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 不知火家の中は酷い熱気だった。当然だ、今やその大部分が炎に包まれている。

 分厚い耐火服を着込んだ消防士ですら、酷い火事現場に突入する時には死を覚悟するというのだ。ならば今この場所は、耐火服すら着ずに入り込んでいる人間が生きていられる環境ではありえないのは自明の理だった。

「よくもまあ、こんな場所に逃げ込んだものだよ……」

 自分の事など棚に上げて、狭間は毒づいた。

 視界は殆どがオレンジ色に包まれている。吹きつける熱気は肌を焼き、着ていた服は井戸水を被ってはいたものの、水気などほんの数分で蒸発してしまった。やけどが刻まれる狭間の身体に引っ掛かっているぼろきれは、もう最低限の要所を隠す程度でしかなかった。

 足元に最大限の気を配りながら歩を進める。木造の家だ。熱気で耐久度は極端に下がっている。下手に体重をかけて踏み抜いてしまえば、それだけで死ぬ危険性は高くなる。

 狭間は薄氷の上を渡るかのような、永遠と綱渡りをするかのような感覚――ふとそう考えて、狭間はその両方を訓練でしたな、と笑みを浮かべる。

 そして、大丈夫だとも。まだ笑える。笑えるのなら、自分はまだ死んでいない。

 大丈夫――まだ、生きている。

「驚きました、まさか追ってくるとは」

 何処からか声が響いてくる。反響、炎の音、そう言った雑音に紛れて出元がわからない。狭間は集中力をさらに高めて、その出元を探る。

「追わざるをえないさ。今のあんたが余所の組織にでも逃げ込まれれば、それだけでこの国には致命的になる。確保するか、ここで殺すか。二つに一つなんだよ」

「怖いですね。何が貴方をそこまでさせるんですか? まさか仕事だからだとは言えないでしょう。何せ命をかけるんだ、安っぽい仕事などという理由で、できるはずが無い」

「残念ながら、そのまさかだよ」

 狭間は笑って言った。手の中の銃把の熱が、じりじりと上昇していく。技研でカスタムされた長年の相棒は、まだ何とかこの悪環境でも使えるようだが、それももう長くは無い。

「……ふざけた事を」

「ふざけてなんかいないさ」

 如月の声にいらだちが混じり始めている。彼もまた好きなものがある。それを護るために戦っているのだ。だからこそ狭間の言葉が嘘ではないと理解できる。それが――とても、いらだたしい。

「俺は勘違いしていた。俺の仕事は、自衛官の仕事は、国民の生命と安全を護ることだ、ってな。生活やらなんやらは、警察の仕事なんだって、無意識にそう住み分けを作ってた。まあ、実際そうでもしなきゃやってられないんだよなこの仕事。生活まで手を伸ばそうとすると、とんでもなく仕事量が跳ね上がっちまうんだから。好きなアニメすら見られねぇ、よくよく考えればこの十日間、アニメ見てねぇよ俺、はは、これでますます死ねなくなった」

「――ふざけ」

「言ったろ、ふざけてなんかいないってな」

 気管が焼けつかないよう、呼吸に気をつけながら、襖を蹴り破る。かつて響に膨大な量の料理をふるまわれた和室は、その光景を変貌させていた。その視界の隅に音も無く走る人影に向かって、狭間は引き金を引く。

「くっ……」

 しかし常ならばコンマ一秒単位でつけられる狙いが定まらない。この熱気による脱水症状と、今も流れ続ける失血による血圧の低下で、狭間の意識はもうろうとし始めていた。

「その様子では、そちらももう限界でしょう。追ってきたのは驚きましたが、死にに来た様なものですね」

 また何処からか、如月の声が届いてくる。狭間はとりあえず人影が走っていった方向に銃を撃つが、当たった様子は無かった。

「その状態でよくもまあ、動けるものです」

「当然だよ。俺だって、大切なものぐらい――あるって、思えたんだ」

 狭間は鼻で笑って、和室から出る。ここから先はこの家の住人の部屋と僅かな空き部屋、道場に繋がる渡り廊下があったはずだ。

「大切なもの? 貴方に?」

 聞こえてきたのは、嘲るような口調だった。

「私にはわかりますよ。貴方はただの臆病者だ。父だ。お家の役目を逃げ道として、ずっと逃げ続けてきた父と同じですよ、同じ匂いがするんですよ貴方からは」

「……」

 狭間は無言で、扉を蹴破った。その衝撃で床がきしみ、狭間は体勢を崩してしまう。

「そんな貴方が大切なものなどと……虫唾が走るっ!」

 ひゅ、と狭間の耳元を風が通り過ぎた。炎の壁に、黒光りするくないが吸い込まれていく。体勢を崩していなければ、アレは今頃己の後頭部に刺さっていたのだろう。

「ち――!」

 狭間は振り向きざまに銃を撃つが、そこにはも火の粉が散るだけで、何も無い。鉄板のような熱気を放つ壁に身を寄せて、狭間は慎重に気配を探った。肉が焼け始めるが、動きはする。腱でも斬られ、動けなくなるよりははるかにマシだ。

「はは、感情を初めて出してきたな、如月さんよ! まるで不知火さんと話している時みたいじゃないか!」

 無理やりにテンションを上げて、大声を張り上げる。体力を消耗するが、同時に脳内麻薬の分泌が促進されて、煙が立ち込め始めた脳裏が晴れ渡っていく。

 脳内麻薬はもろ刃の剣だ。訓練でも、絶対に頼るなと厳しく教えられているし、狭間もこの仕事について数年間、一度もそれに頼った事は無かった。

 しかし、この場においてはこれが最適だった。体力の消耗も激しく、失血は未だ止まらない。近くの炎で焼こうかとも考えたが、そんな隙を見せればすぐにクナイが飛んでくるに違いなかった。

「空元気ですか。いよいよ限界も近いようですね」

「そうでもないぜ。凄いね、人間。脳内麻薬ぶっぱでまだまだ動ける」

「錯覚ですよ、それは」

 カン! と狭間が身を寄せていた壁の向こう側にクナイが刺さった。狭間は身をひるがえして部屋から飛び出ると、廊下の角に消えようとする如月に向かって発砲する。

「いい加減捕まってもらえないかな! 俺もまだまだ死にたくないんだよ!」

「残念ながらそうはいきません。私は彼女たちを解放しなくてはならない。それが私の――大人としての責任だ!」

「大人としての責任? 違うだろう、それは」

 銃弾は当たらず、立てかけてあった時計を破壊するに留まった。落下した衝撃で、仕掛けのハトが中から飛び出てくる。

「何……!?」

「大人としての責任ってのは、前に進もうとするガキの背中を押してやるって事なんだとよ! お前がそそのかした井関先生はそう言っていたぞ!」

「だが彼は失敗した! この町に戻ってきた涼子ちゃんが、それの証明だ!」

 狭間は駆けざまに飛び出て来たハトを掴みばねごと時計を持ちあげると、それを振りまわすようにして投擲する。黒の光が閃いて、クナイが掛け時計に突き刺さった。

「それはあの人の責任じゃない! 言うなら金松涼子の責任だ!」

「きさ――!?」

「そうだろう!? 彼女は早い段階で自分が異質であると気付いていた! なのにそのまま力を振るったんだ。自分の異質に酔いしれて、挫折したんだ。世間さまにはな、挫折なんてものはいくらでも転がってるんだ。だからこそ――この町に戻ってきたんだろう、あの人は! 自分なりの大人としての責任を、きちんと取るために!」

 子どもたちの未来を護りたい。この町を、自分を受け入れてくれる町を護りたい――。

 優しげな表情で、そう言った涼子に、狭間は何も言えなかった。それが何より尊い思いだと、そう理解しているからだった。

「あんたはただそれを放棄しただけだ! 相手の気持ちを鑑みずに、自分の考えだけを押し付けて――俺にはよっぽど、あんたの方が牢獄に思えるよ!」

「何も知らずに――!」

 狭間のすぐ背後の天井が崩落する。僅かなきしみでそれを察知した狭間は、頭を抱えて前に飛んだ。

 その隙間を縫って飛来したクナイが、右肘に突き刺さる。

「づ――!?」

 すぐに再度転がり、壁に寄り掛かって刺さったクナイを引き抜く。最早右腕に感覚は無かった。狭間はまた朦朧とし始めた頭を振って、廊下の先を睨みつける。

「っ……ああ、何も知らないさ。でもな、あんたが何もしなかったって事だけはわかる。あんた言ったよな、俺とあんたの父親は同じ匂いがするってな。でも俺からすればあんたはよく俺と似てるよ。臆病もので、自分が無い。自分を殺し続けて、演じ続けてきた俺だ」

「っ……!」

 炎の向こうで、如月が息を呑んだのが、狭間にまで伝わってきた。

 狭間は今にも荒くなりそうな息を必死に抑えつけながら、続ける。

「あんたなら助けてやれたはずだろう。そんだけ凄い忍者みたいな技能持ってるんだ、諜報員としての力は俺以上なんだろうさ! そのあんたなら、水城瑠花がやっちまった裏方も、もっと上手くやれたんじゃなかったのか!?」

「それは――!」

「仮にそれができなかった理由が、家のしきたりだなんだとかいうもんだったとするんならよ、俺はあんたを軽蔑するね! だってそうならあんたは俺と同じだ! 俺にとっての任務、あんたにとってのしきたりに逃げていたんだからな!」

 自分がやらなくちゃならない。そんな思いの下、自ら裏方に入ろうとした少女、水城瑠花。

 その知謀をもってすればやってやれない事は無かったのかもしれない。そもそも、水城という家自体が、そう言った事を担当する家だったのかもしれない。

 しかし彼女はまだ少女だった。鍛え続けてきたとはいえ、未だ十も半ばの少女なのだ。――そんな少女に、押し付けたのだ。

「ッ……!」

 炎の壁が、僅かに勢いを減少させる。狭間は歯を食いしばって、全身に最後の力を巡らせる。

「だけどな、彼女は俺たちなんかとは全然違うぞ! あの娘は俺達が任務にしきたりに逃げて放棄した責任を負ったまま、やり遂げようとしたんだ! しきたりなんか関係ない、大切な家族の為にそうしたんだ! 水城の瑠花じゃない、水城瑠花個人としてな! ガキだね、ああ子どもだ! 現実そう甘くない、でもな、それでも前に進もうっていんならその後押しをしてやるのが大人だろうが!」

 グロッグを口にくわえると、感覚の無くなった右手首を掴んで、顔の前に引っ張る。それを即席の盾として、狭間はそのまま炎の壁に突っ込んだ。

「な――!?」

 炎の壁を抜けた先に、如月がいた。驚愕に目を見開いて、飛び出してきた狭間を見ている。

「おぐ――!!」

 狭間はそのまま体当たりをするように、肩から如月にぶつかった。共にもつれ合って弾き飛ばされた如月と狭間は、そのまま背後の壁を突き破って、涼子が、そして響が毎日のように修業をしていた道場へと飛び込む。

 道場にももう火の手は回り始めていた。壁際に波打つように炎がうごめき、ゆっくりとその範囲を広げていく様はまるで炎の津波だ。その熱気に眉をしかめて、身体を起こした如月は、己の体に何かがのしかかっているのに気がついた。

「捕まえた」

 そして、その額にカタカタと震える銃口が押し付けられる。血の気の無い、まるで死人のような顔。やけどと出血で真っ赤に染まった上半身。満身創痍の狭間が、しかし強い意志を宿す目で、如月を睨みつけている。

「っ……」

 如月ももがこうとするが、動けなかった。相手は半死半生の状態もいいところだった。押さえつける力も、まるで枯れ木のようだ。――だというのに、動かない。動かせない。

「この火だって、そうだよ」

 最後の力を振り絞って、狭間が言った。

「不知火響――あの娘にとって、この場所は大きな意味を持ってる。信じられるか? あんな芸術みたいな武を持ってて、誰にも褒められた事が無いんだとさ。俺が初めてだったんだとよ。ちょっと褒めただけで、あの娘は本当に嬉しそうに笑いやがるんだ。嬉しそうにするんだよ。――それだけ、あの娘は自分の武術が好きなんだ。誇っているんだ。それを、お前が奪ったんだよ」

 銃を構える余力すら無くなったのか、狭間の左腕がだらんと垂れさがった。まるで幽鬼のように顔を蒼白としながら、それでも狭間の目は死んでいない。

「なら……ならどうしろって言うんですか!? どうすればよかったと言うんですか!?」

「知るか。自分で考えろ」

「な――!?」

 狭間は、は、と笑って言った。

「俺の仕事は国民の生命を護る事だ。財産を護る事だ。……その程度はやってやるよ。それが俺の、ずっと俺を殺し続けてきた俺の、誇りなんだよ。それがあるから、俺は頑張れるんだ。だからお前みたいなやつでも、護ってやる。でもそこから先は知るか。自分で歩けボケ。ずっと近くで見てきたんだろうが。答えはすぐそこにあるだろうが」

 吐き捨てて、狭間は拳銃を持つ手を振り上げた。そして、銃把を如月のこめかみに、叩きつける。

「が――!」

「とりあえず、現行犯逮捕だな。これからの事は、おいおい考えようぜ」

 崩れ落ちた如月の懐に肩を入れ、立ち上がる。右肩からさらに出血が増し、視界が白く染まり始めていた。

 道場は殆ど火の海と化している。狭間たちが突き破ってきた入口も、もう崩れ落ちる寸前といった様子だった。狭間はこれが最後だと奮起して、震える足を動かしていく。

 景色が歪む。気圧差ではない。白く歪む。血が足りない。

 今まででも何度か経験した状態だ。それをまさか、表向き平和な日本で味わう事になるとは――狭間は思わずこみ上げてくる笑いを、堪える。笑ってエネルギーを消費してしまう訳にはいかなかった。

 道場の入り口まで、ほんの数歩だ。しかしその数歩が、凄まじく遠い。

 一歩が一歩ではなかった。ほんの数センチしか進めていない。それ以上動かせば、バランスを保てず倒れてしまう。一度倒れてしまえば、もう二度と立ち上がれないだろう。今までの経験から、狭間はそう自己分析した。

 気絶した如月の体の負担は、狭間から体力を奪い続ける。すでに歯を食いしばる感覚すら無くなりかけていた。ともすれば歯も、食いしばりすぎて砕け散っているかもしれない。そんなどうでもいい事を考えながら、それでも狭間は前に進み続けて。


 どさり、と。


 前のめりに、倒れた。




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