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Re:ゼロから始める異世界生活  作者: 鼠色猫/長月達平
第九章 『名も無き星の光』
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第九章31 『十割の仕事』



 ――天が割れたかと思うほどの轟音と視覚効果を伴い、巨大な岩塊が落ちる。


 はたして、それを単に『岩塊』と表現していいものか、疑問の余地が多くあろう。

 なにせ、悠に百メートルは下らない大きさの岩の塊なのだ。それはもはや岩塊なんて表現よりも、空に浮かべられた岩山と呼ぶのが相応しい。

 その岩山に亀裂が走り、百メートルの塊がバラバラに砕け、いくつもの小さな――それでも五メートルから十メートルサイズの岩弾となって地上に降り注ぐ。


 岩弾の落下地点には王都の街並み、被害は少なく見積もって千人から万人の間。

 それだけの大量虐殺を行えば、現代のキルレートで並び立つのは『青き雷光』セシルス・セグムントか、『強欲』と『怠惰』の大罪司教ぐらいのものだろう。

 もっとも――、


「時代を今に限定しなけりゃ、昔は結構いたかな」


 疲労感たっぷりの声に呆れを滲ませ、アルデバランは城壁の上からそれを眺める。

 プランB――件の岩山を落とす戦術は、窮地に追い込まれたアルデバランが逃げ出す隙を作るために用いた卑劣な手口だ。

 その戦術に頼った経緯を考えれば、アルデバランは悠長に立ち止まらず、とっとと尻をまくって逃げに徹し、阿鼻叫喚を無視して王都から飛び出すべきである。

 しかし、アルデバランにはそれができない。――責任を持って、見届ける必要がある。


「――さすが」


 兜の奥、細められた黒瞳が映した光景に、アルデバランは掠れた称賛をこぼす。

 岩山が天墜を始めたときの音と演出、それに負けないぐらい派手な世界の悲鳴と上書きが行われ、地上から伸びた美しい氷の塔が、無数の岩塊を片端から受け止めていた。

 それは冷たく凍て付いた見た目に反し、温かな慈悲と慈愛に満ちた救いの手。一方で、光を受けて青白く煌めいて見える氷の塔は、術者の深い悲しみをも表わして思えた。


「なーんて、そんな風に思うのはちょっと詩人すぎなんじゃないの、オジサン?」


 と、その光景を眺めるアルデバランを、肩に担がれたロイがそう小馬鹿にする。

 手足をへし折って行動不能にしてあるロイだが、彼は背筋を使って器用に上体を起こし、アルデバランの肩越しに王都を襲った天変地異を観覧していた。

 何もできないくせに、達者な口であれこれと言ってくれるものだと辟易する。


「お前の方こそ、オレの心情描写に舌が乗りすぎててポエミーになってんぞ。大して知ってるわけじゃねぇが、そのセンスって『悪食』のお前より、『美食家』気取りの死んだ片割れの方が似合ってたんじゃねぇか?」


「ハハッ、死んだ家族のことで口撃なんて育ちが悪いんじゃァない? 実際、食べたモノをあれこれ評価したがるのは僕たちじゃなくライの方だったよ。不思議だよねえ。どうせ俺たちも僕たちも、食べたものの行き着く先は同じ『魂の胃袋』なのにサ」


「盗人ならぬ、盗み食い人猛々しいってのはこのこったな」


「泥棒扱いだなんてやだなァ。俺たちはただ、満腹よりもほんのちょっぴり多く食べたい……そんな程度の可愛らしい食道楽ってだけなのに」


 ああ言えばこう言う。口の減らない『悪食』の語彙の豊富さと論舌の強さは、その『暴食』の権能の性能からして、大罪司教どころか世界を見渡しても屈指のものだ。

 子どもの見た目と、腐った性根が丸出しの喋り方で誤魔化されやすいが、肩に担いだ存在は無数の知識と経験を貪った、集合知の化け物である警戒を忘れてはならない。

 だからこそ、言葉での説得を諦め、暴力と呪印で無理やり従わせることを選んだのだ。


「……とにかく、用事は済んだ。いくぞ」


「もう、岩を取りこぼしたお姉さんに助け舟を出す必要もなくなったもんねえ。オジサンって、変わり者っていうか異常者ってよく言われない?」


「ここ二、三日のオレの総評をどうも」


 説明もなしにアルデバランが留まった理由を言い当て、最後にいらない言葉を付け足すロイに、もはやまともに取り合う気もなくしてそう返答。

 そうしてアルデバランは、エミリアのおかげで被害の食い止められた王都――その一角が完全に平たくなった貴族街を確かめてから、再び足を急がせたのだった。



                △▼△▼△▼△



 ――バルガ・クロムウェルとの戦いを通じ、アルデバランは敵なしと評価していた自分の権能にも食らいついてくる難敵がいると、そう認識を改めた。


 今も、誰も自分には勝てないという確信は揺らいではいない。

 しかし、その確信を確固たるものに押し上げるには、権能に胡坐を掻き、考えることをやめてはならないのだと、そうも自戒したのだ。


 それ故に、王都に忍び込んでの『暴食』脱獄作戦では安易なやり直しを選ばず、一回一回のアルデバラン生をしっかりと、歯磨き粉のチューブを最後まで搾り切るような入念さを以て、一生懸命に挑むことで六千七百二十四でカウントを締めくくれた。


 ――それを多いと少ない、どちらと受け取るかは人それぞれだと思うが、基本的にアルデバランはどんなカウントでも『適切』と考えている。


 カウントの桁がなんであれ、一回も無駄なく、壁を乗り越えるのに必要とした挑戦だ。

 極々稀に、ただ心に深呼吸させたくて無為に消費する一回もあったりしたが、そうした心の息継ぎもなくてはならない一回である。

 だから、どんなカウントであろうと、望んだ成果を得られたのなら、アルデバランはその六千七百二十四回を、『最適』な試行回数だったと言い張るのだ。



「――よう、クソ兜ヤロー」


 事前に取り決めた合流場所――王都からしばらく離れたその場所は、廃れて久しい採石場であり、人目を忍びたい悪党たちの集会場にはもってこいだった。

 その採石場で、崩れかけた石壁に背を預けてアルデバランを出迎えたのは、辛辣な呼びかけを発した、怒りと敵意で赤い瞳を爛々と輝かせるフェルトだ。

 彼女は尖った八重歯の見える唇を曲げ、腕を組んだ姿勢でアルデバランへの軽蔑を露わにしている。呼び方も『兜ヤロー』から『クソ兜ヤロー』に格下げされていた。

 フェルトはその細い顎をしゃくり、遠目に見える王都の方を示すと、


「あんな大岩、エミリア姉ちゃんが止めなきゃ何人死んだと思ってやがる。死人は出さねーってテメーの方針はどーなった? へこたれるたんびに決めたこと曲げてくつもりかよ。ダセーったらねーな」


「……そうだな。オレも、フェルト嬢ちゃんが無事でホッとしたよ」


「ああ?」


「ジョークだよ。じゃなきゃ軽口か、ダダ滑りしたギャグ」


 こちらの返答に刺々しさを増したフェルトに、アルデバランは力なく応じる。そのアルデバランの態度を不誠実と取ったのか、前のめりに噛みついてこようとするフェルト、そこに「フェルトちゃんさァ」と、肩の上のロイが声を発し、


「その調子その調子って言いたいとこだけど、オジサンをねちねち責めるってんなら僕たちの方で下拵えは済んだんだ。だからどうせなら、違う調味料で味変ってのはどう?」


「どうもクソもあるかよ。……テメーが取っ捕まってた『暴食』か。兄貴か? 弟か? どっちにしろ、兄弟とよく似たムカつく面してやがんな」


「あァ、俺たちのこともご存知なんだ? まァ、そりゃそうだよねえ。ルイからも聞いてるよォ? フェルトちゃんのせいでライが食あたり起こしたってさァ」


「アタシの名前がどーとか難癖付けてきたときの話か? いい気味だったな」


 ますます毒舌の切れ味が増すフェルトは、一度プリステラで『暴食』――ライ・バテンカイトスと遭遇済みと聞く。そのときの、それも死んだ兄弟のことを揶揄した発言だったが、アルデバランのときと同じく、ロイはそうした皮肉にも「ハハッ」と上機嫌に嗤ってみせるばかりだ。


「ちなみに、僕たちの中じゃ、俺たちのどっちが長男だったかわかってないんだよねえ。僕たちとしちゃ、長男でいたい気分のときもあれば、次男でいたいときの気分だってあったから、そのせいかなァって」


「意味わかんねー理屈こねてんじゃねーよ。兄弟姉妹の上下は気分で決まるもんじゃねーだろ。譲るか受け取るか、欠ける前に選んどけ」


「ハッハァ! オジサンもフェルトちゃんも、嫌われ者の大罪司教相手なら何を言ってもいいって思ってるでしょ? いいよいいよ、みんなの共通見解ってヤツだもんねえ?」


「オイ、クソ兜ヤロー、こいつと楽しくお喋りするつもりなんてねーぞ。とっととそのギザ歯の口塞いで、テメーはアタシの質問に答えろ」


「こいつがうるせぇってのは同意見だけど、質疑応答の時間はちょっと待ってくれ。その前に……」


 フェルトの要求を遮り、アルデバランがその場で首を巡らせる。採石場の中を見回すその仕草の意図を察し、「ちっ」と舌打ちしたフェルトが顎をしゃくった。採石場の奥、かろうじて原形を保った粗末な小屋、そちらにアルデバランは視線を誘導され――、


「――アル様」


「――――」


 ちょうど、その小屋から姿を現したヤエと、アルデバランの目が合った。

 ほのかに温かな香りを伴ったヤエ、おそらくは小屋の中で食事の用意をしていたのだろう。その気遣いはありがたい。ありがたいが――、


「その感じからして、さてはこっぴどくやられたな?」


 一目見て、普段の飄々と掴み所のない彼女との違いをアルデバランは感じ取る。

 ワソーのテイストが入った特注のメイド服はあちこち破れ、戦場でも手入れを欠かさない彼女の赤髪にほつれがあった。何より、その表情だ。

 神妙というべきか、稚気に欠けた雰囲気が彼女らしさを一番損なっていて。

 その証拠に――、


「……よかった」


 ヤエは自分の胸にそっと手を当てると、アルデバランの合流にそう呟いた。

 その声に込められた感情の色に、アルデバランはわずかに鼻白みながら、しかし決して言及しないで、「おいおい」と肩をすくめる。


「万能お役立ちメイドのヤエさんらしくねぇ殊勝さじゃねぇか。オレの援護もできないなんて、どんなサプライズゲストと乳繰り合ってたんだ?」


「――。乳繰り合ってただなんて、人聞きが悪いですよ、アル様。ご存知の通り、ヤエちゃんの心はアル様にガッツリ支配されてるのに」


 一瞬、返答にあった躊躇いを掻き消し、そう答えたヤエの態度は通常営業だ。自分の胸をそっと指で撫で下ろした彼女は、「でもでも」と言葉を続け、


「殿方と情熱的な時間を過ごしたのは事実ですね~。お屋敷にいらっしゃったのは『剣鬼』ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア……いえ、ヴィルヘルム・トリアス様でした」


「『剣鬼』の爺様か。そりゃ……」


 想定外の刺客に、ヤエも度肝を抜かれただろう。が、最悪の敵とは言い難い。

 無論、王国屈指の実力者には違いないが、剣士であれば、魔法使いよりもずっとヤエには与しやすい相手。それも、バーリエル別邸は彼女の罠が張り巡らされた、言わば万全な『紅桜』の狩り場となっていたのだ。

 しかし、結果的に『アルデバラン』がその救援に駆け付けた以上、『剣鬼』の切れ味はヤエを上回った。それもあの表情、惜敗ですらない完敗だったと見える。

 あるいはその切れ味の理由は――、


「あそこでへっこんでる親父さんも無関係じゃねぇ、だろ?」


 アルデバランが水を向けた先、小屋の傍らにある捨て置かれた薪割り台の切り株に、片膝を抱えて俯く赤毛の男――ハインケルがいる。

 ぐったりと頭を下げたハインケルは、その全身を汚した赤い血を落としてもいない。それが自分の血なのか返り血なのか、ここからではわかりかねるが。


「何があった?」


「……私は意識が朦朧としていたので、ちゃんとこの目で見てはいないんですが」


「ですが?」


「ハインケル様が、『剣鬼』様を討ち果たされたのだと」


「――――」


 確証に欠けたヤエの答えに、アルデバランは息を呑み、今一度ハインケルを見た。

 当たり前だが、ハインケルとヴィルヘルムとの関係はアルデバランも承知している。つまるところ、親子対決、それも息子が父を討ち果たしたという話になる。

 ハインケルの、剣士としてはあまりにも致命的な欠点のことも知っているが――、


「息子とも父親とも、延々と板挟みなんだな、親父さんは」


 アストレア家の確執、その核心の部分についてまではアルデバランも知らない。

 ただ、『剣聖の加護』の存在と『剣聖』の肩書きが、親と子と孫との三代にわたり、決して噛み合うことのない軋轢を生んでいることはわかっている。そしてその軋轢は、今回の一件でより確実なものになったと言える。


「――――」


 ラインハルトとヴィルヘルム、この数日でそのどちらとも完全に敵対する立場になったハインケル、その心中を案じる資格をアルデバランたちは持たない。

 利用するために巻き込んだ側だ。大丈夫か、などと声をかけても白々しいだけ。だからアルデバランは、「それで」とヤエの方に視線を戻し、


「その爺様は? 討ち果たしたって話で、親父さんのあれが返り血ってなると……」


『――一応、最低限の処置だけしといたぜ。長居もできなかったんで、マジの最低限』


「うお!?」


 不意打ちの声に肩を跳ねさせ、アルデバランがきょろきょろと周りを見る。が、その声の主であろう『アルデバラン』の姿がどこにもない。『神龍』の竜殻だ。見通せるサイズ感ではないはずなのに――と、思ったところだ。


『悪ぃ悪ぃ、いったん、光学迷彩解除する』


 そう言うが早いか、それまで何もいなかったはずの空間――フェルトが背を預ける石壁に顎を乗せ、ぐったりともたれかかる龍の巨体がそこに現れた。その、ぼやけた大気が徐々に色付くような登場の仕方に、「おお」とアルデバランは目を見張り、


「光学迷彩ってことは、光の屈折で透明化してたのか。そんなことできんのかよ」


『さすがに動きながらリアルタイムで補正すんのは無理だぜ? けど、じっとしてるとき限定なら、文字通り、この図体のデメリットがだいぶ消えんだろ?』


「そうだな。透明化する『龍』ってのは、だいぶヤバくていいと思う」


 光の屈折を変える魔法は、陽魔法や風魔法を組み合わせれば実現可能ではあるが、それらを常時展開しっ放しにするのは燃費があまりにも悪すぎる。周囲の景色に溶け込むにはかなり精緻な魔法の扱いも必要だし、求める水準に達しない可能性が高い挑戦だ。

 実際、『アルデバラン』でも実現が困難だったから、王都では雲に隠れる形で上空に待機してもらっていたのだから。


「それができるようになってるってことは……だいぶ激戦だったらしいな」


『そっちに負けず劣らずだ。正直、親父さんのバックスタブがなかったら、ちょっと負けてたかもぐらいの弱気が頭を過ったぜ』


「バックスタブかぁ……」


 ゆるゆると首を横に振り、アルデバランは二つの驚きをそう処理する。

 片方は、『アルデバラン』に負けを想像させた『剣鬼』の恐ろしさに。積んだソフトウェアが違うとはいえ、ハードウェアのスペックは紛れもなく『神龍』のものなのに、ヤエとの連戦でその域に達するとは、とんだ化け物だ。

 そして、もう片方はもちろん、その戦いへのハインケルの介入の仕方――、


「正面切って勝ったら解決って簡単な話じゃねぇだろうが、バックスタブで決着したってなると、親父さんのメンタルめちゃくちゃだろうよ」


「まぁ、それは間違いないと思いますよ~。結局、王都から逃げてきてから今まで、一回も私たちと話してくれてないですもん」


「そうか……」


 ハインケルの重症具合は想像通りと、そうヤエからの肯定を受け、アルデバランは長く息を吐きながら、改めてその場の面々を見渡した。

 敗北に気落ちしたヤエと、『剣鬼』に気圧された『アルデバラン』。父親を刺したショックで蹲るハインケルと、こちらへの敵意を隠しもしないフェルト。そして、肩の上で上機嫌のロイに、卑怯者街道まっしぐらの凶悪ヴィランであるアルデバラン。

 碌でもないメンバーな上、かなりのボロボロ状態だ。


「――それでも、全員生きてる」


 採石場で顔を突き合わせた面々、それが全員生き延びたことに、アルデバランは肩の力を抜いて、静かに『領域』を解除、新たなマトリクスを再開する。

 リスタート地点が更新され、これで王都での出来事はこの世界の歴史に定着した。

 すなわち、彼女の紫紺の瞳から流れた涙も、もう取り返しがつかない。


「けど、それでいい。全部裏切るって決めた時点で、誰か一人だけ例外にしようなんて都合のいい話はなしだ」


 妥協はしない。心の揺れも禁物だ。抜かれば、何もかも台無しになる。

 この身で、心で味わう全ての痛みに意味があったと結論付けるために、アルデバランたちはしくじるわけにも、足を止めるわけにもいかないのだから。


「ヤエ、飯の用意してるならくれ。腹が減った」


「お屋敷から食料は持ち出せなかったので、通りがかりの商店から盗みました。どの店から何を取ったかはメモしてあるので、あとでお支払いお願いしますね」


「ちゃっかりしてんな……わかった。それとこいつを」


「括って、吊るしておけばいいんです? なら、もうやっておきました」


 そう言って、持ち上げた手指を滑らかにヤエが動かすと、ふとアルデバランの肩が軽くなった。担いでいたロイの体が鋼糸に吊られ、採石場の石壁にぶら下げられる。


「なんだなんだ、またこの扱い? まァ、逆さ吊りよりはマシかもだけどさァ」


「しばらくそのままでいろ。お前の躾け方を決めたら、手足も治してやる。ただし」


「呪印を忘れるな、でしょォ? いいんじゃない? 何も企まないとは俺たちの口が裂けても言わないけど、しばらくは大人しく品定めしててあげるからサ」


「品定め、ね」


「ライが死んだからかなァ? 『美食家』を継ぐなんてつもりは毛頭ないけど、もう少し皿に乗る前のことにも興味を持ってみようかなァ、ってね!」


 両手足を括られ、海老反りの窮屈な姿勢で吊るされながら、ロイは体を揺すっている。その不気味さに肩をすくめ、アルデバランは『アルデバラン』と視線を交わした。

 同じ自我の持ち主はその大きな顎を引き、目を離さないと確約してくれる。


「そういや、プランBは助かった。おかげで逃げられたからよ」


『ああ、オリジンの方はそっちにしたのか。オレは『セカンドプラン』って考えてた。まぁ、発想の着地は同じでよかったよ』


「オリジン?」


『もう一人のオレって呼び方もそろそろややこいだろ? だから、元祖って意味でオリジンでどうかなって。オレの方は直系とかどうよ?』


「元祖とか直系とか、家系ラーメンみてぇだな」


『アルデバラン』の提案に、アルデバランは「考えておく」と適当に受け流す。それからようやく、後回しにしていた怒り顔のフェルトに向き直った。

 フェルトは腕を組んだ姿勢のまま、変わらぬ怒りに双眸を燃やしていたが――、


「あの大岩を受け止めたのが、よくエミリア嬢ちゃんだってわかったな」


「あ? アタシをバカにしてんのか? あんなバカみてーな真似、エミリア姉ちゃん以外に誰もやらねーだろ」


「その言い方だと、馬鹿にしてんのはどっちだって感じだが……実際そうだ。エミリア嬢ちゃんが全部受け止めるの込みで岩は落とした」


「……テメーは、尻蹴るだけじゃ済まねーかんな」


 逃げるための卑劣な手口、アルデバランのそれを正しく理解し、フェルトはますます唇を曲げてそう恫喝してくる。その下町臭さの抜けない脅しが、彼女なりの最大限の怒りの表明なのだと感じ、しかし、アルデバランは同時に別の感慨も抱く。


 アルデバランのやりようと、それにまんまと嵌められたエミリア。『暴食』を脱獄させたこと自体も、フェルトが怒りを覚えて当然のラインナップだ。

 だが、フェルトの怒りの溢れ方は、他にも理由があるように思われて――。


「……親父さんと『剣鬼』の爺様のことは、フェルトちゃんのせいじゃねぇだろ」


「アタシのせいだなんて思っちゃいねーよ。間違いなく、テメーの……テメーらと、ラインハルトの親父と祖父さんのせいだ。けど、それでもムカッ腹が立つのと、これ知ったあのバカがどんな面するか、考えただけでもっとムカッ腹が立つ」


「――――」


「アイツをアタシの騎士にした時点で、アイツに関わるもんはどんなんだろーがアタシと無関係ってすんのは筋が通らねーんだ。覚えとけ、クソ兜ヤロー」


「……何を?」


「テメーがテメーの責任のつもりでやったことでも、あのお姫様とまとめて語られねーなんてことはありえねー。テメーのやってることは死体蹴りだ」


 そのフェルトの眼光と舌鋒が、ここまでの毒の中で一番アルデバランを蝕んだ。

 騎士と主の関係、それはたとえ片方が死んだとしても消えてなくなりはしない。アルデバランが悪名を稼げば、それはプリシラ・バーリエルの悪名にもなるのだと。

 改めて突き付けられ、瑞々しい苦みと痛みを味わう。だが――、


「姫さんはもう、どこにもいねぇよ。死体も残ってねぇ」


「――っ、そういう話じゃ……!」


「そういう話なんだよ。オレにとって、命ってのは」


 怒りを露わにするフェルトを、渇いた回答が黙らせる。

 死後の名声も悪名も、死者には何の意味もない。全ては生きていてこそ。死者の評判に一喜一憂するのは、いずれも生き残ったものたちの感傷だ。


「自分も相手も生きてる間に精一杯やんな。オレから言えるのはそんだけだ」


「――。クソ兜ヤロー、テメーはホントに、なんなんだ?」


「……オレは後追い星だよ」


「後追い……?」


「夜空で一等輝く星の出来損ないってヤツだ」


 それきり、アルデバランはフェルトに背を向け、やり取りを放棄した。そのまま、アルデバランは薪割り台の方に、ハインケルの下に歩み寄る。


「――――」


 俯くハインケルは顔を上げないまま、アルデバランの方を見向きもしない。が、意識はあるだろう。息遣いと、ピリつく全身がこちらの気配を感じ取っている。

 そのささくれ立った心中は想像に容易い。何を、言えばいいものか少し悩むが、


「約束は守る。事が済んだら、『龍の血』は必ずあんたのもんだ」


「――ッ」


 今、ハインケルに必要なのは慰めでも謝罪でもなく、確約の確約。

 そう考えたアルデバランの言葉に、ハインケルが息を呑み、次いで伸びてくる手がアルデバランの上着の裾を掴み、強引に引き寄せた。とっさに片膝をつくアルデバラン、その首筋に冷たい刃が当てられ、すぐ間近のハインケルと目が合う。

 その顔にも血を跳ねさせたハインケルが、青い目を血走らせながら、


「絶対だ……!」


「――――」


「絶対に、約束を守れ。『龍の血』を、何としても……『嫉妬の魔女』も……!」


「わかってる。世界を終わらせるつもりはねぇよ。そのための『暴食』だ」


 首筋に鋭い痛みを感じながら、アルデバランは落ち着いてそう答える。そうしながら軽く手を上げ、ハインケルの暴挙に反応しかけたヤエを下がらせる。

 そうしてしばらく、アルデバランとハインケルは至近距離で睨み合い、


「クソ!」


 吐き捨て、ハインケルが突き飛ばすようにアルデバランを押しのけた。尻餅をつきかけた体を何とか立て直し、アルデバランが前を見れば、ハインケルはまたしても俯き、さっきと同じ閉じこもり状態に戻っていた。

 その様子にアルデバランは兜の金具を指で弄り、小さく吐息する。


 ひとまずのところ、全員の状態は把握できた。

 王都に乗り込む前後で、良くも悪くも全員に消耗があったのは否めないが、誰も欠けなかった点と、ロイを回収できた点でうまく帳消しとしていきたい。

 正直、向いていないのは承知の上だが、うまく舵取りしなければ。


「とりあえず、ここならしばらくは落ち着けるはずだ。ヤエの飯を食って、ちょっと休んでから移動を再開してこう。王都の混乱もまだ続いて――」


 手を叩けない代わりに指を鳴らし、皆の注目を自分に集めるアルデバラン。

 ここまで、最初から付き合っているヤエやハインケルは、ほとんど三日不眠不休の行軍が続いている。それを休める意味でも、時間を取るつもりだった。


 ――アルデバランの言葉を遮るように、上空から大岩が投下されてこなければ。


「な」


 と、薄雲で影がかかったと思った直後、アルデバランは超重量に叩き潰される。

 ただ、遠くで、虫の羽音が聞こえた気がした。



                △▼△▼△▼△



 ――オットー・スーウェンは激怒した。

 必ず、かの邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意した。――と、怒ったときのお約束の定型句だと前にスバルが言っていた戯言が頭を掠めるほど、オットーは激怒した。


 その怒りの切っ掛けも矛先も、もはや説明不要の領域だろう。

 大罪人と化したアル――アルデバランは許されないことをした。それは彼の心身を気遣い、案じたものたちの心を裏切ったこともそうだし、王国の定めた法律を重たいものだけで百に迫る勢いで破ったこともそう。

 だが、何よりオットーを怒らせたのは、オットーの身内と敵対したことだ。


 オットーは、自分が平和主義者であることを自覚している。

 基本的に争い事は嫌いだし、避けられるトラブルは避けるのが信条だ。実際、行商人としてフルフーとの身軽な二人旅の頃は、やむを得ず巻き込まれる以外では、自分から揉め事に首を突っ込むことも、乱暴な解決法を選ぶこともほとんどなかった。


 だが、エミリア陣営に所属し、内政官の立場になってからは事情が変わる。

 武闘派内政官などと、そうスバルに囃されることには納得していないが、平和主義かつ温厚に物事の解決を目指す――という方針は、今の立場では最優先されない。

 身軽な行商人時代とは、向けられる悪意の質も鋭さも段違いで、なあなあで消極的な対応を続けていては、守りたいものを守り抜くこともできないからだ。


 その一方で、王選候補者の一人に重用されているという自覚も、戒めとして手放すことはできないと、そう自制も利かせていた。

 陣営の内政官で、メイザース領の運営にも携わる立場であるオットーには、かつての自分では想像もできないような地位と肩書きの力がある。それに溺れ、自分の立ち位置を勘違いしないために、オットーは日々、自戒しているのだ。


 そうしたオットーの努力という戒めは、身内に手を出された途端に外れる。


「事情は誰にでもあるでしょう。でも、そのための交渉のテーブルにつくつもりも、その用意もしない相手を、僕は斟酌しない」


 憐れんでほしければ憐れんだ。施してほしければ施した。

 そういう思いやりと優しさが、エミリアを筆頭とした陣営の皆にはある。だから、オットーも最大限、皆のその心根の健やかさを尊重した。

 それでなお、相手が踏み躙ってくるなら、利用してくるなら、仕方ない。


 恵んでほしければ恵んだ。支えてほしければ支えた。

 そして、敵対することを望むのなら、こちらも思う存分に敵対するまでだ。


「エミリア様のおかげで、街に被害は出なかった。貴族街の避難誘導も事前に完了。王都の騎士団は有能ですね」


 起きた出来事の被害状況を整理しながら、オットーは拳を握りしめる。

 事態の把握と進捗の確認に頭を割く必要があるから、憤慨はできない。ただただ、胸の奥に忸怩たる思いがあった。――自分の、情けない醜態への。


 動き出した事態の最初の重みに頭を殴られたとき、オットーはみっともなく、自分の無力を訴え、あろうことかそれをエミリアに慰められた。まるで、真逆だ。あんなことはあってはならなかった。オットーは、エミリアの不安を取り除くべき立場だった。

 それなのに、現実にはオットーは半泣きでエミリアに慰められ、支えるべき相手の言葉に顔を上げさせられ、物理的に背を叩かれる始末だ。


 エミリアには冗談めかしてスバルに殺されるなどと言ったが、本心ではオットーがオットー自身を縊り殺してやりたい心境だった。


 だが、死人には挽回のチャンスなど永遠に回ってこない。だからオットーは自分の首に手をかけるような愚かな真似などせず、全霊で頭を回した。幸い、半泣きになったおかげで少しは頭も晴れた。――もっとも、頭の中ではなおも雷鳴が鳴り響いていたが、稲光も暗闇の奥に目を凝らすには役に立つ。


 思えば昔、フルフーと二人だった頃、雷雨の中を急いでいたとき、荷台に落雷を受けて積み荷が丸々焼き尽くされたことがあった。

 その大いなる不運を嘆くオットーに、愛竜は『僕も坊ちゃんも怪我がなかったことを喜ぼうじゃないですかい』と言ったが、その意見は正しい。

 稲光の続く雷雨の中をゆくのなら、落雷に打たれる覚悟がいる。――そのとき、雷に命を焼かれずに済むかは、当人の運次第。


 その、運で覆せる要素を可能な限り削り、雷雨の中を進ませる。

 それが激怒したオットー・スーウェンの、手段を選ばぬ戦い方の本質――そのためならば、心無いと悪罵されるような手札も躊躇なく切れた。

 その表れが――、


「ラインハルトさん以上の武力も、フェルト様以上の戦力も、王都に滞在中の僕たちには用意ができない。そもそも、僕たちのところまで出番が回ってきた時点で、武力と数は彼らを止める絶対的な指標にはなり得ない」


 どうやってか、アルデバランは『剣聖』ラインハルトを躱し、『神龍』ボルカニカを引き連れて、フェルトたちの戦力をも退けて王都へ到達した。

 その不可解なアルデバランの実行力に、ヴォラキア帝国から戻りたての、仲間たちと別行動中のオットーたちに対抗する術はない。


 故に、生け捕りを指示して送り出したエミリアも、ちょうど王侯館に滞在中だったヴィルヘルムたちに声をかけたのも、決定打を狙ったものではなかった。

 もちろん、エミリアやヴィルヘルムたちで勝ちまでいけるなら最善だが、それは望めないだろうとオットーは予想していた。そして、手持ちの最大戦力をぶつける以上の攻撃的な手段を、現在のオットーたちは有していない。


 ――ラインハルト・ヴァン・アストレアの戦い方も、バルガ・クロムウェルの戦略的智謀も、オットー・スーウェンは持ち合わせていない。それらと競い合えるだけの才覚があると、そんな風に自分を高く見積もってもいない。


 能力以上のことができる人間だなんて、オットーは自分に期待しない。――自分にできることなんてせいぜい、持てる能力の十割を発揮することぐらいだ。

 その十割で、オットー・スーウェンができることとは――、


「――王都の西の、放棄された採石場」


 羽音と共に届けられた報告に、地図に印を付けたオットーは目を細める。手には血に染まった手巾、それを鼻に当てながら、朦朧としかける頭を小突く。

 加護のオーバーヒート――使いすぎた疲弊をスバルがそう呼んだとき、その不可思議な響きにガーフィールが目を輝かせていたのを思い出し、唇が緩んだ。


「オーバーヒート、大いに結構。頭が割れてもやめませんよ、僕は……」


 鼻血を流しながらそうこぼし、オットーは集まる羽音――ゾッダ虫に指を鳴らし、次の行動と、監視の継続を指示する。

 ゾッダ虫は気のいい性格かつ、個体としての意識が薄い。群れ単位で方針を共有する彼らは、一匹を説得できれば群れ全体を説得できたのと同じだけの効果を発揮する。そして頼み事に対して彼らの求める見返りは、『安住』であることがほとんどだ。


 その見返りを、オットーは内政官の地位を利用して確保しよう。代わりに、個体の命を危うくする指示に従い、人間にはできない無茶な仕事をこなしてもらう。


 ――逃亡する『神龍』に引っ付いて待ち合わせ地点を特定したり、十万以上の群れの力で大岩を相手の頭上に落としたり、囚われのフェルトが残したメッセージを余さず回収したり、あらゆることを。


「……モゴレード大噴口」


 それは、アルデバラン一味に人質として連れ歩かれるフェルトが、こちらに届くと信じて残したメッセージであり、破壊されたバーリエル別邸から回収されたものだ。監視の目を掻い潜り、ゾッダ虫に託すあたり、フェルトも度胸が据わっている。

 端的に、カララギ都市国家のとある地名だけを記したそれは、おそらくはアルデバランたちの次なる狙いか、あるいは目的地だろう。そこを目指して動くというなら、どうぞ存分に動くといい。――ただし、オットーは目を離さない。


 どこへいこうと、隠れようと、オットーは耳鳴りと流血と引き換えに、アルデバランたちの一挙一動を見張り続ける。


「もう、眠れるとは思わないでください。――世界中が今やあなたたちの敵だ」


 勝利する力など、自分にはない。できるのは、相手の力を削ぎ続けること。

 それがオットー・スーウェンの、『剣聖』とも『大参謀』とも異なる、エミリア陣営の内政官としての、自分の力を十割出し切る戦い方なのだ。

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― 新着の感想 ―
9章しんどい サブキャラ同士の戦いとか興味がなくてなかなか読む気にならないのにまだ続くのか アストレア関連はまだしもフェルト陣営は要らなかったのでは?
このエピソードがどんな結末を迎えるにせよ、アルは、アルだけは舞台から消えないとな。(姫さんが復活するかしないか、そもそもアルの目的は別かは知らないけど) 目的達成・未達成に関わらず、暴食に自分の存在食…
暴食に食べさせるのは、ペトラの記憶かスバルの名前か……。アルデバランはどちらを計画しているのか気になります。
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