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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第三章 『再来の王都』
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第三章5  『約束の果たされるとき』



 ――ナツキ・スバルの心臓の高鳴りは今や危険域にまで達しようとしていた。


 拍動の早さは痛みすら錯覚させ、その鼓動の音量は制限が利かない。下手をすればこの騒がしい雑踏の中ですら、一際飛び抜けて音高く響いている気がする。


 露天の立ち並ぶ大通りは相変わらずの盛況ぶりで、行き交う人波の勢いは以前と遜色がない。多種多様な人種が入り乱れ、髪の色の奇抜さもあって見た目はかなり華やかな彩りに満たされている。


 元の世界では無個性の世界に埋没してしまいかねない頭髪――この世界では珍しいらしい黒い髪は、ざっと見渡す限り見当たらない。

 目立つ髪色で多いのはやはり金色、次点で白や青が続き、極々数を減らして緑や桃色などもちらほら見つかる。――その中に、銀色の輝きもやはり見当たらない。


 つまるところ、現状のスバルは雑踏の中でも非常に目立つ状態でいるわけだ。

 物珍しい黒と銀色の髪の二人、おまけにその二人が、


「あのさ、エミリアたん……色々と複雑なんだけど、これやっぱやめね?」


 スバルは隣にご機嫌伺いの笑みを浮かべ、冷や汗をかいたままそう提案する。

 『これ』と示して持ち上げた、しっかり握られた二人の手を横目に。


 人込みの中を手を繋いで歩いている二人。傍から見れば仲睦まじいカップルであり、スバル自身も普段ならば役得と鼻の穴をふくらませるところなのだが、


「絶対にダーメ! どうせスバルのことだから、人が目を離した隙におかしなことするに決まってるわ。王都にいる間、単独行動は絶対に許しません。おわかり?」


「竜車でのバカは悪かったって! 超反省してるよ! 海よりも辛く、山よりもダイナミックに! でもでも、このままだと俺の心労がマッハでヤバい!」


 信用ゼロの瞳に撃ち落とされて、スバルは握った手を上下に振りながら懇願する。

 こうして今も彼女と手を結んでいるという事実だけで、心臓は爆発寸前だ。緊張感に関節の各部がしくしく痛み、掌が滂沱と汗にまみれていないか不安で仕方がない。


 ――竜車での『スバル途中下車未遂』が発生した直後、意識をなくしていたスバルは柔らかな膝の感触に守られながら目を覚ました。


 すぐ真上にあった膝の持ち主――ロズワールの誰得な優しさに唾を吐きかけ、それからスバルは事情を把握。落下しかけたスバルをレムがモーニングスターで回収した(高速移動中の竜車からの正確な技量に驚嘆。言外に賞賛を求める彼女を命拾いの分まで盛大に褒め称えた)こと。回収したスバルをロズワールが介抱し、その間のエミリアの機嫌が急降下で下がったこと。目を覚ましたスバルに対し、エミリアが「そこ、正座」から始まる長い長いお説教があったこと。

 そしてなにより――、


「いっぺん加護の対象から外れると、その後も加護の中に含まれないってのが厄介だったわな。あのスピードと揺れの中で一時間半……胃の中身、全部出たぜ」


 出発前に厨房に立ち寄り、こっそり行ったマヨチュッチュの成果が全部出た。

 その後もエミリアのお説教の内容の大半が頭に入らないほどの乗り心地を味わい、自分の行動の責任をまさにしっかり自覚した結果に。

 そうしてほとんどグロッキー状態に陥ったスバル。なにを言われても「いえすふぉーりんらぶ」としか答えられない彼に対して、竜車に乗るメンバーが定めたお約束事――それが、現在のスバルの状態に表れている。


「俺の軽率さが切っ掛けなのは重々承知してっから保護者同伴は納得なんだけど……せめーて、このお手々繋ぎだけは勘弁願いたいかなって」


「ふーん、そういうこと言うんだ。村ででーとしようなんて言ってたときは、あんなに一生懸命繋ぎたがってたくせに」


 ひたすらに平身低頭なスバルに興が乗ってきたのか、まるでこちらの反応を楽しむかのようなエミリアのからかい口調。その数日前の一コマを差し挟まれ、スバルは「うぐぅ」とうめき声を上げ、


「違ぇんだって! あのときはこう、もっと俺の中の益荒男パワーがリンリンだったんだよ。でも今はゲージがちょちょ切れてんの、弱いの、ダメなの」


 空いている方の手で顔を覆い、スバルはこの状況を「据え膳!」と素直に受け止められない自分の弱さに歯噛みする。が、それはそれとして自省しなければならないと重く受け止めていることもまた事実。

 結果としてスバルの内心でわやくちゃであり、もう目も当てられない。


「そんなことより……」


 そんなスバルの内心の葛藤をあっさりと見切り、エミリアは雑踏を見回す。その際に空いている方の手で、被っているフードを深く被り直し、自身を周囲の認識から遠ざけることを忘れない。

 少しばかり神経質な仕草だが、用心に過ぎるということもないのだろう。なにせ彼女には一度、徽章を狙われた前例がある。場所が同じところともなれば、意識して警戒心が高まってしまうのも道理といえた。


「スバルの言ってたお店の場所、思い出せそう?」


「ここまでくればなんとか。たぶん、右でよかったかなぁと思うんだよ」


 握られたままの手から意識をそらし、無心になって手汗の危機に応じる。そのままエミリアの言葉に頷き、人垣を眺めながら記憶を揺り起こす。

 正直、似通った光景が延々と続く通りだけに、確証と呼べるほどのものはない。それでも以前に『四度』も辿った道筋だ。通りのいくらかの場所に見覚えのあるものがわかるようになると、手を引いて歩く速度にも迷いがなくなり始めた。


 記憶に従い、見慣れた店構えが近づくにつれて、スバルの手探りするような不明瞭な記憶の揺さぶりが明快になっていく。

 年季の入った店の造りはシンプルなもので、人目を惹く派手さに乏しく、一見は雑踏の中に埋没してしまいそうに見える。が、極々最近に塗り直したばかりと思われる奇抜な色の看板が存在を主張しており、結果的に通りの喧騒の印象から一部突出して浮き上がる効果をもたらしていた。


 その奇抜な看板に描かれている文字――以前のスバルには子どもの落書きにしか思えなかったそれも、イ文字が読めるようになった現在は『カドモン』と記されているのがわかる。人名かなにか、それを借りた店名なのだろう。ともあれ、


「無事、到着っと」


「ここ?」


「そ。なんだ、思ったよりもさらに感慨深いな、おい」


 店の前に辿り着き、隣で声をひそめるエミリアにスバルは頷いて応じる。

 そうして店先で顔を突き合わせる二人に、店の中で作業をしていた店主が気付いた。振り返り、こちらに視線を向けてくる男性――その顔を見たエミリアの手が、スバルの手を少しだけ強く握ったのがわかる。


 わかりやすいエミリアの反応にスバルは苦笑。確かに、初見では少しばかりインパクトの強い風貌の相手だ。彼女が身構えてしまうのも仕方のない話。

 なにせ目の前の中年の顔面、左側には額から顎にかけてまでを縦断する傷が走っており、筋骨隆々の大柄な肉体からしてもカタギの職業にはとても見えないからだ。


「ま、それでも実際は口ではやいやい言いつつも、ついつい他人の面倒を見てしまうツンデレ系スカーフェイスキャラってのを俺は知ってるけどね」


 繰り返す都度、その数は実に四回――戻るたびに顔を合わせた人物だ。だいぶ冷たくあしらわれたこともあるが、その人となりが見た目に反して善良である事実を実体験からスバルは知っていた。


 思い返せばスバルにとっての異世界の起点とは、まさに彼のことをいうのかもしれない。異世界最初の交流相手でもある彼のことを思えば、思わず心の内に震える感情がこみ上げることを誰が咎められるだろうか。


「いらっしゃい!」


 並ぶ二人を客とみなしたのか、店主の声とガラの悪い笑顔がこちらに向けられる。

 目が合った。ふいに世界から音が遮断され、時間の経過をゆっくりと肌が感じる。空間が切り取られたかのように周囲から隔絶され、スバルと店主――世界には二人だけしか残っていないような錯覚さえスバルは覚えていた。

 そして――、


「俺を、覚えていますか――?」


 震える唇から放たれた問いかけには、不安と期待が入り混じって込められている。

 スバルの言葉に店主は驚き、目を細めて記憶を探るようにこちらを凝視する。深いダークブラウンの瞳に覗き込まれ、吸い込まれてしまいそうになりながらスバルは無言で彼の言葉を待つ。


 身を固くするスバルの隣、手を繋ぐエミリアにもその緊張が伝わり、彼女もまた固唾を呑んで二人の動向を見守っていた。

 そして、店主はゆっくりとその唇を開き、言の葉を音に乗せて――、


「いや、知らん。誰だ、お前」


 あっさりと忘れ去られていたスバルだった。



※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 スバルがエミリアを伴って王都を歩いていた理由は、ひとえに彼が交わした約束を守るためというのが理由であった。

 王都に到着当初、その目的を告げて外出しようとした際には同行者総出で止められたものだが、頑としてそれを譲らないスバルに彼女らが折れた形である。


 そうした経緯を経て許可をもらい、意気揚々と飛び出そうとしたスバルであったのだが、そこに竜車の中で交わされた(嘔吐感でスバルの記憶には全くない)約束が枷となり、単独行動禁止の憂き目にあうこととなる。

 結果、エミリアを連れて――というよりは、エミリアに連れられて肩身の狭さと心臓が爆発しそうな緊張に苛まれ、約束履行イベントが実行されたというわけだ。



 それだけの心労を重ねたにも関わらず、思いがけずへし折られた感動の再会フラグを前に、スバルは腕を組んでへそを曲げている。


「こっちゃ約束守ろうって義理がたーく構えてたってのになんたる扱い! 断固、待遇の改善を要求する!」


「そんなこと言われてもよぉ、兄ちゃん」


 憤慨して頬を膨らませるアクションに、店主がげんなりとしつつ苦笑い。彼はスバルを面倒くさそうに見つめながら、


「二週間も前に、しかもちらっと話しただけだってんだろ? ぼんやりとそんなこともあったような気はするが……」


 傷跡を指でなぞりながら、店主は記憶を探るように目をつむる。思い出そうという努力をしてくれているあたり、その店主の人の良さが伝わってくるほどだが、それなりにショックを受けていたスバルはその人徳に気付けない。

 そんな自分本位状態のスバルに代わり、店主に「無理しないでください」と声をかけたのは隣のエミリアだ。

 目を開ける店主の前で居住まいを正し、その端正な眉を寄せるエミリアは声の調子を落として、


「うちの子が無理言ってごめんなさい。まさかそんな一方的な口約束だなんて思っていなくて……」


「ヘイヘイ、エミリアたん、そんなんは言い訳だぜ。男が一度、男と交わした約束だ。それがどんな条件下で交わされたもんだろうと、守るためにできる限りのことをしなくちゃ男が廃る……そう、男気のスターリングラードだよ!」


 相手がへりくだっている内にここぞとばかりに攻め立てるスバル。が、そんな彼をエミリアはじろりと睨みつけて黙らせ、それから怒ったように唇を尖らせると、


「スバルも変な高望みしないの。お店の人が一日にどれくらいの人を相手にすると思ってるの? ここは王都で、屋敷の近くの村の商店じゃないのよ?」


「おいおい、見栄張んなよ、おっちゃん。こんな顔恐い店主の店が繁盛するわけがねぇだろ……痛い痛い、ごめんちゃい!」


 無礼な発言についにエミリアのお仕置きが発動。耳をつねられて即座にギブアップを宣言するスバルに店主はいっそ感心したように吐息して、


「どんだけ失礼なガキなんだ、兄ちゃん……あ、思い出した!」


 と、ふいに彼は合点がいったと手を叩き、こちらを指差して、


「無一文の坊主だ。買い物もしないで帰りやがった、恩知らずの」


「そんときに次はリンガ買うって約束したべ? べ? べ?」


 思い出してもらえて嬉しいスバルが飛び上がり、耳をつねるエミリアの手を取ると両手を繋いでその場で踊る。慣れないステップに動揺するエミリアをエスコートしたまま迫るスバルに、店主は「そうだったそうだった」と歯を見せて笑い、


「なるほど、義理堅い話じゃねえか。それでわざわざ買いにきてくれたってわけだ。よし、その気持ちが嬉しいからおまけしちゃる。リンガひとつで銅貨二枚のところ、リンガ二十個で銅貨三十八枚でどうだ!」


「あらまあ、お得! じゃあ、二百個買ったら銅貨三百八十枚? これはゴイスー、エミリアたん!」


「二十個も買わされてる計算になっちゃうわね。あと、人前で踊らせないの、恥ずかしいじゃない」


 セールストークをかます店主に悪乗りするスバル。それを冷静に打ち落とし、踊るスバルの手をほどいてエミリアはダンスを中断。ただし、そのあとですぐに思い直したように手を繋ぎ直すあたり、やっぱり律儀な性格だった。


「ま、それはそれとしたところで、リンガは買わせてもらうとするよ。楽しみにしてたんだぜ……フライングでもう何回かすでに食べちゃったけどね!」


 なにせ前回のループのたびに、最初の朝食の席でリンガと顔を合わせる羽目になっていたのだ。避けようがなかった。

 ちなみに見た目リンゴそのままのリンガは、味もリンゴとどっこいといって差し支えない。呼び名程度の違いしかなかった。


 そんなスバルの内心は余所に、店主はリンガの詰まった木箱を運び出すと、袋を広げて準備OK。あちらは感慨など放置して、純粋に商品が売れてくれればそれでいいという商人視線にシフトしたらしい。それはそれで寂しいが、


「で、けっきょく何個買うんだ?」


「ここはでっかく十個でいこう。約束の超過分、支払いだな」


 気前のいいスバルに店主は「毎度」と笑うと、赤い果実を袋詰めにし始める。

 その間にこちらも代金の支払い準備を、と思うスバル。とりあえず手を離してもらおうと名残惜しさ(手繋ぎにだいぶ慣れてきた)を堪えてエミリアに振り向くと、ふと彼女がもぞもぞと懐を探っているのに気付いた。


「なにサイフ出そうとしてんの、エミリアたん」


 服の内から革袋を出し、中身を検めていたエミリアは、スバルのその言葉に不思議そうに小首を傾げ、


「どうしてって……お金を出さなきゃ代金が支払えないじゃない」


「違くて、エミリアたんが払おうとするのっておかしくね? 俺の買い物なんだから当然のように俺持ち……ヘイ、スカーフェイス、なんだよその目は」


 なぜか代わって支払いを断行しようとするエミリアへの抗議中、白けた瞳でスバルを見ている店主に気付いた。

 彼は「いや」と頭を掻きながら前置きし、ゆっくり首を横に振りながら、


「確かに金ができたら買いにきてくれ、って話はしたと思ったが……金持ってる女の子を連れてきて払わせる、ってのはおっちゃん感心しねえな」


「今の痴話ゲンカ見てた!? 俺は俺が払うって主張してんじゃん! してんじゃん!」


「そんなこと言ってサイフ出す素振りも見せてねえしな。女の手前、払うフリだけしとこーみたいな体面ってやつだろ」


「出遅れただけなのに悪意ある解釈! そんな奢られるの当然みたいに考えてるスイーツみたいな性悪じゃないよ、俺!」


 それはそれで偏見な意見を叫びながら、スバルは己のサイフを早々に取り出す。

 お給金――実際に支払われるのはもうしばし後日の予定ではあったが、王都への旅路の途中でロズワールの手からスバルに前払いという形で渡されたお小遣いである。それなりの金額が入っていて、さすが貴族屋敷は使用人の給金も高ぇとスバルを戦慄させたものだ。


 もっとも、実際にはその金額は魔獣の森の一件を解決に導いたスバルへの報酬も含まれており、ロズワールにとっては謝礼の一部分を支払ったに過ぎない。

 預金積立のシステムがない異世界では数字での確認はできないが、実はこっそり小金持ちになっているのが現状のスバルであった。

 ただし、本人には知らされていない形ではあるが。


「リンガ一個が銅貨二枚ってことは……十個で銀貨二枚とかでいい感じ?」


「おいおい、今の貨幣の交換比率知らねえのかよ。銀貨は今、一枚で銅貨九枚分だ」


「ってことは、銀貨二枚と銅貨二枚か。ほい」


 ぱっぱと革袋の中から貨幣を取り出し、それを店主へと手渡すスバル。それに対して店主は憮然と押し黙り、その反応を訝しみながらスバルは首を傾げる。


「どったの?」


「俺が言うのもなんだけどな。兄ちゃん、もちっと他人を疑った方がいいぞ。通貨の交換率の変動は市場の入口、そこの立て看板に書いてあんだ。それも見ないでのこのこやってきて……性質の悪い商人に食い物にされんぞ」


 素直というより危うげなものでも見るような店主の忠告。それを聞いてスバルは「ああ」と納得の頷き。

 確かにさらっと信用して代金を支払うところだった。売買に関して信用が成り立っている元の世界――それを基準に考え過ぎ、ということなのだろうか。

 屋敷の近くの村の場合、閉鎖的な人間関係すぎて騙すという発想自体が出てこないものだろうが、ここは曲がりなりにも王都。国でもっとも大きな都市だ。そういった悪意を持つものがいたとして、なんら不思議な点はない。

 つまり、


「おっちゃん、やっぱ超いい人だよなぁ」


 へらへら笑って、スバルはスカーフェイスの御仁の人柄に好意を示す。

 彼は「よせやい」と乱暴に手を振り、


「たまたまだ。わざわざしたかどうかも曖昧な約束守りにきてくれた客が、うちで買い物したあとにどっかで素寒貧にされて転がされてるなんて夢見が悪いだろうが。わかったな」


「男のツンデレ誰得ですね、わかります」


「とっととこれ持って行っちまえ! 代金はぴったりです、毎度あり!」


 前半乱暴で後半はお客様は神様精神。

 両極端な反応を小気味よく笑いながら、スバルは手渡されたリンガの袋を抱えると、エミリアの手を引いて店の前から離れる。

 長居しすぎたくらいだ。これ以上は営業妨害になるだろう。


「あんがとよ、おっちゃん。縁があったらまた会おうぜ」


「次も買い物するなら歓迎だ。せいぜい、用心深く生きろよ」


 おざなりに手を振ってこちらを追い払う仕草。

 距離が離れると次第に人波がその視界を遮り、人の好い店主の姿も見えなくなる。

 それを見届けると袋を抱え直し、スバルはふとずっと無言のエミリアを振り向き、


「あれれ、エミリアたん、どったの?」


「――――」


「そんなにお金払わせなかったの怒ってるの? いやでも、あそこは払ってもらうのって違うでしょ。そんなヒモ一直線な……待てよ? でも互いに自分のお金で相手にプレゼントを買い合うってなんか素敵じゃね? しまった! リンガはエミリアたんに買ってもらって、俺はエミリアたんになんか洒落たもの買ってあげればよかった!」


 指輪とか花束とか、と美少女ゲームやり過ぎな発想しか出ないまま頭を抱える。と、エミリアはそんなスバルに「ううん」と小さく首を横に振り、


「スバルって、計算とか早いのね」


「へ?」


「あの恐い顔の……あ、ごめんなさい。お店の人がお金の話をしたとき、さっと計算してたじゃない。私だってわかったけど、すごい早かったから」


「今の台詞の頭に本音が出てきたあたり、エミリアたんの動揺具合の深さがわかるね。でもそうか……暗算早いの意外か」


 想定外にスバルの頭が弱いと思われている、というわけではないだろう。

 これも純粋に、現代日本と異世界の教育水準の違いのお話。元の世界でも日本は暗算が早いなんて話を聞いたことがあるし、これも育ちの差といえよう。

 それを理解し、スバルは納得したように何度も頷くと、


「へへへ、俺のインテリっぷりに思わずエミリアたんも胸キュン爆発気味ときたもんだ。やっぱいつの時代でも、男は知恵と度胸を兼ね備えてなきゃダメってわけさ。これはこれは、俺なりの異世界チートきちゃったんでない!?」


 そういった事情を理解してなお、天狗にならない謙虚さを持てないのがナツキ・スバル。

 ALL自分の功績とはいえない実態を鼻高々に語り、今まさにスバルの異世界を駆け抜ける快進撃が始まる――。


「ソロバンを弾いて戦う、数学的異世界ファンタジー開幕。――貨幣価値がしょっちゅう変動する感じなの聞くとマジだるい! 心折れたよ!」


 そして打ち切り終了。ソロバンのない世界でソロバンを自作する知識もない。普及させるコミュ能力もなければ、そもそもスバルはどっちかというと文系だ。


「俺はまだまだ昇り始めてすらいないからな。この長い長いソロバン坂をよ――!」


「……スバルってホントに、すごいのかすごくないのかよくわかんない子よね」


 壮大な物語を幕開けさせて即幕を下ろしたスバルに対し、エミリアは疲れたように額に手を当ててそう嘆息。

 それから気を取り直すように首を振ると、「それじゃ」と前置きして、


「言ってた約束も果たせたわけだし、次の目的は……」


「ああ、盗品蔵だな」


 貧民街――異世界召喚初日の出来事を思い出し、スバルはそちらの方へ視線を向けながら、掌の温もりに対して握り返すアクションで気を引き、


「にしても、そこまでエミリアたんに付き合ってもらっていいの? ぶっちゃけ、チンピラ闊歩してるぐらいには治安悪いぜ。王選参加者とかマジ慎重に……」


「それを言い出したら、もうどこを歩くのにだって気が休まらないじゃない」


 今さらといえば今さらなスバルの質問にエミリアは苦笑し、それから銀髪を覆っている白いフードの端を軽く指で摘まむと、


「認識阻害の効果があるから、私の素姓は大半の人にはわからない。伊達に筆頭宮廷魔術師のお手製ってわけじゃないんだから。けっこうすごいのよ、これ」


「ロズっちのお手製か……なんか、それ聞くと急にありがたみとか薄れんな」


「こーら、そんなこと言ったらダメじゃない。って言いたいんだけどね」


 内心で同意見なのは隠し切れず、エミリアは舌を出して照れた様子。

 ふいに見せる愛らしさにスバルは不意打ちでダメージを受け、心臓が一度だけ爆発したような拍動をしたのに身をよじる。


「あーもう、E・M・エミリアたん・マジ・フェアリー!」


「はいはい、またわかんないこと言って。一緒にいたい相手じゃなくて、私が付き添いなのが不満なのはわかるけどね」


 スバルの賞賛を受け流し、エミリアはそう言って仕方なさげに笑う。

 その力のない笑みを見て、スバルは「おいおい」と首を振り、


「まーた、そーゆーこと言うんだからさー。俺はエミリアたんとデートしたいんだって何度も何度も言ってんじゃん。わかってくんねぇかなぁ」


「そうやって大事な気持ちを軽く言ってる間はうまくいかないと思うかな。ちゃんとした相手にはちゃんとした態度と、ちゃんとした言葉を選ぶこと。約束ね?」


 こちらの思惑を完全に虚飾と判断した上で、エミリアは早々に話を打ち切る。

 そうして完全に壁を作られてしまうと、それ以上に踏み込むことはスバルにはできない。なにせ、これ以上に気持ちを示そうとすると――それはもはや、思いの丈を真っ正直にぶつける以外の選択肢が出てこないからだ。


「そんなレベル高い真似、勝算も準備もなしに勢いだけでできるわけねぇ……」


 もともと、勝てない勝負はしないのがナツキ・スバル流。

 そうやって自分に言い訳をして、スバルはこの場でエミリアと向き合うことからそっと逃げた。壁を前に、迂回でも突破でもなく撤退――それがそのまま、現状のスバルとエミリアの間に横たわる壁へのスバルの態度となった。


「んじゃま、盗品蔵に向かうとして……お?」


 気を取り直すように咳払いし、改めて目的地を定めたスバルが唇を曲げる。その反応にエミリアが「なに?」と目で問いかけてくるのにスバルは、


「いや、袋の中のリンガを数えてたんだけど……十一個あるな」


 丸々大きく、真っ赤に熟した果実の数は合計で十一。

 袋に詰めたのは店主自身であり、まさか数え間違えて放り込んだ、という線は商売人としてありえないだろう。ならば、


「やっぱあのおっちゃん、超いい人すぎるな」


 ガラの悪いスカーフェイスを思い浮かべて、傾いた袋の角度を直しながら、スバルはそう言いながら笑った。

 今さっき、芽生えたばかりのもやもやが晴れていったような気がする。


 ――やっぱり、約束を果たすというのは正しく、いい選択だった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] やはりおっちゃんこそ最高の人格者
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