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其之弐



 九月も半ばに差し掛かろうという時期だった。

 窓の外では、依然変わらない真夏並みの暑さが海辺の街を覆っているが、しょっちゅう故障する冷房が今日は珍しくうなりをあげているため、教室内は比較的快適さが保たれていた。

 それだけでも中々に珍しい状況であったが、教室内の空気はさらに珍しい物を見るかのような空気で包まれていた。

 その原因は、黒板に向かい慣れない手つきでチョークを走らせる一人の青年だった。


「――さて」


 狭間大地。黒板にそう縦書きして、青年が振り返る。

 歳は二十半ばを過ぎたあたりだろうか。染めていない真黒の頭髪と、がっしりはしていないがそれなりに肉づきのよい体躯。容姿も優れているわけではないが、悪感情を抱くほどのものでもない。

 あえて特徴をと言うなら身長が百八十センチと背が高いことぐらいだろうが、このクラスの担任教師とほぼ同程度――担任教師がヒールを履けば軽く逆転してしまう程度の差であるため、生徒たちには目を引く要素とはならなかった。

 よく言えば一般的、悪く言えば平平凡凡。狭間大地いと言う青年は、そんな第一印象を抱かせる男だった。


「はじめまして」


 柔らかな笑みを浮かべながら、教壇の上から教室をぐるりと見回し、狭間は口を開いた。


「時期外れだけど、今日から君達と一緒に勉強する事になった狭間大地だ。金松先生が言っていたように、立場は副担任。教科は古文を担当する事になる。大学で専攻していたのは民俗学と考古学のちょうど中間あたりでね、マニアックな話もできるから、興味があれば聞きに来てくれると嬉しいよ。それと、その土地の民間伝承なんかも集めるのは好きだから、何かあったら教えてほしい。これから、よろしく」


 まばらにおこる拍手にぺこりと頭を下げて、狭間は教室内を観察する。


 教室の空気自体少し硬いものはあるが、それは突然の異物に驚いているだけだろう。こればかりは普通の反応なので、専門の訓練を積んでいる狭間にもどうしようもない。それを考慮すれば、最初の立ち位置としてはむしろ申し分はなかった。逆にこれが最初から歓迎のムードであれば、むしろ狭間はさらに警戒の度合いを強めていたはずだ。


 とはいえ、いつまでもこのような空気にしておいていいわけでもない。

 狭間は教室の後ろの引き戸の傍らに立っている長身の女性を見やる。

 格好良くスーツを着こなし、茶色がかった頭髪をアップに纏めている女性は、厚めの眼鏡の位置を直しながら、小さく頷いた。狭間も頷き返して、改めて生徒たちを見る。


「さて……ショートホームルームの時間はまだあるし、自己紹介もこれだけじゃ味気ないしな?」


 いたずらっぽく笑って、狭間は言った。


「幸い、次の授業は僕の古文だ。最初は君達の学力を見る為に小テストをするつもりだから時間は余るし、その分質問の時間にしようか」


 小テスト、の箇所で悲鳴のような声が教室のそこかしこでわき上がるが、狭間は気にせずに手を叩く。


「さて、何かあるかな? ……無かったらそのまま小テスト行くよ?」

「脅しッスか!?」

「いや、だって、誰も僕に興味持ってくれないと寂しいじゃないか。何かあるかい?」


 いっそ清々しいように演じてやると、教室のちょうど真ん中あたりに座る男子生徒ががっくりと肩を落とした。


「うぅ、ここで俺っちが立ち上がらないと空気読めてねー奴みたいじゃないッスか」


 そう言いつつも立ち上がった少年の顔は、何処か楽しそうな色がある。


 ――県立明宝高等学校。山と海に挟まれた町、名宝市の唯一の県立高校だ。


 一応市とはなっているが、実際名宝市の規模は町や村よりの人口が示す通りの小さな町だ。そのため高校生の数も相応に少なく、一クラス三十人程度の学級が一学年に二つしか設けられていない。

 高校に在籍する生徒数も、三学年どころか教職員を合わせてどうにか二百人を超える程度。

 狭間にしてみれば三十分あれば全ての人間の顔と名前を一致させられる人数だ。


 そのため本来は名簿を確認する必要はないのだが、しかしいきなり名前を呼んでは怪しまれる事になる。狭間は名簿に目を落とし、名前を確認するふりをしてから、立ち上がった少年の名を呼んだ。


「えっと、矢笠君、だね」


「ウィッス!」


 学校指定の詰襟の制服を着崩した、よく日に焼けた生徒だ。頭髪こそ染めていないが、お調子者の雰囲気は十分に漂わせている。初めに当てる生徒としては、この上ない人材だろう。

 狭間は幸運に感謝しつつ、矢笠の質問を待った。


「んじゃあ先生、質問ッス!」


「何かな?」


「彼女はいますか? あとあっちの経験とか事細かに教えてくださいッス!」


 ぐっ、と握りこんだ人差し指と中指の間に親指を挟み込んだ、なかなかに古いハンドサインを用いて身を乗り出す矢笠に、狭間は冷静に言った。


「はい、次ー」


「ってちょっとォ!? 何で流すんスか!? そっちがなんか聞いてくれって言ったんじゃないっすか!?」


「先生ノリ悪―い!」


 オーバーリアクションで叫ぶ矢笠に、ついづ意するかのような声も教室内に上がる。

 狭間は苦虫をかみつぶしたような表情を作って、反論する。


「うるさいな。最近振られたばっかりなんだよ。まだ古傷にすらなってないんだ、抉らないでくれ」


 思春期の少年少女だ、こんな質問は当然予想はついていた。

 狭間はムキになった風を装いながら釘をさしておくが、思春期の興味はこの程度では止まらないらしい。矢笠少年はさらにたたみかけてくる。


「んじゃ、っつーことは先生今フリーなんスよね? ねね、先生、うちのクラスで彼女にするのなら――」


「言っただろ、振られたばっかりだって。今はちょっと考えられないよ。それにほら、金松先生がそろそろ怖くなってきた、程ほどにしておこうか」


「うっ」


 狭間がそう言うと、矢笠少年は表情をひきつらせて、教室の後ろに振り返る。

 そこに立っているのは、このクラスの正担任であり、狭間の指導教官でもある、金松涼子である。

 背の高い女性だった。資料を読む限りでは、身長は日本人女性の平均を大きく超えた百七十六センチだというが、姿勢が良いためかそれ以上に大きく見える。切れ目の瞳と相まって、厳格な雰囲気を感じさせる教師だった。


「う、うす……」


 その厳しさは余程身にしみているのか、矢笠少年はぶるりと身体を震わして、静かに着席した。


 狭間は苦笑を浮かべながら、次に手を挙げた女子生徒を当てる。


「はい、次……えっと、永瀬さん、でいいのかな。どうぞ」


「はいはいっ、んじゃあ――」


 永瀬と呼ばれた女生徒が、元気よく立ち上がる。


「先生、一昨日の事件についてどう思いますか?」


 来たか、と口の中で呟き、狭間は用意していた答えを口にした。


「一昨日の事件というと……あのネットに上がっていた映像かな? あの怪獣映画かロボットアニメみたいな」


 狭間が上司に紅の鎧武者と巨大物体の戦闘映像を見せられたのは、昨日の事だ。その時点ではまだ、世間にこの情報は流れていなかった。

 しかし想定外の事態というものは起こるものだ。狭間が今まで遂行してきた任務にも数多く起こったそれは、今回も最悪のタイミングで起こってしまった。


 狭間が任務を言い渡されてから数分――まるで見計らったかのようなタイミングで、紅の鎧武者と巨大物体の戦闘映像がインターネットの動画投稿サイトにアップされたのである。


 映像自体は鎧武者が合体し、着地したあたりからのものだった。それも狭間が見たものとは別角度のもので、画質自体もそれほどよくは無い。

 それでも、見る者が見れば実際に現実の出来事であるとわかる程度には映されており、狭間は最悪のケースを想定して動かねばならなかった。


 さらに問題だったのは、その映像の出所がわからない事だった。

 アップされた動画投稿サイトは会員制で、投稿するにも閲覧するにもまず個人情報を入力せねばならない。

 ましてネットにつなげた以上、その痕跡も残っていてしかるべきはずだった。


 だというのに、映像をネットに投稿した人物を、特定する事が不可能だったのである。


 結局、狭間と上司の男ができたのは、各方面に対する情報規制ぐらいだった。

 幸いだったのは、現在のCG技術が、優れているものなら現実とも見紛うレベルにまで達していた事だった。

 おかげでそれほど労せず、ネット上に投稿された映像が、ただの偽物であるという流れに持っていけたのだ。


 とはいえ、それで騙せるのは民間人までである事など、狭間やその上司は誰よりも理解している。

 まして、その当の土地の人間は、実際にその光景を目撃していてもおかしくないし、何よりその戦闘の跡は未だこの町に残っている。

 表向きは地震被害となっており、自衛隊の部隊が町の各所で復興支援に当たっている。

 ただ、その跡は地震によるものではない事など明白で、狭間自身何も知らなくても疑問を抱く程度はしただろう。

 そしてそれと、ネットに投稿された映像を繋げたに違いない。

 ならばいっそ、と、狭間は戸惑いを顔に貼りつけて、質問をしてきた少女に答える。


「正直……今も信じられないなぁ。最初はアニメかなにかのPVかなと思っていたぐらいだし。だけど学校に来る前までにも自衛隊をたくさん見たし、まさか本当なのかい?」


 狭間が聞き返すと、殆どの生徒が頷いて、口々にその時の光景を語り始める。それらをどうにかしずめて、狭間は戸惑った表情のまま口を開いた。


「はは……何というか、うん、コメントに困るね。ただもし、また現れてしまったらと思うと少し怖いかな? いくら日本が技術立国だって言っても、あんな巨大物体や巨大ロボットを相手にできるかわからないし……それこそ、ゲームやアニメの世界だね。あのロボットが、僕らの味方である事を願うばかりだよ」


 そこまで狭間が漏らした時だった。


「大丈夫ですよ!」


 ばん、と机に手をついて、教室の窓際最後尾に座る女生徒が勢いよく立ちあがったのである。


 日本人では珍しい、燃えるような紅の長髪をポニーテールにした、見るからに活発そうな雰囲気を放つ少女だ。左頬に貼られているバンドエイドが逆に彼女の魅力を引き立てている。

 彼女も事前に資料で確認していた。確か、名は――


(――不知火響……)


 何事かと教室中の人間が彼女に注目する中、涼子が額に手を当て、響のすぐ隣の席に座っているもの静かな少女が、僅かに頬を緩ませる。


(なるほど、『チーム仲』は悪くなさそうだな……)


 視界の端でそれらを確認しつつ、狭間は立ち上がった響の名を名簿で慌てて確認して見せる。


「えっと……不知火さん、か。その、大丈夫ってどういう事?」


「言うまでも無いですよ、あのロボットはこの街を護ってくれた、ボクたちの味方です! これからもずっと、この街を護ってくれますよ、だから先生も安心してください!」


 えっへん、と腰に手を当て、高校一年生という年齢ではそれなりに大きめに膨らんでいる胸をはりながら響は言った。その言葉には自信が満ち溢れていて、狭間が何も知らなければ思わず納得してしまっていたかもしれなかった。


「はは……そうだね、うん、安心しておくとするよ」


 だから狭間も戸惑いつつ納得した風を装った。主体性の弱い男なら、まあ、納得しているととれる態度だ。


「むーっ! ダメですよ先生―っ!」


 しかしその『戸惑いつつ』の部分が響には気に入らなかったらしい。

 頬を膨らませて、手をついた机から乗り出すようにして狭間にくってかかる。


「男なんですから、もっとこう、はっきりと、ぐぁっ、っと、じゃっきーん、っと!」


 ばんばんと机を叩きつつ狭間を指差した腕をぶんぶんと振る響。

 何というか、扱いにくそうな娘だなぁ、と半ば本心から表情をひきつらせつつ響を見ていると、その背後につかつかと歩み寄る人影に気付いた。


 暴走を始めた少女に深々とため息をついた担任教諭、金松涼子である。


「不知火」

「へ?」


 後ろからの声に振り返った響が見たのは、握り拳を振り上げる涼子の姿だった。ひくっ、と響の顔が引きつる。


「いい加減黙らんか」

「ぐへっ!?」


 ごがんっ、と拳が振り下ろされて、ちょっと女性があげてはいけない類の悲鳴を上げた響が、べぎっ、と顔から机の上に突っ込んだ。

 そのままピクリともしない響の頭を、隣に座っている少女が無表情に撫でている。


(……普通に体罰じゃね、あれ?)


 教育的指導とは言っているが、やった事は体罰以外の何物でもなかった。 

 色んな意味で、教育委員会が頭を抱えそうな状況である。

 しかしそんな事など意にも介さないように、涼子はじろりと狭間へと視線を移した。


「狭間先生」

「はっ、はひっ!」


 少し厚めの三角メガネは、涼子の切れ目の瞳をさらにきつく見せていた。隊でも様々な強面を相手にしてきた狭間でも、一瞬びくりとしてしまう程の威圧である。


「続けてください」

「は、はいっ、ようし、次行くぞー!」


 びしっ、と背筋を伸ばしながら、狭間は教室の空気を変えるようにぱん、と手を叩いた。

 もっとも、このクラスでは先ほどのやりとりが日常茶飯事なのか、さほど空気は悪くはなっていなかったが。



 ○



 そうして数人の生徒の質問に答え、時間も一時間目に差し掛かって十分ほどが経過した頃だった。狭間はこれが最後だよ、と前置きをして、一人の女生徒を当てた。


「それじゃあ……水城さん」

「はい」


 立ち上がったのは、響の隣の席に座っていた少女だった。青みがかったボブカットの小柄な少女で、ともすれば中学生か少し背の高めの小学生ともとられてしまうかもしれない。

 ただ、何処を見ているかもわからない無機質な瞳と、感情が読み取れない仮面の様な無表情が、そうした幼さを打ち消している。


「水城瑠花……です。先生に……質問が……」


 その声もまた無感情なものだった。よく通る声なのも合わさって、何処か硬質な印象を受ける少女である。


「うん、何かな」


 狭間が問いかけると、瑠花はじぃっと狭間を見据え、ゆっくりと口を開いた。


「先生は……『S』ですか……?」


「へ?」


 狭間が素っ頓狂な声を上げ、教室中がしん、と静まった。しかし数秒後にはどっと堰を切ったように騒がしくなる。

 無表情な美少女の何ともアレな問いかけは、思春期の少年少女には思いのほかツボに入ってしまったのだろう。担任である涼子も、普段の少女からはありえない質問に、目を白黒とさせているほどだ。


「え、えっと……」


 狭間はどう答えたものかと目線をさまよわせる。その目が涼子とバッチリと合い、わかっていますね、というようなアイコンタクトを送られた。

 狭間はこれで行くかと内心で涼子に謝りながら、苦笑を表情に貼りつける。


「そ、そうだね……僕はどちらかっていうとMかな……? だから指導教諭の金松先生には是非とも色々厳しくしてもらえたら嬉しいなぁ、なんて」

「なぁぁぁ――――っっ!?」


 涼子が頬どころか顔中をかぁっと紅潮させ真っ赤になると同時に、教室中がさらにどっと沸いた。

 隣の教室で保健の授業をしていた体育教師が怒鳴りこんできたのは、それから数秒後だった。




あと一話投稿します。

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