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1 出発しましょう

 はじめまして、もしくは、こんにちは、月見 呆一です。

 今までのモノと異なり現代もの、物語は一人称形式で進みます。長さは、一応中編程度の予定となっています。

 残酷な描写はできるかぎりしないつもりですが、死人が出てくるので予防措置としてタグを付けさせていただきました。以上、内容についてとなります。

 それでは、私の新しく始めます物語、お楽しみいただければ幸いです。

「今日の現場、出る(、、)ぞ」


 そう言われた俺は、至って常識的な対応をした。まじまじと先輩の横顔を見つめたのだ。それは、あまりに唐突な一言だった。


出る(、、)?」


 オウム返しに俺は聞いた。聞きかれたその先輩はその日に焼けた顔を、ぶんぶん縦に振っている。そして手に持っていた最後の立ち入り禁止の看板を、乱暴に荷台に積み込んだ。

 俺は首を傾げ、先輩にもう一度聞いた。


「何が出るって言うんです?」


 まっとうな質問だ。出るといわれて、何がと聞く。どこまでも普通の会話だ。それなのに、聞かれた先輩は、針にでも刺されたようにビクッと肩を震わせた。こわごわとした、固い表情で俺を見る。


「オマエ…! そんなの、決まってるだろうが…」


 愕然とする先輩。衝撃映像で、目の前に信じられないことが起きた。そんな連中と、全く同じ表情を浮かべている。俺は内心でため息をついた。

 決まってなんかいないだろう。

 俺は胸の内で先輩にツっこんだ。そう、決まってなんかいないのだ。言わなかったのは、一応、相手が先輩だから。たぶん別の奴だったら、普通に口に出していた。実際、土建屋の仕事なんてやっていると、いろいろなモノが出てくる。

 今日の仕事は基礎工事。つまりは穴掘りだ。水道管、ガス管、電話線に下水管。下手をすると、地下鉄なんてものを掘り起こしてしまう可能性だってある。何が出てくるかなんて、わからない。

 今日の現場は、住宅街のど真ん中だ。間違っても地下鉄なんてものはないだろう。しかし、何か出てくるのなら注意しないといけない。前は別の会社が遺跡なんてものを掘り起こしたそうだし、このあいだは不発弾なんて物騒なモノがニュースになっていた。不発弾なんてものを掘り起こしたことはないが、下手に掘り起こそうものなら、ドカンと派手にいってしまうだろう。それくらい穴掘り仕事というのは危険なのだ。知りすぎて困るということはない。

 俺が話の先を促すように沈黙していると、先輩がきょろきょろしながら顔を寄せてきた。俺がいぶかしげにそれを見ていると、耳を貸せとジェスチャーで伝えてくる。正直言って、気持ち悪い。しかし、聞かないことには話が進まない。俺は仕方なく言うとおりにした。

 耳に息ががかるほどに口を寄せてきた先輩は、ぼそぼそと言った。


「幽霊だよ」

 

 先輩はそう言って、それが現れるかのようにキョトキョトとあたりを見回す。怯えているあまり、顔色まで悪くなっている。あまりにおびえた表情で、思わず気の毒になるぐらいだ。それを見た俺は、一つため息をついた。できる限り、精いっぱい優しい声をかけることにしよう。


「…そうですか」


 俺はきびすを返して、トラックの運転席に向かった。背中の後ろで、先輩があわてたように声を上げる。


「ちょ、ちょっとっ…」


 俺はそれに構わず、ドアを開けて乗り込んだ。今日は残念なことに運転の当番なのだ。シートベルトを締め、いつものように反抗してくるクラッチを力任せに踏みつけると、入れっぱなしのキーを回す。エンジンに火をいれた後は、急いでヒーターを入れる。どういうわけかこのタイミングでやらないと、うまく動いてくれないのだ。そうなるといつまでたっても、オンボロトラックの車内は寒いままになってしまう。 作業着のうえにコートを着こんでいても、それぐらいではまだまだ寒い。十二月の寒さを追いだすには、早めの対処が不可欠なのだ。現場に着く前に凍えてしまっては仕事にならない。万全のコンディションを整えるのも、運転当番の大事な仕事だ。

 俺がそんな大事な出発作業を進めていると、あわてたように先輩が助手席に乗り込んできた。そして、相変わらずのやかましさを発揮する。


「ちょっと、田山(たやま)! おまえ、聞いてんのかよ!」


「聞いてますよ。忘れ物、ありませんよね?」


「ああ…、って、おい!」


 俺は構わずに、ドアを閉めるよう先輩に催促する。ブツブツとつぶやきながら、それでも先輩はドアを閉めた。さすがに仕事の時間に遅れるのはまずい。下っ端仕事は、いつでも大変なのだ。

 香川(かがわ)さんに手を振って軽く挨拶を済ませると、俺はコキコキと首を鳴らした。何というか、仕事の前の儀式のようなモノで、特に意味はない。

 しっかりと周りを確認した後、俺はギアをバックに入れ、クラッチを緩めながら、オンボロトラックのアクセルを踏みこんだ。足の感覚がなくなったように踏みごたえのないアクセルで、やたら押し返してくるクラッチとの調整がむずかしい。この調整作業は現場に到着する前の、最初の難関といってもいい。今まで一人、死人を出したくらいには難しい作業だ。ここからしばらくは緊張の連続になる。

 そんなことならトラックを買いかえればいいだろうと思うかもしれないが、われらが太陽建設のお財布に、買い替えられるような余裕はない。今日も―――そしておそらく来年も―――トラックは、元気にガタピシ言っている。

 壁に二回も突っ込んだといういわくつきトラックを操り、せまい倉庫からソロリソロリと出していく。おまけにバックで出さないといけないので、ハンドルを操り足さばきをしながら、周りの確認もしないといけない。とにもかくにも慎重さが必要になる、神経を使う大仕事だ。だから大人しくしてくれればいいモノを、先輩が腕をじたばたさせ始めた。


「ちょっと、田山! お前、俺の話聞いてんのかよ!」


「聞いてますから、おとなしくしててくださいよ。ぶつけるでしょう?」


「そんなのはどうでも良い! いや、良くないが、お前、幽霊だぞ?」


「社長に怒られますよ?」


 俺はめんどくさいぞという目で、先輩の方を見てやった。別に先輩を見ていたわけではない。その後ろ、倉庫からの出口の所に、めんどくさい塀があるのだ。前後左右の確認は、運転のとき大事になる。


「そんなことより俺の話を聞け。なあ、聞けって…」


「聞いてますから、おとなしく話してくださいよ。…はい、どうぞ」


 俺は無事にトラックを出し終えた。街中なのに閑散とした道路の上でギアを入れ替え、トラックを発進させる。俺はスピードに合わせてシフトレバーをを繰りながら、安全運転(制限速度が四十キロなのでトロい)で、のんびりトラックを走らせる。ここから目的地まではしばらく一本道で、俺もしばらくは一息つける。先輩がブツブツこぼしているが、まあ、どうでもいい。とにかく話の先を促して、機嫌を直してもらうのが先決だ。それに何かあるなら聞いておかないといけない。俺はできる限りの温かみを言葉に込めて言った。せっかくの親切のつもりだったのに、なぜか先輩のおびえたような目がこちらを見つめる。


「…なあ、お前って、俺のこと、嫌いか?」


「そんなワケないでしょう?」


 まったく、失礼な先輩だ。俺は心外だという意志を、視線だけで伝えてやった。先輩のおびえ具合がひどくなった気がしたが、まあ、どうでもいい。


「そうか、そうだよな…」


「そうですよ。被害妄想に浸らないでください。ウザいんで」


「…お前やっぱり嫌いか?」


「だから、違うって言ってるでしょう?」


 実際、違うのだ。俺はこの先輩、新島(にいじま)さんを、悪く思ったことなど一度もない。ただ、ウザいだけだなのだ。これは朝に鳴く鶏をとがめられないのと同じだ。習性としてやかましい動物を、悪く思いようもないではないか? そうだろう? 

 そしてそのウザい先輩は、なぜか俺に嫌われていると思い込んでいるらしい。今も隣で、顔におびえの色を浮かべて縮こまり、何かブツブツ言っている。こういうところが面倒くさいのだ。俺は堂々巡りになりそうな話題から、先輩の考えをそらすことにした。


「…で、幽霊がどうしたんですか?」


 赤信号。会社の近く、駅前のハナマル商店街。そこの、いつも引っ掛かる交差点だ。ここを抜ければしばらくは信号もないのだが、いつ通りかかっても足止めを食らわされる。俺はブレーキとクラッチペダルを一緒に踏みつけながら、先輩の話題に乗ってやる。さっきからブツブツと言っていた先輩は、まるで仏にでも救われたように、その表情を明るくした。そして、こんどは身を乗り出してきた。やっぱり邪魔だ。


「だから、今日の現場、幽霊が出るんだって!」


 左手でシフトレバーをニュートラルに戻し、俺はその手で先輩を助手席に押しこめた。そして怪訝な表情で、そう云い募ってくる相手を見た。この話題について話す表情は、どこまでも真剣だ。どこか、むかし家で飼っていた犬の顔に似ている。今にもその話題について裁定が下され、何らかの答えというエサが落ちてくる。そんな期待している顔だ。

 だからこそ、俺は答えた。小動物に、俺は優しい。


「…そうですか」


「だからよぉ! お前なんで、そんな白けてんだよ! 少しは食いついてきてくれよ!」


 精いっぱいの優しさを込めたつもりだったのに、なぜか先輩が泣きそうな顔になった。どうにも俺はこの先輩と意見が食い違うことが多い。まったくもって不思議だ。


「なんで食いつく必要があるんですか?」


 俺は至極冷静に質問した。横断歩道の所に立っている男が手を振ってきたので、こちらも手を振ってあいさつするぐらいには冷静だ。先輩がわめくように言った。


「だからよ! 幽霊だぞ! おばけだぞ! ポルターガイストだぞ! 怖いだろうが、普通!」


「本当にウザったいんだから…。それから先輩、ポルターガイストは幽霊じゃなくて、現象です」


「お前、今ウザったいって言ったろ! それに、そんな細っかいこと、どうでもいいだろ!」


 俺はこれ見よがしにため息をついた。全然些細でないことを指摘しただけだというのに、まったく騒がしい先輩だ。横断歩道に立っている男が、目を丸くして、こちらをじっと見つめている。ここを通る時によく見る、いつもの顔だ。

 

 しかたない。

 

 俺は先輩をじっと見つめる。ただ見つめただけなのだが、先輩の口に、一瞬のチャックがかけられる。その隙をついて、俺は懇切丁寧なお願い(、、、)をした。


「先輩? どうせ現場まで、たっぷり時間があります。そのあいだ、俺が大人しく話を聞いて上げますから、今は黙っててもらえませんか?」


 先輩は顔をひきつらせながら、コクコクと、一生懸命首を上下させた。そのままお行儀よく助手席に収まると、ひたすらに何もない、道路の先を見つめ始める。

 横断歩道に立っていた男も、しばらくはこちらをじろじろ見ていたが、何もないということが分かったのだろう。またいつものように、いつもの場所を見つめ始めた。

 信号が青になったのを確認すると、俺はブレーキを緩めた。一速にシフトレバーを押し込めて、クラッチを慎重につないでやる。


「…先輩、もう良いですよ?」


 俺はまた、トロトロとトラックを走らせた。これからしばらく信号もないが、制限速度は40キロのままなのだ。いちいち時間がかかって仕方ないが、これがわが社の社訓なのでどうしようもない。社長に進言した俺が言うのもなんだが、交通ルールを守りましょうなんてノンキな標語、よく作ったモノだ。俺はある意味、感心している。おかげで時間がかかって仕方ない。

 まわりの建物だけの風景が、乗り物と同じ速度で後ろへ遠ざかっていく。この道は一応、街のメインストリートということになっているのだが、いつ見てもまったく人気(ひとけ)がない。対向車すら一台もないのだ。ヒトは言うまでもない―――まあ、いたらいたらで厄介なのも違いないから、これはこれで良いかもしれないと、俺は人のいない道を走るたびに思っている。

 この町、「木崎町」は、とてもではないが首都圏とは呼べない場所にある。少子高齢化の波をもろにかぶり、シャッターを下ろしている店が多いのが気になる街だ。いや、気にするしかない街だ。なにせ、この商店街を見る限り、シャッターしか見えない。どこへ行っても閉店の張り紙。これで商店街なんて看板を出している神経を、俺はいつも疑っている。

 そのどこまでも広がる、錆びついた鉄のカーテンの中、俺は無言で車を走らせている。静かすぎて居心地が悪いくらいには、そう、無言なのだ。

 俺はチラリと先輩を見た。


「先輩、口あけていいですよ?」


 俺の見た先輩は、俺が黙らせたときの姿勢のまま、口を真一文字にして座っていた。息をしていないのかもしれない。顔がきれいな紫色になっていた。

 

「……」


「そんな泣きそうな顔で見なくってもいいですよ。余計にウザったいんで、さっさとしゃべってください」


「…ぷはっ」


 先輩は、思いきり車内の空気を吸い込んだ。

 往年のオンボロエンジンも、ようやく温まってきたらしい。エアコンから噴き出す暖かい空気は、酸素の足りない肺にも優しいだろう。俺はようやく温まってきた車内でハンドルをたぐりながら、先輩が必死で息を整えるのを待っていた。ぜーはーぜーは-と、荒い呼吸の音がする。

 三度目の深呼吸をしたあとで、先輩が俺を恨めしい目で見つめ、ようやく言った。


「…お前、俺のこと殺す気かよ」


「縁起でもないこと言わないでくださいよ。勝手に息をしなかったのは先輩でしょうに―――それで、幽霊がどうしたんですか?」


 その質問は先輩を驚かせる(たぐい)のモノだったらしい。怨みがましい表情が一変して、信じられないという表情(かお)になる。


「…おまえ、高梨(たかなし)のジイさんの話、聞いたことないのか?」


 その驚愕の表情を横目に見た俺は、その名前について考えた。どこかで聞いたことのある名前だったのだ。だが顔と名前が一致しないので、特定ができない。次から次へと、俺の知っている高梨たちが、頭の中で行列を作っていく。

 俺は通算して十五年以上、木崎町に住んでいる。そして十五年も同じ街に住んでいると、似たような名前がぞろぞろ出てくるようになるのだ。少なくとも俺が知っている高梨に限っても、十人以上はいる。そしてそれらの知り合いには親兄弟がいて、その親戚がいて、そんな感じにわらわらと続いていく。俺の場合はそういった連中と知りあうことが多いので、余計にそれが拍車をかける。そういう連中が出てきすぎるせいで、頭に浮かぶ顔も名前も、一つ一つが掠れてしまうのだ。

 顔と名前の洪水の中で、俺は考え込んでいた。一つだけ確かなことがあるのだが、それはあまりよろしくない記憶となっている。そして、なぜかそれだけは確信できる。確信はできるのだが、なんでそうなったかが思い出せない。妙なことをした連中なんてごまん(、、、)といる。

 俺は黙ったままトラックを走らせていた。水を向けてきた先輩はその話をするのが嫌らしく、いつまでたっても正解を言わない。それなのに、話したげにチラチラと俺の顔を見てくるのだ。やっぱりウザい。気が散って、ぜんぜん名前がでてこない。

 仕方なく、俺は無言のままトラックを走らせていった。駅前の商店街を抜け、住宅街の方まで差し掛かる。バブルの時に建てられた古い住宅街で、いまはマナーが悪くなった年寄りがかなりいることで有名な地域だ。今が昼時ということもあってか、人影は少ない。カラスたちが元気に、曜日を無視して捨てられたゴミをあさっている。そのうちの一匹などは、大きな肉の塊を丸々一つ、そのくちばしでつまみだしていた。

 そしてそんなカラスたちを見ていた俺は、ようやく、その名前を思い出した。正確に言うと、そこに積まれているごみ袋が思い出させたのだ。

 頭に浮かぶのは、ごみ袋のイメージと、悪臭、そして、わめきたてるガリガリに痩せた老人。

 俺はようやく先輩の質問に答えた。

 

「…『ゴミ屋敷』の、高梨ジイさんですか?」


 俺はその家や、細かい話の内容まで思い出すことができた―――それに関する逸話から、その末路まで。

 先輩がようやく思い出したかといわんばかりに、大きくうなずいた。


「そうだよ。その高梨のジイさんの土地だった所が、今日俺たちが行く現場だ」


「結構な金持だったんですよね? 住んでる家が、家だったけど…」


 俺はその有名な惨状を、今も色濃く思い浮かべることができた。一時期、ゴミ屋敷というのがワイドショーで話題になったときがあったろう? 家じゅうにゴミ袋が山積みにされ、足の踏み場どころか、ヒトの入る隙間もないような家。あれこそがまさに、ジイさんの「巣」だった。

 そう、「巣」だったのだ。

 俺はおもわず首を振った。途中でガードレールがひしゃげて、道路に飛び出しているところがあったが、ハンドルをいじって器用によける。ハンドルを操り損ねるようなヘマはしないが、思わずそういうリアクションをとりたくなるような記憶だった。


「あのジイさんの土地、ねぇ…?」


「そうなんだよ。ほらな、なんか、いかにもだろう?」


 先輩はコワゴワとした様子で話をするが、俺は何の感慨も感じない。出るなら出るで、良いじゃないか?


「そうですか?」


 それがそのまま口を突いて出た。


「そうですか、じゃ、ねぇよ!」


 信じられない。そう言わんばかりに目を見開いた先輩が、じっと俺を睨んでくる。しかし、それは間違いだ。信じられないわけじゃない。


「わかりました、わかりました。何か出るんですね?」


「お前全然信じてねえだろう! いいか、あそこで工事をやりだすと、絶対に不幸が…!」


「信じてますから、落ち着いてください。運転してるんですから」


 今にも掴みかからんばかりに興奮している先輩を、俺はまた静かに見つめて黙らせる。この長い一本道は厄介なのだ。俺はそうやって先輩を落ち着かせながら、ちらりとトラックのサイドミラーを見た。後ろを確認しておかなければならなかったからだ。そしてそこに移っているモノを確認した途端、いつものような嫌な気分に襲われる。これもまた、いつものことだ。

 クルマの横に取り付けられたサイドミラーには、たった今横を通り過ぎて行った景色が、逆向きに映し出されてしかるべきだ。それだけであるべきだし、普通はそうなっているはずだ。

 しかし、残念ながら俺の短い人生で、そういう普通の光景が映ったことは一度もない。いまも一つ、常識にそぐわないものが映っている。たとえば、さっき横断歩道にいた男の、青白い顔などがそれ(、、)だ。

 

 ほら見ろ。


 俺は、小さく、意味もなくため息をついた。ため息をついても、男の顔は消えてくれない。横断歩道のところで、普通の人間のように突っ立っていた格好のまま、男はトラックの後ろにぴたりとついてくる。手も足も、表情すらも動かさず、いまにもこぼれそうなほどに血走った目で、ひたすらに俺たちの方を見つめている。いつものことだが、厄介なモノに憑かれた(、、、、)

 

 仕方ない。


 俺はミラーを睨みつけながら、覚悟を決める。そして俺がミラーから目を離さなかったからだろう、後ろから先輩の心細そうな声が聞こえた。

 

「なあ、おい、話、聞いてるのか?」


「ええ、聞いてますよ?」


 そう言って、俺は精いっぱいの楽しげな表情を先輩に向けてやる。おそらく、俺ができるであろう最大限の努力の結晶だ。俺の今の顔を見た途端、先輩の表情が明るくなる。


「聞いてくれるのか?」


「当たり前じゃないですかぁ!」


 高校時代に鍛えた変わり身の速さで、精いっぱいのノリのいい声をあげる。いかにも楽しいですというアピールに、先輩の肩までたたいてやる。鏡の向こうで、それ(、、)が動揺する気配がした。気配を探りつつ、先輩のペースで話を進めてやる。最近あった明るいニュース、先輩の兄弟に子供が生まれた話や、最近先輩がハマっているというアイドルなんて言う話題について、できるかぎり楽しげに声を上げる。突然の話題転換は、大抵の人なら戸惑うところかもしれない。しかし、これを何なく乗り切って見せるところが、この先輩のすごいところなのだ。人はその美徳を、単純という名前で呼ぶ。

 俺たちは陽気に騒ぎながら、ようやく、次の信号までトラックはたどり着いた。俺がクラッチを切りながらミラーを見ると、それ(、、)がすごすごと、背中を見せて遠ざかっていくところだった。車を停止線の所でぴたりと止め、俺は小さくため息をつく。

 いかにして、自分が姪からオジさんと呼ばれるにいたったのかについて熱弁をふるっていた先輩が、怪訝な顔をした。


「おい、どうした?」


「…いえ、先輩は平和だなと思っただけですよ」


「んん?」


 俺の唐突な一言に、のんきな先輩は首を傾げる。俺はその声を聞きながら、ガードレールに座っている女に手を振った。女は透き通るようなきれいな笑顔で、こちらに向かって手を振り返してくれる。きっとこれは、はたから人が見れば、誰もがうらやむような光景に違いない。実際、彼女は俺の理想だ。実際に、彼女は透明感のある美人なのだ。透明過ぎて、体の向こう側(、、、、、、)まで透けている(、、、、、、、)こと(、、)さえ気にしなければ、いい目の保養になる。俺は気にしないタイプの人間なので、いつもありがたく、そのお姿を見させてもらっているのだ。

 彼女は鈴子(れいこ)さんといって、この辺りを縄張りにしている地縛霊(、、、)だ。さっきの奴の縄張りはここで終わり。ここからしばらくは安心して運転することができる。さっき思わず出たため息は、安堵のせいだ。

 先輩が心配そうな声をかけてくる。


「なあ、おまえさ、ときどき手を振る癖、なんとかしたほうがいいぞ? 倉庫でもやってたし。で、俺の姪っ子なんだがな―――」


「そうですね…」


 俺はぼーっと鈴子さんを見ながら返事をした。鈴子さんは今日も、朗らかな顔で笑っている。足元には花束が置かれていて、そのおかげで今日も実に健やからしい。何度か言葉も交わしたが、彼女は性格がいいのだ。一応、”昇天”までの約束は取り付けてあるから、あとは放っておいても大丈夫だろう。まさに、他の連中(、、、、)もこうであってくれという、俺の願望そのものだ。

 

「おまえ、何をぼーっとしてんだよ。ここに来るといっつもそうだぞ? おまえんち、神社なんだから、そういうのされるとなんかありそうで怖いんだぞ? やっぱりあれか、ここの道のせいなのか?」


「そうですね…」


 さっき追いかけてきた奴も、こうであってくれればいいのだが、いかんせん、あいつには名前が無い(、、、、、)。おかげで話しかけようにもどうしようもないモノだから、結局あのまま放っておくしかないのだ。


「…おまえさ、俺の話聞いてる?」


「そうですね…」


 ここまでの道は、街の中で”おばけロード”で通っている。もちろんおばけが出そうなくらい寂れているが、別にそういう意味ではない。単純に事故が多いのだ。ガードレールがひしゃげていた様子だと昨日も一件あったようで、二日に一度は何かしら起こる。もちろん原因はあの名無し男なのだが、今のところ打てる手はすべて打ってしまっている。仕方なく俺がときどきお供えをしてやっているが、効果があった(ためし)がない。

 

「なあ、聞いて、くれてる?」


「そうですね…」


 いずれ何とかしなければいけないが、それはいま(、、)ではないだろう。今向かっているのは高梨ジイさんの土地であり、そこには何かウワサになるようなモノがあるらしい。そして、そういう場合は、大抵、面倒な何かがいる(、、)

 俺は、今度は憂鬱な気分でため息をついた。この先のことまで考えると、どうにもこうにも気が重い。信号が青になったのを確認すると、俺はブレーキを緩めた。


「で、先輩、どうしたんです?」


 さっきから妙に静かだった。陰気な幽霊たちは、明るい場所には近寄りたがらない。ここから先の地縛霊たちは大人しいが、他に面倒なのがいくつかいる。明るい雰囲気はそのまま幽霊よけになるので、もうしばらく先輩には楽しくしてもらい、幽霊よけになってほしいところだ。俺自身はイヤな労力を使わされるが、その方が面倒が少なくて済む。だからせっかく労力の消費先になってもらおうとしたのに、その先輩はぐったりと助手席のドアに寄りかかっていた。


「どうかしましたか?」


「…お前、やっぱり俺のこと嫌いだろ?」


 俺は首を傾げた。いきなり何を言うのか?

 このとき、俺のこと嫌いかという質問がなされ、無意識にそれにうなずいていたことに気づいていなかった俺は、不思議に思う以外のことができなかったのだ。

 やはり、どうしても、俺は先輩と意見が食い違うらしい。

 互いに納得のできない俺たちを乗せたオンボロトラックは、のんきに冬の寒空の下を走っていた。



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