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其之伍



「民俗学……でしたっけ、専攻は」


 歓迎会の名を借りた宴会は既にでき上がり始め、狭間を除いた名宝高校教職員一同の顔は殆どが赤くなっている。

 無事なのは涼子と響ぐらいのものだったが、酒瓶を抱えて爆睡し始めた同僚を解放しつつ説教をする涼子に、何故か正座でそれをうけている響と、妙な空間を作っている。酒は入っていないはずなので、もしかしたら場酔いかもしれない。

 そんな光景を視界の隅に収めながら、狭間は新しく入れてもらったウーロン茶をちびちびとすすりつつ、一人さびしく料理をつついていた。


「ええ。それも不知火さん情報ですか」

「はい」


 如月はてきぱきと次の皿の準備をしながら笑った。


「いつも楽しそうに学校の事を話してくれるんですよ。おかげで、もう卒業して十年近くだって言うのに、まだ学校にいるような気分になる時もある」

「ははは……」

「しかし民俗学、ですか……。えっと、間違っていたら申し訳ないのですが、民間伝承などもそういった物の部類に入るんですよね?」

「ええ。まあ、入っているというより、民間伝承を資料として使う学問が、民俗学ですね」

「ああ、そうですか。すいません、妙な勘違いを。学校を卒業してからすぐにこっちに入ったモノですから、勉学には少々疎くて」


 そう言ってすまなそうに笑う如月だったが、その仕草一つ一つには妙に教養が見え隠れしている。

 僅かに目を細めつつウーロン茶をすする狭間に、如月はふと気付いたように話を切りだした。


「でも、という事はもうこの町の伝承なんかも調べていたりします?」

「ああ、いえ……」


 狭間は困ったように笑った。


「ちょっと色々バタバタしていたもので、調べる暇が中々なくて。まだ、どんなものがあるのかもわかっていないんですよ。とはいえ、しばらくは仕事で調べる時間もなさそうですし……落ちついたらゆっくり調べてみようかな、って」


 実を言えば狭間はそこまで民俗学に興味があったわけではなかった。だというのに『狭間大地』という人間がそういった設定になっているのは、すぐに用意できる身分のなかで最も調査に役立ちそうな設定であったからだ。

 自分でもまさかとは思ってはいるものの、狭間の知るスーパー系ロボット物ではその土地の民間伝承などが強く関わっているケースが多く見られた。

 ここは現実だと叫びたかったが、しかしアニメや漫画、小説の世界のような事件が起こっているのもまた事実だった。現実は小説より奇なりともよく言うからなとは、殆ど強制的に、抵抗するとさらに上司権限でこの設定を押し付けてくれやがった男の言である。


「まあ、そんなわけで、もし面白そうな民間伝承を御存知でしたら、今度来た時にでも教えてください」

「おや、御贔屓にしていただけるので?」

「ええ、料理は気に入りました。美味しいです」


 そう言って、狭間は目の前の鱈の煮つけを口に含む。ぷりぷりとした身から迸るようににじみ出てくる煮汁は、白身魚の本来の味を一切殺さず絶妙なハーモニーを奏でている。ありていに言えば、都内の料亭でも中々食べられないような絶品料理である。


「はは、そう言っていただけると、料理人冥利に尽きますね。……しかしそこまで褒めて頂くと、此方も何かお返ししなくてはなりませんね」


 如月は顎に手を当ててしばらく考え込むと、何か思い浮かんだのか、ぽん、と手を叩いた。


「ああ、そう言えば、一つ、貴方の興味を引きそうな話題がありましたね」

「僕の、ですか」

「はい、民間伝承……この土地に伝わるおとぎ話のようなものですが」


 ほぅ、と狭間が興味深げに少し身を乗り出すと、如月はすまなそうに苦笑する。


「もっとも、僕も耳にしたのは大分昔で、殆ど覚えていません。ので、詳しい話は別の方に聞いていただくとして……まあ、概要でもお話します」

「ええ、お願いします」

「はい、……ああ、すいません、先にこれを」


 如月は一つ頷くと、次の料理を皿に盛りつけてから口を開く。


「すいません。では……狭間先生、あの海の先にある小島、ご覧になりましたか?」

「……。ええ、あの島に何か逸話でも?」

「はい。この町の沿岸部の上空からの撮影映像、先生はご覧になられた事はありますか?」

「ああ、地図ならみました。まるで海岸があの島を取り囲もうとしているようですよね」

「ええ、そうでしょう」


 名宝市沿岸部の砂浜自体は、海水浴場にもできそうな上質のものだ。

 周囲も緑に囲まれていたり、近くには新幹線の停車駅があったり、さらには温泉も沸いていたりと、リゾート地の立地条件としても申し分ない。

 市としては観光資源として活用しようと考えた事も一度や二度ではなかったようで、何度かそういった試みも実施する段階にまで到達していると資料に会った。

 しかし結果として計画は頓挫している。それは、海の方に問題があったからだった。


「潮の流れが激しいんですよ。漁船ですらあの周囲には近寄れません。まあ、魚もいないんですよね。あの島の周囲には生き物がいないんです。渡り鳥すらとまろうとしない。まるで――死の島だ」


 如月は声を落として言った。


「昔からあの島の周辺は近付いてはならない場所だと言われてきました。あの島は呪われている、近づいてはならない禁断の島――これといった逸話はさほど残っていないのに、そういった話だけは昔からずっと聞かされています。だから、海水浴場の話が持ち上がった時も、地元住人は大反対しました。呪われる、近づいてはならない――そんな事を口々に」


 でも、と如月は続ける。


「実際、どうして呪われているか、とか、一体何がどうなってあんな崖の中腹に鳥居が取り付けられているのか。そういったものは全く誰も知らないんですよ。かろうじて……そうですね、おとぎ話のようなものが伝わっているぐらいで」

「それが地形の話に繋がる訳ですか」

「ええ、よくわかりましたね、こんなわかりにくい話の進め方で」

「一応、教師ですから」


 お互いに笑みをこぼしながら、話を進める。


「では、話を戻しますが……あの砂浜、小島を囲むような地形でしょう。ですが、何でも昔は、あのような地形ではなかったそうです」

「……へぇ」

「昔は半島のように出っ張っていた地形だったそうで。でも、ある日突然今のような形に変わった……」


 びくり、と視界の隅で涼子が肩を震わせて、何かを言おうとした響が涼子に口を塞がれそのまま押さえつけられる。


「……何が原因で?」

「星が落ちてきたそうですよ」

「……星が?」

「はい。その衝撃で地形がえぐれ、落ちてきた星があの小島になったそうで……」


 信じられないでしょう、と如月は困ったような表情を浮かべた。狭間も苦笑を顔に貼りつけて、ゆっくりと頷く


「ええ……ええ、さすがににわかには」

「でしょうね。数年前に市があの島を調査したようなんです。でも、普通に海底火山が噴火してできた島だと結論付けられたそうです。このへん、温泉もあるんですよ」


 それは狭間も初耳だった。――そしてふと、その違和感に眉をひそめる。


「……調査を?」

「はい、しているはずです。立ち入り調査という事で、響ちゃんがこぼしていましたから」

「どうしてそこで不知火さんが出てくるんですか?」


 もがーっ、と名前を呼ばれた響が一際激しくもがくものの、涼子が見事に抑えつけている。

 しかしその涼子も微妙に挙動が不審であり、何やら自身の中で葛藤を繰り広げているらしい。考え込んではぶんぶんと頭をふって、また考え込んでは暴れる響を抑えつけている。

 そんな珍行動も周囲の人間には酒の肴にしかしておらず、まして店主の如月も止めに入ろうとはせず温和そうな表情を崩さない。


「あの島は響ちゃんの持ち物なんですよ。――正確には、不知火家が先祖代々受け継いできているもので」

「……」


 涼子の言っていた『私有地』というのはそう言う事か、というような様子を装って、狭間はちらりと涼子と響の方に視線を送る。

 一瞬目があった二人の女性は、凄まじい速度で目をそらした。


「ははは、嫌われましたね」

「……頼みますよ、間、取り持ってくださいね。さっきの詳しい話、不知火さんに聞いてみたくなったんで」

「では、以後御贔屓に」


 如月はそう笑って、締めくくった。

 実際のところ、あの島が不知火家の私有地である事は狭間も知っていた。そしてだからこそ、狭間が教師としての身分を隠れ蓑に、この町に潜入をしているのだ。


 だが――


(……知らないぞ、俺は)


 あの島の所有者については、公的な資料を調べればすぐに分かった事だったという。しかし狭間が見た資料の中にも、自身が調べた限りでも、そこになければならない情報は、存在していない。


(調査、されていた?)


 如月の言を信じるのであれば――と、ウーロン茶をゆっくりと口に含みながら、狭間は視線だけで料理を再開する如月を観察する。


(どう……見るべきかな、これは)

 



 ○



 ――そうして、それはあらわれた。


 兆候は突然だった。酔っ払いたちと一緒になってワイワイと遊んでいた響が弾かれたように顔をあげると、そのまま店の外に飛び出していったのだ。


「不知火さん……?」


 その様子は尋常のものではなく、飛び出していく速度も相当の――それこそ狭間ですら目で追うのがやっと、といった速度である。

 そもそも壁を走れるほどにふざけた身体能力を持つ活発な少女だ、全力を出せばその程度の速度ぐらいはまあ、出せてもおかしくは――どう考えてもあったが狭間はそこは気にしない事にした。

 とにもかくにも、問題はそこまでの速度を出してどこへ行ったのか、だが――


「不知火!? すっ、すいません、ちょっと様子を見てきます!」


 次いで涼子が飛び出し、それに少し遅れて狭間も席を立ってそのまま外へと出る。九月とはいえ、夜の風は生ぬるく、火照った身体には妙に肌寒く感じた。


「金松先生は……」


 咄嗟の事で出遅れてしまった狭間は、内心で歯噛みしつつ、表面上は戸惑った様子で頭をぽりぽりとかいて見せる。

 駅前の繁華街だ、喧騒は相応のものだったが、それでも涼子たちはそこまではなれた場所までは行っていなかったようで、声はすぐに聞き取れた。


「――響!」


 繁華街から抜けた先、公園の方から涼子の声が聞こえてくる。それを目印として狭間も涼子たちを追った。


「……いた」


 涼子と響はすぐに見つかった。公園の入り口で、空を見上げる二人――夜の闇の中でも尚映える烏の濡れ羽色の長髪と、一際目立つ赤髪ポニーテールを見間違えるはずもない。


「――ッ、まさか!」


 しかしそれもつかの間だった。狭間は二人の視線の先を視界へと収め――それを、見た。


「な、ぁ……っ!?」


 漆黒の夜の中、紛れるようにして巨大な球体が宙に浮いているのである。その中央にぱっくりと開いている巨大な一つ目は、まるで世界の全てを睥睨するかのようにぐるぐるとうごめいている。

 物体の近くに目印が無いため正確な位置はわからないが、まだ海の上、内陸からは一、二キロはゆうに離れているはずだ。

 しかしそれでも巨大とわかるその威圧感と重厚感は凄まじく、狭間は思わず演技を忘れてその場に立ち尽くしてしまう。


「な――!」

「誰っ!?」


 そうして漏れ出た言葉は当然二人に届いてしまった。振り返った響と涼子は、狭間の姿に気付くと、お互いに顔を見合わせる。


「りょっ、涼子姉ちゃん、なんで狭間先生が!?」

「お前が飛び出して行ったからだ! もうちょっとマシな抜け方をしろと、前にも言ったろう! フォローが一体どれほど大変だと思っている!?」

「そっ、そんなこと言ったって! だって、あれ出てきたからしょうがないでしょ!? ボクだって色々考えてるけどあいつら出てきたらもう仕方が――」


 そして言い合いを始める二人だったが、逆に狭間としては助かったと言ってよかった。何せ落ちつく時間を与えられたのである。狭間は『狭間大地』の仮面を再構成して、焦りを表情に貼りつけると、そのまま二人に駆け寄った。


「って、二人とも何を言い合ってるんですか!? あ、あれってネットに上がってたやつですよね、早く逃げないと――!」

「へ? え、あ、い、いや、その、だっ、大丈夫ですよ狭間先生、私たちは大丈夫ですから――」

「そっ、そうだよ狭間先生、ボクたちはちょっと行かなきゃいけないところがあって――!」


 慌てふためく涼子と響だったが、それでもその場から一向に動こうともしない。業を煮やした狭間は、二人の手をとり、


「いっ、いいから逃げますよ! こんなところにいたら――」


 さあ、どう出る。そう内心で呟いた――その、瞬間だった。


「――づぁっ!!」


 びくんっ! と狭間の身体が波打ち、そのまま膝から崩れ落ちるように倒れたのである。


「はっ、狭間先生!?」

「ちょっ……え、だ、大丈夫!?」


 慌てて声をかける二人だが、狭間の反応は無い。呼吸こそしているものの、その意識は完全に失われていた。


「危ない……ところだった……二人とも……」


 そしてその背後に立っていた一人の少女が、持っていたモノをさっと後ろ手に隠してブイサインをしてみせる。


「瑠花ちゃん!?」

「瑠花! お前、一体何を――……お前今、後ろに何を隠した」

「……魔法の、ステッキ……?」


 ちょこんと小首をかしげる少女――瑠花に、涼子は深々とため息をついた。


「出せ」

「……えー。危ないところ……助けた……のに……」

「三度目は無い。出せ」

「……はぁい」


 瑠花はしぶしぶと後ろ手に隠した、いわくの魔法のステッキを涼子に手渡す。それに涼子は見覚えがあった。

 学校で行った防犯訓練時に、招いた警官が持ってきていた、警棒型の大型スタンガンだ。しかもご丁寧に改造された形跡まである。


「いかづちのつえー……」

「……改造したのか」

「……インド象も……一殺イチコロデス……」


 再度ブイサインをする瑠花に、涼子はつかれたように額を抑えると、拳を振りかぶる。


「ここは学校じゃないから遠慮はしないぞ」

「うぅ……助けた……のに……」


 ごがんっ! と教室で落ちるそれよりもはるかに大きな音が公園内に響いて、瑠花は涙目で頭を抑えてしゃがみこんだ。


「痛い……」

「当たり前だ、痛くしたんだから……って、こんな事をしている場合じゃない!」


 受け取った警棒型のスタンガンを地面で踏みつぶした涼子は、そのまま狭間の傍らに屈んだ。


「ああ……高かった……私の七時間……」

「その時間を勉強に使えとあれほど……んっ、意外と重いな、狭間先生」

「おお、さっすが涼子姉! ちっから持ちぃ!」


 涼子は言葉とは裏腹に軽々と狭間の身体を肩にかつぐと、そのまま踵を返す。


「行くぞ、瑠花、響」

「……連れてくの……?」


 その行動に、なぜか瑠花は不満げだった。涼子が苛立った様子で振り返る。


「当たり前だ、こんな場所に置いて行けるわけがない」

「……置いて……行った方が……いい……と思うけど……」

「できる訳がないだろう! 馬鹿なこと言ってないでさっさと行くぞ!」

「うん、わかった!」


 そしてそのまま走りだす涼子と響。

 その後ろ姿に、瑠花は小さくため息をついてあとを追った。





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