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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第九章 『名も無き星の光』
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第九章34 『引力』



 クリンドの『転移』――本人は『圧縮』と説明したそれを体感するのは、ペトラにとってはひと月ほどぶりで、メィリィにとっては数日ぶりのことだった。


「初めてだとビックリするかもしれないけど、怖がらなくていいからね」


 と、経験者の立場から、ペトラは未経験者であるフラムにそうアドバイスする。

 これから起こることについて、ちゃんと教えてあげないとパニックになるかもしれないという配慮だったのだが、それに対し、フラムは「いいえ」と首を横に振り、


「ご心配いただかなくても、大抵の驚きは若様を超えられませんから」


『あいつ、身内からもビックリドッキリ人間扱いされてんの? どんだけだよ』


 そのたくましすぎる答えに、『スバル』も呆れたコメント。

 ただ、『死者の書』で共有されたスバルの記憶から、ラインハルトが剣の一振りで建物を吹き飛ばし、メィリィの姉を蹴散らしたところをペトラも知っていたので、規格外に慣れ切ったフラムの態度にも納得が強かった。


「フラムちゃんが大丈夫でもお、寝てるセンセイさんが目を回さないといいけどねえ。初めて家令さんに飛ばされたとき、小紅蠍ちゃんは大慌てだったものお」


「そう言えば、転移酔いみたいなのってあるのかな。ヴォラキアでも、スピカちゃんの『転移』が大丈夫な人とダメな人がいたみたいだったし」


 肩をすくめたメィリィ、その髪の毛がもぞもぞと動き、中から姿を見せる小紅蠍が主人の真似をするみたいに鋏をすくめる。

 その指摘に思い出されたのが、帝国に残してきたスピカの『転移』――あれは体質によるものか、強い弱いに拘らず、ダメな人はダメというものだった。ペトラは大丈夫側だったが、ダメ側だったガーフィールは丸まって拗ねていたものだ。

 と、そのペトラの疑問に、「そうですね。思案」とクリンドが指を立て、


「さほど試行回数や試行人数が多いとは言えませんが、これまでに体調を崩された方はいらっしゃいません。安心。『憂鬱』の権能は厳密には『転移』ではなく、本来ならばかかったはずの時間と距離を『圧縮』している結果ですので。省略」


「何回聞いても意味がわからないわあ」


『つまり、キングクリムゾンって認識でいいのか? いや、間の結果まで吹っ飛ばせるかは怪しいから、キンクリとはまた別か……』


「酔う心配もいらないし、わたしたちが今一番欲しい時間を作ってくれる力。それだけわかってたら、今は十分だよ」


 首をひねるメィリィと、自分流に噛み砕く『スバル』にペトラはそう結論付ける。

『スバル』の言いようは理解できそうではあるのだが、そのために時間と思考の割合を割くのが今は惜しまれる。時間が許すなら、流し込まれた記憶と知識の全部をちゃんと確かめて、スバルのことが何でもわかる自分でありたいが――。


「クリンド兄様、お願いしていい?」


 その願望を満たすどころか、抱く時間ももったいないとペトラはクリンドを促す。

 かけたモノクルのレンズを光らせ、「ええ。適時」と頷くクリンドの応答。これから起こそうとしている現象を思えば、気安すぎて頼もしい態度だ。

 と、そう感心するペトラの袖を、「ねえ」とメィリィが引いて、


「ペトラちゃん、さっきの、対価のお話だけどお」


「――。大丈夫、クリンド兄様のお墨付きだよ」


「そうじゃないわあ。……理由は自分でもわからないけどお、もし、ペトラちゃんが損な思いをしなくちゃいけないんなら、わたし、嫌よお」


「損……」


 自分の感情を持て余している風なメィリィ、その言葉にペトラは目を瞬かせる。

 友人からのストレートな心配と、クリンドから受け取った対価についての評価――このとき、ペトラの胸に去来した感情は彩りの複雑さ、豊かさを極めた。

 その上で、ペトラはメィリィに微笑み、


「ありがとう、メィリィちゃん。でも、本当にわたしは平気だから」


「……嘘だったらひどいんだからあ」


 考えた末に絞り出された脅し、その不器用さにペトラは微笑んだまま頷いた。

 そっと指を放された袖を大事に胸に抱え込み、それからペトラは『スバル』の姿を探した。幻影の彼を置いてけぼりにすることはないだろうが、気持ちの問題だ。

 その半透明の背中を見つけたとき、『スバル』は遠目に砂海を眺めていて。


『俺がもうちょっとちゃんとしてれば、あいつに苦労かけないで済むのにな』


 東の空――大気が悲鳴を上げ、空の色は酸鼻を極め、大地が削れていく音が轟いている戦域では、今も『剣聖』と『嫉妬の魔女』の戦いが続いている。

 世界の趨勢を決めるような、強大な力を持つモノ同士の激突。それに対し、自分の力不足を悔やむ『スバル』の横顔に、ペトラは切なさで息を詰めた。


 友人の身を案じる『スバル』は、直前のペトラとクリンドとのやり取りに触れず、ペトラの意思を尊重してくれている。

 極論、ペトラの頭の中の存在である彼に隠し事なんてできないはずで、その気になれば彼にはペトラが耳を塞がせた情報を丸裸にすることが可能なのだ。

 しかし、イマジナリースバルはそれをしてこない。――それが『スバル』の良識や思いやりによるものなのか、あるいは彼を言いなりにする自分の意思なのか、自意識と愛おしさと記憶が混ざり合うペトラには判別がつかなかった。


 ただ、そのどちらであったとしてもと、そうペトラは思うのだ。

 それが思いやりでも、ペトラが望んだ結果だとしても、『スバル』の在り方はペトラ・レイテの目から見た、本物のナツキ・スバルの見え方を参照している。

 だから――、


「クリンド兄様、お願い」


「――承知しました。称賛」


『スバル』への愛おしさを抱いたまま、ペトラがクリンドに合図する。

 ペトラとメィリィ、それにフラム。竜車を引くパトラッシュと、意識不明のガーフィールとエッゾを合わせ、都合六人の一頭――『スバル』と小紅蠍も入れて、一体と一匹を追加で計上した一行が、クリンドの力を借り、行動を開始する。

 そのために、ペトラの提案した『対価』がオド・ラグナへくべられ――、


「――――」


 瞬間、文字通り、瞬く間に世界が切り替わり、『圧縮』が完了する。

 目を閉じて、開いたときには一変する景色。舌や肌で感じる空気の味わいと、嗅覚に触れる世界の匂いがガラリと変わって、ペトラは権能が使われたと実感する。


「――――」


 一瞬、ペトラは目をつむり、走り出した事実に思いを馳せた。

 しかし、その一秒の祈りで感傷を棚の上に置いて、意識を目の前のことに向ける。ここから先、ペトラたちには足踏み一個だって無駄にしている余裕はないのだ。

 そう、ペトラが強く気持ちを引き締め直して――、


「どわあああ!? な、なんだなんだ!? いきなり竜車が飛び出してきた!?」

「ら、ラインハルトか!? そんなふざけた真似、あいつにしかできねえだろ!」

「オイラ、まだ夢見てんのか? トト! トトー! 柔らかい膝貸してくれー!」


「ええい、やかましいわ! 何をそう騒いで……ど、どっから出てきよった!?」


 そんなペトラの意気込みに水を差すぐらい、うるさくて落ち着きのない大歓迎を『圧縮』先から受けることになったのだった。


『あれ!? ロム爺はともかく、トンチンカン!? トンチンカンだ! なんであいつらが一緒に!? 何故にホワイ!?』


 なお、その大歓迎に真っ先に反応した『スバル』も、そんな予想外の驚きに声を大きくしていたことを最後に付け加えておく。



                △▼△▼△▼△



「ペトラちゃん! メィリィ! 二人とも無事!?」


「――っ」

『エミリアたん……!』


 そう血相を変え、ペトラたちの下に駆け付けたエミリアを目の当たりにした途端、ペトラは自分の胸の内に甘やかな感情が爆発的に広がるのを味わった。

 ほわほわと温かく、痺れるほど甘ったるい感情で胸がいっぱいになり、頭の中には彼女の美貌と可憐さを称える美辞麗句が溢れ出す。その感激は容姿の賛美だけでなく、彼女の仕草や話し方、挙句に靴音にまで向けられる始末だ。


「すごい露骨……っ」


 その、わかりやすく強烈な感情の大波にさらわれ、ペトラの頭がくらくらする。

 ここまで、『死者の書』の影響で一番大きいと感じていたのは間違いなくイマジナリースバルの存在だったが、このエミリアショックはそれに匹敵するものがある。

 率直に言って、エミリアーゼの過剰摂取は命に関わるかもしれない――、


「なんて、馬鹿なこと言ってないの、わたし……!」


 いきなり意識の半分くらいを持っていかれかけ、ペトラは見失いそうになった自分の襟首を無理やり掴み、何とか現実に踏みとどまった。

 わかっていたことだが、あまりにも大胆にエミリアへの愛情が溢れすぎた。

 そのこと自体にもモヤモヤしたヤキモチを焼いてしまうのだが、それ以上に、ペトラだってエミリアと再会できて嬉しいのに、その自分がエミリアを大事に想う気持ちが追いやられてしまうのは、ペトラ的に異議ありなのだ。


 だからペトラは、自分たちを見つけ、ハッとするくらい綺麗な顔に涙を浮かべて駆け寄ってくるエミリアをE・M・Tと思う気持ちを堪え、両手を広げた。

 そして――、


「エミリア姉たま……!」


「ねえたま!?」


 盛大に舌が滑って、感動の再会間際にエミリアを驚かせてしまった。

 危うく「エミリアたん」と呼びそうになって、とっさに軌道修正を図ろうとしたのが図り切れなかった。まったく、ペトラらしからぬ失態である。

 ともあれ――、


「でも、よかった……。二人ともちゃんと会いにきてくれて」


「はい。エミリア姉様も、ご無事で何よりです」


 感極まったエミリアに抱き寄せられ、ペトラも彼女の体を抱き返し、そう答える。

 ペトラの反対では、同じように抱きしめられるメィリィが「息苦しいわあ……」と素直でない反応で、おっかなびっくりエミリアの背に手を回していた。


『うおー! 無事なエミリアたんを見れるとめちゃくちゃホッとする! あれ? ちょっと離れてる間に一段と可愛くなった? 伸び代すごくない?』


 その、ペトラとメィリィを抱擁するエミリアを色んな角度から眺めながら、空中に浮かんだ『スバル』が感激している。はしゃぎすぎ。でも、それも仕方ない。

 なにせ、『死者の書』のタイミング的に、『スバル』が最後に知っているエミリアは、『聖域』で大弱りしていたときの彼女になる。

 当時、ペトラはまだエミリアと今ほど仲良くなかったので、彼女の力になることができなかった。それをペトラすら悔しく思うのだから、間近で味わった『スバル』の歯痒さはその比ではなかっただろう。


『ああ! 大変だ、ペトラ! 見ろ! エミリアたんが元気に歩いてる!』


「そうだね。長い足で歩いてたね。よかったね」


『よかった……! 本当によかった……!』


 なので、感動に打ち震える『スバル』に水を差すのも躊躇われた。その『スバル』の感激ぶりに適度な相槌を打ちながら、ペトラは密かな安堵を噛みしめる。

 その安堵の理由は一個――エミリアを見て、自分が怯えずに済んだことだった。


「『死者の書』で見た、最後の景色……」


 影に沈む『聖域』と、逃れられない執着に捕まり、『魔女』の用意した嫌がらせみたいな手段に縋り、自分の命に手をかけたナツキ・スバル。

 あの最後の瞬間、スバル=ペトラは見たのだ。――恐ろしい『嫉妬の魔女』が、大好きな人と同じ顔をしていたことを。


「――――」


 その理由を深く考えようとすると、靄がかったものに手を伸ばすみたいに、ちゃんとした考えがどうしても形にならない。それでも、鮮烈に焼き付いた感情が剥がれない。

 だから、エミリアとの再会が怖かった。――違う。正確には、エミリアを前と同じように見られないかもしれないことが怖かった。


「でも、そうならなくてよかった。……前と違う意味で、ドキドキするけど」


「え? ペトラちゃん、どうかした?」


「何でもないの。エミリア姉様と会えて、わたし、嬉しいです」


 内心にあった葛藤のことは伏せて、ペトラは本心からエミリアとの再会を喜ぶ。そのことにエミリアは目を丸くしながらも微笑み、素直じゃなさを継続中のメィリィの頭の上では、主人に代わって小紅蠍が上機嫌に鋏を鳴らしていた。

 と、そこへ――、


「――賑やかになったと思えば、きておったか、娘っ子」


 そこに、低くしわがれた声が割って入り、エミリアが「あ」と驚きの声を上げる。

 飛び込んできたエミリアが開けっ放しにしていた部屋の入口、そこに立つ大きな人影が扉をノックし、中を覗き込んでいた。

 その人影というのが――、


「フェルトちゃんのお祖父さん!」


 窮屈そうに入口を潜った老人、ロム爺の姿にエミリアが目をぱちくりとさせる。そのエミリアの声に、ロム爺は自分の禿頭を撫でながら苦笑して、


「お前さんの言い方だと、本気で血縁と思っていそうじゃな……周りのものにはロム爺と呼ばれておる。こうして、ちゃんと話すのは初めてになるの」


「えっと、そうね。王選が始まった日のお城ではお話しできなかったし、フェルトちゃんに徽章を盗まれちゃったときも、落ち着いて話すどころじゃなくて……」


「……そんなにちらちら気にしてくれなくても、事情はわかってるから平気よお」


 そのロム爺の挨拶に応じるエミリアが、腕の中のメィリィの様子を案じる姿に、当のメィリィが鬱陶しさと気遣いが半々くらいの態度で答える。

 今の二人のやり取りは、エミリアとロム爺との接点――以前、王選参加資格である徽章をフェルトがエミリアから盗んだときの出来事に、メィリィの姉であるエルザが関わっていたことを気にしたものだ。

 そう考えると、この三人も案外奇縁だ。『スバル』も入れれば、四人の奇縁。ラインハルトまで含めると、というとキリがなくなってくるか。


「娘っ子……などと呼ぶのも、今の立場じゃとなんじゃな。エミリアと呼んでも?」


「ええ、いいわ。改めてよろしくね、ロム爺」


『おお……この二人がちゃんと自己紹介なんて、なんか歴史的瞬間って気がするぜ』


「そんな大げさな」


 よろしくと、そう握手を交わしたエミリアとロム爺を見ながら、『スバル』が歴史的だなんて大きなことを言うのでおかしくなる。

 確かにちょっとした感慨深さはあれど、その言い方ではまるで十年以上も交流のなかった二人の再会でも目撃したみたいな言いようだ。

 と、そんな『スバル』の感激はいったん後回しにして――、


「フェルトちゃんのことは私も聞いてるわ。ロム爺たちも大変だったのよね?」


「む、そうじゃな。そのあたりのすり合わせはしておきたい。ペトラ」


「ですね。クリンド兄様が戻るまでもう少しかかると思うので、こっちは先に始めてていいと思います。……時間との勝負ですから」


 最後にそう付け加えたペトラに、エミリアとロム爺が同時に深く頷く。

 そう、時間との勝負。そのために、ペトラたちは反則技まで使ってきたのだから。



 ――現在、ペトラたちが一堂に会したのは、王都ルグニカの王侯館だ。

 それぞれが散り散りに行動していたエミリア陣営の中、居場所がはっきりしていたのもあるが、誰かを中心に集まるなら、それはエミリア以外にありえなかった。

 そう考え、ペトラはクリンドの『圧縮』でロム爺たちとの合流後、王都に急ぎ飛んできたのだが――、


「この王都の荒れようは儂としても驚かされたわい」


「わたしも王都にくるのは久しぶりだけどお、前に見たときはこんなに街のあちこちボロボロじゃなかったし、あんなオブジェだってなかったはずよねえ」


 太い腕を組んだロム爺の言葉に、窓の外を眺めるメィリィが便乗する。

 経験者の二人と違い、ペトラが王都にやってきたのはこれが初めてだ。幸い、先ほど思い出した盗品蔵があったのは王都の貧民街だったので、その記憶を頼りにペトラも健在なときの王都と、今の王都を見比べることはできた。

 確かに、記憶の中の王都にはたくさんの派手な氷の塔がいくつも建っていたりしなかったし、立派な家々の並んだ貴族街はあんなに散らかってもいなかったはずだ。


「忌々しくて好かんとは思っておったが、ああも貴族街が更地になるとはな。漏れ聞こえた話によると、避難は済んでおったそうじゃが、とんでもない話じゃぞ」


「メィリィちゃんも言ってたけど、あの氷の塔ってエミリア姉様が?」


「あ、ええと、そうなんだけど、あれをしちゃったのには理由があって! みんながすごーく危なくて、手加減してる余裕がちっともなくて……!」


 かろうじて無事だった王侯館から一望できる景色、王都の街並みに起こった大きな変化を指摘され、エミリアがどう説明したものかとあたふたする。

 そんな彼女のパタパタ具合を愛おしく思いながら、ペトラはロム爺と協力し、起こった出来事を一つずつ紐解いていき――、


「――じゃあ、やっぱりアルさんが」


「……そうなの。私がアルを止められなかったせいで、街もわやくちゃになっちゃって」


「エミリア姉様のせいなんかじゃありません。あの氷の塔だって、エミリア姉様がやらなかったら王都の人たちが大変で……だから、E・M・G(エミリアたん・マジ・ガーディアンエンジェル)ですっ」


「ん、ペトラちゃん、ありがと……え? 今、なんて言ったの?」


 自分を責めるエミリアに、ペトラは大きく首を横に振ってその責任を否定する。

 王都ルグニカを襲った大被害、そこにもアルとボルカニカが関わっていると聞かされ、むしろ責任を感じるのはペトラの方だ。そもそも、アルの悪巧みを出発点だったプレアデス監視塔で止められていれば、と。


「それを言い出したらキリがないわよお。みんなちょっとずつ、あの兜さんに出し抜かれちゃったんだからあ。悪いのは兜さんと、そのお仲間でしょお?」


「そうじゃな。足りんところを埋めるために反省するのはいいことじゃが、力不足を悔やんでも役には立たん。年寄りの経験則というやつじゃがな」


「――。ええ、二人の言う通りだと思う。悪さをしたのはアルで、その責任はアルが取らなくちゃダメ。くよくよしてる時間だって、私たちにはもったいないわよね!」


 メィリィとロム爺の言葉に、頬を引き締めたエミリアが気持ちを立て直す。そのエミリアの反応に小さく吐息し、ペトラもぐっとお腹に力を入れた。

 みんなの言う通り、反省のフリをした弱気は悪い癖。道は、いつも前にしかない。


『それはアルもそう考えてるだろうな。……でなきゃ、大罪司教を脱獄させるなんてライン越えの真似やらかさねぇだろ。本気で何考えてんだ、あいつ』


 ペトラの心情を拾い、アルが王都でしでかした暴挙に『スバル』が顔をしかめる。

 実際、ボルカニカをけしかけ、王都に大ダメージを与えたのもとんでもないテロ行為だが、それも本命の目的――『暴食』の脱獄幇助を知ると霞みかねない話だ。

 ペトラたちにとっても因縁深い『暴食』の大罪司教、それが逃がされるなんて。


「奴の起こした出来事をざっと列挙すると、気が遠くなるわい。王選候補の関係者を攻撃し、騎士の一人を拉致。王国の守護者であった『神龍』ボルカニカを寝返らせ、『嫉妬の魔女』を利用して『剣聖』の動きを封じる。さらに王選候補者の一人を人質に王都に乗り込んだ挙句、貴族街を半壊させ、囚われた大罪司教を脱獄させたとな」


『ヤバくない? これ懲役何年?』


「百回くらい死刑になりそう……」


 改めて、アル――否、アル一味の罪状の多さと重さが尋常じゃない。

 まるで、この世の悪いこと全部やってやるぜくらいの勢いに見えるが、しかしペトラはそれがやけっぱちではなく、計画に基づいたものだとそう考えていた。

 そう、アルにはちゃんとした計画がある。そのために必要な手順を進めていて、それがたまたま世紀の大犯罪に近いものばかりなだけだ。


「大罪司教がいなきゃいけない計画なんて、最初から見直した方がいいんじゃなあい?」


「『嫉妬の魔女』もいるし、全然言い訳できないけどね……」


 そもそも、ペトラが代わりに言い訳しなければいけない謂れもない。

『死者の書』から受ける印象的に、スバルもアルのことを同郷の存在――憎からず思える相手と思っていたみたいだが、さすがに許せる範囲を軽々とオーバーだ。

 それに関しては、この場に集まった全員の――否、この場にいないものも含めて、関係者全員の共通見解と言えるだろう。


「今、クリンド兄様には他のみんなのところを回って、フレデリカ姉様たちを呼んできてもらってるところです。エミリア姉様、オットーさんは?」


「――あ! えっと、その、オットーくんなんだけど」


「その反応でわかりました。また無茶してるんですね」


「うう……はい、そうなの。止められなくてごめんね」


 しなしなと萎れ、エミリアが自分が不甲斐ないとばかりに目を伏せる。が、エミリアに非はない。非があるとしたらオットーだし、今回のケースでは彼も悪くない。

 ただでさえオットーは、陣営の中でも日常的に無茶し続けているので、ペトラやフレデリカたちも常々休むよう言っているのだが、今回はその注意の適用外だ。

 実際、『言霊の加護』を操るオットーは、この状況では頼りになりすぎる。


「虫やら鳥やらを使った偵察に諜報、か。色々と悪さを思いつく加護じゃが……その分、背負い込む苦労も多くなりそうなものじゃな」


「あらあ、大正解。帽子のお兄さん、見るからに苦労性だものねえ」


「儂もそれなりに長生きしとるが、『言霊の加護』なんぞ聞いたこともない。これだけ使い道の多そうな加護がちっとも知られとらんということは、その加護を授かった加護者が誰も長生きしておらんということじゃろ」


 くすくすとメィリィは笑ったが、ロム爺の闇の深い推測にペトラは同感だ。

『言霊の加護』の使いすぎが体に悪そうなのは事実で、ペトラも帝国で、加護を多用したオットーが鼻血を出す場面を目にしている。

 あれも、戦争という手抜きなんてできない状況で必要に迫られてではあったが。


「スバルたちのこともだけど、特にガーフィールのことで思い詰めてて……絶対に何とかしてやるんだーって、すごーく意気込んでるみたい」


「たぶん、ガーフさんが起きてたら、オットー兄ィに頼まれったのに何っしてんだ俺様ぁよぉ……って落ち込んでたと思う。似た者同士なんだから」


「ペトラちゃんの物真似が似ててビックリしたわあ」


 驚くエミリアとメィリィの反応はともかく、そういう理由で無茶をしたがるオットーとガーフィールの姿は簡単に思い浮かぶ。

 まだ昏睡状態で、王都の治療院に預けてきたガーフィールだが、復活した彼が無闇に自分を責めたり、傷付こうとしないように十分注意しなくては。


「フルフーちゃんが、オットーさんをうまく宥めてくれるといいけど」


 そうこぼし、ペトラはこの場に同席していないオットーの身を案じる。

 どんな虫や動物と交渉しようと、集めた情報を聞き取りするにはオットー本人がいないといけない。そのため、オットーは単身、アル一味を追跡中――正しくは、長年の相棒でもある愛竜、フルフーとの二人行動だ。


『オットーか……肝心なところでヘマしないか心配だし、どこまで頼っていいもんか』


「それ聞いたらオットーさんの今までで一番怒った顔見られそう」


 何事も抱え込みがちなのがスバルだ。オットーに限らず、陣営の誰がそれを言われても怒りそうなものだが、一番おっかないのはオットーだろうとペトラは思う。

 とはいえ、オットーだけにかけていい負担ではないのは事実だ。クリンドがラムを連れてきてくれれば、彼女の『千里眼』の力を借り、負担の分担もできるはず。

 と、そこまで考えたところで、はたとペトラは思い出す。


「そうだ、エミリア姉様、聞いておきたいことがあったの」


「うん? なに、ペトラちゃん」


「エミリア姉様は心当たりないかもしれないんだけど、実はここまでくる途中、わたしとメィリィちゃんがいきなり気持ち悪くなっちゃったことがあって……」


 ペトラが口にした疑問、それはフラムが姉妹のグラシスとの『念話の加護』で座標を特定したロム爺たちと合流し、次は王都に飛ぼうと話し合った直後ぐらいの出来事――いきなりペトラの全身が粟立ち、心を掻き回されるような衝撃に襲われたのだ。


 あまりの怖気に、ペトラはそれが『死者の書』の副作用か、あるいはラインハルトが負けてしまい、自分のところに『嫉妬の魔女』が押しかける前兆かとも思ったが、同じ感覚をメィリィも味わっていたことで、そのどちらでもないらしいと結論付けた。


「でも、この状況でしょ? フラムちゃんとロムお爺さんたちは大丈夫だったけど、わたしとメィリィちゃん、それにクリンド兄様も感じたって。それなら、アルさんと無関係じゃないかもって思ったから……エミリア姉様?」


 メィリィやクリンドと話し合っても結論の出なかった異変だ。

 その危ないかもしれない情報の共有を、ペトラはエミリアの反応を見て中断した。エミリアがその美しい紫紺の瞳を見張り、頬を硬くしていたからだ。

 それは明らかに、心当たりのある反応だった。


「……そのすごーく気持ち悪いのって、たぶん、『暴食』の大罪司教の仕業だと思う」


『……『暴食』、だと?』


「うへえ、嫌な感じだわあ」


 目下、一番憎い大罪司教の存在に『スバル』が眉を顰め、メィリィが舌を出す。きゅっとペトラも自分の胸に手をやり、エミリアに話の先を目で促した。


「何をされたのか、私もはっきりとはわかってないの。でも、アルが『暴食』……ロイに何かさせて、そうしたら私もいきなり気持ち悪くなって、目を回してる間に……」


「アルさんと『暴食』の二人に逃げられちゃったんですね」


「ええ、そうなの」


 しょんぼりと肩を落とし、エミリアが力なく頷く。

 そのエミリアの返事に、ペトラがちらとロム爺を見ると、フェルト陣営の賢い担当の老人は大きな手で自分の頭を撫でながら、


「ペトラとメィリィたちだけで話しておったときは要領を得ん話じゃと思っとったが、エミリアまでそうなった上、『暴食』絡みとなるといい予感はせんの」


「共通点は……みんな、エミリア姉様の味方ってところ?」


「牙のお兄さんが起きてるか、帽子のお兄さんがここで大人しく待っててくれるか、スバルお兄さんが捕まってなかったらわかりやすかったのにねえ」


『現在軸の俺も含めて、タイミング悪い三馬鹿だな……』


 アル絡みなのはペトラの予想通りだが、まさかの『暴食』が関わってくるとなると、正体不明の攻撃に対する不安材料の深刻さは桁違いに大きい。――少しだけ、帝国にスピカを置いてきてしまったのが失敗に思えてくる。

 スピカもまた、紆余曲折あったとはいえ、『暴食』の大罪司教の一人で――、


「ダメダメ、こんな考え方。旦那様じゃないんだから」


 何ができて何ができないか、役に立つのか立たないのか。

 そんな観点で人の価値を見定め始めたら、一気にロズワール化が進んでしまう。洞察力はいくらでも磨いていいが、人間性が渇き始めたと思ったらご用心。


「その『暴食』の仕業については、ひとまず留意しておく以外になかろうな。それで、お前さんたちのところの内政官の話だと、奴らの目的地は……」


「――カララギの、モゴレード大噴口」


 結論の出ない話から軌道修正を図ったロム爺、その言葉をエミリアが引き取る。

 それがアル一味の最終目的地であり、それが判明した経緯は――、


「奴らに連れられるフェルトが残し、お前さんらの身内が伝えた、か。儂はフェルトのことを百信じられるが、お前さんたちは」


「オットーくんのこと? 百どころか、百万くらい信じてるわ」


「エミリア姉様、今のは数じゃなくて、百分率ですよ。でも、カッコいいです」


 百分率の概念に囚われないエミリアの答えにペトラは胸を熱くし、ロム爺とメィリィは呆れたように苦笑する。

 でも、ロム爺が聞きたかったことにはちゃんと答えているのがエミリアらしい。


『……可愛いだけじゃなくて、すげぇ強くなったんだな、エミリアたん』


 そんなエミリアを、眩しいものを見る目で『スバル』は見つめていた。

『聖域』での問題解決の途中で引き上げられた状態の『スバル』には、このエミリアのすごさがどう培われたものなのかがちゃんと伝わらなくてもどかしい。

 言ってあげたくなる。――今のエミリアは、スバルと二人三脚で鍛えられたのだと。


「ううん、ベアトリスちゃんがいるから三人四脚……その理屈でいいなら、わたしも入れてほしいし、ガーフさんも入れてあげないと拗ねそう。メィリィちゃんはどうする?」


「どうするも何も何の話なのお? 急にスバルお兄さんみたいなこと言い出されると怖いわあ」


『確かに俺が言いそうな発言だったけど、メィリィの理解度高くない?』


 いくらかの感慨深さを残したまま、『スバル』がペトラとメィリィの会話に苦笑。

 いずれにせよ、先のエミリアの答えにロム爺も納得してくれたようで、アルたちの最終目的地がモゴレード大噴口とわかったことは共有された。

 正直、その場所に何があるかはわからないが――、


「場所さえわかってるなら、クリンドさんの力を借りれば先回りできるはずよね」


「――。です。ロムお爺さん、トンチンカンさんたちは」


「ひとまず、重傷者以外は指示通りに近くの町に入ったはずじゃ。あのクリンドという若僧の力……多用するわけにもいかんのじゃろう? 枠は合わせるわい」


 大きな肩をすくめるロム爺は、細かな説明のないクリンドの権能にもそうして理解を示してくれている。

 ペトラの提案した『対価』によって、クリンドの『圧縮』の権能は使用の制限を解除されているが、それも移動する回数や人数次第で賄い切れなくなる。まずは最少の人数で場を整え、最大人数の投入は見極めが完了してから。


 その用意も、無茶な行動真っ只中なオットーのおかげで光明が見えた。

 あとは、最終目的地に辿り着くまでに、アル一味がどのような布陣でいくつもりかの情報が多ければ多いほど助かる。

 そして――、


「――そのための手段は、すでにこちらの手に。好機」


 待ってましたのタイミングで聞こえた声に、ペトラたちが一斉に振り返る。その視線を一身に浴びて一礼するのは、まさにちょうど話したかったクリンドだった。

 まるでタイミングを窺っていたみたいな間の良さに、「クリンドさん!」とパッと顔を明るくしたエミリアが声を上げ、


「ペトラちゃんたちを送ってくれてありがとう。おかげでこうしてちゃんと会えたわ」


「礼には及びません。ミルーラに戻ったのは私自身の判断で、こうしてご期待に沿えましたのはペトラに背中を叩かれた結果。激励。それよりも、戻るのが遅くなりましたことを謝罪いたします。陳謝」


「遅くなったってほどじゃないと思うけど、何かあったの? クリンド兄様」


 ゆるゆると首を横に振り、そう謝罪したクリンドにペトラが首を傾げる。

 確かに、『圧縮』の性能を考えれば、クリンドの王侯館への合流はいくらか時間がかかったと言えるかもしれない。だが、迎えにいった先で相手に事情を説明する必要もあったはずだし、遅くなったと謝られるほどとは思えない。

 仕事ができる人間だからこその、完璧主義の表れだろうか。と、そう考えたペトラの方を見て、クリンドは「いえ。否定」と口を開き、


「遅れた理由につきましては、言葉で説明するよりも、直接体感していただくのが一番早く、確実な理解の助けになるかと。実感」


『直接』

「体感?」


 遅刻の釈明にしては不自然な言葉選びに、『スバル』とペトラが首を傾げる。

 同じ疑問はエミリアとメィリィも抱いたようで、ある意味、一番客観的なポジションにいられるロム爺は腕を組み、何があるのかと興味深げに見守る姿勢だ。

 そして、そんな一同が見守る中、クリンドが部屋の入口の横にずれると、


「ハッ。待たせたわね」


 威風堂々、肩で風を切って部屋に足を踏み入れたのは、その傍若無人な振る舞いもよくお似合いの桃髪のメイド――ご存知、ラムだった。

 クリンドに迎えにいってもらって合流した彼女は、しばらくぶりに見るメイド服に袖を通していて、同じメイドの立場のペトラも、ずいぶん制服とご無沙汰だと懐かしくなる。

 しかし――、


「ラム、きてくれ、て……」


 そのメイド服姿のラムを迎え、笑顔で駆け寄ろうとしたエミリアの言葉が途切れる。足が止まり、ラムの手を握ろうとしていた手が、自分の額に当てられた。


「え、と」


 当惑したような声を漏らすエミリア。

 突然のことに、ペトラは彼女の身を案じるべきだったが、それはできない。何故ならペトラも、メィリィもエミリアと同じく、不可解な感覚に苛まれていたのだ。


「これ、って――」


 ラムを見た途端、湧き上がってきた不可解な、言葉にならない巨大な動揺。

 その持て余す謎の感覚を、ペトラは先ほど話題にした『暴食』由来の気持ち悪さと近いものがあると感じる。ただし、あのときの気持ち悪さには強い悪意を感じたが、このときの感覚にはそれを感じない。

 これはそういうものではなくて、もっと別の、強い強い、引力――メイド服姿のラムを目にしたことで、強烈に何かが引き出される感覚だ。

 そしてその引力の答えは、ラムの後ろからすぐに現れた。

 それは――、


「――合流が遅くなり、申し訳ございません、エミリア様」


 そう言って、ラムの隣に並んだのは、彼女と同じメイド服に身を包み、流麗な動きでしっとりとしたカーテシーをしてみせる、青い髪のメイド。

 もちろん、知っている顔だ。しかし、ペトラが知っている範囲の彼女は、そのメイド服を着こなし、完璧な作法を行える状態になかったはず。――違う、それも違う。


 改めて、改めて、改めて、認識が改められる。

 違う。そう、違った。彼女にメイドとしての知識や作法が備わっていないだなんてとんでもない。だってこの世界で、彼女は誰より一番最初にちゃんとしたメイドとしての印象をナツキ・スバルに、まだ村娘だったペトラに、教えてくれた。

 そのことを、ペトラ・レイテは引力によって思い出す。


 すなわち、そこに立っていたのは――、


「あの人……スバルくんを取り戻すため、レムの微力を尽くさせていただきます」


 そう、ロズワール邸の元祖万能お役立ちメイド、慇懃無礼な毒舌担当、レムはその薄青の瞳で真っ直ぐ前を見て宣言したのだった。

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― 新着の感想 ―
この瞬間を見届けるために生きてきたありがとう先生
記憶なくしてたヴォラキアレムとオリジンレムが融合したパーフェクトレムなの最高すぎ。6章のスバルと残骸くんが合わさった時を思い出しますね。
復活きたああああああ
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