い……連日は……つらい……馬鹿になる……」
「なら馬鹿な真似はやめんか阿呆」
頭を抱えてゴロゴロと転がる瑠花の首根っこをひっつかみ、無理やり立たせると、涼子は狭間の傍らに膝をついた。
「大丈夫ですか、狭間先生」
「は、はい……だ、大丈夫……です……、うぷっ……」
「ああ、もう、無理はしなくていいですから寝ていてください」
なんとか起き上がろうとする狭間だったが、未だかつてない程の息苦しさに途中で力尽きる。涼子は小さく息をつくと、手慣れた動きで狭間の頭部に座布団を差し込んだ。
瑠花はといえば、その間にどこかへ消えていた。昨夜といい今回といい、自分ですらその気配を読めなかったという事実に、やはり要注意人物であると再確認する。
「す、すいません……」
「謝るのはこちらです。本当にあの娘は……まあ、貴方にも結構呆れているんですが」
「あ、あはは……」
辛辣に言う涼子の見下ろす視線には、無理をして数キロもの朝食を食べきった男への呆れが目に見えて含まれている。これには狭間も苦笑するしかない。何せ自分でも阿呆としか思えないのだから。
「……しかし、すいません。一晩泊めて頂いた挙句、朝食まで頂いてしまって……」
「気にしなくて構いませんよ。量自体はあの娘がいるのでさほど変わりは無いですし、そもそも狭間先生が気絶したのは此方の……」
「へ?」
「っ、い、いえっ、何でもありません!」
いきなり立ち上がった涼子は、慌てた様子で踵を返した。
「え、えと、そのっ、すいませんっ、洗濯物を干してきます……!」
そう言って、涼子はばたばたと和室から出ていく。その後ろ姿を見送って、狭間は疲れたように息を吐いた。
「やれやれ……」
狭間がトライセイザー・Vの戦闘を肉眼で確認してから一夜が明けていた。
あの後――トライセイザーが巨大球体を倒した後、三人はこっそりと不知火邸へと帰ってきた。狭間も寝かされていた格好で気絶を装い、念の為それから二時間ほど経ってから目を覚まして、昨晩の経緯を説明される。
涼子曰く、どうやら狭間は、公園で二人を見つけた直後に飛んできた瓦礫片が後頭部に直撃し、そのまま気絶してしまったのだという。さすがに大の大人を女性二人で緊急避難場所とされていた、山の高台まで運ぶことは難しく、仕方なしに二人は不知火邸へと帰宅。そうしてあの巨大ロボットが現れ、巨大球体を倒したのだそうだ。
説明を受けた狭間は、介抱をしてもらった礼を言い、そのまま一時帰宅しようとした。戦闘の報告をするつもりだったのだが、しかしそれは狭間に事情を説明した涼子に止められる。
後頭部に瓦礫が直撃し、気絶したのであるから、下手に一人にして倒れられては困る。それが涼子の言い分だった。
まあ、確かにそうだろう。後頭部を強打し、その直後はどうにもなっていなくとも、数時間たって意識を失い、そして死亡するというケースはいくらでもある。筋は通っていた。
ならばと狭間が病院に行くと言うと、さらに慌てたのは涼子だった。狭間も知っていたが、涼子がした説明はまるっきりのデタラメであり、実際は改造スタンガンによる電気ショックでの気絶だ。仮に病院で調べられでもすれば、その痕跡が発見されるかもしれなかった。
血相を変えて、その必要はない、泊まって行けと言う涼子に、狭間は押し切られるような形で了承する。そうして朝の風景へと繋がるわけである。
上司への報告については、今日、帰ってから済ませるつもりだった。
「……しかし、よくもまあ一日の休校で済ませるなあの校長も」
次に狭間の思考をよぎったのは、学校の事だ。今日は木曜日、休日でも何でもない普通に学校がある日である。
そして教師である狭間と涼子は既に学校に出発していなければならない時間だったが、昨夜の巨大球体と人型巨大ロボットの戦闘を受けて、一日限りの休校という形をとると早朝に校長から連絡があったため、こうしてのんびりとしていられるわけだ。
そういう意味では、狭間は昨夜の巨大球体に感謝していた。何せこの状態ではまともに動けないし、監視対象である三人が一つ所に固まっていてくれるのはありがたい。
それに、今日は一日休んでいくようにと強く言われていた。つまりは今日一日自由にこの家を歩き回れるという事である。
この類稀な機会をどう使うかと頭の中で計画を立てながら、狭間は、
「う、うぷ……」
食べ過ぎによる吐き気に、顔を青くしていた。