ジュラルミンと非常口4
と、その時。
俺は猛烈な違和感を覚えた。
なんだろう、五感が突如ねじ曲げられ、ひねられ、刻まれていくような、今までに感じたことがないようなものだった。立ちくらみを極端に強くしたようなものと言えばわかりやすいだろうか。
「ちょっと……モト、どう……」
マユの声が急速に遠ざかっていく。平衡感覚どころか、まともな視覚すらなくなってしまった俺は、わけのわからないまま宇宙に放り出されるような感覚に陥った。
次第に意識が薄くなっていく……。
「おやおや、こりゃまた珍しいお客さんだね」
気がつくと、俺は暗闇の中に立っていた。
前には、ボサボサの髪の眼鏡をかけたやせ細った男と、その奥に豪奢な藤色のワンピースを着た女がいた。
男は、ヨレヨレのワイシャツを着ていて、色の薄いチノパンをズボン吊りで留めていた。その顔は、侮蔑に満ちあふれた軽薄で残忍な笑顔で武装されている。
「ここは……」
「どこでもないよ。あのね、君、やりすぎ」
男はニヤニヤしながら俺に近づき、親しげに肩を叩きながらそう言った。
「あんたはいったい……」
「ああ、そうだったそうだった。しばらく人が来なかったからね、名前を名乗るのを忘れていたよ」
男は相変わらず薄気味の悪い笑みを浮かべながら、俺の前に向き直り、
「僕の名前はね、膝浦速雄っていうんだ。ここじゃあ意味がないけど、一応名探偵っていう仕事をやってたんだ」
と言った。
名探偵というのは優れた探偵につく称号であって職業ではないような気がするが、ここでそうツッコむのは野暮というものだろう。
「で、あそこにいるのはね、」
と膝浦は奥の女性をさして、
「御厨智子さんだ」
と言った。
自己紹介をされたはいいが、正直俺は何が起こったのか全くわかっていなかった。一体俺はどうなったのか。マユは無事なのだろうか。転生の順序はうまく入れ替わったのだろうか。
謎と心配が俺の脳裏をかけ巡った。
「速雄くん、幾らなんでもその紹介の仕方は雑、というか、お粗末と云う他ないわね。と云うのも、そこにいる彼――形容が難しいのだけれど、とりあえず来木元さんということにしようかしら――は、自分が何故してここにいるのか、はたまた、自分が一体何を作為ようとしていたのか、全く判っていないのだから」
奥から妙齢の女性の声が甘く響いた。
「ああ、そう言われてみれば、確かにそうだった。まったく、凡人でもなんでもないのに、説明しなきゃいけないってのは、ちいとめんどくさいんだけどね……」
膝浦は、ふああ、とあくびをした。
「あの、一体何がどうなっているんでしょう?」
俺はようやく今の気持ちを口にした。いや、ようやく口にすることができた、と言ったほうが正しいのだろうが。
「うん、まあね、簡単に言うと、君が余計なことをしてくれちゃったせいで、お互いつながるはずのなかった平行世界が、全部因果をもっちゃったってことなんだよ。わかるかな?」
膝浦の言葉はいちいち鼻につくし、言っていることもさっぱりわからない。
「その顔はまだわかってないって顔だね」
そしてこいつ、洞察力が異常に高い。さすが名探偵を自称するだけのことはある。
「いろいろ説明すると長くなるから大事な部分ははしょるんだけど、君の平行世界を知覚する能力ってのは、実はかなーりイレギュラーなんだよね。特に、同位体、つまり平行世界間においての同一人物の記憶を総て持ってるなんてのは激やばタイヘン丸なんですよ。そーれがよりによってかわいい女の子にそそのかされて因果律をぶち壊すたあ、いい度胸してるよねほんと。で、本来ぶっ壊れるはずのない因果律がね、壊れちゃったわけよ。そんで、まあ、なんつうのかな、世界が非常ブレーキをかけたみたいに休止してるっつう、わけ」
膝浦はそう言って肩をすくめた。
何がなんだかよくわからないが、とにかく、本来起きるはずのないようなとんでもないことを起こしてしまったのは事実なのだろう。
「だいたい合ってるよね智子さん?」
「概ね。五分くらいは」
「五分って、それ五パーセントじゃないすかーやだー」
「まあ、それくらいね。でも、彼に選択させられるだけの情報は与えられたでしょうね」
御厨智子は、そう言って俺の方を向いて微笑んだ。
それはひどく残忍な笑みだった。
「選択?」
「そう」
俺の問いに、御厨はひどくあっさりと答えた。
「貴方には、二つの非常口のうちの一つを選ぶ権利があり、どちらか一つだけを必ず選択しなければならないという義務がある。それがどのような結末に向かおうとも、それは貴方自身が極める事象よ」
御厨がそう告げた途端、彼女の両脇に二つの非常口が現れた。どちらの非常口も、ジュラルミン製の扉でかたく閉ざされている。
「右は、混沌。貴方が本来進もうとしていた、因果律の崩壊した世界。左は、秩序。貴方が本来在るべきはずの、因果律の完成した世界」
御厨智子は、依然として冷徹な微笑みを崩さない。
「どちらも、貴方が今までいた世界とは祖を同じくしているものの、全く異なる世界。どちらに進んでも、案外変わらないかもしれないわね」
俺は立ち尽くした。どうすればいいのだろう。
「決められない? まあ、そりゃ今まではみんな、道が一本だったからね、仕方がないよ。でもね、どっちを選ぼうが、本当は大して関係がないんだ」
膝浦が、僕に近づいてそう言った。
「なぜかというと、この世界は……」
そして膝浦は僕の耳元に口を近づけると、
「おとぎ話でしか、ないからだよ」
と言った。
次の瞬間僕は、ジュラルミンの、冷たく軽い扉を開けはなっていた。またも強烈な五感のゆらぎを感じる。
そこに不思議と、後悔はなかった。
好きに書かせてもらいました。
あとは頼んだ(クソ
4年 ひざのうらはやお