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煌々と夜空に炎が立ち上っていた。まるで夜闇を一色に塗りつぶさんとばかりに燃え盛る炎は、遥か昔に建てられた日本建築を燃料に、さらにその大きさを増していく。
「……」
「ッ……!」
「そん……な……」
それを茫然と、焦然と、あるいは怒りとも悲しみともつかないような表情を浮かべて、見つめる三対の目があった。三人――燃え盛る不知火邸の住人である彼女らに、しかしできる事はそれだけである。
ただただ、燃え落ちて行く様を見ていることしか、できはしない。
「……」
その三人から背後、数歩離れた距離に、狭間はいた。耳に押し当てていた携帯電話を閉じて、小さく息をつく。
「クソ……」
ついでに漏れ出てしまった声は、火花の散る音に紛れてしまう程に小さなものだった。ただ、狭間にしてみれば十分に大きな声である。無意識に出てしまった失態に内心で舌打ちをしながら、狭間は、依然勢いを増すばかりの炎を見つめる。
(……さて、どうしたものかな)
話を終え、涼子を追って目的地に辿り着いた瑠花と狭間を出迎えたのは、その半分以上が炎に包まれ、もう中に入る事もできないような状態の不知火邸だった。
幸いだったのは、響も涼子も、燃えていた家の外にいたことだった。涼子から断片的に聞き取れた情報では、すぐそこでアルバイト帰りの響と合流し、そして帰って来た時には既に火の手はあがっていたらしい。
と、するのであれば火種が産まれたのは今から多少の時間を遡った頃だろう。響はアルバイト、涼子は仕事帰りで、瑠花は狭間と共にいた。つまりは無人の邸宅からの不審火だ。
おそらく証拠など何も出ないであろうが――十中八九、焦れたどこかが暴発したのだろう。
やられた、と狭間は内心でほぞをかむ。思わずそう思わずにはいられなかった。ありえない事態ではなかった。予想もしていた。
――あったのは油断だ。昨晩暴発した何処ぞの工作員を、他の組織にも伝わる程度に派手に撃退し、捕まえた。
(……さて)
選択肢はいくつかある。現在狭間が有する権限を使えば、彼女たちを保護する事も可能だ。
ただ、それをした場合、当然デメリットも発生する。そしてそれは、見過ごすには少し大きすぎるものだった。
「……」
――護りたいんです。そう言った涼子の、はにかんだ表情が狭間の脳裏をよぎる。
「っ……!」
狭間は乱暴に頭をかきながら、首を振る。阿呆か自分は。一時の感傷に流されて、そしてこの国を戦禍に巻き込んでしまっては元も子もない。
己が属する部隊が何であろうと、その部隊が属する自衛隊の仕事は、この国の国民の安全を、生活を護る事に他ならない。自分は、それを遂行するためにこそ、汚れ仕事と分類されるような任務もこなしてきて――自分を、殺し続けてきたのだ。
今回も同じだ。自分を殺せ。狭間大地は狭間大地であって狭間大地ではないのだから。
「……」
狭間は気を落ちつけるように一つ息をつくと、未だ燃え続ける不知火本家を見続ける三人へと歩み寄る。
――そして。
「ぇ……?」
響が、弾かれたように振り返った。
「不知火、さん?」
しかし、その目は狭間を見ていない。それよりも背後、何処か遠く――海の彼方を、睨んでいる。
「響……?」
力の無い声で、涼子が尋ねる。
「……こんなときに……!」
いつもの溌剌とした響ではなかった。泣きそうな表情で、しかし歯を食いしばって耐えている――ただの、女の子。
「不知火……さん?」
「……ごめん、先生。ボク、行かなくちゃ」
ふらふらとした足取りで、響が狭間の横を抜けて行く。その腕を、思わず狭間は捕まえていた。
「……センセ、離して」
「っ……響、まさか――」
涼子が、息を呑んで響が視線を向けた空を睨みつける。瑠花も、表情こそ変化はしていないが、何処となくその雰囲気は暗い。
狭間は小さく首を横に振って、言った。
「……離すわけにはいかない。今の君を、行かせられない」
「……」
「行かなくていい。行きたくないのなら、行かなくていい」
その言葉に一番驚いていたのは、当の狭間だった。
自分の任務はこの土地で発生している事態の調査、解明である。最近になって、自身が囮となって、この町に入ってきている工作員のけん制と、強硬な手段に出た場合の排除というものも追加されてはいるが、基本的な部分は変わっていない。
しかし今の行動は、そのどれにも当てはまらない。不可抗力で発覚してしまった水城瑠花以外にも、自分の正体が発覚してしまいかねない危険な行為だった。
――だというのに、狭間は言っていた。言ってしまっていた。
後悔してももう遅い。既に言葉は出てしまった。ならば、あとはもう進むしかない。
狭間はさらに、言葉を重ねようと口を開こうとし。
「ありがとう……ごめんね、先生」
ふわり、と、狭間の身体が宙に浮いた。
「――な」
投げられた――そう理解したのは、地面に叩きつけられる寸前。
「――」
みしりと砂利道が背中に食い込んで、身体からは声程度を出す空気すら、押し出された。
狭間の口がぱくぱくと開閉し、抜け出て行った酸素を補充しようとする。しかし――それすらも、横隔膜が痙攣して上手くする事ができない。
「響っ!?」
「……涼子姉。あいつ等が来る」
「――っ、だからって!」
かろうじて意識を失わない程度に呼吸ができるが、逆にそこが性質が悪かった。
何せ、いくら苦しく痛くても、気絶できないためにそれらを全て感じ続けなければいけないのだ。常人であれば、拷問とすらも感じるかもしれない。
「ぐ……!」
――しかし狭間にとってみれば、むしろありがたかった。
「大丈夫。痛みは酷いけど、すぐに動けるように投げたから。センセ、動けるようになったら、逃げてね」
泣き笑いのような表情で、響が言った。その背後で、瑠花も珍しく表情を浮かべていた。ただしそれはポジティブな表情ではない。絶望したような、信じたものに裏切られたような、そんな表情。
「……行こ……う……」
「……ああ」
ぽつりとつぶやかれた瑠花の言葉に、涼子も力無く頷いた。狭間の状態を手早くチェックして、表面上は毅然と装い立ち上がる。しかし、握りしめられたその手からは、血が滴り落ちていた。
――このまま、行かせられない。
三人の姿が、最悪の姿を幻視させる。行かせてはいけない。狭間大地の奥底で、誰かがそう叫んでいる。
痛みには慣れているし、意識の混濁も見られない。逆に痛みではっきりとしているぐらいだ。
狭間は息を荒く小刻みにして、全身の筋肉を総動員してようやく、首を起こす事に成功する。
その視線の先では、響たちの背中がゆっくりと遠ざかろうとしていた。狭間は力一杯に歯を食いしばって、右手を自身の胸に叩きつける。
「――!」
めぎ、と横隔膜の真上に振り下ろされた拳は、瞬間的にではあるが痙攣する横隔膜を正常に戻した。がは、食いしばった口を開いて肺一杯に空気を吸い込み、狭間は声の限りで叫んだ。
「――不知火さん! 金松っ先生……水城さん! 大っ、丈夫! 帰るっ……場所はある! 無ければ作るっ! ――ここで、待ってる!!」
それが、限界だった。
全身から力が抜けて、狭間は砂利道に倒れ込んだ。
故に――響たちの様子を、確認する事ももうできない。
それでも、何故か狭間には確信があった。大丈夫だと。必ず、彼女たちはここに戻ってくると。
それを裏付けるかのように、遠くから、声が届いてくる。
「センセー! ボクね、この町が大好き! ボクが戦うのは、強制されてじゃないよ! だから、大丈夫! 頑張るから――頑張れるからっ、待ってて!」
狭間は感傷的になった自分に、脂汗と共に苦笑を浮かべて、そしてゆっくりと息を整える。
光の柱が立ち上ったのは、それから一分ほどしてからの事だった。