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其之肆



 国語科準備室で、B組と、もう一つのクラスであるA組のテストを採点して職員室へと戻ってきた狭間にもたらされたのは、全く予想していなかったイベントの誘いだった。


「歓迎会、ですか」

「うむ」


 それを持ってきたのは、井関という教師だった。小柄で優しげな風貌と、刈り上げた禿頭が何ともアンバランスな四十代の男である。


「金松先生から聞いていると思うが、今日の夜、君の歓迎会を行う。大丈夫かね?」

「えと、予定の方は、今のところ今日は部屋の片づけだけなので大丈夫ですし……それはありがたいんですけど……」


 これは本当だった。急な任務のため、狭間は殆ど着の身着のままでこの町に用意されたセーフハウスにやってきていた。

 機材など任務に必要な物は今日の午後に搬入されて、最低限の設置はされているはずだったが、それ以外の生活用品などの支給品の紐解きや片付けは狭間自身がやらなくてはならない。


 とはいえそれをやらねば明日の服にも困るほど急ぎの話ではなく、むしろただの一般人としてこの街に溶け込むためならば歓迎会などは願っても無いことだった。

 でも、と狭間は怪訝そうな表情を浮かべて小首をかしげる。


「普通そういう飲み会って、あの、週末とかにするんじゃないんですか? 今日は水曜日ですけど……」

「うむ、その疑問はもっともだ」


 井関が頷くと、職員室の電灯の光が反射して狭間の目を刺した。


「君も知っているように、今この町は少々おかしなことになっている。あの化物やロボットの事だがね」

「……それが何か、歓迎会に影響しているんですか?」

「ああ、そうだとも。今後いつ、ああいったものが出てくるかわからない。つまりいつ、この学校も休校になるかもわからないわけだ。まだ国の方からは避難命令も出ていないが、それもいつ出るかもわからん。つまり最悪、私たちは明日にもこの町を離れねばならんかもしれん訳でな。であるならば、できるうちにやっておこう、となったわけだ。質問はあるかね?」

「いえ、そう言う事なら納得しました」


 政府が避難命令を出さないのは、実際に今この町に、ひいては日本に何が起こっているのかを把握していないからだった。

 何せ今のところ確認されているのは、あの力士のような形状の黒いのっぺりとした巨大物体で、しかも被害こそ出ているものの実際は歩いていただけ。明確な破壊活動を行った訳ではないのだ。

 しかも巨大怪物は出現した直後にあの巨大人型ロボットにより倒されている。


 今現在政府が把握しているのは、それらに加えてその巨大人型ロボットと何らかの関わりがあるとみられる女性三人のみだった。

 それ以外は何がどう危険で、どうすれば安全なのかも、そもそも危険があるのかどうか自体が全く不明なのである。これでは下手に動く事もできはしない。

 まあ、全長四十メートルや六十メートルの巨大物体やロボットに普通に街中を闊歩されては、安全も何もあったわけではないのだが。


「えと、それじゃあどういう動きをすればいいでしょうか」

「ふむ、金松先生から聞いていないのかね?」

「え、ええ……」


 ちなみに涼子とは午前中の一件がよほど尾を引いているのか、あれから一度も会話ができていなかった。指導計画などの相談のためと話しかけても、顔を赤くして仕事だなんだと理由をつけて逃げていくのである。

 現に今も、狭間が職員室に入ってくると、すぐに席を立って何処かへ行ったきり戻ってこない。

 トイレかとも思ったが、それからもう二十分ほどたっている。さすがに長すぎるだろう。

 反応から推察するに、自身の正体がばれたとは思えないものの、瑠花の言葉も気になった。しかしまさか本当に照れているだけかとも考えづらく、狭間としても判断に迷っているところである。


 そういった意味でも、井関の言う歓迎会は渡りに船だった。何せその主役は狭間だ、その指導を担当する人間が逃げるはずもないだろう。


「ふむ。彼女にしては珍しいが……」


 顎に手をやりながら井関はぼやいた。


「まあ、そんなこともあるか。……君の歓迎会は今夜の七時からだ。駅前の飲み屋で席をとっている。明日も仕事だから二次会は無いがね。場所がわからんだろうから、六時半ごろに職員室にいてくれれば私が案内しよう」

「……すいません、お願いします。あと……ありがとうございます」

「はっはっは、何、我々も騒ぎたいのさ。先日のあの騒ぎで我々もそれなりに参っていてね、こうして明るく騒げる機会を探していたのさ」


 教師と言っても我々だって人間だからね、と井関はいたずらっぽく笑って言った。



 ○



 井関に案内されたのは小ぢんまりとした居酒屋だった。

 名宝高校の教職員二十人弱全員がなんとか入れる程度の大きさの店で、座敷もあるものの、全員が座るには少々狭いようにも見える。


「あーっ、先生たちだー!」


 しかし店がどうとかというよりも、狭間の度肝を抜いたのは、名宝高校の制服の上にエプロンを着用している店員がいたことだった。

 その仕草一つ一つから発される明るさと、燃えるような赤髪のポニーテールを持つ少女など、名宝高校には一人しかいない。


「不知火!?」

「いらっしゃい、先生たち!」


 にかっ、と満面の笑顔で出迎える響に声をかけつつ、教員たちは店内に入って行く。

 響はそれらに一つ一つ元気よく返事していくと、自身のクラスの副担任の姿に気付いたのか、少し目を丸くして狭間へと駆け寄ってきた。


「今日はもしかして、狭間先生の歓迎会だったりするの?」

「あ、ああ、ありがたい事にそうだけど……って、そうじゃない、お前こんなところで何しているんだ!?」

「何って……」


 響はむん、と腰に手を当てて胸を張る。


「見ての通りバイトですよ!」

「バイトって……バイトは禁止されていなかったはずだけど、だからといって未成年がこんな場所で……」


 如何わしい雰囲気こそ無いが、それでもこの地域は駅前の繁華街。少し歩けば未成年の教育上よろしくないような店も複数存在している。

 そんな場所で生徒がバイトをするというのは、先生としては少々見過ごせない事のはずだ――と。

 そう考えての狭間の台詞だったが、反論は意外な場所から飛んできた。


「ああ、いいんだ、狭間先生」

「い、井関先生?」


 振り返った狭間の視界に入ったのは、月明かりを反射する禿頭――井関の頭部であった。


「その件については既に話がついているんだ、不知火さんと金松先生との間でね。彼女は不知火さんの保護者でもあるから。それに……」


 井関は苦笑を浮かべ、声をひそめて続けた。


「……君は彼女のクラスの副担任でもあるからもうわかっていると思うが、彼女は少々真直ぐすぎるだろう? 美徳ではあるが、そういう子どもに対して上から押さえつけるような事をしてしまってはかえって反発してしまう。であるなら、目の届く場所に置いておいた方がいいだろう、という判断でね。幸い此処は、うちの学校の卒業生がやっている店でもある」


 そう言って井関がカウンター席の向かい側の調理場の方へと視線を送ると、狭間と同年代らしき白衣を着た男がぺこりと会釈してきた。

 夏の日差しに焼けたのだろう、健康的な日焼けをしている青年だった。


「まあ、他にも色々と理由があるのだが――断ってしまえば、むしろ生徒の成長の妨げになると我々は判断した。上から押さえつけるだけが教育ではない、そのあたりも、教師であるなら知っておかなくてはね」


 ぽん、と狭間の肩を叩いて、井関が店内へと入って行く。狭間はそのまましばらく叩かれた箇所を見て、そして肩をすくめると店内へと入った。



 ○



「はい、狭間先生。これ突き出し」

「ああ、ありがとう」


 狭間が席につくと、その前に響が小鉢を出してくる。中身は魚の煮物だった。


「ここのお料理はおいしいんですよ! しかも海が近いからお魚は新鮮ですし! 例え昨日のお刺身用のお魚の残りでも!」

「うん、最後のは余計だぞー、後輩」


 ぬっ、と調理場の方から腕が伸びてきて、響にアイアンクローを極めた。


「あんぎゃぁーッ!?」

「……」


 またもちょっと少女があげてはいけない類の悲鳴を上げつつ、じたばたとアイアンクローから逃げ出そうとする響だが、店内に溢れかえっているはずの教師たちは一人も助けに入らない。

 この光景もまた日常茶飯事なんだろうなぁ、と若干遠い目をしつつ、狭間はなんか血管がびきびきと浮き上がり始めた腕の持ち主に会釈する。


「どうも……今日はよろしくお願いします」

「はい、腕によりをかけて作らせてもらいますよ、えっと……狭間先生」

「ん? 僕の名前を……ああ、不知火さんですか」


 青年は笑って頷いた。


「ええ、これといって特徴のない普通の先生がやってきたと」

「……注文、握力追加で」

「はい。握力は無料になってますよー」

「ふんぎゃあああああああああっ!?」


 なんかすぐ横でミシミシといい始めているが狭間は軽く無視した。


「僕は如月琢磨といいます。見ての通りここの店主をやっています……よろしくお願いしますね」

「ええ、美味しければ贔屓にさせてもらいますよ」

「はは、それは頑張らなければ。さあ、響ちゃん、お仕事だよー」


 気がつけばぐったりと脱力している響を片腕で持ちあげて無理やり立たせると、如月は料理とドリンクが入っているグラスやジョッキを載せた大きめのお盆を響に渡す。


「はい、これ盛り合わせとお酒。出してきてね」

「うぅ……はぁい……酷い……」

「狭間先生は飲み物、何にします?」

「ああ、ウーロン茶でお願いします。酒、弱いので……」


 若干涙目になりつつ、しかし素直に頷いてお盆を受け取った響は、そのまま踵を返し座敷の方へと移動していく。


「いい娘でしょう」


 狭間がその背中をぼぅっと眺めていると、ドリンクの準備をしていた如月がぽつりと言った。狭間は小さく笑って頷く。


「ええ。純粋というかなんというか……今時、本当に珍しい娘ですね。今日初めて見た時はどうしたものかと思いましたけど……まあ、なんとかやれそうです」

「手をかけると思いますが、あの娘の事、よろしくお願いします。……先生が言ったように、本当はこんな場所で働くよりも、もっと有意義に過ごせる場所があるはずなんですが……彼女、一度言いだしたら聞かなくて」

「そう卑下する事は無いですよ」


 狭間は、座敷の上で既にでき上がり始めている教師たちの間で笑顔を浮かべながらちょこまかと動きまわる響を眺めながら言った。


「不知火さん、はた目から見ても凄く愉しそうだ。なら、それが有意義な時間で無いはずがない、でしょう?」


 視界の先で足場に困った響が壁を走って移動し始め、いい加減にしないかッ、と涼子が雷と共に拳骨を落とす。

 突込みどころが満載の光景ではあったが、誰も何も言わないあたりこれも日常の風景なのだろう、そう自身に暗示をかけつつ狭間は続ける。


「それに、普通は教師って自分の生徒が働いている店には中々来ないんですよ。特に酒を出す場所には。だって、威厳があるでしょう? なのにあの人たちは来ている……。それだけ、ここがいい場所なんだって事なんでしょう。……正直、そんな場所で働ける不知火さんが羨ましい」


 自身でも驚くほどに優しい声色だった。


 だというのに表情を保っていられたのは、それが演技でもなんでもなく本心からの言葉である事がわかったからだ。まだ自分にそんな感情が残っていた事にこそ、狭間は驚きを感じたほどである。


「……ふふ」

「どうしました?」


 背後からの笑い声に、狭間は意識して表情を変えて、振り返った。照れくさそうに笑う如月が、ウーロン茶の入ったジョッキを差し出してくる。


「あの娘の野生の勘を欺ける人がいるなんて、驚きだな、って」

「……どういう意味です?」

「さぁ?」


 内心まずったか、と冷や汗を流す狭間に一つ肩をすくめると、如月は料理の盛り付けに戻った。


「改めて、あの娘の事、よろしくお願いしますね。きっと今、あの娘に一番力になってやれるのは貴方のような人ですから」

「……意味が、わかりかねますが。まあ、副担任である以上、できる限り生徒の力にはなりますよ」

「ええ、お願いします」


 温和な笑顔を浮かべて、如月は頷いて、


「そう言えば……」


 そしてふと、座敷から聞こえてくる喧騒に顔を上げる。


「今日は新任の方の歓迎会と聞いていたのですが……思いっきり口実だったようですねぇ。あの先生方もお変わりないようで安心しました」

「……」


 その言葉に、店に入った時点ですでに座敷に空きが無くなっていたため、一人さびしくカウンター席にあぶれてしまった狭間は苦笑を浮かべることしかできなかった。


(歓迎会だっていうのにその主役を思いっきりハブるとか……ありえねぇぞおい)


 そんな離れ業をやってのけられる教師陣がいる学校だからこそ、もしかしたらあんな絶滅危惧種のような生徒たちが育っていくのかもしれないなぁ、と狭間はうろんげな目をしながらウーロン茶を一気に飲み干した。



 しばらくして出された刺身の盛り付けは、少し多めに盛られていたように見えた。でも、ちょっとしょっぱかった。






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