第十章14 『逆賊』
――『龍の眼』。
それは、スバルの脳裏に直感的に思い浮かんだ表現だった。
地竜でも水竜でも飛竜でもなく、『龍』と称される存在をお目にかかる機会はそう多くない。それでも、プレアデス監視塔のてっぺんで『神龍』ボルカニカを、ヴォラキア帝国で『雲龍』メゾレイアを目撃したスバルは、比較的『龍』経験値の多い方だろう。
だが、スバルにそう直感させたのは、その豊富な目撃体験が理由ではない。
これはもっと、生き物の本能に根差した感覚だった。
『龍』と相対したとき、感じるのだ。――生命としての、ステージの違いを。
生き物として、根本から異なる階層にある存在への畏敬の念、人はそれを問答無用で『龍』に覚える。まさに、その感覚こそが答え合わせだ。
スバルが、眼帯を外したクルシュの左目に覚えた感覚は、まさしくそれだった。
「――――」
黄金に輝き、尋常ならざる光を帯びた人非ざるものの瞳――『龍眼』とでもいうべきそれを眼窩に収めたクルシュに、スバルの心胆が震え上がる。
彼女の身に何が起きたのか。その左目は何を意味しているのか。風を封じられても剣を捨ててくれないのは何故なのか。どうしてこんなことになってしまったのか。
ままならない疑問の渦が思考を掻き回すのは、目の前の現実と向き合うことを恐れる本能的な防衛行動だったのかもしれない。
そうした形式ばった理屈を飲み下し、スバルは何とか口を開いて――、
「――ぁ」
――黄金の光を帯びた視線に、心の臓を射抜かれた気がした。
「――シャマク!!」
瞬間、動きの止まるスバルに代わり、手をかざしたベアトリスが詠唱する。
クルシュとの戦いを厭うスバルの意を汲み、彼女が選択したのは相手の意識を現実から引き剥がす陰魔法のシャマク――対象を無力化するという意味で、これ以上ないくらい優秀なそれを、スバルとは比べ物にならない錬度で展開する。
それはクルシュの頭部を包み、彼女の戦意をこの場から切り離す――はずだった。
しかし――、
「――視えているぞ」
予兆なく空間に発生した渦巻く黒い靄を、クルシュは首を傾けて悠々と躱していた。
「――っ、シャマク! シャマクシャマクシャマク!」
初撃を躱された驚きを呑み込み、ベアトリスが立て続けに黒い靄を中空に生み出す。
絶え間なく連鎖し、自分を押し包もうと迫るそれを、しかしクルシュは俊敏な身のこなしで全て回避すると、ついには魔法の出だしに剣を合わせ、術式を破壊した。
発動する前の魔法潰し。――魔法はいずれも、集めたマナに指向性を与えて初めて効果を発揮するものだから、その構成を崩せば成立しないという理屈はわかるが。
「それを実行するのは、また話が違ってくるんじゃないか!?」
言うなれば、魔法になる前の魔法を斬るという神業を披露され、声に驚嘆の色を交えたティーガが横合いからクルシュに躍りかかる。
曲刀と蹴り技、一人で同時に攻撃する器用さを発揮したティーガを迎え、剣先を躍らせるクルシュと彼との戦いが再開する。
だがそれは――、
「言ったはずだ。視えていると」
そう静かに告げるクルシュの動きが、常人目線でもはっきり変わったとわかる。
その変化は目で見るだけでなく、音で聞いても明瞭なもの――何故なら、直前までの戦いと違い、二人の戦いから消えたものがある。音だ。
鋼と鋼が打ち合い、火花を飛び散らせる剣戟、それが交わされなくなった。
ティーガの放つ剣を、蹴りを、クルシュは剣でなく、ただ身のこなしで躱す。
受けるのと躱すのと、どちらがより余裕のある立ち回りかは素人でもわかる。そして、それを可能とさせているのが――、
「――『龍の眼』」
ごくりと、スバルの喉が押し殺せない驚嘆を呑み込む。
おそらく、クルシュの動き自体の速さはそこまで変わっていない。大きく変わったのは動きの速さではなく、動き出しの早さだ。
刹那の攻防で命を応酬する戦い、その瞬間瞬間の連続から、一人だけコンマ一秒を縮める『何か』が得られたなら、そのものの優位は計り知れない。
今、クルシュがやっていることは、そのコンマ一秒を消し去ることだった。
「ぐっ……くッ!」
そのスバルの推測を後押しするように、執務室の剣戟の形勢が一気に傾く。
全身を躍動する多彩な技を繰り出すティーガ、曲がりなりにもクルシュと真っ向から斬り合えていたはずの彼の剣舞が中断させられ、防戦一方を強いられ始めていた。
攻撃の出だしは潰され、連撃の隙間に剣を差し込まれ、思うように動くことを封じられたティーガは、その涼しげだった横顔に焦りを浮かべ、かろうじて抗っている。
しかし、防御に徹しても無傷とはいかない。肩を、腿を血が滲み、ついには頬に浮かんだ一筋の傷から血が流れ、滴る血の痕跡がその苦戦を物語る。
このままでは、遠からずティーガもマクマホン邸の犠牲者に加えられる。
それは、すでにマイクロトフが取り返しのつかないことになった今、あってはならない最悪のシナリオだった。
故に――、
「おおおお――っ!!」
ティーガが剣で、ベアトリスが魔法で制圧を試みる中、吠えるスバルは腰裏から引き抜いた鞭をしならせ、そのギルティウィップの先端を風に唸らせた。
E・M・Tを使うと決断したときから、スバルの達成目標はクルシュの制圧だ。
ここまでの攻防をベアトリスたちに任せていたのも、クルシュの変化に戸惑い、呆然としていたことばかりが理由ではない。この、たった一度の奇襲のため。
剣よりも魔法よりも速く、ギルティウィップの鞭打がクルシュに迫る。
たとえ『龍眼』のカラクリがなんだろうと、見慣れない攻撃への対処は――、
「――それは、以前視ました」
「――ぉ」
瞬間、二つの衝撃に打たれ、スバルの肺から情けない息が漏れる。
一つ目の衝撃は、溜めに溜めた奇襲をあっさり防がれたことだ。クルシュはスバルの手から放たれた鞭が伸び切る前に剣を合わせ、その先端を床に叩き落とした。
この場では最速だったはずの一撃、それを易々と斬り落とされたことは驚嘆に値する。だが、二つ目の衝撃がもたらしたものと比べれば、何ほどでもない。
二つ目の衝撃、それはギルティウィップを斬り払ったクルシュの目――『龍眼』ではない、彼女本来の琥珀色の右目が孕んだ、痛切な色を目の当たりにしたことだった。
「――意味が、わからねぇ」
言葉を選ばず言えば、泣き出しそうに見えるその眼差しに、困惑しかない。
おかしな行動をしているのはクルシュの方なのに、それを取り押さえようとするスバルの方が悪者扱いされたような感覚。こちらは一度殺されてすらいるというのに、美人の涙はズルいとか、そんな次元の話ではない。
無論、言いがかりと言われればそれまでの話。
実際のクルシュは唇を結んだ無表情のまま、打ち落とした鞭の持ち手であるスバルを一瞥しただけ。――でも、何故か思った。泣きそうなんじゃないか、と。
――その涙を、止めてやる。
「――っ」
「油断を――!」
クルシュの瞳に過った感情、それに歯噛みしたスバルを余所に、受け取り方は違えど付け入る隙を見出したティーガが、獰猛な動きでシャムシールを閃かせる。
曲刀の白刃が躍り、獣牙の如く唸るそれがクルシュの細身に迫り――、
「視えていると言った!」
刹那、閃いた曲刀の軌道に合わせて身をひねり、肌に掠めるようにして剣撃を躱したクルシュが声を荒らげ、跳ね上がる膝でティーガの顎を打ち抜いていた。
「がっ」と苦鳴を上げてティーガがのけ反り、そこに次々と放たれる斬光が、とっさに急所を庇った彼の血を執務室にぶちまけさせる。
思わず踏鞴を踏んで下がる足、その胴体を強烈な蹴りが穿った。真っ直ぐ吹き飛ばされ、ティーガが壁に背中から激突し、轟沈する。
だが――、
「骨は拾うぞ、マイフレンド!」
ティーガが稼いだわずかな時を使い、スバルはクルシュに肉薄する。そのまま鞭を振るい、クルシュの剣を持つ手を狙い――、
「それも視えている」
言い捨て、手首の返しだけで鞭打を避けたクルシュ、そのまま翻る剣先が刺突となり、不用意に接近したスバルの脚部へと突き出される。
その銀光が足の甲を貫き、スバルは無謀な全身のツケを払わされ――、
「ベアトリス!」
「――っ、無茶ばかり言うパートナーなのよ!」
呼びかけ一発、スバルの意図を察したベアトリスが悪態をつきながら、その小さな体を目一杯使い、パートナーの望みを叶えるために全霊を注ぐ。
刃が届く瞬間、発動する。――絶対防御魔法、E・M・Mが。
「――――」
スバルとベアトリスのオリジナル魔法であり、存在を現実から半歩ずらすことで、あらゆる物理的・魔法的な干渉を拒絶する、最強の防御が発動する。とはいえ、E・M・Tの展開中に、その中でE・M・Mを使う荒業は初めてで、成功は奇跡――、
「朝昼晩のラブコールを義務付けるかしら!」
「愛してるぜ、ベア子!」
奇跡の代価に求められる可愛い要求に払い込みしながら、スバルは刺突が通じなかった事実からすぐさま切り替え、次を構えるクルシュに狙いを定める。
E・M・Mは鉄壁の防御と引き換えに、移動ができなくなる欠点がある。次の一歩を踏んだ時点で無敵時間は終わり。次の剣先は容赦なく刺さる。
故に――、
「インビジブル・プロヴィデンス!」
次の一撃が放たれる前に、矢継ぎ早に手札を切る。
鼻血を噴くスバルの胸、そこから伸びる不可視の黒い腕が剣を握ったクルシュの腕を掴み、彼女が放とうとしていた追撃の手を強引に止める。不可視の腕はクルシュの手首を強く握りしめ、彼女の手から剣を取り落とさせ、武力を奪う。
立て続けに、スバルの知らない手札で行動を妨げられたクルシュ、その残った腕にも体ごと飛び込み、魔手と合わせて腕三本がかりで彼女を壁に押し付けた。
「クルシュさん! 話を聞いてくれ!」
両手首を掴み、無理やりクルシュを壁に押さえ込みながら、スバルはそう訴える。
その間もクルシュは身をひねり、スバルの脇腹に膝を入れようとしてきたが、強引に体を押し込んで、息がかかるほど密着して動きを封じた。
すぐ目の前、クルシュの琥珀色と金色、二色の双眸がスバルを見ている。それを真っ向から見返しながら、
「こんなの……こんなのどう考えてもおかしい! 掛け違ってる! このまま話が進んでたまるか!」
「ナツキ・スバル……」
「俺は……俺は何も認めねぇ! 認めねぇぞ!!」
声を大にして、そう吠えるスバルにクルシュの頬が強張る。
結局、『死に戻り』する前の、泣き言を喚き散らしたときと主張の大筋は一緒だ。それでも、ただ立ち尽くして喚くだけだったさっきと、クルシュに思案する余地を与えた今とでは、違った結果が出せると、そう信じたい。
マイクロトフは、マクマホン邸の関係者の命は戻ってこない。
だとしても、ただ座して最悪の結末を迎える以外の手立てがきっとある。そのためには、ここでクルシュが剣を下ろすことが必要不可欠なのだ。
そのための説得を――、
「――え?」
そう期待を込め、クルシュの反応を待ったスバルの喉が掠れた息を漏らす。
それは目の前の出来事――クルシュの、左右異なる双眸が不意に鋭くなり、壁で背を弾ませる反動を使い、強引にスバルを引き倒してきたことが理由だ。
不意打ち気味のそれをまともに喰らい、情けなくもスバルはその場に崩される。――しかし、それはスバルへの反撃ではなかった。むしろ、その逆だった。
――次の瞬間、凄まじい熱量の業炎が、スバルの視界を赤々と呑み込んだのだから。
△▼△▼△▼△
――遠く、汽笛のような音が聞こえた気がして、ゆっくり意識が浮上する。
覚醒の水面を割り、顔を出して最初に感じたのは、ヒリヒリとひりつく痛みだ。それが全身を、特に右腕を強く刺激するのを感じ、思わず苦しげに喉が鳴る。
「――ぅ」
「――! スバル、目が覚めたかしら。大丈夫なのよ?」
その漏れた呻き声を聞いて、早々にスバルの目覚めに気付く声。聞き慣れたそれは、毎朝目覚めを一緒に迎えるパートナーであるベアトリスだ。
ただし、こうして痛みを伴った目覚めは、毎日あるそれとはだいぶ違う。
「べあ、こ……? 俺は、何が……」
「無理に体を起こしちゃダメかしら。まだ火傷がひどいのよ。……マナが足りれば、ベティーがすぐに治してあげるのに、ごめんなさいかしら」
「お前が謝ることじゃ……火傷?」
おずおずと瞼を開くと、こちらを覗き込むベアトリスの落ち込んだ顔が見える。大きな丸い瞳に悲しみを湛える大精霊、その嘆きをとっさに慰めようとして、止まる。
火傷、という単語を聞いて、眠っていた脳が体に遅れて目覚め始めた。そうだ。確か、意識がなくなる直前、炎を見た。それに、その前は――、
「――クルシュさん!」
マクマホン邸の惨劇のことが思い出され、スバルは勢いよく体を起こした。
一度思い出すと、一気に瑞々しい記憶の復元が始まる。マイクロトフの死と、自ら手を下したと告白したクルシュ、それを取り押さえようとした一幕と、抗うクルシュの左目に宿った『龍の眼』――あまりにも、怒涛の勢いで物事が動きすぎた。
だが、第一はクルシュだ。最後、E・M・Mとインビジブル・プロヴィデンスを使い、スバルは彼女の制圧に成功した。その後、突然の炎が見えて――。
「そうだ、すげぇ勢いの火が燃え上がって……俺の腕が痛いのって、その火傷か? クソ、ヒリヒリする……! けど、このぐらいなんてこと」
「お、落ち着くのよ! マナ不足で治癒魔法をかけてあげられてないかしら! 安静にしてないと、悪い病気にかかるかもしれないのよ!」
「言ってる場合じゃねぇ! 今は俺よりクルシュさんだ。俺が熱出して倒れるのなんて、それと比べたら、どうでも――」
いい、と言い放ち、ベアトリスの心配を振り切ろうとしたそのときだ。
「――目覚めたようだな、ナツキ・スバル」
「え」
ふと、思いがけない声が聞こえ、スバルは目を丸くする。そのスバルの視界、奥の暗がりから進み出てくるのは、今まさに探しにいこうとしかけたクルシュだった。
左目を眼帯で覆い直し、手にしたラグマイト鉱石のランプで辺りを照らすクルシュは、ベアトリスと押し問答するスバルに歩み寄り、こちらの右腕を取ると、
「やはり、放置していい傷ではないな。応急処置でしかないが、これを」
言いながら、足下にランプを置いたクルシュが、懐から出した刺繍入りの白いハンカチを、スバルの右腕に包帯代わりにそっと巻いた。
じくじくと、火傷の傷に触れたハンカチが汚れていくのと、それを巻くクルシュの手つきの柔らかさに、スバルは状況に追いつけずに目を白黒させる。
「――? どうした。戸惑いの風が吹いているぞ」
「……そりゃ強めの風速で吹くよ。俺の記憶だと、さっきまで俺たち、こう、必死の形相でやり合ってたよね?」
「形相まで必死にしていたのは、卿だけだと思うが」
「総合的に見た話! 俺たち二人で、俺が必死な顔してたら五十パーが必死だったってことになるでしょ」
「なるほど。道理に適っているようにも聞こえるな」
生真面目な顔で頷かれ、軽口に軽口を重ねたスバルは唖然とするしかない。
そうなってから、ようようスバルは自分たちがいるのが奇妙な場所――あまり衛生的とは言えない湿った通路でやり取りしていたことに気付く。寝かされていたのは冷たく硬い床の上で、じめっとした空気に生臭い香りと、改めて意識してみれば、無視するのが難しいぐらいの下水感に溢れた空間だ。
「ってより、まんま下水か、ここ?」
「それもあるから、今はスバルに無茶させたくないかしら。うっかり破傷風にでもなったら、今は治すのも一苦労なのよ」
「それで、プリティドクターとお転婆ナースを兼務してくれてんのか……それはめちゃくちゃありがたいけど、それより――どうなってんだ」
「――――」
身を案じてくれるベアトリスの話に理解を示しつつ、相変わらず理解が進まないのが、献身的な相方と同じぐらい、スバルの火傷の治療に積極的なクルシュだ。
彼女はわずかに声を低くしたスバルに目を細め、静かに吐息をこぼすと、
「ここは、マイクロトフ・マクマホンの邸宅から少し離れた下水だ。移動距離からして、ちょうど貴族街と商業街の中間辺りだろう。下水道を利用しても、上層への行き来を管理する検問所は素通りできない。目下、私たちの障害はそこになる」
「待った待った、頼むから待ってくれ。全然、話についてけてない。そもそも、気絶する前後のことがすげぇ曖昧なんだ。ただ」
「ただ?」
「今の話……もしかして、今、俺とクルシュさんって同じパーティーメンバー?」
「ぱーてぃーめんばー……」
聞き慣れない単語に眉を顰めるクルシュ、しかし、スバルのその疑問に、ちゃんと現代語検定の二級合格者であるベアトリスは、「かしら」と頷いた。
「色々、厄介事が絡んでるけど、その娘にベティーたちへの敵意はないのよ。ここまで気絶したスバルを運んできたのも、その娘かしら」
「あの場に残せば、卿もまた焼死を避けられなかっただろう。少なくとも、卿の言葉に嘘は感じられなかった。ならば、卿の死は私の望むところではない」
「そうか。それは、ありがとう……なんだけど」
気絶する前の最後の光景と、右腕の大きな火傷の痕跡が、危ういところをクルシュに助けられたという事情が真実であると半ば証明している。わざわざスバルを騙してまで、ベアトリスがクルシュと結託するはずもない。
ただ、スバルが素直に礼を言えなかったのは、クルシュの物言い――スバルの死は、彼女の望むところではなかった。だが、マイクロトフたちの死は。
「……クルシュさん、本当にマイクロトフさんを斬ったのか?」
「――。あの場でも肯定したが、事実だ。マイクロトフ・マクマホンと、あのものが雇い入れた屋敷の関係者は、いずれも私がこの手で斬り捨てた」
「――っ」
「理由についても説明が必要か? これもあの場で話したことの繰り返しになるが、マイクロトフ・マクマホンらは逆賊であり、ルグニカ王国に仇なす存在だった。故に、上級貴族の一人として、剣で以て誅罰を与えた」
「それが、それがわからねぇよ。逆賊って、王国に仇なすって、どんなことだよ。クルシュさんが我慢できなくなるような、そんな馬鹿企んでたってのか?」
「――少なくとも、竜歴石の預言を都合よく利用している可能性が高い」
次々と湧いてくる疑念の泡を割るために、話を進めるスバルが息を呑んだ。
最後に、クルシュが付け加えたその情報は、まさにスバルが今日、マイクロトフに直接確かめたいと思っていた『竜歴石』絡みのことだという。
王国において、強い強い影響力を持った『神龍』との盟約、それに関わる内容の刻まれる予言板――それが『竜歴石』であり、エミリアも参加する王選開始の根拠となったキーアイテムでもある。
ただし、話に聞くばかりで実物を拝んだことのない代物だけに、スバルは可能であれば直接この目で実在を確かめたいと、そう思っていたくらいだった。
「その竜歴石が利用されてる? マイクロトフさんに?」
「王族の方々が次々とお隠れになったことを、王国の一大事を報せる竜歴石が語らなかったなど考えにくい。だとすればありえるのは、竜歴石を預かる立場にあったものが、されたはずの預言を意図的に隠蔽し、公にしなかった場合だ」
「けど……けど、そんなのは今さらすぎないか!? そもそも、そんな疑問は王選が始まる前からあったはずだろ。それこそ、クルシュさんとフェリスは――」
王族が亡くなった変事について、その詳細を調べるモチベーションがあったはずだ。亡くなった王族の一人である第四王子と、特に親しい間柄だったのだから。
もっとも、それを口に出して追及するほど、スバルも無神経ではあれなかった。
「――疑うという選択肢を持てなかったのは、当時の私の痛恨の至りだ」
その、言わなかった言葉の先を推測して、クルシュが自らの過ちを認める。
もちろん、それを過ちというのは、身近な人間を亡くしたばかりの相手に対してあまりにも慈悲がなさすぎる。フェリスからも聞いたが、第四王子とクルシュの関係は、単なる親しい間柄というだけでは足りないものであったという。
それこそが、クルシュが玉座を望む最大のモチベーションであったのだろうほど。
だが――、
「じゃあ、なんで急に、それを疑い出して……」
「言わなくともわかるだろう。『神龍教会』を私の下に送り、フェリスを言葉巧みに騙して、私を王選から離脱させようと目論んだ」
「――っ!? クルシュさん、それは」
「フェリスは責任感が強い。私の状況が状況で、心労が祟ってもいた。そこに、王国の頭脳と呼ばれる相手から甘言を囁かれれば、フェリスが判断を誤っても無理もない。そうでもなければ――」
「――――」
「――そうでもなければ、あれが私と殿下の誓いを踏み躙る真似をするはずがない」
目を伏せ、声を低くし、感情を押し殺そうと努めるクルシュ。
しかし、その努力が伝われば伝わるほどに、スバルの心の内にある天秤を、はたしてどちらに傾ければいいのかがわからなくなってしまう。
心情的には、もちろんクルシュを信じたい。マイクロトフには悪いが、マイクロトフが本当に王国を私的に利用する逆賊だったなら、クルシュの行いに正当性が宿る。もしかしたら、ちゃんとした裁判などで、情状酌量の余地を認められるかもしれない。
だが、スバルはマイクロトフが、王選の場で目も当てられない醜態を晒したスバルを、それでもエミリアの騎士として評価した一言があったことを覚えている。
クルシュはスバルの恩人であり、マイクロトフもまた、同じく恩人なのだ。
どちらかが一方的にと、そう都合のいい結末を望むのはあまりに難しく思える。
それに――、
「フェリスは」
自分がクルシュに憎まれ、それこそ騎士を罷免される覚悟で『神龍教会』から差し伸べられた手を取り、主の王選脱落を視野に入れた選択をした。
それが第四王子を巡る誓いを反故にすることだとしても、彼は選んだのだ。
その決断を、誰かに謀られた結果であると、単純に言いたくはなかった。
「……クルシュさんの主張は、いったんわかった。これについちゃ、とことん話し合いたい。他にもいくつか――」
「待て、ナツキ・スバル。卿の疑問はもっともだが、目覚めたのであれば、まずは移動を優先したい。いつまでもこの場に残るのは賢明ではないからな」
「あー、場所って下水? 確かに、場所は変えたいけど、まだ話が……」
ゆるゆると首を横に振り、話を切り上げようとするクルシュにスバルが食い下がる。が、そのスバルの火傷のない左腕の袖を、ベアトリスが引いた。
ちらと見ると、ベアトリスはその表情にわずかな緊迫感を宿し、
「この場は、ベティーもその娘に賛成なのよ。とにかく、先に逃げるかしら。もたもたしてると、追っ手に捕まるのよ」
「お前までそんな……って、待て待て、聞き捨てならねぇぞ。逃げる? 追っ手? 意味がわからねぇ。それじゃ、俺たちが下水にいるのはまるで……」
「――――」
「まるで、逃げるため、みたいな……」
言葉にしながら、徐々に立ち込める嫌な予感に、スバルの舌が痺れを覚える。
その間、クルシュは通路に置いたランプを改めて持ち上げ、困り眉を作ったベアトリスはなんと言えばいいのかと、薄い唇を何度も小さく開閉させた。
その無駄のない態度と、配慮に満ちた様子から察せられる。――冗談抜きに、スバルたちは逃亡者の立場に追いやられているのだと。
「意味がわからねぇ! 説明不足が多すぎるぞ! それに……」
言いながら周囲を見渡し、スバルはベアトリスとクルシュ以外の姿がないのを確かめ、明らかな不自然に言及する。――ティーガの不在だ。
「ティーガは……あいつも、一緒の屋敷にいたんだ。なのに、ここに見当たらないのはどうなってんだ? 何がどうしてどうなってこうなってる? その話を――」
「――ティーガ・ラウレオン、だったか。生憎と、あの男が私たちの追っ手だ」
「……なに?」
疑問に応じるクルシュの声、それはしかし、スバルに新たな疑問を生んだ。
意味がわからないところに、さらに意味がわからないものを積み重ねられ、意味のわからないものの集合体となった積み木は、その全形が把握できなくなって当然だ。
まさに、そんな気分で目を白黒させ、スバルはクルシュを見た。
すると、そのスバルの問いの眼差しに、彼女はランプを掲げ、その白い光に、眼帯で左目を覆った美貌を照らし出させながら、続ける。
それは――、
「今、私と卿らは追われている。ティーガ・ラウレオンや、王国兵に。――マイクロトフ・マクマホンの殺害と、王国転覆を目論んだ逆賊としての容疑でな」




